悪徳商人と野良の英雄*3
店主は少女を見ると、ふん、と口元を歪めた。それからランヴァルドの存在にも気づいたが、ひとまず、ランヴァルドのことは気にしないことにしたようだ。こんこん、と指でカウンターを叩いて、少女ににやりと笑いかける。
「買取ならカウンターの上にブツを並べな」
どうやらここは、魔獣の森の物品を買い取る店であるらしい。だが……どう見ても、真っ当ではない。
ランヴァルドの商人としての感覚が危険を告げる一方、少女はにこにこと、背嚢もどきから数々の高価な品々を出して、カウンターへ並べていく。
大鬼の角も、最高級の薬草も、上等な魔石も……それから、金剛羆の爪に牙。毛皮。鋼鉄鷲の爪などもどんどん並べられていく。
……ランヴァルドはそれらの品を見て、『ざっと、金貨3枚ってところか』と計算した。これでも目利きはできる方だ。適正な価格である自信がある。
だが。
「成程な……これなら、銀貨を出してやろう。ほら、持ってきな」
店主はにやにやと笑いながら、少女に銀貨を1枚、放って寄越したのだった。
「おい親父。ちょっと待ちな」
ランヴァルドは思わず、声を上げていた。
それは、正義を貫く意思などではなく……純粋に『損得』を量る天秤の傾きによって。
「ああ?なんだってぇ?」
そうして声を上げてしまって、店主から反感の目を向けられてから、頭の中で諸々を計算する。
……それで十分、計算は間に合った。危ない橋を幾度も渡る悪徳商人は計算高く、機転が利いて、そして、肝が据わっていなければならない。
『勝てる』。
ランヴァルドはそう判断して、にやり、と笑った。
「流石にそれじゃ、安すぎる。分かってやってるよな?」
如何にも『やれやれ』とでもいうような顔でそう告げれば、店主はせせら笑ってランヴァルドを睨み上げた。
「まさか、こっちがぼったくってるとでも?人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ。それにこのガキは、わざわざここに持ち込んでるんだ。文句あんのか?」
ランヴァルドと店主が言葉を投げつけ合う横で、少女はおろおろしている。……何か、大変なことになっていることだけは分かるらしい。
「ああ、勿論。この領内に店を構えている以上、良心的な店であってもらわなきゃあ困るんだよ」
ランヴァルドは真剣な顔を作って見せつつ、店主に迫る。
「なあ?『全ての約束はハシバミの枝の下にあれ』だ」
『全ての約束はハシバミの枝の下にあれ』。
これは、公正であれ、約束を履行しろ、という意の言葉であり……このカルカウッドを含む領地、ハイゼルを治める領主の旗標でもある。
少女にはこの言葉の意味が分からなかっただろう。だが……こんな詐欺紛いにでも店を構えている者には、通じる言葉だ。さっ、と店主が青ざめる。そして……。
「俺は、領主様の命を受けて来た審査官だ」
ランヴァルドは、じろり、と店主を睨みつけた。
……当然のように、嘘を吐きながら!
「……証拠は?あんたが審査官だって?」
「疑うならそれでいい。別に、俺が審査官じゃない、善良な一市民であっても同じことだ。俺はこのままじゃ、この店を通報しなきゃならねえ。……分かるよな?」
ランヴァルドはいたって高圧的にそう言って、店主を見下ろした。
……今のランヴァルドの恰好は、酷いものである。脚を切られた時の血が衣類を汚していて、荷物など持っていない。……だが、それらは、ランヴァルドが堂々としていることで、意味を変える。
荷物を持っていないのは、『荷物など持たなくていい身分だから』。そして、血に汚れた衣類は……既に1つ2つ、『片付けてきた』から。
それらを裏付けるものは、ランヴァルドの堂々とした立ち居振る舞い。そして、腰に佩いた立派な剣だ。見掛け倒しだが、案外、人間は人間を見かけだけで判断してしまうものである。
実際、店主は『まさか』と疑い半分、緊張半分にランヴァルドを見上げている。ランヴァルドはもう一押しと踏んで、『まだ分からねえのか』とため息を吐き、『説明』してやることにする。
「ああ、北部で治安が悪化してるのは知ってるだろう?その波が南にも来てるんだよ。領主様は町の治安を案じておいででね。こうして、俺みたいな審査官がこんな商店にもやってくる、ってわけさ」
勿論、これも嘘である。それらしい嘘をぺらぺらと吐き出して相手を納得させることについては、ランヴァルドの右に出る者はそうは居ない。
「となると、あんたは夜逃げか?検挙されて店の売り上げも商品も何もかも全部持ってかれるくらいなら、あんたは逃げようとするだろうな」
ついでにそう言って凄んでやれば、店主はいよいよ、疑いよりも怯えの色を見せるようになる。忙しなく目が泳ぎ、『どう逃げるか』『いっそ目の前のこいつを殺そうか』というところにまで思考が及んでいるようだ。
「で、あんたは逃げられない。何故か?……この獲物を魔獣の森から持ってきたのは、誰だと思う?金剛羆を毛皮に傷も碌に付けずに仕留められるのは、誰だ?なあ、ちょっと考えてみりゃ、分かるだろ?」
ランヴァルドがそう言ってやれば、店主は、ちら、と少女を見て……それから、ランヴァルドがそっと手をかけている剣にも、目を向けた。
『張れる見栄』であるランヴァルドの剣は、こういう時に役に立つ。
店主は恐らく、ランヴァルドのことをそれなりの実力者だと誤認した。誤認だが。ランヴァルドの剣は、正にほとんどハッタリでしかないのだが。
ついでに、店主はランヴァルドのことを、『本物の審査官、或いは、もっと厄介な相手』と判断したらしい。いよいよ、表情に緊張が走る。
「……だがな。俺はそんなカタブツでもねえんだよ」
そして、そこでランヴァルドは剣から手を離し、低く優しく、そう言ってやるのだ。
「……へ?」
「示談が済んでいるところにまで口を出す気はねえ、ってことだ。ここで取引が正しく解決されるんなら、黙っておいてやるぜ?」
ランヴァルドがにやりと笑って見せてやれば、店主はそこに希望を見出しただろう。
「ほら。ちゃんとした額は幾らだ?幾らこのお嬢ちゃんに払えば、俺が黙っていると思う?お前が誠実な商人であることを俺に証明するには、幾ら出せばいいんだ?え?」
そして、ランヴァルドが凄むのに合わせて、店主はじりじり、と動き……それから、店の奥から金貨を持ってきた。
「……ったく。ほらよ」
その金貨は……5枚。この規模の商店なら店の全財産であってもおかしくはないが、この少女が今までもぼったくられていたなら、まあ、大した損失ではないのだろう。
この額ならばよし、と、ランヴァルドは笑って頷いた。
「よーし。『この店は問題無し』だな。俺も上に報告するのに気が楽だよ」
ランヴァルドは金貨を取ると、少女の手にそのままそれを握らせてやった。少女は握らされた金貨を見て、ぽかんとしていた。
「じゃあな。今後も、『全ての約束はハシバミの枝の下にあれ』だ」
店主は表情を引き攣らせていたが、ランヴァルドはいたって笑顔で、少女を伴って店を出たのであった。
「じゃ、仲介料ってことで1枚貰っとくぞ」
店を出たところで、ランヴァルドは少女の手から、ひょい、と金貨を1枚取った。少女は相変わらず、ぽかんとしている。
……もしかしたら、金貨というものを見るのも初めてなのかもしれない。
少女が出した品物の相場は、金貨3枚かそこらだ。いつもあれくらいの収穫を売りに来ているのであれば、今までに金貨何十枚という額をそうとは知らずにぼったくられてきたのだろう。
だが、この世界はそういう場所だ。知識が無ければ搾取される。より強かに、狡猾に、図太く、恥知らずに立ち回ったものが勝つ。ランヴァルドは嫌というほど、そういう場面を経験してきた。
だからランヴァルドも、そうする。『今度こそ』勝つために。そのためには、事情をよく分かっていない少女から、息をするように『仲介料』をぼったくることも辞さないのである。
……そこで、くい、と服の裾が引かれる。
ふと見れば、少女が心配そうにランヴァルドを見上げていた。そして、その手に残った金貨を全て、ランヴァルドに差し出してくるのだ。
大方、こんな大金を初めて手にしてどうしていいのか分からない、といったところだろうが、あまりにも無欲で、あまりにも無知だ。
……そんな少女を見て、ふと、ランヴァルドの脳裏に閃くものがあった。
そう。それは、『商機』を見出す閃きだ。
目の前の少女は、どういう理屈か、めっぽう強い。散歩するような気軽さで魔獣の森を歩き、あっという間に魔物を屠り、高価な品々を持ち帰ってこられる。
それでいて、どうにも人馴れしていないようだ。さっきのようにいとも簡単にぼったくられ、金の価値に戸惑い、そして……どうも、何故だか、ランヴァルドに対して悪い印象を持っていないように見える。
……ならば、これは利用できる。
どうやら商売の神は未だ、ランヴァルドを見捨て切っていないらしい。
「心配するな。大丈夫だ。違法なことしてる連中が『詐欺師にボられました』なんて通報するかよ。それに、あの様子じゃあ今までも散々ぼったくられてたんだろ?ならその分の埋め合わせにしても足りないくらいだ。遠慮せず取っておけ。これは正当な、お前の財産だ。俺はそれを取り戻す手助けをちょっとしたってだけさ」
ランヴァルドは優しくそう言って、少女の手に金貨を握り直させてやる。そのまま少女の手を握ってやれば、不安そうな少女は少しばかり落ち着いてきたのか、ランヴァルドの顔を見上げつつ、こく、と頷いた。
「しかし、お前のこれからが心配だな。今までもああやって、銀貨1枚ぽっちで魔獣の森の産物を売っていたんだろう?」
次は、少々大げさに心配して見せながら少女に問いかける。すると少女は、戸惑いながらも、こく、とやはり頷くのだ。
「そりゃあ騙されてたんだよ。お前、よっぽど人の世に疎いらしいなあ」
いよいよ少女は不安そうになってくる。自分が世間を知らないことは、なんとなく分かっているのだろう。どうにかしなければならない、とも。それでいて、どうにかする方法を彼女は知らない。
「……そこで、提案なんだが」
だから、ランヴァルドは背を屈めて、まっすぐに少女の目を見つめる。
「どうだ、俺を雇わないか?俺なら、表通りの店でもやり取りができる。お前を仲介してやることができるし、もしぼったくられそうになってたら俺が助けてやれる。世間のことも、少しは教えてやれるぞ」
如何にも誠実な商人らしい言葉を並べて、ランヴァルドは微笑んだ。
「魔獣の森で助けてもらった恩もあるからな。給料は1日に金貨1枚でいい」
そしてその実、とんだぼったくりである。