最後の休暇*7
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「背嚢はそれでいいのか?もっと軽くて容量が大きいものもあるんだぞ」
ランヴァルドがそう尋ねてくるのに、ネールはちょっと考える。
……旅立ちの準備をするにあたって、ランヴァルドが最初に購入を勧めてきたのが背嚢だった。
今、ネールが使っている背嚢は、ランヴァルドとお揃いの背嚢だ。ランヴァルドと出会って、最初にお店で買ったもの。ネールはあの時のことをよく覚えている。
……なので、ネールは新しく背嚢を買うことにした。
ランヴァルドとお揃いの、思い出のある背嚢が死者の国で一緒に消えちゃうのは、なんだか忍びなかったので。
「そうか。なら、これがいいな。ドラゴン革だから丈夫だ。それでいて、翼の部分の革だから軽い。こいつは鞣しの技術が高い職人が作ったものだな。鞣し方によって、翼の皮膜はこういう丈夫なものにも、もっと薄く柔らかく繊細なものにもなるんだ」
目の前の背嚢の説明を聞きながら、ネールは『そういえばこれの原料になるドラゴンは自分で狩った気がする』と思った。……案の定、ランヴァルドは『ところでこのドラゴン革はお前が狩ったドラゴンの革だぞ』と笑って教えてくれた。ネールはちょっと誇らしい!
「背嚢を買ったら次は着替えか?……丈夫で乾きやすいものがいいな。それでいて、死者の国は寒いというから……できるだけ、温かい恰好をしていけ」
続いて、着替えを買う。
とはいえ、これはほとんどランヴァルドが選んだ。『軽くて、温かくて、丈夫で、乾きやすくて……』とやっている様子を見て、ネールはぽかんとしながらもちょっと嬉しく思う。
ネールのために服を選んでくれているランヴァルドの様子は、見ていてちょっと嬉しいのだ。
そうしてランヴァルドは、てきぱきとネールの着替えを買った。早業だった。ネールは思わず拍手してしまった!
「そうだな、後は……火打石と小さな鍋くらいは持っていった方がいいな。火の熾し方は分かるか?」
続いて細々とした道具類を買いに行く。
火打石の使い方は、分かる。ランヴァルドがやっているのを何度も見ているし、ネールもやってみたことはある。
……死者の国は寒いというから、火を熾してあっためたら良いだろうか。まあ、やるだけやってみよう、とネールは思った。
「それから、手帳とペンか。……あんまり重くするのもよくないから、小さいのにしておこうか。ペンは炭で作ったものがいいだろう。あれは軽くて、インクの漏れだの詰まりだのも無いし……」
それから、紙とペン……ネールの言葉を買う。
……死者の国では、ティナがやっていたように、魔法を使ってお話しすればいいのだろうけれど。でも、紙とペンと文字は、ランヴァルドがネールに教えてくれた、ネールの言葉だから。だから、ネールは是非、これらを持っていきたいな、と思う。
心強いお守りになる。ランヴァルドとの思い出が、ネールのお守りになるのだ。
「手帳は好きなの選べ。ほら、これとかどうだ?表紙が藍色だぞ」
……ネールはにこにこしながら、手帳を選ぶ。どれも可愛くて、綺麗で、気になるのだけれど。でもやっぱり、ランヴァルドが勧めてくれた藍色の表紙の手帳が気に入った。
ネールはこれを、お守りにするのだ!
「さて。じゃあ食料だが……何日の旅程を想定するか、だな……」
細々と様々なものを買って、そうして最後に、食料を購入することになった。
とはいえ、これは中々難しい。食料というものは、何日分を用意しておくかによって分量が違うからだ。……ネールは、『何日ってことにすればいいだろうか』とちょっと困ってしまった。
「まあ……ひとまず、5日分くらいはなんとか用意しておいた方がいいな。水は向こうで調達するとして……乾物を中心にして、できるだけ軽くしよう」
ランヴァルドは、『干し肉と、押し麦と……』と、準備を始めた。それから時々、『これはネールが好きだから』と、干したベリーの小さな紙袋を足したり、『すぐに食べられるものもあった方がいいな。なら甘い方がいいか』と、ビスケットを入れたりしてくれた。
……死者の国では、そういうものも食べられるんだろうか。ネールはなんとなく、死者の国に行ったらお腹が減らなくなるような気がしているけれど……。
でも、ランヴァルドが『ネールが好きだから』と選んでくれたおやつを見たら、ちょっと食べたくなる気がする。ネールはまたにこにこした。
……と、こうしてお買い物は無事、手早く終了した。
なので午後は……のんびりすることにした。
ランヴァルドは、『ちょっと祭りの準備があるから出てくる。夕方には戻るから、飯は一緒に食うぞ』と言ってくれたので、ネールは1人、てくてくとジレネロストのお山を歩く。
お山には夏の花が咲いている。かつて見たそれと同じ花を見て、指先でつついて、ネールは懐かしく思った。
……このお山はかつて、ネールの遊び場だった。あの頃のネールはまだ魔法も使えなかったし、魔法というものがどんなものかすら、分かっていなかったけれど。
でも……なんとなく、このお山の中に入って、遺跡の近くで遊んで……そうしながら、ここに何かあるような気は、していたのだ。
そしてネールは、遺跡から染み出す魔力を浴びて大きくなった。気づいたら、周りの誰よりも魔力を持つ生き物になっていた。おかげでネールは強くなったし、『救国の英雄』なんて称号を貰ってしまったわけである。
……ネールは、魔物になっていてもおかしくなかった。
本当にそうなのだ。ネールは、英雄じゃなくて、魔物になっていたかもしれなかったのだ。
カルカウッドの魔獣の森の中で暮らしていたネールは、魔物みたいだったと思う。もし、強い人が魔獣の森の奥深く……ネールが寝床にしていた木の洞へやって来ていたら、ネールはそこで、狩られていたかもしれない。
……だから、ランヴァルドが拾ってくれてよかった。ネールはそう思う。
魔物が英雄になったのだ。ランヴァルドはネールに、人の役に立つ道を歩かせてくれた。魔物として利用する道も、あっただろうに。
……そう考えていたら、ふと、ネールはランヴァルドに会いたくなってきてしまった。
でも、ランヴァルドは今、お仕事中である。ネールの為に明日、お祭りを挙行しようというのだ。当然、とてつもなく忙しいのだろう。
……でも。
この7日間は、最後なので……これで最後にするから……どうか許してね、とネールは思う。
そうと決めたら、ネールは速い。ランヴァルドの執務室、つまり古代遺跡に向かって、飛ぶように駆けていくのであった!
「ん?どうしたんだ、ネール」
ランヴァルドは執務室で、忙しそうにしていた。だというのに、ネールが顔を出した途端、ペンを動かしていた手を止めて、ネールに『ほら』と手招きしてくれる。
ネールは嬉しくなって、ぱたぱた駆けていって、そのまま、ぴょこ、とランヴァルドに飛びついた。ランヴァルドはそんなネールを受け止めてくれる。
そのまま、すりすり、とランヴァルドの胸にすり寄れば、ランヴァルドはネールの頭を撫でてくれた。……嬉しい!
ネールはしばらく、そのまますりすりやって、撫でられて、なんだか幸せな気分になる。こうやって、受け止めてくれて、抱きしめてくれて、自分のことを見てくれる人が居るということは、嬉しいことなのだ。ネールがずっと忘れていたそれを、ランヴァルドが思い出させてくれた。
……思い出さない方が、楽だったのかも。
死者の国へ行くネールには、きっと、その寒さが酷く堪えるだろう。温かさを思い出してしまったから。
「ご機嫌だな、ネール。ま、折角の休暇だ。楽しくやってくれ」
……でもやっぱり、ネールは後悔しないのだ。そう、決めたのだ。
ネールはランヴァルドを見上げてにっこり笑って、また、てててて、と遺跡を出ていく。
短い夏を謳歌するが如く、この一日を、この一瞬を、楽しくやるのだ。
……その日の夜、ネールはなんだか寝付けなかった。
明日だ。明日で、おしまい。……そう考えたら、もったいなくて眠れなくなってしまった。
眠らないと、もっと勿体ない。明日はお祭りだし、そのためにランヴァルドだって頑張ってくれたのだし……。
眠らなきゃ、眠らなきゃ、とネールは目を閉じる。眠るために呼吸を整えて、気持ちを落ち着かせて……。
「どうした、ネール。寝付けないのか?」
……そうやっていたら、ランヴァルドが隣でもそもそと起き上がる。起こしちゃっただろうか、とネールが心配していると、ランヴァルドはにやりと笑った。
「実は、俺もだ。……いっそ、一緒に夜更かしするか」
寝巻の上にケープを1枚引っかけて、ネールはランヴァルドと一緒に外に出た。
夏であっても、夜は涼しい。ケープを羽織ってきてよかったな、と思いながら、ふと空を見上げて……。
「今夜はよく晴れてるな。星がよく見える」
……濃紺の空に光る星を見て、ネールは『ほわ』と息を吐き出した。とても、綺麗。
「星の見方も、お前に教えておくべきか?星は太陽みたいに時間で動くから、動かないただ1つの星を見つけるんだ。そうすれば方角が分かる」
ネールは『アレだ』と教えられた星を見る。……正直なところ、よく分からない。星が動いている、と言われても!
それでも折角だから、覚えておきたい。ネールは一生懸命、夜空に目を凝らして星を見つめて、『動いてるんだろうか』とじっと考えて……。
……そうしていたら、明らかに動いている星が、すっ、と夜空を横切って行った。
「ん?今の、流れ星か」
ネールも、流れ星くらいは知っている。見たのは初めてだけれど、聞いたことくらいはあるのだ。
「折角だ。願掛けでもしておくか……」
そして、何やらランヴァルドが祈り始めると、また、すい、すい、と夜空を星が流れていく。今日はいっぱい星が降る日のようだ!
……なので、ネールもお願いすることにした。『ランヴァルドがいつまでも元気で、幸せに居られますように』と。ネールが返しきれないものを、お星様がちょっと肩代わりしてくれたら嬉しいな、と思って。
お願いし終えて、ふと隣を見ると、ランヴァルドはまだ、目を閉じて何かお祈りしていた。とても、真剣な顔だった。
そんな横顔を見つめていたら、ふ、とランヴァルドは目を開いて、ネールに気付いて笑った。
ランヴァルドが空に視線を戻すのを見て、ネールも空に視線を戻す。
時々、すい、と星が夜空を横切っていくのを見て、ああ、綺麗だなあ、と思った。
「さて……予期せず丁度縁起のいいものも見られたことだし、夜更かししてよかったな」
ネールはこくりと頷いて、それからふと、『寝ちゃったら勿体ない』という気持ちが和らいでいることに気づいた。
流れ星まで見つけたんだから、もう勿体なくない気がする。それに、お星様にお願いしたんだから……心配なことなんて、もう無いのだ。
……だから、もう、眠れそうだ。
「そろそろ寝るか?よし。そういうことなら運んでやろう」
ネールはほっとしながら、ランヴァルドに抱えられてベッドまで運ばれる。温かい腕の中で、とろり、と瞼が重くなってきて……なんとも贅沢な入眠だった。
そうして、最後の日が始まる。
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書籍2巻が明日発売です。よしなに。




