あたたかな日に*1
アンネリエは、ネールに呼ばれたらしい。まあ、それはそうだろう。彼女は遺跡の方から来たようなので……ネールが遺跡を通じて王城へ向かい、そこでアンネリエを呼んできた、ということ、なのだろうが……。
「な、何故……?」
「ええと……ああ、次の方がいらっしゃったようですね」
ランヴァルドがぽかんとしていると、アンネリエの後ろ……遺跡の中から、見覚えのある銀髪と氷の瞳のメイド……ウルリカと、何故か、令嬢エヴェリーナまでもが出てくるのが見えた!更にその後ろには……。
「あ、アレクシス様!?一体、これは……」
「おお!マグナス殿……いや、えーと、領主ランヴァルド、とお呼びするべきかな。ふふ、久しぶりだが、元気……ではなさそうだ。うーむ、これはよくない」
ランヴァルドが『何がどうなってるんだ!?』と混乱する中、アンネリエと領主アレクシスは『ああ、どうも』『どうもどうも』と互いに挨拶し合い……そして。
「私達はネールさんに呼ばれてここへ来たんです。『ランヴァルド ぐあい 悪い! なのにおしごと いっぱい! たすけてほしい!』ということでしたので……」
「え……?」
……ランヴァルドは血の気が引くような思いであった。ネールが居ない、と思った時とはまた別方向にまずい状況に、ランヴァルドは眩暈を覚え、その場でふらつく。
「マグナスさん、大丈夫ですか」
「あ、はい、本当に……本当に、申し訳ない……」
ふらついたところをメイドのウルリカに抱き留められてなんとか転倒を免れつつ、ランヴァルドは『ネール……ネール!お前!お前、何してくれてんだ!?』とここに居ないネールに対して憤りとも申し訳なさともつかないものを抱き、余計にふらつき……。
「……ふむ。確かに、具合があまりよろしくないようですね」
……そんなランヴァルドの額に手を当てたウルリカが、目を眇めた。
「熱があります。これは風邪でしょうね」
「……え?」
……ランヴァルドは、茫然とした。茫然としながら、『ああ、確かに、具合が悪い……か?』と、ようやく自分の体調不良を自覚したのであった。
「では、王城の文官を数名派遣致しましょう。賢者としての働きの他にも、ファルクエーク領との調整もして頂いているので……その分は王城で補佐官を派遣するのが筋というものです」
「なんということだ!ジレネロストには、補佐官の類が居ないのかね!?……あっ!なら、ステンティールで退役した優秀な人材を貸し出そう。それから、もしよければ就職先としてここを紹介してもよいかな?ふふ、丁度いい人材の卵が居るのだ。そうしよう、そうしよう!」
……そうして、ランヴァルドが椅子に座らされる中、アンネリエと領主アレクシスによって、とんとん拍子で増員が決定した。
ランヴァルドは、『いや、流石に申し訳ない』と思ったのだが、まあ、アンネリエの言うことには一理あるし、領主アレクシスからは『就職先に困る有望な人材を救うと思って!』と言われてしまい、断るに断れなくなった。
……そうして。
「……で、なんで僕がお前の看病なんざしなきゃならないんだい?」
「ネールに聞いてくれ。俺は何も知らん」
……一刻後。
ランヴァルドは何故か、やはりネールによって連れてこられてしまったマティアスによって、ベッドに入れられ、寝かされ、看病されていた。
最早意味が分からないが、マティアスも意味が分からないらしい。ただ、ランヴァルドが寝室に運び込まれた様子を覗いていたネールは満足気に頷いていたので、ネールのお望み通りであることは間違いない。
「看病ならあの拷問吏にでもやらせればいいだろ。一応、メイドなんだから」
「俺だってお前よりウルリカさんに看病してもらいたい。……いや、やっぱりお前でいい。ウルリカさんを俺の看病なんかに使う訳にはいかない」
「つくづく失礼な奴だな……」
「お互い様だろ」
マティアス相手なので散々失礼な態度を取りつつ、ランヴァルドは『水くれ』『窓開けてくれ』『やっぱり閉めろ』と、遠慮無くマティアスをこきつかうことにした。
一方のマティアスは、持ってきていた本を適当に読んだり、ランヴァルドと『ところで最近そっちでは何が売れてるんだ』『こっちではご婦人のドレスはレースをふんだんに使ったものが流行でね』などと話したり……まあ、彼は彼で気ままに過ごしていた。
……お互い、気を遣うということが無いので、まあ、看病されるには丁度いい人材だったかもしれない。
それからランヴァルドは時折意識を手放すように眠り、時折浮かび上がるように目覚め、うつらうつらしながら過ごし、時折マティアスに『水……』などと要求し……まあ、風邪ひきの人間として正しい過ごし方をした。
そうしてランヴァルドがふと昼過ぎに目を覚ました時、『水……』と呟けば、マティアスにしては小さすぎる手が、ひょこ、と水差しを差し出してきた。
「……ネール?」
熱に掠れた声で呼べば、ネールがひょこ、と覗き込んでくる。その手には水差しがあり、ふと見れば、ベッドの横には皮を剥いている途中の林檎があった。
「マティアスは……居ないのか?そうか……」
ランヴァルドが体を起こして水を飲んでいる間にネールは林檎を剥き終えて、それも差し出してきた。なのでありがたく、一切れ頂くことにする。
……そして、ちら、とネールを見てみれば、ネールもまた、ちら、とランヴァルドを見て、少々落ち着かなげにしている。
一応、自分勝手に行動してしまった、という自覚はあるらしい。
「……あのな、ネール。あんまり他所様に迷惑をかけるもんじゃないぞ」
そして林檎を頂いた後でそう言えば、ネールはしょんぼりと頷いた。
「だが、俺が体調の管理をできていなかったことは確かだし、あのままじゃ仕事が片付かなかったことも確かだ。教えてくれたことには感謝する。……でも、もう二度と、俺に何も言わずにどこか行くのはやめてくれ。いや、どこか行ってもいいが、近所までにしておいてくれ。あと、書置きぐらいはしておいてくれ」
……そしてランヴァルドがそう続けると、ネールはきょとん、として、それから、にこにこと嬉しそうに頷いた。
更にベッドへ潜り込もうとしてきたので、『こらこらこらこら!風邪引きのベッドに潜り込むな!』と慌てて止めた。
「あとな、遺跡の移動を使って誰か呼んでくるのも勘弁してくれ。下手なところから人を呼んできたら大変なことになるんだぞ、ネール……」
ベッドに潜り込み損なったネールはしょんぼりとして、こくり、と頷いた。……まあ、今回、ネールのおかげで助かったのだが。だが、それにしてもやり方というものがある。
本当なら、ランヴァルドが自分の体調を自力で治してから、改めて王城に人材の派遣をお願いしたり、ステンティールやハイゼル辺りにでも、人材の募集をかけてみたりするのが適切だっただろう。
少なくとも、朝っぱらからネールに連れてこられてしまった人々には只々申し訳ないし……ステンティールの領主その人までもを連れてきてしまったのは、間違いなく、まずい!
……なので。
「……こういう時に呼ぶのはマティアスだけにしとくように」
ランヴァルドはそう教えた。ネールは力強く頷いた。そして、丁度そこで部屋に戻ってきたマティアスは『不服……』というような顔をしていた。
……結局、ランヴァルドはその日一日、寝込んでいることになった。
『せめて帳簿だけでも』と思ったのだが、『お風邪を召されているのに、帳簿を?ご冗談を』とウルリカに没収されてしまった。
なので仕方なく、只々眠って、起きている時にはベッドの上でごろごろとし、様子を見に来たネールには『うつるといけないから部屋に戻りなさい』と言ってやり、マティアスに『僕にはうつってもいいのか?』と言われ、『万一うつったら俺が看病してやるよ』と適当なことを言い……のんびり過ごす。
翌朝になると、ランヴァルドはまあ、それなりに元気になっていた。
そして……。
「ということで、こちらは片付きましたよ。残りについても、派遣した文官にやらせてください。こんな仕事まで逐一全てマグナスさんがやっていては、身が持ちませんから」
「本当に、お世話になりまして……返す言葉もございません……」
ランヴァルドは、アンネリエに深々と頭を下げることになった。
というのも、溜まっていた仕事の山の半分程度は消えていたからである。……更に、昨日の内にネールが遺跡経由で連れてきたらしい王城の文官達が、『しばらくはここで働きますので!』と元気に仕事をこなしてくれていたものだから、いよいよ頭が上がらない。
「では、我々も程よい人材をこちらにやりますので、その時には是非、雇ってやってください」
「アレクシス様も……本当に、この度は大変なご迷惑をおかけしてしまい……」
「いやいや!私も一度、ジレネロストへ来てみたかったのだ!それに、一日休暇を頂いてしまったようなものだし……エヴェリーナへのお土産も手に入ったことだし……ふふふ」
領主アレクシスにも頭が上がらない。領主アレクシス自身は、『ここの毛皮は本当に良質だなあ。エヴェリーナのコートをこれで仕立ててもらおう』とにこにこしているばかりであったが。
「……あー、ウルリカさん。その、お見苦しいところをお見せしました……」
「いえ。あなたも人の子であったようで、何よりです。……あまり、ご無理をされませんよう」
そしてウルリカは薄く微笑んで優雅に一礼してみせてくれた。……ランヴァルドとしては、只々申し訳ない!
「……じゃあマティアス。また何かあったら呼ぶからよろしくな」
「……一応聞くけどね、ランヴァルド。お前、僕のことを何だと思ってるんだ?」
「嫌だな、俺達の仲じゃないか。え?ってことでよろしく頼むぜ」
「次からは金をとるからそのつもりで呼べよ、ランヴァルド」
一方でマティアスに対しては、特に何も申し訳なくないので丁度良かった。ネールも、『次からはマティアスだけ連れてこよう』とばかり頷いているので、まあ……今回のことは、丁度良かったのかもしれない。
いや、それにしても、あまりにも方々に対して申し訳ないが……。
……ということで、ネールが連れてきてしまった客人らも無事に帰り、後にはランヴァルドとネール、そして、アンネリエが王城から連れてきてくれた文官達とが残ることになった。
のだが。
「ランヴァルド様。こちら、ご確認をお願いします」
「ああ、ありがとう。えーと、そこの机に……ああ、もういっぱいか。あ、すまない。そっちは色々積んであるもんだから、ちょっと不安定で……ああ、うん、本当に、設備が整ってなくてな……申し訳ない」
……文官が働いてくれているのだが。
如何せん、場所が、納屋もどきである。
執務室とは名ばかりの、納屋に毛が生えた程度の掘っ立て小屋の中で王城の文官達を働かせるとなると……いよいよ、申し訳なさが溢れて止まらない!
「……城、建てるかぁー」
ランヴァルドが頭を抱えてため息を吐くと、文官達も『その方がよろしいかと』『領主様ともあろうお方がこれでは、流石にちょっと……』『対外的な行事の際にこれではお困りでしょうし……』と、それぞれに頷いた。
……そしてネールもまた、『その通りですね!』とばかり、頷いていた!
……ということで、ランヴァルドは頭を抱える羽目になった。仕事を折角片付けてもらっているのに、仕事が増えた!
とはいえ、後回しにしていた仕事を今ようやくやる羽目になっている、というだけのことだ。どのみち、対外的な仕事は来るものだし、その時、貴賓を納屋に招待するわけにはいかないのである。
寝泊まりは最悪の場合でも宿を提供すればよい。幸い、ジレネロストには既に、高所得帯の客を想定した宿が建設されている。
……が、それにしても、応接間くらいは無いことにはどうしようもない。
よって城および、ランヴァルドの執務室と応接室くらいは、仮拵でもなんとかしなくてはならないのだ。
「まあ、金が無い。工期も無い。そもそもそんなに立派な城は要らん。が、体裁だけは整えないといけないから……」
……限られた予算と期間、そして人手と資源から、最低限の体裁だけなんとかするための方法を、ランヴァルドは必死に考え……。
「……ネール。あの遺跡の内部は、ある程度お前にも動かせたよな……?」
……そんなことを、考え始めたのであった。




