探り合い*1
一行はまた、ダルスタルのステンティール領主邸へと戻る。……幾分、緊張させられる。何せ、今は屋敷に領主夫人も、マティアス・アーリグも揃っているはずなので。
「お嬢様が偽物にすり替わっていると知られれば、間違いなく奴らはお嬢様を狙うでしょう。或いは、お嬢様が偽物であることを理由に糾弾してくるやもしれません」
ウルリカも幾分、緊張した表情だ。鉄面皮のメイドと言えども、多少は緊張するらしい。
「ネールさんには申し訳ありませんが……」
「何、こいつだって人助けは好きですからね。……頑張れるな?ネール」
一方のランヴァルドは、これは緊張ではなく高揚であると、自らに言い聞かせている。
……正直なところ、マティアスと対峙したいとは思わない。相手は抜け目ない悪徳商人。どこでどう足を掬われるか分かったものではない。
だが……マティアスは、ランヴァルドを殺そうとし、そして、ランヴァルドの今までの成果を全て奪っていった男だ。許すわけにはいかない。必ずや、落とし前を付けさせねばならない。
「おお……やる気だな、ネール」
ランヴァルドの意気込みが伝わったのか、ネールもやる気十分な様子であった。真剣に頷くネールを見て少し笑って、ランヴァルドは馬車の外……ダルスタルの街並みを眺める。
……もうすぐ、領主邸に到着する。
領主邸に到着すると、すぐ使用人達がやってきて、諸々を手伝ってくれる。
護衛の兵は早速報告を行い始めていたし、ウルリカも何か、他のメイド達に言づけて指示をしていた。大方、マティアスを追い詰めるための策をいよいよ実行するための準備なのだろうが。
……そして。
「ああ、エヴェリーナ!戻ったのですね!」
領主夫人がやってくる。玄関前の大階段を慌てて下りてきて、領主夫人はネールへと駆け寄ってきた。
「全く……あの人ったら!よりによって自分の娘が弱っている時に、名代として使うなんて!……心配したのですよ、エヴェリーナ。加減はどう?」
ネールはおろおろしながらも、なんとかそれらしく振る舞ってみせている。そこへウルリカが上手く取りなしに入って、上手くネールを領主夫人から引き離す。
……だが、ランヴァルドの目は、領主夫人の後ろ……階段の上からこちらを見ている男へ向いている。
そう。蛍石のような緑の瞳は、ランヴァルドを捉えて離れない。
「久しぶりだな、マティアス」
ランヴァルドがにやりと笑ってそう呟けば、声が届いたとは思えないが……マティアス・アーリグはただ、唇を引き結ぶのだった。
「……マグナスさん。今のは」
「ああ。やっぱり間違いない。あいつはマティアス・アーリグです。俺を殺し損なった間抜けですよ」
マティアスが去った後で、ランヴァルドはそっと、ウルリカに伝えておいた。
やはり、補佐官として雇われてた商人というのはマティアスその人であったようだ、と。……そしてついでに。
「ん?ああ……お嬢様にもお伝えしておいた方がいいですね」
ネールにも伝えておくべきだな、と考え、ランヴァルドはそっと、ネールに耳打ちしてやる。あくまでも、『エヴェリーナお嬢様へご進言』という体で。
「えーと、さっきのあの男。マティアスという奴ですが、まあ……魔獣の森で俺の脚を切って置き去りにしてくれるような護衛を紹介してくれた野郎ですよ。ついでに俺が仕入れた商品をそのまま横取りしていったらしい」
……そう伝えた途端、ネールは、ぴゃっ、と跳び上がらんほどにびっくりしていた。続いて、ものすごく……ものすごく、怒りを露わにマティアスが消えていった方を睨んでいる。
実に……実に、健気なことである。ネールはランヴァルドの代わりに怒ってくれているらしい。
「まあそういうわけで、お嬢様もお気を付けください。奴は金儲けのためなら人を殺すことすら躊躇わない男です」
ということで、ランヴァルドは……『金儲けのためなら人殺しまでとは言わずとも、多少のことは躊躇わない男』であるところのランヴァルドは、ネールに嬉々としてそう吹き込んでおく。
ネールがマティアスをこっ酷い目に遭わせてくれたら面白い、という気持ち半分。そして……誰かが、自分の代わりに自分のことで怒ってくれるのは、多少気分が良かったので。
「……俺はあいつとは長い付き合いがあったが、それでも許そうとは思わない。あいつを必ずや失脚させて、ムショにぶち込んでやりますよ。あいつが一番嫌がりそうなやり方で、ね」
ついでに、自らの決意を確かめるような気持ちでそう囁けば、ネールは力強く、そうだそうだと言わんばかりに頷いた。なんとも心強い味方である。
「そういうわけで、よろしくお願いしますよ、『エヴェリーナお嬢様』」
そしてそう声を掛けてみれば、ネールは『そうだった、自分はエヴェリーナお嬢様だった』と思い出したらしく……優雅な微笑みを浮かべて、こくり、と、実にお嬢様らしく頷いてみせてくれたのだった。
さて。
ネールを部屋へ連れて行ったり、荷物を下ろしたりとやって一通り落ち着いたところで、ネールが領主へ報告に行く……という名目で、ウルリカが領主に諸々を報告しに行くことになった。その間、ランヴァルドまで同席するのは不審なので、ランヴァルドは1人、待ちぼうけだ。
エヴェリーナの部屋の前の廊下から窓の下をぼんやり見下ろせば、中庭が広がっている。もう冬になるという季節だが、それでも寒さに強い花がいくらか咲いているのが見えた。まあ、ここは北部と比べればまだ暖かい。花にはまだ多少優しい場所だろう。
……などと考えていたところ、ふと、中庭に面した回廊でマティアスが使用人らしい者と何か深刻そうな顔で話しているのを見つけた。
聞き耳を立ててみようかとも思ったのだが、この距離では何も聞こえない。代わりにマティアスと使用人の表情を見ていたのだが……使用人は何やら困っている様子であった。そしてマティアスは何やら一応、申し訳なさそうな顔をしている。……何か困るようなことを命じた、ということだろうか。
やがて、マティアスと使用人の会話は終わり、使用人は慌ただしく去っていった。マティアスは満足気にしていたが……ふと、中庭の端の方へと目をやった。
中庭を取り囲むようにぐるりと白亜の石柱が並ぶ回廊を、今まさに歩いてやってくる人物が居るのである。
……ネールと、ウルリカだ。
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ネールは、領主への報告を終えたウルリカと共に城内の散歩をしていた。こうしてある程度は姿を見せておかないと却って怪しまれるから、ということだったので、ネールは毎日少しだけ、こうしてお散歩することになっている。
だが、中庭の噴水の方へ向かっていたところ……ふと、ネールの前に影が差した。
「エヴェリーナお嬢様。少しよろしいでしょうか?」
続いて声を掛けてきた影の主を見上げて……そこにあった蛍石のような瞳を見て、ネールは身を固くする。
……マティアス・アーリグ。
さっきランヴァルドが言っていた、悪い人である。
ネールは、じり、と後ずさりつつマティアスを睨む。
こいつが。こいつが、ランヴァルドが頑張ってきたものを奪って、更にはランヴァルドを殺そうとしたのだ!絶対に、絶対に許せない!
そうだ。許せない。そしてこいつ自身は、そんなに強くないようだ。ネールはやろうと思えば、いつでもこいつを殺せる。
だが……殺さない。
ここでこいつを殺してしまうことを、ランヴァルドは望んでいないらしいから。
ランヴァルドはネールにはよく分からない、もっと賢いやり方でこいつを懲らしめるつもりのようだ。だから、ネールはただ、目の前のこいつを睨むだけにする。
「……おやおや、そのように睨まれてしまうとは」
ネールが睨んできたのが意外だったのだろうか。マティアスは少しばかり驚いたような顔をしていたが、それもすぐに薄笑いの下へ隠れてしまう。
「本当に、お嬢様は気丈にあらせられる。……賊に襲われて声が出なくなったというのに、これとは」
ネールははっとして、『そういえば自分はエヴェリーナのふりをしなければならないのだった』と思い出した。だがそれでも、こいつは気に入らないので、やっぱり睨むのは止めない。
「執政補佐官殿。お嬢様に、何か?」
ウルリカがネールの前に立ちはだかると、マティアスは困ったように笑ってみせた。
「いえ……あの家庭教師に何か聞いたのでは、と思いましてね。彼との間には誤解があって……彼が許してくれるとは思えませんが、お嬢様にまで誤解されたままで居るのは、あまりにも悲しいことですので」
ネールはマティアスの言葉を信じない。
……その言葉の裏にある気持ちくらい、ネールにはちゃんと分かる。今、目の前のこいつは、『面倒だな』としか思っていない。心配なんてしていないし、悲しいなんて欠片たりとも思っていない。
「そうですか。でしたら先に、家庭教師の先生との間にあるという誤解を解いてからお越しください。お嬢様のお心を乱すような真似は慎んでいただきたいものです」
ウルリカはそう言うと、氷の彫像のような顔でマティアスをただひやりと見つめ、そしてネールに『そろそろお部屋へ戻りましょう』と促した。
「お嬢様」
けれどマティアスは、ネールの進路を遮るように立ちはだかる。ウルリカはいよいよ汚いものでも見るような目を向けていたが、マティアスはまるで気にした様子が無い。
さあ、どうしよう。このまま走れば、マティアスも追いかけてはこれないだろう。中庭に面した2階の窓にでも飛び込んでしまえば、絶対に逃げ切れる。
……だが、本物のエヴェリーナはもしかしたらかけっこはあんまり得意ではないのかもしれない。だから、逃げるにしてもきっと、おしとやかにやらなければならないのだ。
どうしよう。ネールはそっと、ウルリカを見上げ……そこで、マティアスがネールを見つめて、微笑みかけてくる。ネールはそれに負けじと睨み返すが……。
「お嬢様。一つお伺いしたいのですが。あの家庭教師は……」
だが、マティアスの問いがネールに投げかけられることは無かった。
「よお、マティアス。元気そうだな」
……そこに丁度、ランヴァルドがやってきてくれたからだ!
まるで、お姫様を救う騎士かなにかのように!
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