最後の休暇*6
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「そっち前方に見えているのはブラークロッカの花畑だ。今年の花の時期が終わったら、来年に向けて整備を行う。そっちはアスターが植えてある。今はまだ、花の盛りじゃないね」
マティアスの説明を聞きながら、ネールは『ほわあ』と感嘆の息を吐いた。
……広大なお花畑が、ここにあるのだ!
ブラブローマの名物であるという青い花……ブラークロッカの花畑は、まるで妖精でも住んでいるのではないかと思われるような、幻想的な眺めだった。
空とも違う青色を見て、『これはこれで綺麗』とネールは感心した。世の中には沢山の青色があって、それぞれに美しいものなのだ。
無論、一番綺麗な色はランヴァルドの目の藍色だと思うが。次点がネールのペンダント。その次はネールのお家のお屋根と、ランヴァルドの執務室の絨毯である!
「咲く時期が異なる花を同じ場所に植えているのか」
「完全に区分けしてしまうことも考えたが、そうなると時期によって目の行き届かないところができるだろう?そうなると宿や飲食店に閑散期と繁忙期が生じて効率が良くない。そもそも、地域によって人が寄り付かない時期があると、領内全体の治安の低下にも繋がるし、効率も悪いからね」
「すっかり領主様だな……」
マティアスはすっかり、ブラブローマ領主代理として板に付いてきてしまっているらしい。ランヴァルドが感心して、マティアスは『そんなつもりはなかったんだけどな』と苦い顔をしている。褒められたんだから胸を張ればいいのになあ、とネールは思った。
「まあ……後は、観光業に力を入れてばかりはいられない、ってとこか?」
「そうだね。農地をおろそかにはできない。いくら観光業で他領から外貨を稼げたとしても、食料供給の全てを他領からの輸入に頼るわけにはいかないからね。……だがこのブラブローマは、お貴族様が物見遊山にいらっしゃる土地だ。だから、農地の一部は観光地として整備していく予定だ」
ランヴァルドが少しつつくと、マティアスは嫌がっている割に、ちゃんとブラブローマの計画を話してくれる。他に話す人が居ないんだと思う。ネールは、『ランヴァルドが居てよかったね』とマティアスに対して思った。
「『豊かな自然の中で営まれるのどかな農村の暮らし』を見学できるようにするのさ。無論、観光地として清掃や整備を行って、見苦しいものは一切排除する。……お貴族様はそういうの、好きだろ?」
「……まあ、好きな奴、居るよなぁ。特に所領を持たない都市部の貴族なんかには、大人気だろうよ」
「だろう?全く、貴族連中は実に悪趣味だ」
「その悪趣味を金儲けのタネにしようとしてるお前も大概だぞ、マティアス」
……ネールにはよく分からないが、マティアスは大概らしい。ネールはそこだけ覚えた。マティアスは、大概。
そうして、マティアスに花の説明を聞いたり、ランヴァルドが商売の案を話すのを聞いたりしながら、馬車はブラブローマを進んでいく。
途中、何台かの馬車とすれ違った。どれも貴族の観光用のものだろう、と思っていたら……そればかりではなく、庶民が乗る乗合馬車もそれなりにあった。
「庶民向けにも観光をやってるのか?」
「そんなわけ無いだろ?庶民にそんな余裕は無いさ。こっちとしても、金にならないことをやる気は無いんでね」
マティアスはランヴァルドの疑問を鼻で笑ってそう言う。ネールは、『ちょっと悪徳商人っぽい』と思った。
「ただ、観光地の整備にも運営にも人手は要る。そいつらを働かせるとなったら、そいつらの移動や輸送のために馬車を動かした方が効率がいいからそうしているだけさ。人通りが多ければ、その分治安もよくなることだしね」
……ランヴァルドはネールの耳元で、『マティアスはどうやら、庶民に優しく領地への投資を惜しまない名君になりつつあるぞ』と囁いてきた。ネールは、なるほど、と頷いた。
そうして、マティアスに案内してもらって花畑を眺めて、新たに施工されている途中の噴水を眺めて、『観光地なんだから食事処くらいは用意するさ』と言うマティアスと一緒にお花畑の真ん中にあるお店でご飯を食べた。
「……洒落てるな。珍しい」
お店でのご飯は、本当に『洒落てて珍しい』ご飯だった。なんと……ご飯が、お花である!
サラダの上には花びらが散らされていて、色鮮やかだ。食べてみると、シャキシャキしていて、ちょっぴりほろ苦い。不思議な味だ。
パンは木の実やベリーが練り込まれたもので、見た目にも賑やか。添えてあるのはジャムなのだけれど、これはベリーと野薔薇の花で作ったものらしい。いい香りだ!
そして白身のお魚のフライには、綺麗な黄色いソースが掛かっていて……なんと、これは野菊のソースらしい!お花がこうなるなんて、ネールは思ってもみなかった!
「そうだね。『洒落ていて、珍しい』。それで十分さ。観光地の食事なんて、2度3度と食べるものじゃないだろ?」
「いや、味も悪くないぞ」
「悪評にならない程度にはしておかないといけないからね。それくらいは気を遣う」
マティアスは綺麗な所作でご飯を食べる。ランヴァルドも難なく、マティアスと同じくらい綺麗に食べる。……ランヴァルドの方が、自然な風に見える。マティアスのはちょっとわざとらしい。成程、こういうところに『所作の美しさ』というものが出るんだな、とネールはまた一つ賢くなった。
「食後には花とハーブのお茶を出す。蜂蜜で甘みを足して……ん?何か思うところでも?」
……一方で、お花のお茶については、ネールはちょっと……思い出が、あるので。ちょっとだけ、妙な顔になってしまう。
ウルリカは……あの時、何の躊躇いもなくお茶に薬を盛ったウルリカは、今、どうしているだろうか……。
美味しいごはんを食べて、お腹いっぱいになって、ネールは『お花も美味しいものだなあ』とまた賢くなって……そんな折。
「ああ、ところでマティアス」
ランヴァルドが、そう言ってマティアスににやりと笑いかけた。
「お前、暇か?」
マティアスは、ものすごく迷ったようだった。
多分、『暇じゃない』と言ってしまうと、『領主だもんな』と言われてしまうから嫌だったんだと思う。でも、『暇だ』と言ってしまうと、嫌なことに巻き込まれそうな気がしているんだとも思う。
「……ああ、暇だね」
だが結局、マティアスはそう言ってのけた。ネールは『思い切りが良い!』という気持ちを込めて、拍手を送っておいた。
「そうか。暇か。まあそうだよな。名目だけの、お飾りの領主代理なわけだし、本来、お前はブラブローマの行政に携わる必要なんざ無い訳だし……」
ランヴァルドはちょっとわざとらしくそんなことを言って、頷いて……そして、警戒するマティアスに、言った。
「なら、2日程度、付き合ってくれるな?」
「……は?」
「ジレネロストに来てもらうぞ」
「え?」
……マティアスは、『流石にそれは予想していなかった』とばかりの、ぽかんとした顔をしていた。
ネールも、ちょっとぽかんとしている!
マティアスをジレネロストに呼んで、何をするのだろうか?
「ああ、ネール。お前にも内緒にしてたことがある」
ネールがぽかんとしていると、ランヴァルドはネールにもにやりと笑いかけて……そして、言ったのだ。
「ジレネロストのお祭りだが、明後日……お前の休暇の最終日に、開催するぞ」
聞いてない!聞いてない!今知った!そしてネールは……『聞いてない!』の驚きが通り過ぎて行った後……嬉しさでいっぱいになってしまう!
「折角だ。ま、明日はのんびり過ごすにしても、明後日は楽しくやろう。ジレネロスト復活後最初の祭りだからな。ついでに、イサクさんとアンネリエさんに頼んで、王城や王都にはもう、宣伝が回ってる。ステンティールの面々には招待状を出した。当日の朝に遺跡経由で迎えに行くぞ」
ああ。ネールは今、とっても嬉しい。
お祭りは楽しみだ。とっても楽しみ。イサクやアンネリエ、ウルリカやエヴェリーナや、エヴェリーナのお父さんに会えるのも、楽しみ!
……でも、楽しみなだけじゃないのだ。
ネールが何より嬉しいと思うのは……お祭りそれ自体じゃなくて、ランヴァルドがお祭りをネールの最後のお休みの日に間に合わせてくれたことだ。
ランヴァルドが、ネールを愛してくれていること。それが、何より嬉しい。
……嬉しくて、ちょっぴり申し訳ない。
「ドラクスローガにも宣伝を出してある。遺跡経由で連れてくることになるからな、ネール。お前にも働いてもらうことになるぞ」
ネールはこくり、と頷いた。ネールのために、沢山頑張ってくれているランヴァルドに応えたくて。
「おお、やる気だな。よしよし。その調子だぞ、ネール」
ネールはにっこり笑って、ランヴァルドに飛びつく。きゅう、とくっついて……そして、決意を新たにする。
絶対に、この世界を寒くなんてさせないぞ、と。
……この世界も、ジレネロストも、お祭りも、ランヴァルドも……ネールが守るのだ!
その日の内に、ネールはジレネロストへ帰った。マティアスも一緒である。
「いやあ、客間を用意しておいてよかったな。ということでマティアス。ここがお前の部屋だ」
「……ベッドしか無いみたいだね」
「本来、お前の部屋は牢屋だろ。つべこべ言うな」
……ネールのお家には、ネールのお部屋とランヴァルドのお部屋しかないので、マティアスには遺跡に用意した客間に泊まってもらう。
が、客間はまだ、諸々の準備ができておらず、とりあえずベッドが置いてあるだけである!
マティアスはぶつぶつ文句を言っていたけれど、ネールは『元気出してね』と、マティアスの背中をぽふぽふ叩いておいた。マティアスは何とも言えない顔をしていた!
「さて……マティアスはさておき、準備することが山ほどあるな」
マティアスをベッドに放り込んだランヴァルドは、そう言って指折り数え始める。
「祭りも大事だが……まずは、ネール。お前が『死者の国』へ行く準備からだな。食料も水も、必要だろ?他に、着替えとか……」
ネールはぽかんとした。
……『死者の国』へ行くための準備なんて、考えていなかった!
そもそも、死者の国では食料とかお水とか、必要なのだろうか!ネールは不思議に思う!
「ま、お前は小さいからな。お前が運んでいて苦にならない程度の重さに収まるように荷造りしなきゃいけないわけで……忙しくなるぞ」
……ランヴァルドは何も知らない。だからネールの旅の準備をしよう、と思うのだろう。
だからネールは、にっこり笑って頷くことにした。
……折角だから、こういうのも悪くないか、と思って。
まるで、旅に出て、その後ちゃんと帰ってくるみたいにするのも、悪くない。悪くないと思う。
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