演技*4
ネールも寝付いたことだし、ということでランヴァルドはウルリカの誘いを受けることにした。
ネールの寝室として仮にあてがわれている部屋の隅の方で、茶を頂く。
香りがいい茶だ。そこそこ良い茶葉を使っているらしい。恐らく南部のものだろう。……と、そこまで考えながら茶を一口飲んだところで、ランヴァルドはウルリカの視線に気づいた。
「……何か?」
ウルリカは、ランヴァルドを観察するようにじっと見ていたのだ。……まあ、心当たりはあるので、ランヴァルドとしても半ば苦笑混じりではあるが。
「いえ……あなたは一体、何者なのか、と思いまして」
どうやら彼女は、ランヴァルドが貴族らしい振る舞い方を知っているということを、不思議に思っているらしい。それはそうだろう。本来、旅商人が貴族の礼節を身に付けていることなど無いのだから。
「……ま、大方はお察しのことと思いますがね」
だからこそ、ランヴァルドは然程多くは語らない。言外に『こっちも事情がある。深く探るな』と告げてやれば、ウルリカは少々納得のいかないような様子でありつつも、それ以上何か尋ねてくることは無かった。
……大方、没落貴族の類だろうとは思われているはずだ。ウルリカの目はランヴァルドの剣にも向けられていたし、ランヴァルドが没落貴族か何かだろうと思ったからこそ、家庭教師の役を認めてくれたのだろうから。
「まあ、私のことはいいでしょう。こっちも聞きたいことがありましてね。さっきの話の続きなんですが……」
「領主夫人の補佐官のことですね」
続けて、ランヴァルドが切り出せばウルリカもまた、すぐに目的の話題へ切り替わってくれる。
「ええ。ああ、話が早くて助かるな……」
「私もそれをお伝えしたかったので。……マグナスさんは旅商人でいらっしゃるということでしたので、もしかしたら、お知り合いではないか、と」
……が、ランヴァルドはそこで『おっと。つまりこれは、俺が警戒されてるって話だったか』と気づいた。
まあ、仕方がないといえば仕方がない。ランヴァルドは素性も分からないままに雇われているのだから。……『それでも俺とネールを雇うことにしたのはお前らだろうが』と言いたい気はするが。
「まあ、それは話を聞いてみるか、はたまた実際に見てみるかしないと分かりません。……そもそもどうして、商人が奥様の補佐官になどなったんです?」
「それが、3か月ほど前、偶々奥様が乗っていた馬車を賊から守ったことがきっかけだったのです」
3か月前というと、ランヴァルドが金貨500枚を貯め切る算段が付き、金貨500枚分の武具の注文をして少し、といった頃だった。もう、随分と前のことに思われたが……。
「その時、護衛や奥様も怪我をしたのですが、その商人は商品として持ち歩いていたという薬を使って治療にあたり……そのせいで商品の大半を失ってしまい、金も尽きていたとのことで、奥様が商人を使用人として雇うことにしたのです」
ランヴァルドは『恩に着せつつ同情を誘って雇わせたってことか……』と理解した。まあ、額面通りに『お人よしで要領の悪い商人』だとは思えない。
「そんな経緯で雇った使用人だったので、奥様も領主様も気にかけておられたのですが……そんな折、領主様が病に倒れてしまわれまして……」
「で、それ以来、奥様の補佐官という名目で『愛人』になって、ステンティールを牛耳っている、と」
「……そういう訳でございます」
ウルリカがため息を吐いているが、ランヴァルドもそういう気分である。
その『補佐官』とやら……奥方にすぐ気に入られたという時点で分かってはいたが、やはり、愛人であるらしい。まあ貴族ではよくある話である。よくある話ではあるが……。
……どうにも、やるせなくはある。
まあ、敵の背景は多少分かった。その上で、ランヴァルドは『これはいよいよヤバい相手だな』と頭の痛い気分になってくる。
「となると、やはりその商人、意図してステンティール領主邸へ潜り込んでいますね。賊を雇って馬車を襲わせたのでは?それから……領主様のご病気は、毒か何かでは?」
「賊については疑っています。しかし、毒については……毒見もおりますし、盛るのは難しいのではないかと」
「いや、毒でしょうね。そうでなかったら、あまりにも都合が良すぎる」
ランヴァルドは少し考えて、すぐ、『あれかこれかそれ……あっちも可能性はあるな』などと、頭の中で毒の例をいくつか思いつく。
……『盛る側』としての視点あってこそだ。まあ、悪徳商人なので。ついでに、ランヴァルドには『盛られる側』としての経験もあるので、こと、毒のことについてはそれなりに詳しいのだ。
「その補佐官殿がここに来てから3か月弱は経っているのですよね?微弱な毒でも、ひと月に渡って接種すれば体調を崩す原因になる。毒見では分からないほどの量を、毎日少しずつ与えられている可能性もあります」
ランヴァルドがそう言えば、ウルリカは黙ってじっとランヴァルドを見つめた。疑われている訳ではないのだろうが、愉快な視線ではない。
……だが、ウルリカはランヴァルドが協力すべき相手だ。相手に今、どう思われていたとしても。
「私は癒しの魔法が多少使えます。もし可能なら、一度領主様にお目通りしたい。そして……何らかの毒が使われていると分かったならば、それもまた、犯人の尻尾を掴む材料にできるでしょう。こちらはあまり、自信はありませんがね」
どうだ、という気持ちでランヴァルドはウルリカの様子を窺う。……すると、ウルリカは表情を伺わせない鉄面皮で『領主様に打診しておきましょう』と言った。まあ、あまり期待はしないでおこう、とランヴァルドは内心でため息を吐いた。
「……では、その補佐官の特徴を教えていただけますか。身長や体形、あと瞳の色なんかも」
「……名前ではなく?」
「ええ。偽名くらいいくらでも使いそうな奴を数名知っていますから」
さて。相手の手口は分かったが、そろそろ相手の正体も知りたい。何せランヴァルドは、まだその『補佐官』とやらに出くわしていないのだ。
「身長はあなたより高いですね。体型は戦士のそれではありません。農作業や採掘業をしている人の体形でもないかと」
「つまり筋肉がついている、というかんじではない、と」
となると、元々商人であった、というところは真実なのかもしれない。ランヴァルドはまあ、多少は鍛えているが、ほとんどの商人は自分で剣など握ったことが無いのだ。
「そうですね……マグナスさんよりも細身な方でございます。髪は黒く、長いですね。大抵は後ろで1つに編んであります」
「ほう」
まあ、よくあることだな、と思う。手入れを面倒がらないのであれば、髪が長くあるのも悪くない。きちんと手入れされて清潔な長い髪は、男でも女でも、よい印象を与えるものだ。信用も得やすい。特に、貴族などの金持ち相手なら猶更だ。
……そして。
「そして瞳は蛍石のような緑色をしておられます」
「……ほう」
そしていよいよ、ランヴァルドは嫌な予感がしてきたところである。
「……黒髪で、蛍石のような色の目、と。身長は俺より少し高いくらいで、体格は俺より少し細め、といったところですか?」
「ええ。ちなみに名は、『マティアス・エディーン』と名乗っていますが。お知り合いですか?」
「ああ……奴がよく使っていた偽名ですね……」
ランヴァルドの脳裏に浮かぶのは、『金貨500枚貯まったって?ならいよいよか。いい取引になるよう、僕も祈っているよ』と笑う商人の姿である。ついでに、『なら護衛はここで頼むといい。大きな取引になるだろう?護衛もそれなりの者を使わないとな』と紹介状を書いてくれた姿も、思い出される。
「……そいつがマティアスではないことを祈りたかったんですがね」
……ランヴァルドを魔獣の森で裏切った護衛達。
あれを紹介してくれた者こそ……黒髪に、蛍石のような緑の目をした男。
『マティアス・アーリグ』である。
ランヴァルドが知るマティアス・アーリグは、善人ではない。だが、意味もなく他者を踏み躙るような奴でもなかった。
長い黒髪が器用に編まれて肩にかかっていて、蛍石のような緑の瞳が笑みに細められていた。物腰が柔らかく、丁寧で、理知的。そんな印象の男であった。
……ランヴァルドとマティアスとの出会いは、10年近く前に遡る。
当時、ファルクエーク家から逃げ出してきたランヴァルドは、多くない元手をなんとか増やそうと、躍起になっていた。
ハイゼオーサの林檎の庭亭……ヘルガの居る宿で賭け事に興じては、少々のイカサマをやって元手を作り、しかし、そこからどうにも、伸び悩んだ。
ランヴァルドは当時から、才覚はそれなりにあった。学もそれなりにあった。だが、それなりでしかなかったのだ。
……そんなランヴァルドに『このヤマに一枚噛まないか』と声を掛けてきたのが、マティアスだった。
初めて出会ったのは南部の町でだったが……そこで、ランヴァルドを誘って、『危ない橋』を一緒に渡ったのがマティアスだったのだ。
一緒に何度か『危ない橋』を渡った仲だったし、まあ、信頼していた。マティアスのおかげである程度稼げるようになって、そしてようやく、金貨500枚を得るに至ったのである。
彼は善人ではないにせよ、それなりに理論立って物事を考えていたし、それなりに筋道の通った生き方をしているように見えた。悪い噂もいくつか聞いたが、それらは霞のようなものだったし、少なくともマティアスは、ランヴァルドの前では誠実に振る舞っていた。
だからこそ、ランヴァルドは度々手を組んだ訳だが……。
……そんなマティアスが紹介してくれた護衛を雇った結果、ランヴァルドは魔獣の森で死にかけた。
あそこでネールと出くわしていなかったらランヴァルドは死んでいたのだろうし、まあ……それをマティアスは狙っていたのだろう、と思われる。
そもそも、ランヴァルドの積み荷を奪って逃げた連中が、一週間も経たずにそれら全てを売り捌けたというのがおかしい。
だが裏で護衛達に指示を出し、ランヴァルドから奪った積み荷を買い取った何者かが居ると考えれば、辻褄が合う。そしてその指示を出した者が、マティアスだというのならば、尚更。
そして……そのマティアスが、今、ステンティールに居るというのならば、本当に、全てが繋がってしまう!
「あああああ……全てが繋がってしまった……」
頭を抱える。あらゆる情報が一気に繋がってしまい、頭を抱える。そんなランヴァルドを見たウルリカはいよいよ、『これは何かあったらしい』というように察したらしい。
「何かあったのですね?」
「ええ……奴は金貨500枚分の武具を所持しています。そしてここステンティール領は武具の名産地であり、同時に、今、北部では治安の悪化から武具の需要が増しているんです」
ウルリカは、『それが何か?』というような顔をしていたが、ランヴァルドは構わず続ける。
「つまり……ステンティールが潰れれば、より一層、需要と供給の天秤は大きく傾く。奴が持っている金貨500枚分の武具は、金貨5000枚にも化けることになるかもしれない」
「潰れ……え?」
ウルリカにはあまりにもなじみのない話だっただろう。
『より高く武具を売るために、武具の生産元たるステンティールを潰す』など。金のためにそこまでする者が居ることすら、想像の外のことだったのだろうと思われる。
「……あいつは俺を殺して、金貨500枚分の武具を奪い取ろうと画策してたんですよ。まあ、生憎、俺は生き残っちまったんですけどね」
「それは……」
「……右脚の腱を切られて、魔獣の森に置き去りにされて、それでも俺が生き残ったのはネールが助けてくれたからです。あいつは優秀な狩人なんでね」
ベッドの上でなんとも幸せそうな顔をして寝ているネールを見て、ランヴァルドは苦笑する。
ランヴァルドにとっても、そしてマティアスにとっても、最も予想外であったのは、このネールの存在だろう。ネールが居たからこそ、色々な計画が狂いつつある。
「マティアスが俺を見たら、何故生きているのか不思議に思うでしょう。そしてその理由がネールだと知ったなら……次は俺の命と同時に、ネールのことも狙うかもしれない。ネールは有用すぎる」
「ネールさんが……」
ウルリカはネールを見て、少し表情を歪めた。
……この鉄面皮のメイドはランヴァルドに対しては鉄面皮であるが、ネールやエヴェリーナお嬢様に対しては幾分柔らかな表情を向けているように思う。ということは子供が好きなのだろう。そして、そんな可愛らしい子供が悪党に狙われるやもしれぬ、ともなれば、いよいよ協力してくれそうである。
「……俺はなんとしても、あいつの尻尾を掴みたい。ステンティールの為に。そしてネールの安全のためにも」
「ええ。是非協力してください。私達の利害は一致するところが多そうですね」
ウルリカと頷き合いつつ、ランヴァルドは思う。
……『俺を殺そうとした落とし前はキッチリつけてもらうからな』と。




