毒薬探し*3
「……死んでいますね」
死体を確認したウルリカは、冷たいながらも焦燥を滲ませた目で死体と、周囲の様子とを確認する。
「これは一体何が……」
ランヴァルドも同時に周囲を警戒した。……賊の仲間割れにしろ、マティアスが一足先に始末しに来たにしろ、それ以外の要因があったにしろ、碌な状況ではあるまい。
……が、周囲の警戒は、早々に護衛の兵士達とネールとに任せてしまうことにした。ネールが警戒していて駄目だったら、ランヴァルドが警戒していても駄目だろう。割り切ってさっさと役割分担してしまうに限る。
ということで、ランヴァルドはランプを掲げて死体の様子を見る。
死体など、見ていて気分のいいものではないが……それでも、死体の様子から得られる情報は少なくない。
「ああ……仲間割れや、口封じの類では無さそうですよ」
「え?」
早速、ランヴァルドが断じると、ウルリカや護衛の兵士達が不思議そうな顔をする。だが、彼らもよくよく死体を見れば、納得した様子であった。
「刃物の傷じゃ、ないですね。……魔物の牙の痕だ」
……そう。
口封じよりはマシだろうが、仲間割れよりは嫌な理由によって、この賊達は死んでいる。
魔物の襲撃だ。
「こっちの胸の傷は牙か爪の傷だ。それからこいつは右手を食われていますね。食い千切られた痕に見えます」
ランヴァルドはそう説明しつつ、ネールには『あまり見るな。気分の良いものじゃないぞ』と言って適当に追い払う。
……魔物にやられたのであろう死体は、まあ、中々に悍ましいものだ。いずれ自分もこうなるのでは、と思わされる。
「魔物が……まさか、人間が居る坑道にまで?」
「繁殖期か何かで気が立っていたのかもしれません。だがまあ……厄介な相手であることは覚悟しておいた方がいいでしょうね」
坑道は賊に占拠されていたとはいえ、人間の領分だ。だがそこに、魔物に襲われて死んだ人間の死体がある。……普段、魔物はわざわざ人間を殺しには来ない。自分の住処に踏み入られるでもない限り、動くことは無いのだ。だが……この魔物は例外的に、活発に動き回っていたと考えられる。
或いは……今も活発に動き回って『いる』か。
「……気を引き締めて進みましょう。魔物が荒らしていたとしても、マティアス・アーリグの悪事の一欠片くらいは証拠が手に入るかもしれません」
ウルリカは警戒を滲ませながらも進んでいく。それに合わせて兵士達も進んでいき……そして。
「ここでも……死んでいますね」
またもや、賊の死体を見つけてしまったのであった。
「こいつは……いよいよ、この奥に何か居そうだな……」
ランヴァルドは一応、死体の様子を確認していく。……先程同様、惨い死体だ。片手が無いのは、これも食い千切られたからか。
「ところでこの魔物は、人間を食わないのですね」
そんな折、ウルリカがふと、そんなことを言った。
「死体が残っているものですから。……いえ、でも、この死体も左手が食い千切られていますが……」
……確かに、言われてみれば妙である。
魔物の牙の痕と思われる傷を見る限り、相手はかなり大きな魔物であろうと思われる。そんな魔物が、人間の片手を食らっただけで腹いっぱいになるとは思えない。まさか、手しか食べたくない、などという偏食の魔物でもあるまいに。
「手と、あと、胸に傷があった死体もありましたね。えーと……」
ランヴァルドは、少しばかり考える。考えて……何か、思い出しそうになった、その時。
ごごご、と、地鳴りのような音がする。
「……まさか」
これはまずい、と、ランヴァルドにも分かった。ネールはランヴァルドなどより敏感に魔力を察知していたと見えて、早々にナイフを抜いて身構えている。きょろきょろと見回しているのは、魔力がどこから来るかを見極めているためか。
……ランヴァルドもネールと同じように、道のどちらから魔物が来るのかを探した。ランヴァルドには、ネールのような天賦の才こそ無いものの、それなりに魔力に敏感で、魔力を見定めるのは得意な方なのである。
集中して、巨大で凶悪な魔物の魔力が地面の中で渦巻いているのを見つけて……同時に、その魔力が一直線に近付いてきていることもまた、見つけた。
つまり。
「道じゃない!下だ!下から来る!避けろ!」
ランヴァルドがそう声を張り上げればネールが飛び跳ねてその場から逃れる。護衛達もウルリカもその場から瞬時に逃れ……そして、誰よりも先に逃げたランヴァルドが、さっきまで居た所に大きな亀裂が走る。
そして。
「……岩石竜だ!岩を掘り進んで来るぞ!気を付けろ!」
バキバキと凄まじい音を立てながら地面が割れ、大きな裂け目ができ……そこから巨体がのっそりと覗いた。
……岩石竜。
岩石を食らって生きる、ドラゴンの類である。
岩石竜は、危険な魔物である。何せ、トカゲが魔力を得てドラゴンになった類の、いわゆる『ドラゴンもどき』ではない。岩石が魔力を得て、かつ、その強大な魔力によって力の権化たる竜の姿をとったもの。それが、岩石竜なのである。
要は、岩石竜はそれ自体が魔力の塊なのだ。ついでに、元々が岩石であるだけあり、鱗も皮も岩石のように硬い。鋼の槍ですら、岩石竜の鱗を貫き通す前に折れることが往々にしてあるほどである。
そんな岩石竜の特徴としては……金目のものに目が無い、という点が挙げられる。
……というのも、岩石竜は石を食らうが、中でも特に、魔力の多い石……総じて、宝石や魔石の類を好んで食すのだ。岩石竜は自らの餌となる宝石や魔石を探して岩石を喰らいながら掘り進んでいく。
かつて、古代文明においては岩石竜を手懐け、宝石探しをさせたり坑道を掘削させたりしていたらしいが……そんな与太話は、今、全く役に立たない。
「馬鹿な!このあたりはさして魔力が多い土地ではありません!岩石竜が生まれるなど……!何故、こんなところに……!?」
「だが奴は今、ここに居る!理由なんざ考える前に逃げるぞ!」
そう。今重要な事実は、今ここに岩石竜が居るということ。
そして、その岩石竜は既に何人も殺しているということだ。
ランヴァルド達が岩石竜を前にして逃げようとしたその瞬間、ネールが動いた。
ネールは坑道内の壁を蹴って進み、岩石竜へと迫っていく。……だが。
「ネール!そのナイフじゃ刃渡りが到底足りない!戻れ!」
ランヴァルドはネールを止めた。何故ならば、相手が岩石竜の成体だからだ。
岩石竜は成体ともなれば、その体躯の大きさもさることながら……岩石めいた鱗と皮が、あまりにも厚く、そして硬いのだ。
到底、ナイフ程度で刺し貫けるものではない。
ランヴァルドが止めるより先に岩石竜へ迫っていたネールは、岩石竜の目玉目掛けてナイフを振り下ろす。……だが、岩石竜が瞬きすると、その瞼にのみ、ナイフは突き刺さった。
……それ以上、刃が進まない。瞼ですら分厚く硬いらしい岩石竜は、ネールのナイフを受け止めてしまっている!
「ネール!戻れ!」
一撃で倒せない相手は、ネールにとって最悪の相手だ。ネールは身軽で素早く……しかし力が強いのではなく、頑健な体を持っているわけでもない!
ネールはナイフをどうするか、迷ったらしい。中途半端に刺さったままにしておくか、抜いていくか。
……そして考えた結果、ナイフを抜こうとして、ネールは逃げそびれた。
「ネール!」
ぐわ、と、岩石竜が動く。岩石竜の頭に乗っていたネールは抜いたばかりのナイフを抱えたまま、ぽん、と弾き飛ばされて坑道の奥へと転がった。
「ネールさん!」
メイドのウルリカや護衛の兵がネールを救うべく駆けていくが、岩石竜が大きく尾で薙いでいけば彼らは弾き飛ばされたり、はたまた、骨を砕かれて倒れたり。
……ネールは背中を打ったのか、けほけほと咳き込んでいた。だがそこへ、岩石竜が迫る。瞼から血を流しつつ、岩石竜は自分を傷つけた人間へと、一歩、また一歩と迫っていく。今にも、その牙がネールを食い殺しそうであった。
「ネール!逃げろ!ネール!」
ランヴァルドはネールに手を伸ばし……しかし到底、届かない。
ならば何か無いか、と周囲を見回しても、あるのは精々、賊の死体程度なものである。
……そう。死体だ。
ランヴァルドは瞬時に思い至った。この死体の損傷は、『食われた』のだな、と。
岩石竜の食事は……魔石や、宝石の類なのだ。
成程、賊の死体の手が食われていたのは、そこに嵌っていた指輪か何かを食うついでに食われたのだろう。また、胸の傷は、首飾りでも奪おうとした結果、生じたものだったのかもしれない。
そうと分かれば、ランヴァルドの行動は決まる。いつぞやに襲ってきた野盗の死体から頂いた柘榴石と銀の指輪を指から抜き取ると、ランヴァルドはそれを掲げ、岩石竜に向かって叫ぶ。
「おい、岩石竜!こっちだ!宝石だぞ!」
……果たして、岩石竜は振り向いた。ランヴァルドの言葉を理解したのか、宝石の気配を感じ取ったのかは定かではないが。
「……ほら!こいつが欲しいんだろ?取ってこい!」
岩石竜が自分を見ていることを確かめて、ランヴァルドは……指輪を、岩石竜が這い出てきた地面の裂け目に向かって、投げ落とした。
岩石竜が、ぴく、と動いた。ランヴァルドは舌打ちしつつ、背嚢から取り出した宝石……黄水晶の指輪だの、紅玉の首飾りだのを、次々に裂け目に投じていく。
……特に、紅玉は立派なものだった。投げるのが惜しいほどに。だが、ランヴァルドはそうせざるを得なかったのだ。
「く、くそ!ほら!くれてやるよ!」
何せ……紅玉の首飾りを取り出した途端、岩石竜がどしどしとランヴァルドの方に向かってやってきたものだから!
ランヴァルドは強く強く祈りながら、首飾りをもまた、地面の裂け目へと投げ込んだ。