決行*3
一刻後。
ランヴァルドが1人、遺跡の中、茶のカップを両手で包みつつ焚火をぼんやり眺めていると。
「……ああ、ネール。お前も休憩か?」
ネールがやってきて、こくこくと頷いた。どうやら、外では兵の交代があったらしい。勇ましい声が聞こえてくる。士気は十分、といったところか。
「お前も茶、飲むか」
ついでにネール用のカップも出すと、ネールは笑顔でこくこく頷いて、ランヴァルドの隣にぽすんと腰を下ろした。
そうしてネールがランヴァルドの隣にくっつくと、ぬくい。……冷える遺跡の中でも、ネールが居ると不思議と暖かくなってくるのだ。不思議なものである。
「お前が居るとぬくくて助かるよ」
鍋から注いだお茶をカップに注いでネールに手渡すと、ネールはちびちびと中身を飲んで、にこにこ笑う。お気に召したらしい。
「ところで、ネール。お前は休憩ってことでいいんだな?」
一応、ネールが交戦中ではないだろうな、と確認だけして、頷くネールに安堵する。これで『ところで外にはまだまだ魔物が居ます』とでも言われたら大変だった。
「そうか。俺はここに居るが、お前はちゃんと休める駐屯地に……えっ、もう潜り込みやがった」
……戦い続けていたネールの体調を思ってきちんと休めるようにと提案したものの、ネールは早速、ランヴァルドの寝袋の中にもそもそ潜り込み始めていた。ここで寝る気らしい!
「……まあ、お前がいいならいいが。だが、最低でも1週間は見ておかなきゃいけない戦いだぞ、これは。きちんと休めるように、自分でも気を付けて行動しろ」
ネールに一応言ってみたものの、ネールは『なので一番休めるところに来ていますが』とばかり、首を傾げているのである。
……まあ、ネールに四の五の言っても仕方がない。ランヴァルドは『ネールが寝るなら、俺も寝るか……』と、諦めて寝袋に潜り込むことにした。
そう大きくない寝袋の中、ネールとくっつき合って寝るとなると、まあ、ぬくい。
子供の体温というものは、大人より高いものなのである。それが懐に入っているのだから、まあ、ぬくい。
それと同時に……ランヴァルドは、どうも、じわじわと凍てついていた精神までもがぬくめられていくような、そんな感覚を覚えていた。
寝袋の中で、既に寝てしまったネールを起こさないように気を付けながら、そっと、手を握って、開く。
寝袋から手を出して、冷えた床に触れる。
……冷たい。
「……冷たいな」
すぐに手を引っ込めて寝袋の中にしまい込んだランヴァルドは、ネールよろしく眠ってしまうことにした。
……温かい。心地よい。そしてそう思っている内に、意識は途切れていた。
ランヴァルドが目を覚ますと、もそもそ、とネールも起き出した。
「ああ、おはよう……ん、何時だ?遺跡の中だと太陽が見えないからな、何時だか分からん」
ランヴァルドが寝ぼけながら寝袋を抜け出すと、ネールももそもそ出てきて、そして、てけてけてけ、と元気に遺跡の外へ走っていった。そして、てけてけてけ、と戻ってきて、床に『たいよう でてきた』と書く。
陽が出てきた時刻、ということは、まあ、そこまで寝過ごした訳ではないだろう。ランヴァルドはほっと息を吐き、早速、駐屯地から持ってきていた食料を焚火で調理し始める。
「ネール。お前もここで食ってくか?芋だが」
ネールに聞いてみると、ネールはこくこくと嬉しそうに頷くものだから、ランヴァルドは笑いながら早速、ネールの分も芋の準備を進める。
濡れた紙に包んだ芋を焚火の近くでじっくり焼くだけだが、まあ、これはこれで中々美味いのである。
……ファルクエークでネールが芋を必死に食べさせてきた記憶があるからか、ランヴァルドは以前より芋を好むようになった、ような気がする。自分でもよく分かっていないが。
芋のついでに簡単にスープの準備をして、鍋を焚火に掛けたところで一旦遺跡を出て、外の様子を確認する。
……すると、オルヴァーが居た。
「あっ、兄上!おはようございます!」
「お、オルヴァー!?お前、まさか、夜通し戦ってたんじゃないだろうな!?」
今回、兵の交代や実際の交戦については、オルヴァーに全て任せてある。ファルクエークの兵を率いる彼に任せるのが筋だろうと思われたので。
が、その結果、オルヴァーは随分と無理をするようになってしまっているらしい!ランヴァルドはこれには大いに慌てた!
「オルヴァー!なんでお前が今も居る!」
「えっ、いや、しかし、最初は俺が居た方がいいでしょうし、かといって、ネールが居ない間はやはり俺が居た方がいいでしょうし……」
オルヴァーはしどろもどろにそう言うが、ランヴァルドは大いにため息を吐いた。これは長期戦である。無理をしてどうこうすべきものではないのである!
「分かった!ネールに芋を食わせたらすぐ戦線に戻す!お前は寝ろ!」
「しかし、まだ時間が」
「怒るぞ!」
「はい!寝ます!」
ランヴァルドは『全く、俺に説教した癖によくもまあ……』と苦く思いつつ、オルヴァーを部下らしい兵士に引き渡した。『こいつを休ませてくれ』と言えば、兵士も『はい!』と元気に返事をしてくれた。これでよし。
ということで、遺跡に戻ったランヴァルドは、焼けた芋をネールに食べさせ、煮えたスープをネールに食べさせて、そして元気に出ていくネールを見送った。
ネールには、『オルヴァーがまだ居たら、ぽこぽこやっていいぞ。あいつは休む時間だ』と伝えてある。ネールは使命感に満ちた表情で頷いてくれた。
……さて。
ランヴァルドも芋とスープを腹に収めると、立ち上がる。
「じゃ、俺も働くとするかな……」
ランヴァルドは呟きつつ、遺跡の奥へと歩き出す。
ランヴァルドは、最奥の部屋の扉を開いて、中を確認した。
そこは、いつぞやのように酷い有様であった。刃めいた氷が飛び交う、酷く冷えた空間だ。
……だが、ランヴァルドはその扉の隙間から、素早く目的のものを拾い上げる。
それは、氷の欠片の1つだ。床に落ちて、丁度扉の近くまで転がってきていたものを上手く拾うことができた。
そして。
「……冷たいのは、なんとかならないもんかね」
その氷を、バキバキと噛み砕いて嚥下していく。氷を飲み下す度に体の芯から冷えていくような……或いは、もっと奥深い部分から冷えていくような、そんな感覚を味わうことになる。魔力が含まれる氷を食ったものだから、吐き気もある。だが、それでもランヴァルドは氷を食らうことを止めない。
それを、数度、繰り返す。……そうしてランヴァルドはいくつかの氷を腹に収めることになった。
「よし……」
そこまでを確かめたランヴァルドは、またそっと、扉を開く。
「……確かに、寒くないな」
そう呟いて、ランヴァルドは一歩、部屋の中へと足を踏み入れるのだった。
+
「あ、あの、ネール?俺のことはそんな風にしなくても……ああああ」
ネールはオルヴァーにお布団を被せた。オルヴァーは抵抗していたが、ネールの前には無力だった。
オルヴァーはネールが外に出た時、まだそこに居て、ネールに『おはよう!』などと元気に挨拶してきたのだが……ネールはランヴァルドに教えてもらって、知っているのだ!このオルヴァーもまた、ランヴァルドみたいなことをする人なのだ、と!
ということで、ネールはぐいぐいとオルヴァーを引っ張っていき、駐屯地までずりずりと引きずるようにして連れて行き、そして、兵士達が『なんだなんだ』と寄ってくるのに胸を張ってみせつつ、オルヴァーを連れてベッドに寝かせ、そして、お布団をかけてやったのである!
ネールと、ネールに連れて行かれるオルヴァーとを見ていた兵士達は『おおー』と歓声を上げ、拍手してくれた。オルヴァーは『まだ眠くない!』と小さな子みたいなことを言っていた。ネールですら、それはもう言わない。ランヴァルドに寝ろと言われたら寝る。ネールはいい子なので。
……まあ、眠たくないのに寝かす以上は面倒を見なければ、と思ったネールは、オルヴァーの胸のあたりをぽふぽふと叩いてやる。ランヴァルドがネールにやってくれたことがあるのを思い出しつつ。
……不思議なことに、こういう時に思い出すのは、お父さんやお母さんのことじゃなくてランヴァルドのことなのだ。古びて少し悲しい色々な思い出が、ランヴァルドに塗り替えてもらって、色鮮やかに、あたたかく修復されていくのを日々感じる。
そんな風に思いながら、ネールはにこにこ笑ってオルヴァーをあやし続けた。……オルヴァーは何とも言えない顔で兵士に『どうしよう』という顔をしていたが、兵士達は『おやすみなさい!』と笑うばかりだった。ネールの勝ちである。
ということで、オルヴァーは諦めて寝てくれた。『寝る前に着替えたいから』と言うので、それは許可した。お湯で体を拭いて着替えたオルヴァーは、またネールによってベッドに入れられて寝かしつけられた。ついでにもう何人か寝かしつけた。今日のネールは寝かしつけネールと言っても過言ではない。
……さて。
そうして目についた者達を片っ端からベッドに入れた後で、ネールは満を持して出陣した。
オルヴァーを寝かしつけた分は、ネールが働くのだ。少し離れたところに魔物が出てくるのが見えたので、ネールはすかさず、そちらへ向かう。
魔物をあっさりと仕留めてしまって、ネールはふと顔を上げて遺跡を見つめた。
ランヴァルドは、遺跡の中に居るわけだ。ちゃんとお留守番してくれているはずである。あの子が来た時に、ちゃんと捕まえられるように。
……あの子は来るだろうか。
ネールはちょっとだけあの子のことを思い出して、それからまた、魔物との戦いに戻ることにした。
お昼ごはん休憩を挟んで、また戦って……そうして夕方から、ネールは長めの休憩に入る。つまり、ネールは寝る時間なのだ。
ネールは早速、遺跡へ帰ってランヴァルドの寝袋に潜り込む。ここが一番落ち着いて、一番よく眠れる場所なのだ!
「ネール……お前、駐屯地の方に戻らなくてもいいのか?」
ランヴァルドが呆れたように笑うのに頷いて答えながら、ネールは『さあどうぞ』とランヴァルドに少し場所を譲る。するとランヴァルドもネールの隣に潜り込んできて、『ああ、ぬくい』と小さく息を吐いた。
ランヴァルドの体は冷え切っていた。外で戦っていたネールよりも、余程。
ネールがランヴァルドをあっためるべくきゅうきゅうとくっついていると……ランヴァルドは、ふと、『ちょっと寒くなってきたな……』と呟いて、もそもそと寝袋の中へ潜っていく。
まあ、遺跡の中は寒いのだ。当然、ランヴァルドにとっても寒さは感じられるはずで……なので、ネールは『それはそうである』という気持ちでランヴァルドにくっついて、ランヴァルドをあっためるべく頑張るのであった。
尤も、ふわふわぬくぬくいい気持ちで、すぐに寝ちゃったのだが……。
翌日の未明。
「ネール、ネール。交代だぞ」
……ネールはオルヴァーの声と共に起こされた。が、ゆさゆさ、とやられてしまうと、ネールと一緒の寝袋に入っているランヴァルドも起きてしまうのである!
オルヴァーは起こし方がへたっぴである。……が、ランヴァルドはどうせ起きていただろうな、とも思う。ランヴァルドなので。
「うん……」
「あ、兄上はお休みになっていても……」
「いや、起きる……。少し、調べたいことがあるんでな……」
ランヴァルドはちょっと眠そうな、むにゃむにゃした様子で体を起こして、ぺそ、と床を触り始めた。……触ると冷たいと思う。何をやっているんだろうか。手を冷やしているんだろうか。
ランヴァルドは『冷たい、な……?』と首を傾げている。ネールとオルヴァーはもっと首を傾げている。
……すると。
「オルヴァー。悪いが、一つ頼みがある」
「へ?ええ、勿論ですが……」
ランヴァルドはそう言って、まだちょっと眠そうな顔で、オルヴァーに向き直った。
「折角の休憩なのに、本当に……心底悪いとは思ってるんだが……ここで俺と寝てくれ」
オルヴァーは唖然としていた。ランヴァルドはなんだか眠そうで頭が回っていない様子である。
そしてネールは……愕然としていた!
ランヴァルドはネールと一緒に寝るのに!オルヴァーに!とられてしまうのだろうか!
そんなのって、そんなのって……あんまりである!
+




