令嬢誘拐未遂*1
翌朝。
ランヴァルドはネールを連れて、ようやくカパーストンを出発した。
宿を出る時には、宿の主人にも、夜通し飲んだくれていたらしい鉱山労働者達にも、大いに礼を言われた。彼らの生活の要である鉱山を救い出した恩は確実に売れただろう。……まあ、恩を売ったところでそれが返ってくるとも思い難い連中ではあるが!
「……まあ、今後、多少は武器を融通してもらえると信じたいね」
もし、ダルスタルでも武器を買えなかったなら、その時は諦めてカパーストンで購入できるだけの武器を購入して北へ向かうしかない。恩人であるランヴァルドには多少、融通してもらえるだろうから、まあ、保険程度にはなるだろうか。
……そんなことを考えながら歩くランヴァルドの一方、ネールの足取りは軽やかである。ネールは朝から元気である。結構なことだ。
「何事もなく宿場に着けばいいけどな」
後は、何事もなく……そう、うっかり積み荷を崩した荷馬車だとか、足を傷めたご婦人だとか、そういう……ネールが助けたくなってしまうような人と出くわさずに宿場へ到着できれば良いのだが。
……ランヴァルドはただ、祈るのみである!
「……まあ、人助けよりは人殺しの方が時間がかからないか……」
そうして1時間後。
ランヴァルドは、襲い掛かって来た野盗の死体を漁りながらため息を吐いていた!
……人助けに引っかからないのはまあ、ありがたい。
だが、人助けに引っかからないなら賊の類が出てもいい、とは言っていない!
「ったく、ステンティール領は比較的治安がいいもんだと思ってたんだがな……俺の情報も古くなったか。やれやれ」
……元々のステンティール領は、治安が良い土地として有名だった。というのも、人を襲うよりも鉱山で働く方が実入りが良いからである。鉱山資源という財産があるこのステンティール領では領民の暮らしもまた豊かで、荒れることが少なかったはずなのである。
だというのに、昨日の鉱山を占拠していた連中もそうだが……どうにも、賊の類が多いようである。
「先が思いやられるな……。ああ、これはいい黄水晶だな。いい値で売れそうだ」
まあ、賊が襲い掛かってくるならくるで、小遣い稼ぎと考えることもできなくはない。ランヴァルドは今も、死体漁りの成果を得て表情を綻ばせているところである。
……多少不穏ではあるが、まあ、その程度だ。ランヴァルドは気を取り直して、また宿場までの道を急ぐことにする。
「……多いな、本当に」
が、更に1時間と少し歩いたところで、また賊に襲われた。ランヴァルドは天を仰いで嘆く。『神なんざ居ねえ』と。
賊については、まあ、いい。ネールがあっさりと片付けてくれるので全く困らない。だが……人間の死体というものは、見ていて気分が良いものではない。気が滅入りもする。
……まあ、それでも死体漁りはするが。
「こいつらの武器も中々いい品だな……」
ランヴァルドは早速、賊が持っていた武器を検分して首を傾げた。
カパーストンの鉱山を占拠していた連中もそうだったが、妙に質のいい武器を持っている。
特に……剣については、カパーストンで売ってきたものと似ている。当時の流行の意匠、という訳でもなさそうだが……となると、どこか一か所でまとめて購入されたもの、といった事情か。なら、どこかの傭兵団か何かがまとめて山賊になり下がった、といったところだろうか。
「……よし、まあ、こんなもんでいいだろ。はあ、流石にここから先は無事に進めるんだろうな……」
たまたま運が悪いだけかもしれないが、立て続けに2回も賊に襲われているとなると、流石にステンティール全体の治安が悪いと言わざるを得ない。
これは、ダルスタルに到着してからも苦労がありそうだ。ランヴァルドはため息交じりに、また歩き出した。
「いい加減にしてくれ!くそ!」
……そして、『そろそろ昼食がてら休憩するか』というところで、またしても賊に襲われた!ランヴァルドは『やっぱり神は居やがるな。それで、俺に嫌がらせをしているに違いない』と悪態を吐いた。
「ネール。大丈夫か?」
だが今回の賊は、今までとは少し違った。
「珍しいな。お前がてこずるのは」
……なんと、ネールがてこずったのである。
ネールは今回の賊3人をきっちり皆殺しにしていたが、それに少々、てこずった。
賊の内の1人は初手でさっさと殺し、2人目も殺そうとしたのだが……そこで、ぎりぎりで致命傷を避けられたのである。
とはいえ、その1人はランヴァルドがなんとか片付けた。が、ネールは残った3人目と真っ向から向かい合い……そして、そいつの攻撃を数度躱しながら懐に潜り込もうとする内に、一撃、貰ってしまっている。
結局、3人目もネールに傷を負わせただけで、その直後、喉笛をざっくりとやられて死んだのだが……ネールが一撃貰うことなど今まで無かっただけに、ランヴァルドは多少、動揺している。
そしてネールはというと……多少は、動揺しているのだろう。だが、それ以上に……。
「……ああ、かすり傷か。ならこれで……おい、なんで嬉しそうなんだお前は」
……ネールは、ランヴァルドが癒しの魔法を使う中、もじもじと随分嬉しそうにしているのである!
「おい、ネール。もう少し怖がるとか、痛がるとかなら分かるが……なんで嬉しそうなんだ」
問いかけてみると、ネールはちょっと首を傾げ、それからランヴァルドの右手……今も魔法を施しているそれを指差して、にこにこした。
「もしかして……魔法が好きだからか?」
ネールはこくりと頷いて、また、うっとりとランヴァルドの手を見ている。……まあ、傷が痛むと泣かれるよりはマシなのだろうが……ランヴァルドは少々、心配になってきた!
「だが、毒なんか無いだろうな。この手の連中はよく、毒を塗ったナイフを使うから……心配だ。少し調べてみるか」
ネールの傷を治した後は、一応念のため、賊の武器を調べておいた。毒を心配したのである。だがまあ、調べてみた限り、ナイフの刃に細工は無かった。ランヴァルドはひとまず、安堵する。
……ネールは大切な大切な、商売道具だ。今回は大層肝が冷えたが……まあ、ネールが無事でよかった。
「念のため、毒消しも飲んでおくか……ほら」
背嚢から毒消しの薬草を取り出してネールに与えると、ネールは、もしゃもしゃ、と乾いた薬草を食べて、なんともいえない顔をしていた。
……まあ、美味いものではない。それはそうだ。これの埋め合わせとして、宿場に着いたらまた、蜂蜜入りのミルクでも与えてやらねばなるまい……。
「それにしても……今の連中はただの賊には見えなかったな。一体、何だったんだ……?」
さて、薬草をもしゃもしゃやるネールの横で、ランヴァルドは考える。
今回の賊は、随分と手練れだった。ネールに一撃入れられたことを考えると、かなりの。
……覆面をした如何にも怪しげな連中であったことも考えると……ただの山賊だの野盗だのとは異なる連中だろうと想像がつく。だが、『では一体何者だったのか』という問いには答えを出せない。
「まあ……いいか。戦利品が素晴らしい。それで十分だろ」
考えても答えを出せないものについては、考えても仕方がない。
ランヴァルドは気を取り直して……目の前の『戦利品』を見て、にやにやと笑みをこぼした。
「馬車、とはな」
……そう。
今回の賊はこれまた珍しいことに……馬車を持っていたのである!
馬車は、1頭立ての小さなものである。だが、十分だ。
馬車はいいものだ。人間では運べる荷物にも限界があるが、馬車があれば、運べる荷物は一気に増える。特に、これからダルスタルで武器を買いつけてこようとしている以上、どこかで馬車の類を調達する必要があったのだ。だから、丁度いい。至って、丁度いいのである!
……かつて、ランヴァルドも馬車を持っていた。魔獣の森で奪われたが。そう。あれは痛かった。金貨500枚分の武器を失ったことも痛かったが、馬車と馬を失ったことも痛かった。何だかんだ、馬車も馬も、買おうとすると高くつく。借りるにしてもそれなりに信用や金が必要になるところなので……今回、賊から頂けたのは、大変にありがたい!
「馬車は……貨車じゃないのか。いよいよ珍しいな」
馬車は幌がついたものだったが、中に座席がある。貨物ではなく、人間が乗ることを想定している馬車だ。これはどういった用途で、賊の手にあったのだろうか……。
「ん?ああ、馬は好きか?利発そうな馬だからな。きっと仲良くなれるさ」
ネールはネールで、早速、馬に興味を示し始めた。馬は馬で、ネールを見て『ひひん』と小さく鳴いている。馬から見てネールは自分の主人達を殺した人間であるはずなのだが、その辺りは気にしない馬らしい。結構なことである。
「さて……じゃ、金目の物を積んだらさっさと出るぞ。お前は馬車に乗れ」
ランヴァルドはネールを馬車に乗せると、自らは御者台に乗り、馬を動かし始めた。馬は素直に歩き、やがて、街道をぽくぽくと、力強く進み始めたのである。
そうして日暮れ前には宿場に着いた。
今日からは馬と馬車があるので、部屋を取るのと同時に厩も借り、ついでに飼葉を買わなければならない。面倒だが、仕方がない。馬とは購入にも金がかかり、維持にも金がかかるのだ。だからこそ、馬を利用して稼げるだけ稼がなければならない。
宿の主人に金を払ったら、馬を馬車から外して厩へ入れてやる。馬車は宿の裏に停めておくことになった。もう一台馬車があるところを見ると、宿泊客の中に他にも馬車を利用している者があるらしい。
「よし、ネール。今日は早く寝て、明日は早く出るぞ。いいな?」
ネールはこっくり頷いてくれているが、これも明日、『人助け』に行き会わなければの話であろう。うっかりそんな場面に出くわさないようにと祈りつつ、ランヴァルドは宿に戻るのだった。
宿の食堂で食事を摂ったら、食堂に長居せずにさっさと眠ることにする。
部屋に戻って身支度をして、それぞれ寝台に潜り込んで『おやすみ』と挨拶すれば、やがて、ネールの寝息が聞こえてくるようになった。寝てさえいれば、厄介ごとを運び込んでくることも無いのだが。
……と、そんなことを考えている内にランヴァルドも瞼が重くなってきて、旅の疲れもあってか、深く深く眠りの底へ沈んでいくことになった。
のだが。
「……何か聞こえたな」
夜中。
ランヴァルドは物音で目を覚ました。気のせいだったか、とも思ったが、ネールも同様に目を覚まして、寝台の上できょろきょろと辺りを見回している。
……そこで、ひひん、と馬の嘶きが聞こえる。外が騒がしい。これは間違いなく、『何かあった』のだろう。
折角手に入れた馬に何かあっては事である。ランヴァルドは弓矢を片手に飛び出した。外に出て、厩の様子を見てみると……なんと、厩が燃えているではないか!
厩の傍には既にこの騒ぎを聞きつけたのであろう人々が集まり、消火のために水を運んだり、馬を避難させたり、と忙しく動き回っている。ランヴァルドは瞬時に自分の馬と馬車の無事を確認してから、消火の手伝いをすべく、人の輪の中へ入り……。
……そこで。
「ネール!?」
ランヴァルドの後ろについてきていたネールが、ふわ、と浮いた。
人だかりの中に居た何者かが、ネールを抱き上げたのである。
……誘拐だ。
ランヴァルドはすぐさま、事態をそう理解した。




