大きすぎた功績*1
……町に着いてからのことはほとんど覚えていない。
ただ、ランヴァルドは最後の最後で『領主への報告を優先させなければ』と判断したらしい。
領主の館へ辿り着いたランヴァルドは、そこで兵士に『洞窟の魔物を倒した』と報告して……そしてそのまま倒れたのだろう。
というのも、ランヴァルドが目を覚ますと、そこは『林檎の庭』のベッドではなく、小綺麗な見知らぬベッドの上だったからだ。
「ここ……は……、う」
そして目を覚ましてすぐ、ランヴァルドはこみあげてきた吐き気をなんとか耐える羽目になった。
吐き気の波が収まったところで改めて体調を確認してみれば、まあ、酷いものである。頭痛も吐き気もあり、体中が痛む。未だ治り切っていない傷のせいもあるのだろうし、それ以上に……。
「……風邪かよ」
どう考えても、これは風邪を引いている。
ランヴァルドは風邪を自覚すると、ああくそ、と呻いてベッドに埋もれた。
まあ、仕方ない。古代遺跡のあの寒さの中、限界を超えて動いていた。極度の集中で精神を削った。身の丈に合わない魔法も使った。体調を崩さないわけがない。
……となると心配なのは、ネールだ。
北部人の、寒さに強く頑丈な体を持つはずのランヴァルドでもこうなのだ。南部の出なのであろうネールは、無事なのだろうか。
ランヴァルドはベッドの上から辺りを見回してみるが、ネールの姿は見当たらない。焦燥がじわりじわりとランヴァルドを蝕む中、ランヴァルドはネールを探して室内を見回して……。
きい、と、ドアが開く。
はっとしてそちらに目をやれば、そこにはネールの姿があった!
「ネール」
掠れた喉から声を出して呼べば、ネールはすぐさま駆け寄ってきた。
駆け寄ってきたネールは、そっとランヴァルドの頬に触れ、額に触れ、それから落ち着かなげに布団の中、ランヴァルドの手を握る。……子供の柔く小さな手が、ふに、と自分の荒れた手を握る。その柔い感触が、なんとなく心地よかった。
「体調は、どうだ」
概ね答えの分かっている問いを発せば、ネールは何度も、うんうん、と頷く。まあ、体調は悪くないのだろう。
「俺はどのくらい、寝てた?」
更に問えば、ネールは少し考えて、手の指を二本、立てた。
……ランヴァルドはそれを見て、『二刻……?』と考えたが、窓の外から見える空は、明るい。ランヴァルドが最後に記憶しているところから二刻ほど経過すれば、夜のはずだが……。
「……二日か」
結局、そういう恐ろしい結論を出して確認してみれば、ネールはなんとも神妙な顔でゆっくり頷いた。
二日も眠っていたとは考えたくなかったが、まあ、それくらいのことはあってもおかしくないか、とも思う。
古代魔法を読み解き、限界を超えて、魔石で無理矢理に魔力を補填しながら魔法を使った代償が、二日。あと体調不良。そういうことなら、まあ、つり合いは取れるだろうと納得できた。
……それだけのことが、あの古代遺跡の中で起きていたのだ。
ランヴァルドがあの古代装置を止めなければ、きっと、この二日で洞窟からも冷気が溢れ出していただろう。
そう。あれは、そういう装置だった。
遺跡の中のみならず、外にまで……ハイゼル領全域どころか、下手をすれば世界中へと影響を及ぼしかねない。そういうものだった。
それが分かっているランヴァルドは、無理矢理に体を起こす。
ランヴァルドが起き上がろうとした途端、ネールが大慌てでランヴァルドをベッドへ戻そうとしてきたが、それをやんわり跳ねのけて、ランヴァルドはなんとか、ベッドから出た。
「……領主様にお目通りしなくては。それで、報告を……。お前からじゃ、報告できないだろ。報告しなきゃ、金にならない。働き損は御免だ……」
関節という関節が痛みを訴え、眩暈と吐き気がランヴァルドをベッドへ戻そうとやってくる。だが、ランヴァルドはそれらを全て無視して立ち上がり、簡単に身なりを整えた。
……とはいえ、道具は全て捨ててきたので、結局、いつぞやのように手櫛で髪を整え、服の皺をなんとなく伸ばし、そして一応それらしく帯剣する、という程度でしかないが。
……一方のネールは、よく見てみるといい服を着ている。ここが領主の館であろうことを考えれば、まあ、融通してもらったのだろうな、と容易に想像できる。
そしてこの、如何にも健気な様子の美少女であるならば、周りの人間達は色々と融通したくなるだろうな、とも。
つくづく、可愛らしいということは得なのだ!
そうしてランヴァルドは部屋を出て、通りがかった女中に言づけを頼み、領主との謁見を求めた。
病み上がり、否、病の渦中にある状態で謁見などするべきではないのだろうが、何せ、報告しなければならないことは山のようにある。そして領主としてもそれらを聞きたいところであろう。
結局、ランヴァルドの要求はすんなりと通り、すぐさま謁見の機会を得ることができた。……やはり、領主バルトサールとしてもランヴァルドの話を聞きたかったのだろう。
とはいえ、謁見はそう格式張ったものではなく、身内の報告会のような形で行われることになった。
身内の会議に使うのであろう小さな部屋の中、同じ円卓の向かいに着席し合って、ランヴァルドと領主バルトサールは向かい合う。
……尚、領主バルトサールの隣には執政が一人と近衛が一人控えていたし、ランヴァルドの横には、呼んだ覚えのないネールがちょこんと座っていた。
まあ、賑やかしにはなるか、と、ランヴァルドは風邪で頭の回らないままに諦めて、ネールの存在を受け入れた。領主も何も言わないのだから、このままネールが同席していてもまあ、問題ないだろう。多分。
「……体はもういいのか」
「あまり、良くはありません。しかし、あの遺跡の装置のことを領主様にお伝えすることが先決と考えました」
そうして開口一番、領主バルトサールの気遣う言葉を笑って受け流せば、隣でネールが何とも心配そうな顔でランヴァルドをつつき始める。ランヴァルドはそれをそっと押し留めた。大人しくしていてくれ、と囁けば、ネールは如何にも不本意そうな顔で頷いて戻っていった。
「して……あの洞窟の中で、何があった?」
領主バルトサールは、如何にも緊張した様子で、慎重にそう伺ってくる。ランヴァルドは少し躊躇ったが……結局は、正直に話すことにした。
「……あの洞窟の奥に、古代遺跡がありました。そしてあの古代遺跡はこの世界を滅ぼす原因ともなり得たでしょう。あれはそういうものでした」
それからランヴァルドは、洞窟および遺跡の中で起きたことを話して聞かせた。
……水晶の様子。襲ってきたゴーレム。兵士の死体。それから『雇った護衛が古代遺跡を見るや否や裏切ってきたので、なんとか返り討ちにした』というように、例の冒険者連中については、まあ、さらりと流した。その直後に本題が来るので、領主らも上手く誤魔化されてくれた。
古代魔法の装置がどんなものだったかを説明し、それを止めるにあたってどのような操作をしたかも説明して……そして、ランヴァルドは最後に、所感を述べる。
「最奥にあった装置……あれがあのまま動き続けていたならば、間違いなく洞窟の外にまで冷気が漏れ出し、ハイゼル領全域へと影響を及ぼしていたことでしょう」
ランヴァルドがそう言えば、いよいよ深刻な表情で領主バルトサールは頷いた。
この様子ならもう分かっていそうだな、と思いつつも……ランヴァルドは、言葉を付け加えた。
「……奇しくも、今年は各地で冷夏でした。何も、関係が無ければよいのですが」
それからしばらく、領主バルトサールは迷うような目を卓の上に落とし、じっと考え込んでいた。
時折、隣で執政が何か囁いたりもしていたが、ランヴァルドの耳にはそれらが聞こえない。ネールには聞こえているのかもしれないが、意味は分かっていない様子だ。
そしてランヴァルドはただ待つことしかできない。なんとなく嫌な予感を覚えつつ、そしてそれを諦めつつ……ランヴァルドはただ、待つ。
「……ランヴァルド・マグナスよ」
「はい」
風邪で痛む頭に気づかないふりをして、ランヴァルドは領主バルトサールを真っ直ぐに見つめる。
……領主バルトサールは、随分とやりづらそうな顔をしていた。後ろめたさと逡巡に満ちた表情を見て、ランヴァルドは自分の嫌な予感が当たったことを悟る。
「此度の働き、実に見事であった。数々のゴーレムを倒し、古代遺跡の魔法を止め、この地全体を救ってくれたこと、感謝する」
「勿体ないお言葉です」
こっちは言葉じゃねえものが欲しいんだがな、と、ランヴァルドは苦笑し……そして。
「……だが、このようなこと、民に知らせるわけにはいかぬ。冷夏の原因が古代遺跡にあったやも、ともなれば、いよいよ民は混乱するだろう。冷夏および北部の困窮にも影響しているかもしれぬとなれば、他領からの視線も厳しいものとなろう。となればいよいよ、ハイゼルが危うい」
領主バルトサールはこの地を守る領主として、こう、決断せざるを得ないのだ。
「よって……古代遺跡の管理については、内内で処理する。兵が古代遺跡のゴーレムによって数を減らしたことも伏せる。今回の古代遺跡の件は、内密にしたい。……貴殿の、此度の働きを含めて」
「約束していた白刃勲章、だが……あれは、別の形で補わせてほしい」
……まあ、要は、ランヴァルドは狙っていた地位を手に入れ損なった。そういうことになる。
がたり、と音がする。
ネールが椅子から立ち上がった音だ。
ネールは話の内容なんて碌に分かっていないだろうに、ランヴァルドが不当に扱われていることだけは感じ取ったらしい。
諦めの表情で視線を卓に落とすランヴァルドの肩をそっと揺らし、ランヴァルドがその手をやんわり払いのければ今度は気まずげな領主バルトサールを睨んで、ネールは必死に理不尽を訴える。
「ネール」
だが、そんなネールを、ランヴァルドはそっと止めた。ネールはその海色の瞳を揺らしてランヴァルドを見つめてくる。納得がいかない、というように。
……だが。
「いいから座っていなさい」
ランヴァルドの藍色の目には、納得と諦めがしっかり滲んでいる。ついでに、極度の疲労も、また。
……そんなランヴァルドを見て、ネールは唇を噛むと、大人しく椅子へと戻っていった。
ランヴァルドには、領主バルトサールの考えが痛いほどよく分かる。
確かに、古代遺跡の装置を止めたランヴァルドの功績は多大なものだった。ハイゼルを救った者として、領主としては表彰したいところだろう。
そしてランヴァルドとしても当然、表彰および叙勲してもらいたいところだったが……領主の立場からしてみれば、それはできない話だ。
……ハイゼル領の領主としては、あの古代遺跡の存在は封印してしまった方がいいのだ。ランヴァルドの、功績ごと。
何せ、あまりにも厄介だ。『冷気を吹き出す古代装置が遺跡の奥にあった』などと知れたら、遺跡を悪用しようとする者が出てきかねない。或いは、今年の冷夏や北部の動乱までもが、ハイゼル領の古代遺跡の管理不行き届きのせいにされてしまうかもしれない。
ハイゼルは南部と北部の間に位置する領地だ。政治的にはあらゆる場面で中立を保つ必要がある。この領地の舵取りは、さぞかし難しいことだろう。弱味となりそうなものは、消していかねばならない。それが、この地を治める領主としての責務であり、業なのである。
「……すまない。私はハイゼルの領主として、この地を危険に晒すわけにはいかないのだ」
まあ、丸損である。
あり得ないことに、丸損であった。
命を削ってあの遺跡を攻略した、その功績は丸ごと全て、無駄であった。ランヴァルドは頭を抱えたいような気分である。
だが。
大人しく座って、ただ俯くばかりとなってしまったネールを見てランヴァルドは苦笑する。
……ネールを見ていると、幾分、救われたような気がした。
自分の代わりに理不尽を訴え、目に涙を湛えてくれる者が居るということに。
そして、ネールを見ていると、ランヴァルドはなんとなく思い出すのだ。
かつて自分も持っていた、誇りと責務の存在を。




