令嬢誘拐未遂*2
ランヴァルドが動き出すと同時、その何者かはネールを抱きかかえたまま走り出す。ネールは肩に担ぎ上げられ、ぽかんとしていたが……。
「まあそうなるよなあ……」
……ほんの2秒後には、我に返ったネールが自分を抱える男の背にナイフをつきたてて、自力で誘拐から逃れていた。
そして更に1秒後には、誘拐犯はネールの手によって死んだ。
……当然の結末であった。緊張感も何も、あったものではない。攫う相手が悪い。それだけのことである。
だが、これで終わりではない。
ランヴァルドはすぐさま、弓に矢を番えて……『多分この辺だろ』と思われる方へ放つ。誘拐犯が逃げ去ろうとしていた方角の奥、草の茂みの更に奥の方だ。
厩が燃える以外に明かりなど無い夜闇の中ではあるが、ランヴァルドの目はそれなりに夜に強い。そして何より、ランヴァルドは勘がいいのだ。
……果たして、矢は何かに命中したか、はたまた、『誰か』の近くにでも刺さったらしい。
小さく悲鳴が聞こえ、続いて、馬の嘶きと馬車が走り去る車輪の音が聞こえた。
「……やっぱりな」
つまり、誘拐犯の仲間か何かが居たのだろう。そして、こちらの様子を詳しく知る前に、矢で威嚇されて逃げ出す羽目になった、と。
これはありがたい。ランヴァルドとしては、『誘拐犯が誰に殺されたか』がよく分からない内に逃げていってくれたなら大成功、というわけだ。あわよくば、ランヴァルドが矢で射殺したとでも思ってくれていればいいが。
「やれやれ、誘拐とは恐れ入る……旅商人のツレ如き、誘拐しても大した金にはならないだろうにな」
呆れつつ、ランヴァルドはひとまず、ネールの様子を見た。
「ネール。無事か?……無事だな?ならいい」
ネールは返り血を多少浴びていたが、全くの無傷である。まあ当然と言えば当然なのだが、つい半日前にはかすり傷を負っていたことを考えると、どうにも心配が先に来た。
が、特に怪我も無いというのならば、気にすべきことはもう無い。ランヴァルドはネールの返り血を隠すべく、自分の外套でネールを包んでおいた。野次馬達がそろそろうるさくなってくる頃だろうと思われたので。
さて。
野次馬を適当にあしらいつつ、ランヴァルドはネールを攫おうとした者を見に行く。
しっかり致命傷の彼は既に死んでいた。ネールの腕は確かである。まあそうだろうな、と、ランヴァルドは納得した。
だが……。
「……何が目的だったんだろうな」
この男が単に愚かだったのなら、それでいい。大して金を持っているでもなさそうな旅商人のツレを狙ったのなら、まあ、それでいいのだ。
或いは、ネールの美少女ぶりを見て攫ったのなら、それでも分かる。だが……。
「……妙だな。昼間の賊といい、こいつらといい……」
……ランヴァルドが放った矢に怯んで逃げていった馬車があったが、あれは誘拐犯が走り去ろうとした方向に居た。つまり、誘拐犯の仲間だった。仲間も馬車も用意していたとなるといよいよ、計画的な犯行であると考えざるを得ない。
だが、ネールを計画的に狙う奴が居るだろうか、と、ランヴァルドは不思議に思う。ネールの素性を知っている者が居るとするならば、ハイゼル領主とその側近くらいなものだろうが……。
「一体、何者なんだ?こいつらは」
非常に気になるところだが、野次馬の目がある以上、堂々と死体漁りするのも躊躇われる。格好は見ても大した情報にならない。そこらの農民らしい恰好をしていて、しかし、爪の間に泥が詰まっているでもないことから、『農民の恰好をしただけの誰か』というように見て取れる。それだけだ。
「ネール。お前は心当たり……無いよな。そうだよなあ、くそ……」
当然、ネールの方からも情報は出てこない。これは元々期待していなかったが。
「となると……うん……」
ランヴァルドは、『じゃあこいつら何だったんだ?』と考え、ある考えに至りかける。
だが、『いやいや、まさかな』とそれを打ち消したところで……。
「あの、もしもし。そちらのお方?」
外套を纏い、フードを目深に被った……小さな人影に、ついつい、と服の裾を引かれる。
おや、と思って見下ろすと、丁度、ネールと同じくらいの位置にフードの頭があった。ネールも、きょとん、としながらフードの人物を見つめているが……。
「少し、お話しさせていただいてもよろしいかしら。こんな夜分ではあるのだけれど……きっと急いだ方がいいと思うわ」
フードの人物は、気丈にもその青い瞳でランヴァルドを真っ直ぐに見上げて、そう言った。
「私達の馬車へどうぞ。馬は付けていないわ。逃げたくなったらいつでも馬車を降りてよくってよ」
更に、厩の裏に停めてある馬車の中の1つへ入っていくものだから、ランヴァルドとネールは顔を見合わせて……そして、フードの小さな人影を追いかけて、馬車へ向かうことにしたのであった。
馬車に入ると、小さな人物を大人が出迎えた。小さな人物と出迎えた大人は、目配せして、こくり、と頷き合った。信頼し合う間柄なのだろうな、とランヴァルドは察する。
……大人の方は、旅装の外套を羽織ってはいるが、その下に着ているものは貴族の邸宅で雇われるメイドのお仕着せのように見える。後ろでまとめてある銀髪は艶があり、きちんと手入れしているものに見えた。
となるとやはり、この小さなフードの人物は、貴族のお嬢様かそこらだろう。
立ち居振る舞いに品があることといい、堂々として物怖じしないことといい……『ネールが誘拐されかけたこと』も併せて考えれば、まあ、それしかない。
「お時間を頂けて感謝するわ。それから……ごめんなさい。巻き込んでしまった謝罪も、させて頂戴」
馬車の座席に座ると、最初に、そのフードの人物はそう言って頭を下げた。そしてフードを外して……。
……ランヴァルドの隣で、ネールが、ぴゃっ、と飛び跳ねんばかりに驚いた。
ランヴァルドも、予想していたものの少々驚かされた。何せ……目の前でフードを外したその少女は、あまりにも、ネールとそっくりだったのだ!
「……すごいな。鏡が間にあるみたいだ」
ランヴァルドは感嘆のため息を吐き出しつつ、目の前の少女とネールとを代わる代わる見つめる。
……目の前の少女は、美しい金髪に青い瞳の美少女だ。金髪は手入れをしている分、ネールより艶があり美しい。また、瞳はネールの方が若干、色が濃い青色をしている。
だが艶だの色合いだのさておき、顔立ちが実によく似ているのだ。『世界に3人はそっくりな奴が居る』とはよく聞くものの、その一例を目の前で見てしまうとどうにも妙な気分になる。
「となると……やはり、先程の誘拐未遂は、お嬢様を狙ったものだったと?」
「多分ね。昨日からずっと、追われていたの。それでこの宿場に逃げこんだのだけれど……そこに丁度、私にそっくりな子が居たものだから、間違えてあなたを攫おうとしたんだと思うわ……。本当にごめんなさい」
少女が申し訳なさそうにそう言えば、ネールはふるふると首を横に振って、にこ、と笑った。気にしてないよ、ということだろう。まあ、気にする時間もなく誘拐犯を殺していたネールなので、本当に気にしているはずがないのであった。
「お嬢様。私はランヴァルド・マグナス。旅商人をしております。そしてこちらはネレイア。訳あって引き取った子です。口が利けませんが、強くて賢い子です」
さて。
ランヴァルドとしては当然、この機会を見逃すわけにはいかない。
……目の前のお嬢様が着ている服は、そうとは分からないようにしつつも、質が良い。
フード付きの外套1つとってみても、上等な毛織の布を使っているものだ。その下から覗くものは旅装ということで動きやすいものを選んではいるようだが、簡単な作りとは言え上等なドレスのように見える。
……つまり、金持ちだ。金蔓だ。
ならばなんとか取り入って、商売の1つもさせてもらわないことには悪徳商人の名が廃る。特に……これだけネールとそっくりなお嬢様なのだ。これを利用しない手は無いだろう。
「お嬢様のお名前をお伺いしても?」
「ええ。私はエヴェリーナ・ステンティールよ」
更に……令嬢の名前を聞いてしまえば、いよいよ、『これは失敗できないな』と悟らされる。
「……つまり、領主様のご令嬢にあらせられる?」
「そういうことになるわ」
そう。目の前に居る、このネールそっくりな少女こそが……このステンティール領を治める領主家の、ご令嬢であったらしい。
「突然のことで驚かれてしまうと思うけれど、あなた達にお願いがあるの」
さて。そんな令嬢エヴェリーナは、ネールとランヴァルドとを交互に見ながら、必死な表情で訴えかけてきた。
「ステンティールの屋敷で数日、過ごしていただけないかしら」
「……は?」
流石に突拍子もないお願いをされてしまい、ランヴァルドは間の抜けた声を漏らした。
家で過ごせ、とは、一体どういうことだろうか。……と、考え始めてすぐ、ランヴァルドは『ああ、もしかしてそういうことか……?』と察しかけたが、そこは気づかなかったふりをしておく。
「……お嬢様は、賊に狙われております」
ランヴァルドが頭の中で計算していたところ、ずっとエヴェリーナの傍に控えていたメイドが静かな声で話し始めた。
「しかし、屋敷の中にも、賊の手の者が紛れ込んでおります。信頼できる者も限られる中、なんとかお嬢様だけでも逃がさねば、と領内の分家を訪ねたのですが……そこも既に、賊の息がかかっていたようで」
「……なんと」
賊がどういった目的でこのお嬢様を狙っているのかは分からないが……それはさておき、屋敷の中も、ステンティール家の分家、つまり貴族にまでもその手が忍び込んでいるとなると、ステンティール領を揺るがす一大事である。無関係の領のことながら、『何やってんだ』という気分にさせられるランヴァルドであった。
「……差し出がましいようですが、領主殿はそのことをご存じなのですか?奥方様は?」
「お父様は……ご病気で臥せってらっしゃるわ。今、家のこともステンティールのことも、やっていらっしゃるのはお母様と補佐官よ」
答えるエヴェリーナはなんとも歯切れが悪い。隠していることがあるのだろう。だがまあ、それはそれでいい。『家の恥部』を顔が似ているだけの他人にいきなり告げるような奴は、そもそも貴族に向いていないので。
「成程。それで、そちらのお付きの方がお嬢様を連れて逃げる途中だった、と」
「はい。しかし、次にアテがある家はここから遠く……南部に接する辺りにあるのです。そこまでの道中、無事で居られるとも思えない」
だろうな、とランヴァルドは納得した。そして……。
「そこで、あなた達にお願いしたいの。本当に、失礼なお願いだとは分かっているのだけれど……私の代わりに、『エヴェリーナ・ステンティール』のふりをしてくれないかしら!」
……エヴェリーナがそう言うのを聞いて、『やっぱりか』と思うのだった。