演技*1
そうして、ランヴァルドはエヴェリーナと、彼女のメイドのウルリカと共に、多少の作戦会議を行った。
ネールは確かにエヴェリーナに鏡映しであるが、それでもやはり、貴族の娘とつい最近まで浮浪児だった少女とでは、違いすぎる。
更に、ネールは喋れない。これはネールが『化ける』上で致命的であった。
……ということで、この致命的な穴をどう埋めるか、という案を出し、方針を固め、実行に移すべく準備を行い……。
……そうして、翌朝。
「どうかしら。私、普通の子に見える?」
ランヴァルドとネールの前に現れたエヴェリーナは、艶やかな髪を多少の煤と泥で汚し、ネールが着ていた服を着て、くるり、と回って見せた。
「少々お上品すぎますがね。うちのネールに化けるということでしたら、『はしたない』と言われるようなことを片っ端からやるお覚悟でどうぞ」
「……やっぱり、馬車から出ない方がいい気がしてきたわ」
エヴェリーナが難しい顔をしていると、彼女の横に控えていた男が『そうしてほしい』というような顔で頷いていた。
……彼は、エヴェリーナの御者である。恐らく、護衛や密偵も兼ねている者なのだろう。相当に腕が立つのだろうと思われる。
彼はというと、ランヴァルドに似た格好……つまり、旅商人らしい恰好になって、ランヴァルドが『拾った』例の馬車に乗って、エヴェリーナをハイゼオーサの領主邸まで運ぶのだ。
「こっちはお嬢様には……まだまだ遠いな」
そして。
……こちらでは、エヴェリーナの服を着たネールが、エヴェリーナの馬車に乗ってステンティール領主邸へと向かうことになる。
エヴェリーナが着ていた服は旅装とはいえ、貴族の娘が着るドレスだ。ネールは慣れないドレスのふわふわとした裾をひらひらさせながら、落ち着かなげにくるくる回っている。……とても貴族のお嬢様には見えない!
「マグナス殿。あなたはこのような場面に慣れているように見受けられますが」
そして、ランヴァルドは『新たに雇用される家庭教師』という役柄だ。喋れないネールとの意思疎通のためにも自分を連れていけ、と主張した結果、ランヴァルド自身も領主邸へもぐりこみ、ネールの近くに居ることが許された、という訳だ。まあそこは口八丁のランヴァルドなのである。
……尚、ランヴァルドは商人を初めてすぐの頃、南部貴族の家で家庭教師をやっていたこともあるので、実際、このような状況には慣れている。ついでに身分の詐称も、まあ、慣れている!
「……ネール。お屋敷に着くまでの間に、挨拶の仕方くらいは覚えるんだぞ」
ネールを身分詐称させることにはあまり自信が無いが、それでも、貴族だったランヴァルドは一通りの礼節くらいは教えられるだろう。ネールは首を傾げていたが、ランヴァルドは『これも金と身分のためだ……』と、気持ちを奮い立たせた。
……お互いに確認すべきことを確認したところで、エヴェリーナを乗せたランヴァルドの馬車はハイゼル方面へ向かって旅立っていった。
護衛は御者1人のように見えたが……よくよく見ていたら、後を追いかけるようにして何人か、商人の旅団に見える格好をした者達がハイゼル方面へ向かっていった。あれらも護衛なのだろう。領主令嬢をお守りする者達は、実に多才なようだ。
「お待たせしました。では、我々も参りましょうか」
感心していたランヴァルドに声を掛けてきたのは、例の鉄面皮のメイド、ウルリカだ。
彼女は敵を探し出す役目もあるため、エヴェリーナと共には行かない。彼女はネールとランヴァルドと共に領主邸へ戻り、エヴェリーナのすり替えが露見しないようにネールを補助してくれる手筈だ。
「……賊に襲われるといいですね」
「まあ……そうなんですがね。うちの『お嬢様』のためにも」
尚、こちらの馬車は当然、ステンティール領主邸の持ち物であるため、賊に見つかり次第襲われるものと思われる。が、それでいい。
「何せうちの『お嬢様』は喋れませんからね。理由を付けておかなければ」
ネールはエヴェリーナに化けるにあたって……『賊に襲われ、恐怖から声を出せなくなる。』そんな筋書きである。
ということで、この馬車が賊に襲われなかったら、少々面倒である。その時は面倒でも何でも、賊に出くわすべく寄り道するか……はたまた、賊に襲われたと偽装するか、どちらかしかないのである。
なのでランヴァルドは、『賊に襲われるように祈る』という、中々滅多にない状況になってしまっている。ネールも分かっているのかいないのか、何やら祈りを捧げるような素振りを見せているが、果たして何を祈っているのやら。
……ネールがうっかり『旅の安全』でも祈ろうものなら、ランヴァルドの言うことは全く聞かない神も、ほいほいとネールの言うことを聞いてしまいそうである。やめてほしい。
ステンティール領主令嬢用の馬車が宿場から動き始めると、護衛の馬車も数台、動き出した。
護衛の馬車は合計3台。中々の大盤振る舞いだ。まあ、大切なご令嬢を守るためなのだから、当然なのかもしれないが。
「それにしても、そちらが馬車を持っていてくださり助かりました。もしお持ちでなかったなら、こちらの護衛用の馬車を使うことになっていたでしょうから、きっと不審に思われたでしょう」
同じ馬車の中、ランヴァルドとネールの向かいに座っているのは、メイドのウルリカである。……彼女はメイドでもあり護衛でもあり密偵でもあり、そして、今、ランヴァルドとネールを監視する立場でもある、ということなのだろう。
「あの馬車も馬も、拾い物ですがね。まあ、これも神の思し召しだったのでしょう」
「拾い物?」
「ええ。まあ。襲ってきた賊を返り討ちにした時に、ちょっと拝借したというか」
……ウルリカ自身は清廉潔白を絵に描いたような人物であるようだ。ランヴァルドの『ちょっと拝借』に少々の嫌悪を表情に示していた。まあ、真っ当な人間ならそうだろう。
「ところで、そちらの目的をお伺いしても?」
「へ?」
「自ら叙勲を願い出る方は珍しいので」
「叙勲を望む理由、っですか?ははは。3代も遡れば、北部貴族なんて皆、戦の武功を元に叙勲を願い出た図々しい連中ばかりですよ。まあ私もそれに倣って、というところです。商人をやるにしても、勲章はありがたい代物なのでね」
ウルリカは、氷のような色の瞳で、氷のような温度の視線を投げかけてくる。……ランヴァルドのことは、『ネールを利用する以上手を組まなければならないが信用ならない相手』くらいに思っているのだろう。まあ、至極真っ当なことだ。
ランヴァルドは内心で、ウルリカへの信頼を少々上方修正した。真面目で正しい人間というものは、まあ、自分と反りが合わなかったとしてもそれなりに大切にしたい。
「北部……失礼ですが、マグナスさん。あなたは北部のご出身ですか?」
「ええ、まあ。そうは見えない、とはよく言われますがね」
「そうですか」
ランヴァルドはそこまで背が高い方ではない。北部人は概ね、背が高く、がっしりとした体つきの者が多い。武術で身を立てた者達の末裔なのだから、まあ当然なのだが。
……が、ランヴァルドは南部人の中に混じっても頭が浮くことのない程度の身長でしかない。商人をやっているだけなので、見るからに屈強な戦士、といった出で立ちでもない。
ついでに、黒髪に藍色の瞳、という色合いは、北部では少々珍しかった。北部の人間はどちらかといえば、色素が薄い者が多いのだ。
「……ま、私が信用できないというのは分かりますがね。それでも我々はエヴェリーナお嬢様とステンティールの為に手を組む者同士だ。答えられる質問には全て答えますが、それはそれとして、一旦は信用して頂けるとありがたい」
ランヴァルドは、こちらを探るような目をしたウルリカにそう言って苦笑して見せる。
実に警戒心の強い、抜け目ないメイドだ。彼女のような人がファルクエークの屋敷に当時居たなら……もしかしたら、ランヴァルドは今もファルクエークに居たかもしれない。
「……成程。その通りですね。失礼しました」
まあ、頼もしくはある。今、ウルリカの本心がどうであるかはさておき……ひとまずは疑いを引っ込めてみせてくれる辺り、一緒に仕事をするにあたってやりやすい相手だ。悪くない。
「お互い頑張りましょう。まずは……領主邸に到着してからの勝負に勝つことを考えたい」
「ええ。奥様には諸々を疑われるかと思いますので、できる限り接触せずに室内へ入りたいところですが……」
早速、細かな箇所を打ち合わせつつ、馬車は進んでいく。
……諸々、急なことではある。準備も碌にできていない。だが、この局面を、この面子で、乗り切るしかない。
そのためにもまずは……領主邸の門番達を、どこまで騙せるかが鍵となるだろう。
日暮れ頃。
馬車は無事にステンティールの中心都市、ダルスタルへ到着した。
……まあ、『無事』というには少々物々しい見た目になっているだろうか。何せ、この馬車はしっかり、賊に襲われている。
おかげで、幌の一部に矢が突き刺さり、破れ、或いは馬車に傷がつき、護衛達もいくらか傷つき……と、そんな様相である。どう見ても『襲われたところをなんとか対処した』といったところだろう。
そんな馬車が通るダルスタルの街並みは、夕暮れだというのに活気があった。
鉄を打つ音はまだそこかしこから聞こえている。往来には人々の行き交う姿があちこちに見られる。賑やかな、鉄打ちの町。そんな印象だ。
町の中は石畳で舗装されており、馬車が滑らかに動く。鉄鉱石や鉄製品を運ぶことが多いこの町では、その分、馬車の類を使うことが多い。よって、地面の舗装にはきちりと金と手間を掛けてあるのだろう。よい町だ。
……そして、このダルスタルの何よりの特徴は、町の中の高低差だろう。
今も、馬車は上り坂を上っている。馬車の幌の隙間から覗いてみれば、馬車のある道の下……今まで通って来た道沿いにある建物や、それら斜面がよく見える。
「山を切り開いてそのまま町にしたんですね」
「ええ。ダルスタルは元々、採掘場でしたから。……そろそろ到着します。ご準備を」
馬車は上り坂を進み、進み……やがて、大きな屋敷の前に到着する。石造りの、古めかしく威厳ある建物だ。城というよりは要塞といった様相だが、古くからある貴族の邸宅は、こうした形をしていることが多い。
屋敷の背後には山がある。そしてこの屋敷自体も、山の途中に建っているようなものだろう。ここダルスタルはやはり、鉱山と鍛冶の町なのだ。
やがて、馬車が停車する。
ランヴァルドは『いよいよか』と少々緊張していたが、ランヴァルド以上に緊張しているのがネールであろう。
……かわいそうに、ネールはすっかり緊張しきって、かちんこちんに固まってしまっている!それはそうだ。彼女は急に『領主の令嬢のふりをしろ』と言われた浮浪児なのだから!
だが、これでいい。何故なら……今のネールは、『道中で賊の襲撃に遭い、その時の恐怖から声が出なくなってしまったご令嬢』なのだから!
……ということで、馬車が停まった後。すぐさま馬車の周囲はばたばたとうるさくなった。
「至急、兵を!ダルスタル東の街道で、お嬢様を乗せた馬車が賊に襲われた!賊の残党が居たら1人残さず探し出して殺すように!」
「お嬢様をすぐお部屋へお連れしろ!」
「怪我人が居る!誰か手を貸してくれ!」
忙しなく、騒がしく、明らかに『何かあった』と分かる状況。ぴりついた空気が漂う中、ランヴァルドは『役者揃いだな』と内心で舌を巻く。
……ここに居る者達の大半は、エヴェリーナのすりかえを知らない。が、ウルリカのように事実を知る者が何人かは紛れているはずである。……誰がそうなのか、見ていて全く分からない。大したものだ。
ぴりついた空気に呑まれたネールがこれまた一層、『未だ恐怖に捕らえられているお嬢様』に見える。これは中々いい。ネールは天性の暗殺者なのだろうが、同時に天性の役者……かもしれない。
そうしている内に、ネールとランヴァルドとメイドのウルリカが乗っていた馬車の幌が開き、門番と思しき兵士や護衛の数名が、ウルリカやネールの手を取ってそっと馬車から降ろす。ランヴァルドも自力で降りると、門番らしい兵士の中には『はて』と首を傾げる者も居た。中には、不審の目を向けてくる者も居る。
だが、ランヴァルドが『新しく雇われた家庭教師です。癒しの魔法の心得があるので、お嬢様の馬車におりました。まさか、初日からこんなことになるとは……』と門番達以上に困惑した様子を見せれば、やがて、怪しまれなくなってしまった。まあ、悪徳商人はこのくらいの化けの皮は瞬時に被れるものである。
さて、後の処理は同行していた護衛達に任せ、ランヴァルドはメイドのウルリカの手引きで屋敷の中に入り、後はネールの家庭教師として生活しながらネールの安全を監視する……という手筈である。
そしてネールはこれから、『お嬢様は大変に怖い思いをされたため、他人を怖がるようになってしまって……』という言い訳を盾に、部屋に引きこもって人との接触を極力断つことになる。人に会うことが無ければ、お嬢様のすり替えに気づかれる可能性は低くなるのだ。
そう。つまり、ネールを部屋に入れてしまえばそれで、ほぼ勝ったようなものなのである。
……だが。
「何の騒ぎなのです?」
……今、出くわしたくない者の筆頭が、やってきてしまった。
やって来た彼女こそが、このステンティールの舵取りを任されている人間……領主夫人テオドーラである。
つまり、令嬢エヴェリーナの実母であり、ついでに、すり替えを最も知られたくない相手の1人である。




