氷晶の洞窟*4
「よく後を追ってこられたな」
ランヴァルドはまず、訝しむ。ランヴァルドはネールと共に、奴らを撒くために寄り道してここまで来ているのだ。だというのに、どうしてこうも行き会うのか。
「何、お前らが俺達の居る方へ来てくれたってだけさ。しかも町中をお前らみたいなのがウロウロしてたら嫌でも目立つ。……ああ。そっちのお嬢ちゃんはよく目立つんだよ。金の髪に鮮やかな青の目。どうしたって目立つだろうが。な?」
迂闊だった、とは思わない。あの後奴らが移動するにしても、ハイゼオーサではなく、南の方だろうと思ったのだ。何せ、ランヴァルド達は一度南へ行くように偽装していたのだから。
だというのに、まさか、それを無視してハイゼオーサへ向かうとは!
だが、ハイゼオーサでたまたま見つかってしまって、そのまま追いかけられたことについては少々反省しないでもない。要は……ネールが、あまりにも美しすぎるのだ。
黄金の髪に、海の色の瞳。そして整った顔立ちと、大人しく優しい気性。ランヴァルドの後を一生懸命てくてくついて歩く姿は、確かに町中でもそれなりに目立つだろう。
こちらが人を見るのと同じ分だけ、人からこちらが見られている、ということだ。そして、一度見ただけでも印象に残る程度には、ネールが美しすぎる。そういうことなのだ。ランヴァルド一人の時とは勝手が違う。
参ったな、とランヴァルドは内心で嘆息した。絶世の美少女というものは如何なる時代においても厄介ごとの種であるが、まさか、ここまでとは。流石に実感が追い付いていなかった。もう少し慎重になるべきだったか。少なくとも、ネールの美しさについては。
「ま、そういうわけで付いてきたら大正解だ!道中にあったありゃ、なんだ?魔石の塊か?高く売れそうだな。やっぱりお前達の後を付けてきて正解だった!」
朗々と、堂々と、そんなことを話す冒険者達にランヴァルドは怒りと憎悪を煽られる。……ランヴァルドは自分がバカにされることより、自分の金を横取りされることに対して、より敏感なのである。
「はっ。盗むっていうんならもっと上手くやってもらいたいもんだな」
「別にいいだろ?お前にはここで死んでもらうんだ。ああ、そのお嬢ちゃんはこっちで貰ってやるから安心しろよ」
「……俺を殺すのは簡単だろうが、こいつを貰うのはお勧めしないぞ」
ついでに、ランヴァルドは『そのお嬢ちゃんはこっちで貰ってやる』という連中に対しては、怒りや義憤より先に心配がくる性質であった。
どう考えても、こいつらにネールを手懐けられるとは思えない。
いや、ランヴァルド自身も、どうして自分がネールを手懐けられたのかよく分かっていないが。だがまあそれにしても、目の前の連中は現実が見えていないのだ。愚かしいことに。
……何せ、今、ランヴァルドの横でネールが憤怒に燃えていることにすら、気づいていないのだから。
「……あー、ネール」
ネールは、ランヴァルドが『やっちまえ』と言うより先にナイフを抜いていたし……ランヴァルドが声を掛けたその瞬間、任せておけとばかりに力強く頷いて、即座に床を蹴っていた!
ネールは速かった。
足掛かりとなる木々が無数に存在する森の中でこそネールの戦い方は生きるのだろう、と思っていたランヴァルドだったが、その考えは少々甘く見積もりすぎであったことを知る。
この場所のような、遺跡の通路の中。これもまた、ネールにとって最適な戦場の一つであったのだ。
ネールは壁を駆け、天井を蹴って、冒険者達の真ん中へと降り立った。敵十人に自ら囲まれに行くような、あまりにも無謀な位置取りである。
だが、ネールはまるで臆さない。冒険者達をぎろりと睨みつけると、そのまま奴らの剣をすり抜けて……一人。
まずは一人分、その喉を刺し貫いたのだった。
「よし!いいぞ、ネール!」
ランヴァルドは歓声を上げながら、自らも矢を放った。
ネールに当たらないように、と気を付けただけの矢は、当然、敵の誰かに命中するわけでもない。だが、それでいい。
ランヴァルドが矢を放てば、弓の弦が鳴って、矢が空を切る。その音に、冒険者ならば反応しない訳がない。案の定、冒険者達はランヴァルドが放った矢へと意識を持っていかれ……その隙に、ネールを見失う。
そう。ネールを見失ったのだ。そしてそれは、彼らにとって命とり。たった一瞬でも目を離したならば……その隙にネールは、奴らの死角へと潜り込む。
シャッ、とナイフが動き、鍛えられた鋼が焚火の光を反射して赤く輝いた。そして次の瞬間にはより鮮やかな赤色が、ぱっ、と宙を舞うことになる。
……二人目。ネールはまた冒険者の喉を掻き切って、その海色の瞳を爛々と輝かせていた。
冒険者達に取れる最善手は何だっただろうか。
武器を構え、ネールに立ち向かおうとした者も居たが、そいつは剣の間合いの内側に入り込まれてあえなく死んだ。これで三人目。
続いて、ネールが三人目を殺すことを見通して、その三人目ごと斬り捨てるような太刀筋で剣を振り下ろした奴が居たが、ネールは見えてもいないであろう背後からの攻撃をあっさりと躱して、そいつの脚の間を潜って背後へ回る。
そのついでに脚の腱を切って動けなくしておいてから、ぴょん、と跳び上がって延髄を斬り裂いた。これで四人目。
「く、くそ!話が違うぞ!?商人一人とガキ一人じゃなかったのかよ!」
「こいつ化け物か!?く、来るなぁああ!」
そうして立て続けに四人死んだところで、冒険者達の内の三人が逃げ出した。
「お、おい!金の分は働け!待て!」
……どうやら、ランヴァルドを殺そうとした例の冒険者以外は、金で雇われた連中らしい。
大方、ハイゼオーサでたまたまランヴァルドとネールの情報を聞きつけて、慌ててかき集めた護衛なのだろうが。ああして逃げられているのだから世話の無いことである。
「おっと。逃がさねえぞ」
だがランヴァルドはここで容赦してやるつもりは無い。即座に矢を放って、元来た道を逃げようとした冒険者の背中に矢を命中させてやった。……どうやら、まだまだ弓の腕は衰えていないようである。まあ、運が良かっただけにも思えるが。
すると、逃げかけていた残りの二人は、反対方向に向かってまた逃げ始めた。つまり、遺跡の最深部である。
ランヴァルドが射殺した五人目に続いて、ネールがこちらで六人目と七人目を殺していた。残り三人、かつ二人は奥へ逃げている、という状況になったところで……逃げ損ねた一人が、武器を捨て、床に膝をつき、額を床に擦り付け始めた。
こいつはどうやら、ランヴァルドを追っていた本人であるようだ。
「わ、悪かった!もうお前達を狙うことはしない!だからどうか、見逃してくれ!」
……そして、どうやらここに来て、命乞いを始めたらしい。
ランヴァルドは少し考えた。が、結論はすぐに出る。
にやり、と笑って……剣を抜いて、その剣を冒険者の首に突きつけつつ、言ってやった。
「金貨五百枚」
「……へ?」
「返してくれたら、見逃してやってもいい」
顔を上げた冒険者の目玉を狙うように刃の先を動かして、ランヴァルドはにやりと笑いかけてやるのだ。
金貨五百枚。
ランヴァルドが奪われた積み荷の仕入れ額だ。つまり、こいつがランヴァルドから奪った財産の額。
「ああ、いや、やっぱり金貨五百十五枚だな。お前達に負わされた怪我の治療に最高級の魔石を使ってるからそれで金貨二枚。お前達のせいで回り道する羽目になったからかかった宿代と馬車代で金貨一枚。この俺の時間を損失させた分、金貨二枚。で、契約違反の埋め合わせとして金貨十枚だ。どうだ?かなり良心的だろ?」
いっそにこにこと上機嫌にも見えるであろう笑顔でランヴァルドがそう問いかければ、冒険者は碌に分かっていないだろうに、何度も頷いた。
「か、返す!勿論だ!すぐに返す!」
「そうか。じゃあ渡してもらおうか。金貨五百十五枚だ。ほら。そこに出せ」
……だが当然ながら、冒険者がそんなに大金を持ち合わせているわけがない。
ランヴァルドから奪った積み荷は金貨五百枚に足りない額で適当に売ってしまったのだろうし、その後、仲間五人で山分けして、どうせ飲み食いか女かに大分使ってしまったのだろう。
それでも余った分は、今、ここで死体となってしまった連中を雇うために払ってしまったのだろうし……要は、金貨五百十五枚なんて、持っているわけがないのだ。
「今はそんなに持ってるわけないだろう!だが、戻ったら必ず返す!だから……!」
「そうか。後払いか。……だが、分かっていると思うが、後払いっていうのは借金だ。誰だって、返す信用がある奴にしか金は貸さないもんだ」
ランヴァルドは冒険者を見下ろしながら、その藍色の目を細めた。
「お前は俺を裏切った。契約書も前金も、反故にしやがった。ついでにこれから金貨五百枚稼げるアテがあるとも思えない。……信用なんか今更あったもんか」
す、と動かした剣が、冷たく青白く光を反射する。それを見た冒険者は、その一瞬の間に様々な逡巡を抱えただろう。……だが。
「まあ、俺は慈悲深いからな……」
ランヴァルドはそう言いつつ、まるきり慈悲深さなど感じられないような笑みを浮かべた。
「魔物が湧き出るところに、脚の腱を斬った状態で放置するような、残酷な真似はしないでやる」
一瞬、冒険者は期待に満ちた目を向けた。……だが。
「すぐ死なせてやるからな」
彼が最後に見たのは、ランヴァルドが容赦なく振り下ろした剣の輝きだったのである。
「はあ、ったく。頭が悪い奴ってのは本当に救いようがねえな」
ランヴァルドは嘆息しつつ、剣に付着した血を冒険者の衣類で適当に拭った。
人を殺したことが無い訳ではないが、多少は動揺もする。震える息を意識して長く吐き出して、ランヴァルドは剣を鞘に納めた。
「ネール。怪我は?」
そうしながらネールへ声を掛ければ、ネールはランヴァルドを見つめて、こくん、と頷いた。まあ怪我などしないだろうな、とランヴァルドは当たり前に思った。
……さて。
「さっきあっちに二人逃げ込んだんだったか。魔法仕掛けの品を壊すようなことになってなきゃいいが……」
残り二人も片付けておいた方がいいだろう。そうせずにいて、また逆恨みから追いかけられるようなことは御免だ。
……第一、ここは他人の目の無い場所だ。そして、ランヴァルドは決して、善人ではない。よって、殺人を躊躇うつもりは、無い。
……よって、あと二人。
あと二人、まだ始末しなければならない奴が残っている。
「奥に逃げ込んだよな」
ランヴァルドが呟けば、ネールがこくりと頷いた。ネールもまだまだやる気であるらしい。もしかすると、ランヴァルド以上に。
「よし。じゃ、残りもやっておくか」
ランヴァルドはネールの様子に嬉しいような心配なような、複雑な感情を抱きつつ、遺跡の最深部へと向かっていくのだった。
古代遺跡の最深部には一体何があるのかと思えば、そこはだだっ広い空間であった。
天井は高く、聳える柱は太く、王宮のダンスホールもかくやといった広さである。ランヴァルドはそれに少々驚いた。だが、この部屋で最も見るべきものは、部屋の最奥の壁面にあった。
壁一面に広がるそれは、ランヴァルドも知識でしか知らなかったが、恐らくは……。
「古代魔法の、装置……?」




