大きすぎた功績*4
+
「元々の俺の名前は、『ランヴァルド・マグナス・ファルクエーク』だった。今はもう、ファルクエークの人間じゃないけどな」
ネールはようやく、ランヴァルドの本当の名前をちゃんと聞けた。
ランヴァルド・マグナス……ファルクエーク。
そう、ファルクエーク。ファルクエークだ。ネールは一回だけ、あの領主というらしい人が言っていたのを聞いて、でも、聞き逃してしまったのだ。
ずっと『ふぁ……なんだっけ』と思っていたのを知ることができて、ネールは嬉しくなる。
「鷹の樫、っていう意味だ。どうも、昔々、俺のご先祖様が武功を立てて当時の王からお褒めの言葉を頂戴した時、丁度、樫の木に鷹が止まったらしい。それを見た王に『ファルクエーク』の姓を賜ったんだとか」
鷹は賢くて強い鳥だ。だからランヴァルドにぴったりだ!ネールは嬉しくなって何度も頷いた。
「で、その時一緒に、北部の北の端の方の土地を領土として賜った。それがファルクエーク家の始まりだったらしい。ま、要は成り上がりの野蛮人を北へ追いやる体のいい口実だったんだろうけどな」
ランヴァルドがすらすらと説明してくれるのを聞いて、ネールは、ほふ、と感心のため息を吐いた。やっぱり、ランヴァルドはすごい。ネールは声が出なくなる前も、こんなにすらすら話せなかった。
「まあつまり、要は俺は貴族の家に生まれたんだ。当時の領主……俺の祖父にあたる方が有能な方だったんでな。まあ、北部の割に産業も発達して、やたら寒いがそこそこ住みよい領地になってた。だからまあ、何不自由なく育ったさ」
どうやら、やっぱり、ランヴァルドは本当に高貴な身分の人だったらしい!
そうだと思ったのだ。あんなに優しくて綺麗な魔法を使える人なのだから、賢い上にきっと高貴な人なんだろうと思ったのだ。
……それに、ランヴァルドはとてもお行儀がいい。食事はとても綺麗に食べるし、書く文字はとても綺麗だし。
何はともあれ、予想が当たったネールは少し嬉しくなった。やっぱりランヴァルドはすごい人。それは間違いないのである!
「だが、まあ、何もかも思い通りにいったわけでもなかったし、全く予想していなかったことも起きた」
ランヴァルドの藍色の目が、昔を懐かしむみたいに優しく細められる。
「俺が八つの時、父上が死んだ。病だった。……それで、父の弟であった人が、家を継ぐことになった。俺が大きくなるまでの間、ってことでな。なんだが……どうも、その叔父が、俺の母と恋仲になっちまったみたいでな。父上が死んだ一年後に、二人は結婚したよ」
ネールは絶句した。だって、だって、それは……裏切りであるように思われたのだ。
妻から夫への裏切りであり、弟から兄への裏切りであったのだろうが……それ以上に、母から息子へ、叔父から甥への、裏切りだったのではないだろうか。
「……あー、難しかったか?ん?違う?そ、そうか……」
ネールが難しい顔をしていたら、ランヴァルドはどうやら、『ネールは話の内容をよく分かっていないのではないだろうか』というような顔をしていた。なのでネールはぶんぶんと首を横に振る。
ネールはちゃんと分かっている。分かった上で……怒っているし、悲しくも、思っているのだ。
「それから更に一年……父上が死んで二年で、えーと、母と叔父との間に俺の弟が、生まれた。で、その弟は俺の十歳年下でありながら、まあ、優秀だったんだよな。魔法も剣術も、才能があったらしい。その点、俺はそっちがてんで駄目だったからな。諦めて勉強ばっかりしてたさ」
ネールは最早、何を思っていいのか分からない。
突然生まれてしまった弟のことで悲しめばいいのか、ランヴァルドはあんなに優しくて綺麗な魔法が使えるのに『てんで駄目』なのかと不思議に思えばいいのか、勉強を頑張ったというランヴァルドに拍手を送ればいいのか……。
「……叔父、いや、まあ、義父……なんだが。彼は俺じゃなくて、自分の息子を次の領主にしたくなったらしい。そして、母も」
更に続いた話に、ネールはいよいよ、どうしていいか分からなくなる。
当時のランヴァルドはどれだけ悲しく、どれだけ居心地の悪い思いをしていたのだろうか。カルカウッドに居たネールよりも余程、居心地悪く思っていたのでは。
だというのに……だというのに!ランヴァルドはそんな話を、大したことではないと言うように話すのだ。それがネールには、余計に悲しい。
「……元々、母は政略結婚でファルクエークに来た人だったからな。俺の父上に愛があったかと言えば、そうでもなかったんだろう。それから叔父と出会って、ようやく、愛する人と一緒になれたわけだ。そんな愛する人との初めての子供にこそ、次の領主を、と思う気持ちは、まあ、分からんでもない」
ランヴァルドはごく軽い調子ですらすらとそう言うと、何でもないことを話すような表情のまま、少しだけ、言葉を詰まらせた。
「だから、まあ……それで……」
ちら、とランヴァルドの藍色の目が、どこでもないところを見る。どこでもない……ただ、ネールの方じゃないところを。
「俺が十九になった頃、毒を盛られたよ」
ネールはたまらなくなってランヴァルドに飛びついた。
きゅう、と抱き着いて、そのまま離さない。どうすればいいか分からない。否、どうしたってどうにもならないと分かっている!
……ネールにも、分かっているのだ。幼い頃から自分の家が自分の家じゃなかったランヴァルドも、実の母親に毒を盛られたランヴァルドも、救ってやることができない。
何かしてあげたいと思うのに、ネールには何もできないのだ!
「あー、こら、こら。そう引っ付くな。大丈夫だから。大丈夫だからな」
ランヴァルドは抱き着いたネールを剥がし始めた。剥がされたのでネールは大人しく剥がれることにする。ネールはランヴァルドの前ではできるだけ聞き分けのいい子で居たいのだ。
「もう終わったことだ。その時に上手く逃げ出したからな。今、俺はこうしてピンピンしてる。元気に商人をやってるし、まあ、向き不向きで言ったら、俺は商人に向いてる。間違いなく。だから後悔は無いんだ。本当に」
ネールは『聞き分けのいい子』として振る舞う。頷きながらランヴァルドの言葉を聞いて、確かに嘘じゃないんだろう、とは、思う。
「……あの家はもう、俺の家じゃない。だから俺は今、貴族じゃない。『ファルクエーク』じゃない、ただの『ランヴァルド・マグナス』だ」
そんなネールに……そして自分自身に言い聞かせるように、ランヴァルドはそう言って笑う。
その笑顔がまたなんとも寂しい。ネールも寂しい。
ネールには家が無いが、ランヴァルドにも家が無い。ネールとランヴァルドは、家無し子同士だったのだ。
……どうして、この世界にはこんなに悲しいことがあるんだろう。
ネールはネールで、自分の故郷を喪って、家族とも離れ離れになってしまったのだが……家族『に』離れ離れにされたわけじゃない。だから、ランヴァルドは自分より辛かったはずだ。辛かったはずなのに、こうやって笑っている。
……ランヴァルドはやっぱり、立派な人だ。ネールはそう思う。
ネールはしばらく、悩んでいた。今、ランヴァルドに何か言葉をかけるべきじゃないのか、と。
覚えたての文字はまだたどたどしいが、頑張れば、ゆっくり考えながらなら、書けるものもある。ちょっとなら筆談だってできるはずだ。だから何か、励ましの言葉を……と。
だが。
「……だが、折角なら俺を殺そうとしたあの家をちょっとばかり馬鹿にしてやりたくもあってな?」
にやり、と。先程までの寂しい笑顔とは一転、実に商人らしい笑顔で、ランヴァルドはそう言った。
「俺は今、貴族じゃない。だが……勲章と金があれば、貴族位は買えるんだ」
ネールがきょとん、としていると、ランヴァルドはそんなネールの頭をもそもそ撫でて、飄々と続ける。
……きっと少し無理をして、そう振る舞っている。でも全部が全部、無理でできているわけじゃない。ネールには、ランヴァルドの本心もここにちゃんとあることが分かった。
「今、親愛なるファルクエーク家は傾きかけてるらしい。俺の祖父が遺した功績はほとんど全部食い尽くしちまって、更にそこに今年の冷夏だ!随分と酷い目に遭ってるんだろうよ!」
ネールは、そうだそうだ、と頷いた。当然だ。ランヴァルドに酷いことをした奴らは酷い目に遭えばいいのだ!
するとランヴァルドはそんなネールを見てちょっと驚いたような顔をしつつ、少し照れたような顔をした。……初めて見る顔だ!ネールは少し嬉しくなった!
「……ま、そんな連中に、死ぬ前にもう一回、顔を見せてやりたくてね。あいつらより『上』になった姿を見せてやりたい。で、俺を殺そうとしたこと、絶対に後悔させてやる」
そう言うランヴァルドは商人であって……そしてやっぱり、貴族なのだ。
だってランヴァルドはこんなにも眩しく、気高い人なのだから。
「ってことで、俺が欲しいのは金と勲章。そういうわけだ。……で、丁度その勲章を取り損なったところだな。まあ、貸しが一つできた、とも言えるが、あんまりにもデカい貸しだからな、下手するとハイゼル領で命を狙われかねない……いや、おい、そんな顔をするな」
何かとんでもないことを聞いてしまった気がしてネールは暫し固まってしまった。命を?狙われる?何故!?折角ランヴァルドがあんなに傷だらけになって、あの寒い寒い洞窟の中で、何かよく分からないけれど大変な偉業であるのだろうことを成し遂げたというのに!?
「……まあ、とにかく俺は、しばらくハイゼル領から出ようと思う。できれば南と北を行ったり来たりしたいところだけれどな。元手が無いことにはなんともならないから、まずは南で稼ぐか……」
ランヴァルドは何やらもごもご呟きながら、うーん、と唸る。……商売の話はネールには難しくてよく分からないのだが、ひとまず、ランヴァルドが前向きに今後の計画を立て始めたことだけは分かった。
なのでネールは少しばかりうきうきして……それからすぐ、ふと、不安になる。
ランヴァルドは……次も、ネールを連れていってくれるだろうか。
「だから、ネール……あー、ネレイア、って呼んだ方がいいか?」
ランヴァルドの問いに、ネールはふるふると首を横に振った。それから、自分が書いた文字を指差して、『ランヴァルド・マグナス』をなぞり、ランヴァルドを指差し、それからネール自身を指差した。
ランヴァルドが、『ファルクエーク』ではないのなら、ネールだって『リンド』じゃなくていい。『ネレイア』でもない。
ネールはネールだ。最初にランヴァルドがそう呼んでくれた時から、ネールはネールになったのだ。
……と、そう伝えたかったのだが、上手く伝わらなかったらしい。ランヴァルドは、『まあ、短い方が楽か。もう慣れたしな』と首を傾げていた。
「じゃあ、ネール」
そうそう、とネールは頷いて、ランヴァルドの言葉をじっと待つ。
ランヴァルドの藍色の目は、これから冒険に向かう少年のように、楽し気であった。
「お前、俺と一緒に、来るか?」
ネールはすぐさま頷いた。一回剥がされたばかりだというのに、また、懲りずに飛びついてしまった!
だって、嬉しいのだ。とても嬉しいのだ!ネールはまた連れていってもらえる!ネールは独りぼっちじゃない!
それに……ランヴァルドも、独りぼっちじゃ、なくなる。ネールは、それがまた、嬉しい!
「よし、決まりだな。じゃ、明日ここを発つ。そのまま……えーと、まずは氷晶の洞窟へ戻って荷物を取ってこよう。ここの兵士と一緒に、だな。で、それが終わったら……一旦、『林檎の庭』で根回しだな。暗殺されちゃたまらない。で、そのまま近くの村を目指すか。どこにするかなあ」
ランヴァルドがにやりと笑って計画を立て始めたのを見つめながら、ネールはにこにこと笑みをこぼす。
……だって、この旅には続きがあるから!
+