毒薬探し*4
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……一撃で倒せない相手を、ネールは初めて見た。
ナイフが突き刺さったのに、その奥まで……相手の命にまで届かなかった。ネールの小さな体と小さなナイフではどうしても戦えない相手がいるのだと、思い知ったのだ。
「あー……うん、落ちたな。よし。これなら当面は出てこないだろ……」
ランヴァルドは地面の裂け目を覗き込んで、ため息を吐いている。……ランヴァルドの財産を、無駄にさせてしまった。ネールがもっと強かったら、こんなことにはならなかったのかもしれない。
だが現実には、それどころか……ランヴァルドが機転を利かせてくれなかったら、ネールはきっと、死んでいたのだ。
「ネール。怪我は無いか?」
考えていたネールに、ランヴァルドが近づいてくる。
ランヴァルドは優しい。上手くやれなかったネールにも、優しい。そしていつもみたいにネールの怪我の様子を見て……『ああ、かすり傷だな』と、魔法で治してくれた。
ぽや、と温かな光が灯って、ネールの心の奥底まで温まるような心地がした。やっぱり、ランヴァルドの魔法は温かくて、優しくて、大好き。
……ランヴァルドの魔法を与えられながら、ネールは考える。
もっと、力が欲しい。強くなりたい。
自分が守られるのではなく、この人を、自分が守れるように。
強く。強く。
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「驚きました。まさか、岩石竜が出るとは。……ましてや、岩石竜が出たのに、生き残るなんて」
「俺は悪運だけは強いんでね。まあ、よかった。全員生き残って」
メイドのウルリカが手を開いたり握ったりするのを見ながら、ランヴァルドは苦笑する。
……そうだ。実際、奇跡的であった。岩石竜と出くわして、全員が生き残っているのだから。
今、ランヴァルドが癒しの魔法で治してやったメイドのウルリカも、手の骨を折られていた。……兵士の中には、肋骨が折れた者も居た。もう少し当たりどころが悪ければ、ランヴァルドが治すより先に死んでいただろう。
「……俺の魔法の精度が悪いのは勘弁してください。どうやってもこれ以上上達しなかった」
「癒しの魔法が使えるだけでも相当に優秀なのでは?失礼ですが、どこで魔法を?」
「それはご想像にお任せしますよ」
ウルリカの追及を適当に躱すと、ランヴァルドは、『さて』と気を取り直す。
「じゃあ、あのドラゴンが戻ってきちまう前に探しましょう。……毒の茸でも、マティアス関連の証文でも、なんでもいい」
岩石竜でうっかり忘れかけたが、ランヴァルド達がここへ来た理由は、マティアスの尻尾を掴むためだ。それを忘れているわけにはいかないのである。
ということで、ランヴァルド達は手分けして、坑道の中を探した。
岩石竜から隠れて生き延びていた賊を見つけることもあったが、ウルリカや護衛の兵士達に捕まって、何か情報を吐かされている様子だった。ランヴァルドは『あのメイドは敵に回したくないな』と密かに縮み上がった。
「茸、茸……ネール、そっちの方見てこい。茸があったら知らせるんだぞ」
証文の類が残っているならウルリカ達が何とかするだろう。ということで、ランヴァルドはひたすら茸の方を探している。賊が茸を栽培していたとは思えないので、あるとしたら乾燥させたものがどこかに保管してあるか、はたまた、適当に生えているか、といったところだが……。
少し探せば、乾燥させた茸の瓶詰が発見された。ランヴァルドは『保存状態を見る限り、山の中ってよりは外で採ってきたものっぽいな』と判断する。自生しているところも一応、確認しておきたいが、それは帰りがけでいいだろう。
ウルリカ達の方はまだ、賊の処理を行っているらしい。なら今の内に金目のものでも漁るか、とランヴァルドは周囲を見渡して……。
「ん、ネール。どうした。茸か?」
ててて、と駆けてくるネールを見つけて、ランヴァルドは鷹揚に反応した。ネールは『どうしてよいものやら』というような顔で、しかし、明らかに期待を滲ませてランヴァルドの服の裾をついつい引っ張る。連れていきたいらしい。
茸なら既に発見できたんだが、と思いつつ、ランヴァルドはネールに付いていく。……ネールはこういう時、すぐには『筆談』というところに意識が行かないらしいので、今後はそれを教えるべきだろうか。
不思議に思いつつランヴァルドが付いていくと、やがて、ネールは岩壁の一部……そこの小さな割れ目の中に、もそもそ、と潜り込んでいった。……が、ランヴァルドには到底、こんな小さな隙間は通れそうにない。
どうしたものか、と思っていると、ネールがまた、もそもそ、と隙間から出てきて……その手に握っていたものを、ランヴァルドにそっと差し出した。
そしてランヴァルドはぎょっとする羽目になる。
「ほ、宝石……?」
ネールが持ってきたもの。それは、きらきらと美しく輝く宝石であったのだ!
まさか、と思って、ネールが再び中に入っていった後で穴の向こうを覗いてみる。
「……ネール。お前、さては幸運の妖精か何かだな?」
ランヴァルドはいっそ、呆れるような心地で呟いた。
なんと、そこには宝石がざくざくと貯め込まれた空間があったのである。
「……岩石竜の巣だろうな、これは」
ランヴァルドは穴の向こうにランプの光を差し入れつつ眺めて、大したものだ、と思う。
「食料として宝石や魔石を貯め込んだんだろうな。もしかして近々卵を産む予定でもあったのか?やれやれ……」
穴の向こうにあるものは、宝石ばかりだ。原石らしいものが主だが、結晶がそのままでも美しい形をしているようなものもあり、更には、人間から奪ったのであろうものも幾らか混じっているように見えた。
「向こうには空間が広がってるらしいな。なら……岩石竜がそっちから戻ってくるかもしれない。ネール。早めに退散するぞ」
ここが岩石竜の巣であるならば、間違いなく、ここに竜が戻ってくるだろう。恐らく、この壁の割れ目はたまたま生じてしまったものであって、本来の出入り口は向こう側なのだろう。暗くてよく見えないが、今にも向こうから、岩石竜が現れそうである。
それはまずい。ならばさっさと退散してしまうに限る。
だが。
「まあ、折角だ。損失分は補填させてもらおう。ネール。お前も好きなの持って帰っていいぞ」
……それでもがめついのがランヴァルドなのであった!
「茸は無事に見つかりましたよ。そちらは?」
そうして宝石をしっかり背嚢に詰め、ネールの背嚢にも恐らく詰まったところで、ランヴァルドはウルリカ達のところへ戻った。
「ああ、マグナスさん達も見つけていたのですね。こちらでも茸の瓶詰は見つけました。それから……この通りです」
ウルリカはランヴァルドが大量の宝石を手に入れてきているなどとは露知らず、証文の類であろう紙を差し出してきた。ランヴァルドはそれを受け取って確認して……にや、と笑う。
「ああ。備品の横流しの証拠にはなりますね、これは」
「ええ。兵士達の装備の一新を命じたのは奥様ですが、奥様の責任を追及すれば自然とマティアスへ辿り着くかと」
まあひとまず、疑いを掛けるに値する証拠は見つかった、という訳だ。幸先が良い。だが……。
「しかし……マティアスの名前は無いな。流石に」
予想のついていたことではあるが、マティアスに直接繋がる証拠は残っていない。彼の名前やサインがあるようなものは何一つ無いのだ。
足がつかないように、ということなのだろうが、流石、徹底している。これでは精々、『疑いを掛ける』程度しかできないだろう。
「しかし、賊は吐いてくれました。彼を証人として連れ帰りましょう」
「……成程な」
だが、それで十分だ。
領主暗殺未遂の疑いを投げかけ。備品の横流しについて糾弾することで領主夫人を追い詰め、マティアスを庇えないような状況に持ち込み。そして、賊に証言させて、マティアスを捕らえる。それでなんとか事足りそうではある。
問題は、領主夫人がマティアスに心底入れ込んでいて、マティアスを庇って領主夫人だけが罪を被ろうとするような場合だが……まあ、それは問題無いだろうと思われた。
あの手合いは、結局のところ保身に走る。ランヴァルドはそういった例をごまんと見てきたのだ。
「では早速戻りましょう。これでようやく、ステンティールを救うことができそうです」
「そうですね。それに、ここに長居していたらまた岩石竜が出てきそうだ」
ウルリカ達に促され、ランヴァルドとネールはさっさと坑道を出ることにした。
……ランヴァルドは宝石が詰まった背嚢を背負い直しつつ、内心ひやひやしていたのだが、幸いにして岩石竜が再び出てくる気配は無かった。地の底で新しい宝石でも見つけてくれていればいいのだが。
鉱山を出た麓のあたりに管理用の小屋があったため、そこで一晩を明かすことになった。今から戻ろうとすると徹夜になる。夜道は危険である上に……何より、岩石竜との闘いと、その後の癒しの魔法の行使とで、ランヴァルドが疲れ切っていたのだ。
特に、癒しの魔法を数名に使ってやったのは大きかったようで、『マグナスさん。顔色が優れません』とウルリカにまで言われてしまう始末である。実際、ランヴァルドも疲労を強く感じ始めたところだったので、言葉に甘えて休ませてもらうことにした。
ランヴァルドが小屋の簡易ベッドに横になっていると、その隣のベッドの上、ネールは丸い瑪瑙のような石を撫でてにこにこしていた。
……岩石竜の巣から持ってきたものなのだろうが、赤ん坊の頭ほどもあるそれは、大層目立つ。ランヴァルドはひやひやしていたのだが、ウルリカは『あら、拾ってきてしまったのですか?まあ、いいでしょう。誰かが困るわけではないでしょうから』と大目に見てくれるらしい。
ランヴァルドは『あのメイド、子供には甘いんだな……』などと思いつつ、気づけばそのまま眠ってしまっていた。
途中、もそもそ、とネールが自分のベッドに入って来た気配があったが、それを気にする気力もなく、ランヴァルドは朝までぐっすりと眠ることになったのである。
翌朝。目が覚めたら、ランヴァルドの腹のあたりでネールが丸まっていた。
粗末な小屋の中、薄い掛け布一枚を被っただけでは寒かったらしい。ランヴァルドで暖を取っていたようだ。……まあ、さして気にすることでもないか、と、ランヴァルドは諦めてため息を吐きつつネールを起こす。
むにゃ、と柔い表情で目を擦りつつ起きたネールは、ランヴァルドを見つけ、ぱち、と目を見開く。……そして『最早これまで』というような顔をするのがおかしい。同じ寝床に忍び込んだのが露見して怒られるとでも思ったのかもしれない。
……こんな顔を見てしまうと、どうにも怒る気にはなれない。ランヴァルドはネールに『寒い時は正直に言うように』と言いつけて不問とすることにした。ネールはきょとんとしていたが、やがて、ぱっと表情を明るくして、何度もこくこくと頷いていた。
……また育て方を間違えただろうか、と、ランヴァルドは少々、後悔しないでもなかったが、仕方がない。何せ、ネールはなんとも嬉しそうなので……。
朝食は携帯食だが、携帯食としてはかなり豪勢な食事となった。
香ばしく焼き直したパンにハムとチーズを挟んで、豆といくらかの野菜を煮込んだスープと共に頂く。……流石、領主邸に仕えるメイドと護衛達の食事である。一応、客人であるランヴァルドとネールに不自由させないように、という思惑があるのだろうが、それにしても手が込んでいる。
明け方の冷えた空に温かなスープの湯気が立ち上っては溶けていく。ネールは湯気を見上げながら、ほふ、と自分自身も湯気を吐き出してにこにこしていた。ランヴァルドの寝床に潜り込んできたほどだ。寒かったのだろう。そして冷えた体に温かなスープがなんともじんわり染み渡るものだ。
……そんなネールであったが、食べ方が幾分、洗練されて見えるようになってきた。一応、本人なりに気を付けて食事を進めているらしい。健気なことである。
良い兆候だ。ネールはまた屋敷に戻ったら、お嬢様役をやらねばならないのだ。
とはいえ……それもそう長くは続くまい。
マティアスの失脚は、目前なのだから。