旅の続きを*1
「明日、ここを発とうと思います」
「そうか……」
その日の夕食後。ランヴァルドが挨拶すると、領主バルトサールは気遣うような目を向けてきた。
「体は、もうよいのか」
「ええ。おかげ様で大分、良くなりました。これならば、遺跡の調査に同行することもできるかと」
ランヴァルドの目的は古代遺跡の奥に置いてきてしまった背嚢を拾いに行くことだが、一応、遺跡の調査に同行する形でそこまでの侵入を許可されたのだ。仕方ない。ある程度、当時の現場の状況などを説明してやる必要があるだろう。
ランヴァルドが少々面倒に思いつつもそれを表情に出さずにいると、領主バルトサールは申し訳なさそうな顔をする。
「貴殿には、その、随分と世話になったな。古代遺跡が稼働したままであったなら、ハイゼルはこの冬を越えられなかったかもしれない。或いは、その先で潰えていたやもしれぬ」
領主バルトサールの言葉には、しみじみとした実感が滲んでいた。
……ハイゼルは今が丁度、様々なものの収穫期だ。ここで冷気が吹き荒れたら、収穫目前のものが悉く駄目になっていた可能性が高い。ただでさえ冷夏のせいで、あちこち収量が落ちている。そんな中で収穫物が損なわれていたら、いよいよ、ハイゼルの民が飢えて死ぬ事態になりかねなかっただろう。
そして何より、北部の領主達からこぞって『ハイゼルが古代遺跡を管理しきれなかったせいで冷気が吹き荒れ、冷夏を呼んだに違いない』とでも難癖をつけられていれば、この先数年、ハイゼル領は苦境に立たされることになっていた。
……北部の貴族は愚かで傲慢で、それでいて武力だけは持っている、という者も多いのだ。まあ、成り上がりの武人を北に追いやってきた先代、先々代の王の業だが。
「ええ。お役に立ててよかった。ハイゼルの平穏は私の望みでもあります」
「そうか……すまないな。せめてもの埋め合わせとして、金貨五枚を用意した。これでどうか、赦してほしい」
領主バルトサールはそう言って、金貨を側近から受け取り、それをランヴァルドに渡してきた。
金貨五枚、というと、ネールが数時間働けばそれだけで稼げてしまう程度の額である。まあ、無いよりはあった方がいいが、所詮はその程度の額だ。命を賭したことの対価にしては、あまりにも安すぎる。
「ええ。その代わり、どうかくれぐれも、領主様に忠誠を誓う者達の手綱を握っておいて頂きたく」
「勿論だ。……重ね重ね、すまない。貴殿も、くれぐれも此度のことは内密に頼むぞ」
「はい」
まあ、今後命を狙われなければまだマシだ。そして領主バルトサールはきっと、そうしてくれるだろう。ランヴァルドは冗談めかした苦笑を領主バルトサールと交わし合ってから、しっかりと一礼して、領主の元を辞した。
……部屋へ戻る傍ら、ランヴァルドは考える。もしかしたら、ハイゼル領を出ず、しばらく滞在していた方が領主やその忠臣らを安心させることができるだろうか、と。
ランヴァルドがハイゼルの不名誉を言いふらすようなことはしないと分かれば……そして何より、他の領地との繋がりを持たないただの旅商人だと分かれば、それで安心して、命を狙わずにいてくれるかもしれない。
ついでに、ちょっとばかり強請って、長期間に渡って少しずつ、この『貸し』を返してもらうこともできるのではないか、と。
「……やめとこう」
まあ、やめておいた方が無難だろう。
ハイゼオーサの領主はともかく、兵士達からは恨みを買う。余計な恨みは商売の邪魔だ。なら、もっと別のやり方をした方がいい。
諸々を諦めたランヴァルドは早速、部屋へ戻って眠ることにする。
そして明日は朝一番にここを出て行く。……ネールを連れて。
ネールが付いてくるのは、ランヴァルドにとって何よりの幸運だった。
何せ、ネールさえいれば、幾らでも稼げる。魔物の多い場所へ突入していって、そこでネールに狩るものを狩らせて、それをランヴァルドが売り捌けばいい。それだけで、一日に金貨数枚分は稼げるのだ。
……そうだ。これだから、ランヴァルドは氷晶の洞窟で、荷物より金貨より、ネールを優先した。自分の命を擲ったのも、結局はより多くの金のためだ。
あの時のランヴァルドは、結果から見れば正しい判断をしたことになる。そうだ。あれは正しかった。現にランヴァルドはこうして、『勝って』いる。
……だが、まあ、ネールには話さなくてもいいことまで話した気がする。
勿論、無駄にはならないだろう。『ファルクエーク』の話をしておいた方が、今後、ネール自身も『ファルクエーク』に警戒してくれる可能性が高くなる。ネールがそうとは知らずに厄介ごとを運び込んでこないとも言えないのだから、まあ、教えたのは無駄ではない。
だがそれにしても……話しすぎたような気も、しないでもない。
「……話したかった、ってんでもあるまいに」
ランヴァルドは自身の客間のドアを開けつつ、ため息を吐いた。
先程のあれは、まるで、ランヴァルド自身が当時のことを誰かに話したかったかのような、そんなようにも思える。我がことながら、なんとも馬鹿馬鹿しく軟弱なことだ。
「ああ、待たせたな。大丈夫だ。領主様へのご挨拶は終わった」
部屋に入ると、すぐ、ネールがぴょこぴょこと駆け寄ってきた。ずっと部屋で待っていたらしい。
……さっきの話を聞いたからだろうか。ネールがより一層、ランヴァルドに懐いたような気がする。
同情なのだろうか。それとも、ランヴァルドが貴族であったというところから、何か、利になる気配を嗅ぎ取ったのか。
……否、ネールに限って、それは無いだろう。ネールは元貴族に取り入って成り上がる程の知識を持っていないのだから。その発想すら、出てこないだろう。
「明日の朝、すぐに出発するからな。今日は早く寝るぞ」
ランヴァルドがそう言えば、ネールはこくんと大人しく頷いて……。
「……おい、ネール」
ネールは、いそいそ、とランヴァルドのベッドに潜りこんだ。
潜り込んでおいてから、おずおずとランヴァルドの様子を窺ってきた。……なんともいじらしいことである。
「……しょうがねえな」
こんなネールを見れば、ベッドから追い出すのも躊躇われる。ネールだって、あの遺跡で死にかけたのだ。北部の冬めいた寒さや迫りくる死への恐怖がネールの中に残っていても何らおかしくない。
……まあ、こんな子供の機嫌を取るだけで、金になるのだ。ならば一晩くらい、いいだろう。
仕方なしに、ランヴァルドはそのまま、ネールが入ったベッドで少々狭い思いをしながら眠ることにする。ランヴァルドもベッドに潜り込めば、ネールは隣で、ふや、と蕩けるような笑みを浮かべる。
「さっさと寝るんだぞ。おやすみ」
声を掛ければ、ネールはこくんと頷いて目を閉じた。
時折もそもそ動く温くて柔い塊の存在を隣に感じながら、ランヴァルドも目を閉じる。
どうも、今日は夢も見ずに眠れそうだな、と思いつつ。
翌朝。
ランヴァルドはネールと共に、そしてハイゼルの兵士達と共にハイゼオーサを発った。
一応、『遺跡の第一発見者として調査に同行する』という名目だ。目的は捨ててきた背嚢を拾いに行くことだが。
カシャ、カシャ、と鎧が鳴る音と共に進んでいくと、どうも、貴族だった頃、護衛に付き添われて移動していた時のことが思い出される。ランヴァルドはため息を吐くと記憶を振り切って、代わりに隣のネールへと意識をやった。
金の髪を朝の風に靡かせて、海色の瞳をきょろきょろと動かしては楽し気にあたりを見て。そして時々、ランヴァルドを見て、また笑顔になる。ネールは今日も元気いっぱいである。
そして……やはり、どうも、ネールはまた一層、ランヴァルドに懐いたようだ。
好都合だ。好都合なのだが……ネールは一体、何を思ってランヴァルドに懐いたのだろうか。ランヴァルドは、自分が無垢な子供に懐かれるべきではない類の人間だという自覚があるので……若干、ネールが心配になってきた!
氷晶の洞窟へは、然程時間もかからずに到着した。
踏み入ってすぐ、洞窟の中の様子が前回とは異なることに気づく。何せ、以前のような冷たさとは縁遠い。ただの洞窟だ。どことなく、水晶の質も落ちたように思える。
……もしかすると、あの古代装置が一旦作動したことによって、この辺りの水晶の魔力が吸い取られたのかもしれない。まあ、ランヴァルドは気づかなかったふりをするが……。
そうして進んでいけば、以前、兵士達の死体があった場所にはもう何も無かった。どうやら既に回収されたらしい。
……ゴーレムの残骸も無かった。残念である。もしゴーレムの残骸が残っていたら、間違いなくランヴァルドが持ち帰ったのだが!
ネールが仕留めた分のゴーレムすら回収されているのだから、いよいよやっていられない。ランヴァルドはため息を吐いた。兵士達が一緒でなかったら、悪態の一つや二つ、吐いていたのだが今はそういうわけにもいかず、ただ、歩みを進めていく。
古代遺跡の方へと更に進んでいけば、例の冒険者達の死体はそのままにしてあった。まあそうだろうな、と思いつつ、ランヴァルドは兵士達の視線を全身に浴びる。
「この者達について聞きたい。先の説明では、護衛として雇った者だ、ということだったが」
案の定の問いを受けて、ランヴァルドは考える。
最初に領主バルトサールへ報告した時、『俺を狙ってつけてきた裏切者を返り討ちにした』と正直に説明しなかったのは、ランヴァルドが関税を誤魔化そうとした話にまで触れる羽目になったら面倒だ、という話だけではない。
なによりも、『じゃあこいつらを殺したのは誰だ?そもそもあの水晶ゴーレムを殺したのは誰だったんだ?』ということになるからだ。つまり……。
そう。……ネールだ。
ネールが現実離れして思えるほどに優れた狩人であることを、明かさねばならなくなる。
……そして、ネールの価値を知られたら、ネールを奪われる可能性がある。奪われずとも、今後ランヴァルドのことを大いに警戒するであろうハイゼルの兵士達を、更に警戒させる羽目になるかもしれない。
よって、ランヴァルドは……舌先三寸で、この場を切り抜けることにした。
幸いにして、今は体調も良い。頭も口も、よく回ることだろう。
ということでランヴァルドはまず、ネールを他所へやることにした。
『ちょっと向こうで水晶でも拾ってきていなさい』と言ってやれば、ネールは頷いてぱたぱたと駆けていったし、幼い少女のそんな行動を止める兵士も居なかった。
そうしてネールが向こうへ行ってしまってから、ランヴァルドはようやく、口を開く。
「……はい。先日の報告でも申し上げました通り、この連中は私が雇った護衛です。馴染みの腕利きを頼るつもりだったのですが、丁度、別の護衛依頼を請けていたようでね。仕方なく別の護衛を雇いました。一応は、かつて雇ったことがある者が混ざっていましたのでね」
まあ、確かに『雇った』ことのある護衛が混ざっている。裏切られて積み荷を奪われた上、魔獣の森に置き去りにしてくれた連中だが。……ランヴァルドはそんなことを考えつつ、ふと、表情を曇らせてみせた。
「ですが……古代遺跡がこの奥にあると知るや否や、雇った内の半分ほどが襲い掛かってきました」
「なんだと?」
「裏切らなかった護衛達と一緒に戦ったのですが、結局、この有様です。半ば、同士討ちのようになってしまったのでしょうね。……私自身も、ネールを庇って深手を負いました。ああ、多分、そこの血の跡は私の血だ」
ランヴァルドはなんとも適当なことを言う。
実際のところ、ランヴァルドはここで怪我などしなかった。そんな怪我をする暇もなく、ネールが全員殺していたからだ!
よって当然、適当に指差した血の跡も、ランヴァルドではない。そこらで死んでいる冒険者達の誰かの血だったものと思われる。
……だがまあ、言ったもの勝ちだ。真実など、どうせ分かりやしないのだから!
「幸い、治癒の魔法の心得があったものですから、なんとか傷を治すことはできました。だが、そのまま休むわけにはいかなかった。裏切った護衛が二人ほど、奥へと侵入して……操作盤に触れていましたから。それを止めなければ、と判断しました」
ランヴァルドはつらつらと、好き勝手なことを述べていく。死人に口なし。ここに転がっている連中はもう何も喋らないのだ。だから好き勝手、ランヴァルドは言いたいように言わせてもらう。
「その二人は元より、私を殺して古代魔法の装置へ辿り着くことが目的だったのでしょう。……元々、ここに古代遺跡があることを知っていた可能性があります」
そう。
ランヴァルドは、ハイゼルに余計な混乱を巻き起こしてから逃げるつもりなのだ!