欲張る*1
そうしてイサクと共に作った報告書が、ひとまず国王の目に触れることになった。
ランヴァルドはネールと共に、王城で暫しの待機である。
「あー……大変なことになってきたな、ネール」
ネールにそう声をかけると、ネールはこくん、と頷いて、それから、そっとランヴァルドに寄り掛かって、すり、とくっついてくる。
……だが、目が合わない。どうにも、浮かない顔をしている。
「……ネール?」
呼びかけてみると、ネールは、はっとした様子で顔を上げ、にこ、と笑って見せる。のだが……どうにも、無理をしている様子が否めない。
「……ネール。何か隠し事があるな?」
ということで早速、ランヴァルドはそう、ネールを問い詰めることになる。ネールは何やら『やってしまった』というような顔だが、ランヴァルドの目は誤魔化せない。
「なあ、ネール。お前が隠し事をするってことは……俺のためだな?」
……そう。
ランヴァルドの目は、誤魔化せない。
ネールが黙っているのなら、それは、ランヴァルドにとって不利益があるからだろう、と、ランヴァルドは確信している。
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ネールは困った。言いたくないのだ。
だが、ランヴァルドはもう、ネールがどうして黙っているのかも分かってしまったらしい。ああ、ランヴァルドは頭がいいから……。
ネールは俯き加減に、どうしよう、どうしよう、と考えている。
……古代人のあの子と、魔法でお喋りした時。筆談するよりもずっとずっと早く、多くのことをあの子から聞いた。
その中には、まだランヴァルドに伝えていない『死者の国』のお話もある。
だが……。
「……どうしても話したくないなら、それはそれで構わんが……できたら、話してくれると嬉しい」
顔を上げてみると、ランヴァルドもまた、困った様子だった。『無理に聞きたくはないが、聞かないことには話が進まない』ということなのだろう。それくらいはネールにだって、分かる。ランヴァルドがネールのことを分かるように。ネールも、ランヴァルドのことが分かる。
「なあ、ネール。どうだ?」
喋らないネールの頭を、ランヴァルドの手が撫でる。優しくて、あったかい手だ。とってもいい気持ち。だから、離れがたくて……手放しがたい。
でも、この手が失われるのは……ランヴァルドが、この世界が凍えてしまうのは、もっと嫌なのだ。
だからネールは、伝えることにした。
『わたしがいく』
ネールが書いた文字を、ランヴァルドは唖然として見ている。
『ひとりでいく』
……だが、ネールはもう、譲るつもりが無い。
これ以上教えることはできないし、ランヴァルドは、連れていけない。
あの子が言っていた『死者の国』は……古代遺跡で渦巻く吹雪が、常に吹き荒れているところらしい。
そして、その吹雪と溶け合った多くの魂……今までに死んだ数多くの人達の魂がいずれ還るその時まで、ずっと吹き荒れているそうだ。そう、あの子は教えてくれた。
あの子の仲間達……古代人達は他の魂と溶けあわない、『死者の国』に居るらしい。
生きている内から『死者の国』の魔力に触れすぎた者は『生ける死者』になって寒さを忘れてしまったから、『死者の国』に到達しても、他の魂のように混じり合って還っていくことができないのだそうだ。
だから今、『死者の国』は、あの子の仲間達によって統治されているらしい。
他の人達の魂は、あの子の仲間達によって利用されているらしい。形を与えられて、混じり合った中から取り出されて、死者の仲間が増えていくそうだ。
そして、『死者の国』はいよいよ力を増して、この世界を取り込みに掛かっているらしい。
そうなったら、ランヴァルドは勿論、この世界全体が危うい。
……だが、『死者の国』に行けるのは、ネールだけらしい。
ネールのように強い魔力を持つ者でもなければ、すぐに魂が溶けて混じり合ってしまうだろう、とあの子は言っていた。
同時に、ネールであるならば……『死者の国』の魔力の内、冷たさを除いたそれだけをたくさんたくさん浴びて育って、そして温もりを知っているネールであるならば……魂と吹雪が混じり合って吹き付けても、死者の魂が取り込もうとしてきても、残っていられるかもしれない、と。
……そしてネールならば、『死者の国』にもぬくぬくを届けられるだろう、と。そう、あの子は言っていた。
死者の国の古代人達が温もりを思い出せば、彼らはきっと、他の魂と同じように、溶け合って、自然と流れるものの中へと還っていけるだろう、と。
……そして、ネールならば……たとえ溶けてなくなってしまったとしても、『死者の国』にはぬくぬくが残るはずだ、と。
よって、ネールは1人で行く。
踏み入ったら死んで、溶けて、無くなってしまう。そんな場所に、ランヴァルドを連れてはいけない。
ネールは1人で行くのだ。そして……。
『ぬくぬくにしてくる』
……ネールは、己の名に刻まれた使命を、果たしに行くのだ。
「一人で……?おい、そりゃ一体、どういう……」
……ランヴァルドはやっぱり、困惑した顔をしている。
そうだよなあ、とネールは思う。ランヴァルドなら、こういう顔をするんだろうと思っていた。
ランヴァルドは今までだって、ネールを1人でどこかへやりはしなかった。ずっと、付いてきてくれた。
ランヴァルドは戦うのが得意じゃないのに。ネールの方が、ずっとずっと、戦うのが得意なのに。それでも。
……だから今回も、ランヴァルドはきっと、付いてきてくれるんだろうな、と思った。
特に、『常人が踏み入ればすぐさま魂が溶け出すような場所へ行く』などとネールが言ってしまえば、余計にランヴァルドは心配してしまうだろうな、とも。
だからネールは、言わない。
『死者の国』がどんな場所かは、言わない。
ランヴァルドが心配しないように。
……ネールが帰ってくると、信じていてもらえるように。
それから、イサクが賢者達に招集をかけて、翌日、会議が開かれた。
が、皆で『可能な限り死者の国の情報を集めましょう』『新たに手に入れた資料から推測できることがあるのでは』『古代文字の解析を急げば間に合う』などとわいわいやって、その日一日、皆で調べものになってしまった!
会議じゃない!
なのでしょうがない。ネールはもうちょっと、彼らに説明することになった。
『死者の国で溶け残っている古代人はぬくぬくを思い出せば溶けるらしい』と。
……余計に混乱を生んでいたが。でも、もっと詳しい説明をしようとすると、ランヴァルドの目が中々に厳しいので……しょうがないのである!
そうして二日目になって、また会議が開かれた。
今度はちゃんと会議になったけれど、結局、出てくるお話は同じものだ。
『死者の国がどのようなものかは分からない』。『でも、誰かが何かしなければならない』。
……そこでネールが『わたしがいく ひとりでいく ぬくぬくにしてくる』と書いた紙を見せれば、賢者達も皆、困惑しながら『それしかなさそうだ』と頷くのだった。
その日の夕方。ネールは、ランヴァルドとイサクと一緒に王様のところでお話しすることになった。
「……して、英雄ネレイア。『一人で行く』というのは、真か?」
王様に『わたしがいく ひとりでいく ぬくぬくにしてくる』と書いた紙を見せたネールは、こっくりと深く頷いた。
ネールは決心したのだ。この世界は……ランヴァルドは、ネールが守るのだ!
「そうか……」
王様はネールが書いた紙を見て、苦い顔で頷いた。
「……まあ、『死者の国』がどのような場所かはまるで分からんが、現状、誰かが何かの調査及び対策をせねばならぬ、ということは確かであろう。そしてそれを成すのであれば……今、この国で最も強く暖かい者が向かうのが適当であろうな。『温める』ことが解決策だというのならば、猶更だ」
そう言って、王様は小さくため息を吐いて……それから、玉座から下りてきて、ネールの手を、きゅ、と握った。あったかい手だ。
「救国の英雄ネレイアよ。貴殿の申し出に敬意を表する。だが……どのような危険があるかも分からぬ場所へ行くのだ。せめて、というのも厚かましくはあるが……褒美を取らせよう。何か、望むものはあるか?」
あったかい手に手を握られながら、ネールは考える。
……多分、『お金いっぱい!』とお願いしたら、ランヴァルドは喜んでくれると思う。ランヴァルドはお金が好き。ネールは知っているのだ。それで、ランヴァルドが嬉しいと、ネールは嬉しいのである!
それから『ジレネロストをよろしく』とお願いしても、やっぱりランヴァルドは喜んでくれると思う。それに、当然、ネールも喜ぶ。ジレネロストは、ネールにとって大切な、大切な場所だ。昔のネールの故郷であって、今のネールの故郷でもあるのだから。
でも……なんとなく、ネールはランヴァルドを見上げてみた。
……ランヴァルドはただ、『このままじゃいけない』というような、焦燥を滲ませた顔をしていた。ネールを見る目が、不安そうだった。
だからネールは、紙に文字を書いて、王様に見せた。
『おかね いっぱいください』
「褒賞か。無論、出す。前金として金貨500枚を出そう」
なんと!ネールは一気に大金持ちになってしまった!
金貨500枚というと、ランヴァルドがマティアスに盗まれたお金と同じ額だったはず。ネールは『とりもどした!』と、嬉しい気持ちになった!
『ジレネロストをよろしくおねがいします』
「うむ。貴殿の不在の間もジレネロストが安寧であるよう、助力しよう」
『ステンティールもおねがいします』
「うむ」
『ハイゼルのりんごのおにわと ドラクスローガと ファルクエークもおねがいします』
続いて、よろしくお願いしますのお願いもしてしまう。しかも、いっぱいだ!ネールは欲張りさんである!
「うむ……林檎のお庭?」
「あ、ああ、ネールが懇意にしている娘が居る、宿です。ハイゼオーサにあります」
王様はちょっと首を傾げていたけれど、『成程。まあ、善きように計らう』と約束してくれた。
……なので、『やっぱりブラブローマもよろしくおねがいします』と付け足してみた。ネールはマティアスがあんまり好きではないが、ランヴァルドは多分、マティアスが結構好きなので……。
……そして、欲張りさんなネールは、最後にこう、お願いするのだ。
『7日おやすみをください』
「……休暇、か」
ネールは頷く。
あんまりゆっくりしていられないことは、分かっている。
今すぐにでも、死者の国から死者が溢れ出してくるのかも。
でも……それでも、ネールは欲張ることにした。
多分、その方がランヴァルドが、安心できるから。
『あと ランヴァルドもください』
「は?」
……そう!欲張りさんなネールはご褒美として、最後にランヴァルドと過ごす7日間を貰うことにしたのだ!
欲張りさんなので!
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