氷晶の洞窟*3
古代文明、というものについては、多少なりとも学ぶ機会があった者ならば誰でも知っている。
『今はもう失われてしまった高度な技術を持つ人々が暮らしていた時代』があったことくらいは、御伽噺の類でも伝え聞くことが多いだろう。
そう。かつて存在したというその時代……人々は当たり前に魔法を使い、高度な技術を用いて、今からは考えられないような繁栄の時代を築いていたらしい。
だが、その時代は唐突に終わった。
どうやら、当時の中心地が何らかの事情で滅びたらしいのだ。原因は分からない。そんなものは残っていないが、流行り病によるものだとも、魔物に襲われたのだとも、自らが築いた文明によって滅びたのだとも言われている。
そして、地方で生き残った人々には、技術も知識も、ほとんど無かったらしい。一度生まれた技術も知識も、それらのほとんど全てが土や雪の下に埋もれていき、生き残った人々が再び築き上げた素朴な世界が広がっていき、今に至る。
今ではすっかり失われてしまった旧文明の技術や知識だが、それらが遺跡などから出てくることも、ままあった。
魔法を使える人間は今や、然程多くないが、魔法を用いた道具の類は、都市部では当たり前に流通している。そんな道具の類は、遺跡から出てきた旧文明の品を研究し、現代に蘇らせたものであることが多い。
例えば、魔石を置くだけで光が灯るランプは、煤が出ないことやその美しさ、明るさから、王宮や貴族の邸宅で重宝されている。
他にも、現在の王都は古代文明の遺跡の機構を用いて整備されているらしく、町中に水道が引かれているのを見たことがある。
後は、学者達がこぞって古代文明の魔法を研究しているのを見たこともある。現代では失われてしまった大規模な魔法が、古代文明には存在していたそうだ。
天候を操って雨を局所的に降らせる魔法で農業を助けていただとか、光を集めて剣と成したもので凶悪な魔物を屠っただとか、魔物が立ち入れない『聖域』を築き上げただとか……。
半ば御伽噺のような『伝説』の中には、そんな情報が残っている。
そんな曰く付きの『古代文明』であるが、その遺跡が今、目の前にある。
ランヴァルドの知識の中には、こんなところで古代文明の遺跡が見つかったという情報は無い。つまり、この遺跡は未だ誰も踏み入っていない、新発見の遺跡である、と考えられる。
……少し迷った。あのゴーレムも、この中から出てきたのだろう。となると、まだあのゴーレムの仲間が、この奥に潜んでいるかもしれないのだ。
だが同時に、旧文明の遺跡ともなれば……現在には残っていない魔法の代物や、高価な財宝の数々が眠っている可能性が高い。
未だ誰も入っていない場所であるならば、猶更だ。ランヴァルドが誰よりも先に、その財宝に辿り着くことができる!
「……行ってみるか」
そうしてランヴァルドは、欲望に負けた。一度引き返して領主に報告を、と考えないでもなかったが、やはり、この遺跡をそのまま明け渡すような、そんなお利巧さんな真似をしてやるほどランヴァルドは善良ではなく、無欲でもないのだ。
「ほら、この奥に魔物が居るかもしれないからな。その魔物が出てきちまったら、多くの人が困るかもしれない。だから一応、見に行こう。な?」
ついでに、ネールにはそう言って誤魔化す。ネールを機嫌よく動かすには、こうした優しい大義名分の方がいいような気がしたのである。なんとなく、だが。
すると案の定、ネールは意を決したように大きく頷いて、やる気いっぱいに歩き出した。寒いだろうに、それを感じさせないほど力強い歩みである。
ランヴァルドは『まあ、魔物が出てもネールが居るしな』ということで……ネールの後に続いて、古代遺跡へと足を踏み入れていくのだった。
古代遺跡の中へと足を踏み入れていくと、やはり、人工的な建物の一部なのだな、ということがよく分かる。
天然の洞窟にはあり得ない、直角に曲がる通路も。しっかりと積み上げられた石材の壁や天井、床も。精緻な彫刻を施された柱も、全てが、人工物の証である。
そして、未だ動いている魔法仕掛けのランプの光を見るだけでも、ここが古代遺跡であることが分かる。誰にも見つからないまま、ここで長い長い時を経て、尚、これなのだ。古代文明とは果たして、どれほどの技術を擁するものだったのだろうか。
「おい、ネール。行くぞ」
ネールは後ろを振り返って立ち止まっていたが、ランヴァルドはネールを呼び寄せて、遺跡の奥へと進んでいくのだった。
「ははは……まさか、こんなに魔物が出てくるとはな……」
ランヴァルドは乾いた笑い声を上げつつ、たった今、ネールが屠ったばかりの魔物の姿に圧倒される。
……ネールは、文字通り、魔物の死体の山の上に居た。そう。山である。山ができた。魔物の死体で!
当然のようにゴーレムも出てきたが、それはそう数も多くない。魔物の大半は、然程大きくないものだった。人間の乳児程度の大きさの蝙蝠だとか、ネールの頭くらいの大きさの鼠だとか。
大方、この古代遺跡に潜り込んだそれらがこの辺りの魔力に中てられて変質したものだろうが……それにしても、数が多い。それだけこの辺りには魔力が濃い、ということなのだろうが。
「……このネズミ共の毛皮を剥いでやったら、それなりに売れそうだな」
ランヴァルドは冷静に検分しつつ、そんなことを言ってみる。実際、大鼠の毛皮は中々悪くなかった。まあ、これを持ち帰るなら、帰路に着いた時、ということになるだろうが。
「この辺りの魔物は居なくなったか……。よし、行くぞ」
一応、逐一魔物は全て狩って進んでいる。帰路の確保は大切であるし、何よりも、持ち帰る『商品』の総量は把握しておくべきだ。
どれをどの程度の量持ち帰るのか。それをきっちり見定めてから、採取に臨んだ方がいい。まあ、今のところ、ゴーレムの水晶の方が価値が高そうなので、持ち帰るのはアレ優先、という事になるだろうが……。
更に奥へ進んでいくと、より大きな種の魔物が出てくるようになった。
それこそ、大鼠や大蝙蝠といった魔物ではなく、霜鴉や空魚まで出てくる始末である。
空魚は文字通り、空を泳ぐ魚である。何か動物が変質して魔物になったものではなく、純粋に魔力から生まれ出た魔物の代表例だろう。
体は然程大きくないが、すばしこく、鰭が鋭い。ただ無邪気に泳ぎ回るだけで人間を殺せる空魚は非常に恐ろしい魔物なのだが……まあ、それもネールにかかれば、あっという間に三枚おろしだ。
「……残念ながら、空魚は食えないぞ」
空魚の中骨を綺麗に外してにこにこしていたネールにそう告げると、ネールはなんとも悲しそうな顔をした。食べたかったらしい。
しょんぼりしてしまったネールを見て、ランヴァルドは罪悪感に駆られないでもない。ランヴァルドはまるで悪いことはしていないのだが……。
「空魚で採取すべきなのは、この鰭だな。綺麗だろ。あとは大きな空魚が居たら、そいつの骨が軽くて透き通って丈夫なもんだから、あちこちに使われる。肝も薬になるからな。干しておけば日持ちもするし、優秀な換金材料だ」
ランヴァルドはそう説明しつつ、続いて霜鴉の白い羽について説明しようとし……そこで、ネールの腹が『きゅう』と鳴ったのを聞いた。……まあ、だからこそ、ネールは空魚を食べようとしていたのだろうが。
「……腹が減ったなら休憩するか。もうそろそろ、最奥だろうしな」
仕方なく、ランヴァルドはそう提案して、ネールと共に休憩を摂ることにしたのだった。
休憩するにあたってランヴァルドが何より先に行ったのは、火の確保であった。何せ、ネールが少々寒そうだったのだ。
遺跡の中に入ると、流石に多少、気温が上がったように感じられた。湧き水から離れていけばまあ、当然だろう。
しかし、地下に埋もれた石造りの建物、となると、やはりどうしても、冷える。……ランヴァルドは、『俺の寒さの基準でネールのことも考えたらまずかったな』と少々反省していた。
何せ、ランヴァルドは北部も北部、この国で最も寒さが厳しいとされるファルクエーク領の出身である。
一方のネールは……まあ、出身がどこかは分からないが、大方、南部のどこかだろう。
南部は北部と違って、小麦が年に二回作れるし、葡萄も栽培できる。そのくらい暖かい地域の人間が、北部の端で生まれた人間と同じ感覚で暑さ寒さを感じ取る訳が無かったのだ。
ついでに、ネールは体も小さい。これでは、自らを温める熱を発する能力も低いだろう。だからこそ、焚火を熾してやりたかったのだ。
……とはいえ、この辺りで燃やせる薪の類など見つかる訳もない。ではどうするかといえば……。
「やっぱりな」
ランヴァルドは遺跡の通路の行き止まり……落盤か何かで埋まって潰れたらしいそこを探して、にやりと笑った。
案の定、そこには大鼠や霜鴉の巣があったのである。
体躯の小さな彼らは魔力に引き寄せられてここまでやってきたのだろうが、彼らとて巣材の一つも落ちていない遺跡の中では生きていけない。
当然、迷い込んできたからには人間が通れないほどの小さな隙間があるもので、彼らはそこから通って地上へ出て、そこで手に入れた巣材を持ち帰っては巣を作っていたのだろう。
……ということで、巣に使われていた枯れ枝や樹皮の繊維などを使って、小さいながら焚火を熾した。
巣材はすぐ燃え尽きてしまうようなものばかりではあるが、それなりに集まればそれなりに燃える。ネールが小さな手を翳して温まるには十分な大きさの火ができた。
ネールはそうして焚火で温まりつつ、ほう、とため息を吐いて、とろり、と笑みを浮かべた。暖かいのが好きらしい。ランヴァルドは『奇遇だな。俺もだよ』と思いつつ、持ってきていた食料をネールに渡してやった。
ヘルガが包んでくれたそれは、ハムやチーズを挟んだパンだ。ネールはパンを齧って、水筒から水を飲み、満足げにもむもむと口を動かしている。
ランヴァルドもネールと同じものを食べながら、焚火で少々の暖を取る。小枝ばかりの焚火は、世話が面倒ではある。すぐ燃え尽きてしまうところへ次々に小枝を放り込んでいかなければならないためだ。
だが、こんなものでも暖を取れるのだから文句を言うことはできない。
「ここまで、碌に財宝が無かったからな。最深部には期待したいところだが……」
ランヴァルドはそう呟いて、遺跡の奥の方へと視線をやる。
……遺跡の奥の方からは、何か、魔力の気配も強く感じる。古代魔法仕掛けの品があるか、はたまた、強い魔物が居るか。
前者ならばそれを持ち帰れば簡単に大儲けであろうし、後者であればネールが倒してその素材を剥ぎ取って持ち帰る。どのみち稼げることに違いはない。これはいよいよ期待できる、だろうか。
「あんまりにも高価なモンだとどこにも売れなかったりするが、今回は領主様からの直々のご命令だからな。買い手には不足しない。最高だな」
何より、今回とても良いのは、領主バルトサールが居ることだ。つまり、金を持っていることが明らかに分かっている者に高価な代物を売りつける機会を得られる、ということである。
買い手不足はいつでも商売の悩みだ。貴重なものであればあるほど、高値が付く一方で買い手は少なくなっていく。だから、貴族との繋がりは欲しい。
今回、領主バルトサールから『名誉』の白刃勲章を賜ったなら、いよいよ、貴族相手に商品を売り込むことも可能になってくる。
ランヴァルドが『名誉』を欲したのはまあつまり、そういうことだ。より金を稼ぐためにも、『名誉』は必要なのである。
そんなことを考えつつ、ランヴァルドはにやりと笑った。望む未来は、近づいている。
……その時だった。
しゃ、とネールがナイフを抜く。ランヴァルドも、すぐさま弓を取って矢を番えた。
そうして武器を構えた二人が見据える先にはやはり、武器を構えた連中が居た。
「……なんだ?わざわざ追いかけて来たのか?そんなに俺のことが好きとはね」
ランヴァルドは軽口を叩きながら相手を観察した。
相手は、十人。中々の数だ。そして、その先頭に立っているのは……ネールが『殺し損ねた』例の冒険者。ランヴァルドを魔獣の森で裏切り、積み荷を奪ってくれた、例の連中の生き残りであった。