毒薬探し*1
翌日からも、潜伏は続いた。
ネールはランヴァルドの指南を受けてそれなりの礼節を身に付けてしまったし、ランヴァルドも着実に、ステンティールの屋敷に溶け込んでいった。
というのも、領主夫人が『補佐官』もとい愛人であるマティアスと共に、『近隣の鉱山の視察』へ出かけてしまったからである。
……そう。ランヴァルドは立派に、『家庭教師として招かれた、あまり金のない貴族の家の次男か三男』という役どころをしっかりと全うした。
館の中に潤沢に居るメイド達に声を掛ける時には少々遠慮がちに。それでいて、貴族らしい振る舞いは一通りこなせて、かつ、教養はそれなりにあるように。性格は少々、大人しく。……そんな様子で振る舞えば、ランヴァルドの素性を知る者以外は、すっかり騙されるようになっていった。
ランヴァルドは『今まで苦労してきた下級貴族の分家筋』というようなところで認識されるようになり、そして、貴族でいながら使用人にも丁寧な態度や、客人でありながら落ち着かな気に何か手伝おうとする様子から、周囲の好感を得ていった。
……どう振る舞えば、誰にどのように好かれるか。それをランヴァルドはよく知っている。
悪徳商人は、役者でなければならない。あらゆる者に好かれ、或いは嫌われるならば徹底的に嫌な思いをさせてやり……そうやって、自分の利益を求めていかなければならないのだ!
そうして、方々で信頼を得つつあるランヴァルドだが、マティアスとはうっかり接触しないように気を付けている。
自分が生きていることを知られてはまずい。だが、周囲の人間にまで自分の存在を隠しておいたら、『コッソリと消される』可能性が上がるばかりだ。
よって、ランヴァルドはマティアスの居ない間に屋敷のあちこちをうろついては、自らの命綱となる信頼をあちこちに張り巡らせているのである。
……そして、遂に。
「マグナスさん」
部屋でネールの礼儀作法を見ていたランヴァルドに、ウルリカが話しかけてきた。
「領主様がお呼びです。是非一度、話を聞いてみたい、と……」
ランヴァルドは内心で拳を握りしめ大いに喜んだが、表面上はあくまでも神妙な顔で、『すぐに伺います』とだけ返事をしたのだった!
「失礼します」
「おお、待っていたよ。ささ、こちらへ」
ランヴァルドが入室すると、にこにこと嬉しそうな顔のステンティール領主……アレクシス・ケビ・ステンティールが待っていた。
「領主様、体調が優れないのでは」
「いや、いや、多少は動かねばな、どんどん鈍っていく一方であろう」
領主は如何にも人の良さそうな男であった。だが、顔色が酷く悪い。血の気が無いのだ。
……それでも彼は穏やかな笑みを浮かべていたし、体に力が入らない様子ながらも自分で歩き、卓に着いて、ランヴァルドにも椅子を勧めて座らせる。その間もずっと、どこか嬉しそうにランヴァルドを見ている。
「……エヴェリーナが、世話になっているな。ありがとう」
「いえ……」
領主が静かに礼を言う間にメイドが茶を淹れて去っていった。……部屋の中には領主とランヴァルドの2人しかいない。人払いをした意図は何だろうか、とランヴァルドは少々緊張する。
「して、エヴェリーナは何処に?」
「お部屋に……」
……そして領主の小声での問いかけに『ネールの』居場所を答えかけたランヴァルドは、ああ、そういうことか、と理解した。
「……いえ。ハイゼルに。ハイゼルのバルトサール様と、少々親交がございましたので」
ここはもう、隠しても無駄だろう。ならば早々に明かして信頼を得た方がいい。
すると領主は、くすくすと笑いながら如何にも上機嫌な様子で頷いた。
「そうか、そうか。ふふふ、貴殿、中々の傑物だなあ」
「……いつ、お気づきになられたのですか」
「きちんと気づいたのは、あの子が中庭に居るのを見た時だな。庭には丁度、あの子が植えた種から芽吹いた花が咲き終わっていてな。あの子は『種を採って来年また蒔く』と言って花壇の様子をよく気にしていたんだが、その花壇の前に立っても、種を見る様子が無かったから……」
……実に、人を良く見ている領主だ。
あまりにもネールを部屋に引きこもらせると却って不審なので、中庭に少し連れ出すくらいのことはしていたのだが……それを見て、すり替えを推察されてしまうとは。
「まあ……テオドーラをはじめとして、屋敷の者達はほとんど気づいていないようだ。巧くやっておくれ。世話を掛けるが、ステンティールとあの子の未来のために、よろしく頼むよ」
「……はい。必ずや」
領主がにこにこと穏やかに言うのを聞いて、ランヴァルドはなんとも居心地の悪い思いをする。
……この領主は、今後も敵に回したくない。人が良すぎるところにつけこめれば利用できるのだろうが……『そうしたくない』と思わされるだけのものが、この領主にはあるのだ。
まあ、つまり、ランヴァルドはどうも……甘い。そういうことなのだろう。
「ま、詳しいところはウルリカか誰かから聞いてみるとしよう。ふふふ……ところで貴殿、癒しの魔法を使えるとか?」
「はい。大して上手くもありませんが」
本題が終わったところで、多少緊張を解きつつランヴァルドは頷いた。
この領主は病に臥せっているとのことだが、痛みを和らげる程度のことはランヴァルドにもできる。
「あれは素質が必要だからなあ。私自身はまるで使えんのだ。うーむ、是非一度、やってみてほしいのだが……」
「勿論です。失礼します」
席を立ち、領主の傍らに片膝をついて、集中する。
……ふわり、と手に集まった光が領主に注ぎ込まれていくと、領主は『ほほう!』と嬉しそうな声を上げ、わくわく、そわそわ、とした様子でランヴァルドの魔法を見つめていた。
そうして一通り魔法を使い終えると、領主は腕を動かし、首を回して、『おお、痛みが和らいだ!』とまた嬉しそうににこにこするものだから、ランヴァルドはなんとも毒気を抜かれるような気分になる。……この領主、少しばかり、ネールに似ているかもしれない。
「……温かいなあ、貴殿の魔法は」
「え?」
一通り魔法を受けた領主は、そう言って穏やかに笑う。
「魔法には人柄がよく出る。私の魔法はどうも……ぽやぽやしている、と言われるが……」
ランヴァルドはなんとなく、この領主の魔法を想像してみた。……成程。ぽやぽやしていそうである。
「貴殿の魔法は温かいなあ。決して大きくはないが、耐え忍ぶ強さを持っているようだ。とても心地よかった。ありがとう」
領主がそう言って笑うものだから、ランヴァルドはどう答えたらよいものやら分からない。
……自分の魔法のことなど知らない。温かい、などと思ったことも無い。
強いて言うならば……灰に埋められて尚熱を放つ熾火のようなものであるかもしれない、とは思う。そう。焚きつけを与えられればすぐさま燃え上がる準備のある熾だ。
……復讐心とは、そういうものなのかもしれない。そういうことなら、納得がいく。
そうでないなら、納得がいかない。あまりにも。
……そしてもう1つ。納得がいかないことがある。
「ところでこの食器……銀ですか」
ランヴァルドはティーカップを持ち上げて、見つめた。
銀色の美しい光沢を持った地には文様が刻まれて、そこが燻しで黒く線になっている。それなりに値の張る品だろうな、と思わされた。
「うむ。良い品だろう?最近贈られたものでな。無骨な形なのでテオドーラは使わんのだが、まあ、私が使うには良いだろう、とな。揃いで食器類一式と……あと、そこの水差しもそうだぞ」
……意匠は確かに、女性に好まれるものではないだろう。どこか荒々しく自然の美しさを感じさせるティーセットは、男性向けのものかもしれない。
だが。
「銀にしては重いな、と思いまして……」
「……えっ?」
……ところで、ランヴァルドは悪徳商人もとい守銭奴である。
よって、袋の中に入っている金貨の枚数を言い当てることができるし、銀を混ぜてある金を見抜くことができる。
そう。ランヴァルドはこと、貴金属の重さには敏感であった。
「……鉛でも入っているのでは?」
……ということで、ランヴァルドはティーカップを調べ、続いて、寝台の横に置いてある水差しも調べた。
水差しの水には『飲みやすいように』ということでか、柑橘の果汁が混ぜてあったが、その爽やかな香りの後ろに毒の気配がある。これはよくない。銀に鉛が混ぜてあるなら、この水自体が毒になりかねない。
そんな説明を一通りしてみたところ、領主はすっかりおろおろするようになってしまった。
「それは……知らなんだなあ……そうか、鉛が毒になるのか……」
「ええ。徐々に体を蝕む毒になるそうです。今後、これらの食器をお使いになるのはおやめください。……或いは、使っているふりだけしてください」
「ああ、そうしよう。恐らく、私が感づいたと知れれば厄介なことになるからな……」
領主はこくりと頷きつつ、そっと、ティーカップを卓の端の方へ寄せた。……まあ、毒だと分かっているものを遠ざけたい気持ちは分かる。
「しかし、うーむ……貴殿、相当医術に詳しいようだなあ。素晴らしいことだ」
「いえ……まあ、ははは……」
ランヴァルドは『実母に毒を盛られることを予想して、あらゆる毒物について調べたからですね!』とは言えないので笑って誤魔化した。
実際、鉛が毒になるとはあまり、知られていない。鉛や銀を製錬する際に出る砒素が毒になることは有名だが、貴族の知識など精々そこ止まりである。ランヴァルド自身、自分が毒を盛られることが確実視されている状況に置かれでもしなければ、一生知らずにいた知識だろう。
「しかし……この食器類だけで今の症状が起きているとは思い難い」
「そういうものか」
「ええ。ただ食器を使っている程度では、摂取する鉛の量も微々たるものでしょうし。となると、処方されている薬が怪しいか?ええと、薬の処方は誰が?」
「うむ。信頼できる医師に任せておるよ」
「恐らく信頼できませんよ、そいつは」
「うむ。私もそんな気がしてきた……」
ランヴァルドは『この領主大丈夫か?いや駄目だからこうなってんだな!』という半ば自棄っぱちな気分になりつつ、処方されている薬も見せてもらうことにする。
そして。
ランヴァルドは薬を見て……『分からんな』と諦めた。当然である。原料ならまだしも、粉薬を見てそれが何か言い当てられるほど、ランヴァルドは薬の知識を持っていない。
「確かめてみないことには何とも言えませんが……一晩、お時間を頂いても?」
「あ、ああ。確かめる方法があるのか?」
「ええ、まあ……。予想は、付いているので」
……だが、見当はついている。
粉々に砕かれたそれが何であるかは分からずとも、『食器の鉛と合わせてどうにかするブツだろ?』という程度の見当は付く。
ランヴァルドは粉薬を頂いて、持っていた小瓶に移し替え……その粉薬が包んであった紙には、代わりに小麦粉を包んでおいた。領主は『できれば砂糖がよかったなあ』などと気の抜けたことを言っていたが……。
……さて。
その夜、ランヴァルドはネールの作法の練習も兼ねた食事を終え、ネールが寝付いたところで……。
「ウルリカさん。酒をください。あー……一杯でいいので」
ウルリカにそう、申告した。
「……お酒、ですか?何にお使いになるのです?」
「飲むんですよ。……ああ、できれば葡萄酒がいいですが、我儘は言いませんよ。エールでも蜂蜜酒でもなんでも構いません。ああ、あと、俺は前後不覚になる程度に酔っぱらう可能性があるので、後始末をお願いします」
ランヴァルドがそう答えると、ウルリカはなんとも嫌悪に満ちた目を向けてきたが……ふと、ランヴァルドが暗い面持ちで見つめている小瓶に目をやって、はた、と気づいたような顔をする。
「……あなた、まさか」
「ええ。これを試してみようと思いましてね。まあ、大凡、予想はついているもんですから。だが、予想だけじゃあ相手を動かす材料にできない。そうでしょう?」
ランヴァルドは領主から貰ってきた粉薬を嫌々見つめつつ……一気にそれを呷った。
ウルリカが絶句しているのを見て苦笑しながら、ランヴァルドは再度、申し出る。
「……酒を。普段の俺なら、1杯程度じゃ酔っぱらわないんですがね。……多分、今の俺なら1杯で潰れますよ」