作戦*5
あの日は雪が降っていた。
夜になっても雪明かりで妙に薄明るい父の私室で、幼いランヴァルドはただ、死に行く父の姿に怯えていた。
……そんなランヴァルドに、父は『死者の国』の話をしてくれたことがあった。『死者の国は雪が降り積もり、氷に覆われ、しかし寒さを感じないそうだ。ファルクエークより住み心地が良いかもしれないぞ』と話す父は、父の死に怯えるランヴァルドを慰めるためのものだったのだろうが……。
『死者の国』の話自体は、ランヴァルドの父が作った物語という訳でもない。この国のあちこちで聞くものではある。
死後の世界の話など、形こそ違えど、どんな土地にもあるものだが……この国では、『死者の国では寒さを感じないらしい』という話が伝わっているのだ。
尤も、あまりに古い言い伝えなので、最近では耳にしたことのない者も増えていることだろう。現に、ネールはピンと来ていない顔で首を傾げている。
とはいえ、『死者の国では寒さを感じないらしい』という言い伝えは、寒さの厳しいこの国のものとしては実にぴったりである。温かさに焦がれるのは国民性と言える部分なのかもしれない。
……まあ、だからといって、言い伝えがそのまま真実であるとも思い難いが。
「いや、まさか本当に『死者の国』がある訳ではないでしょうが……」
ランヴァルドはそう答えてアルビンに曖昧に返しながら、思う。
……念の為、調べてみるか、と。
結局、アルビンからはファルクエーク内の古代遺跡の情報は出なかった。
だが、ファルクエークの隣領の遺跡の話は出たので、そちらは早速、王城から賢者を派遣してもらって解体を進めてもらうことにする。
「まあ……そういう訳で、しばらくはファルクエーク領内をネールと一緒に散歩することにするよ」
……そして、ランヴァルドはネールと共に、『本当にファルクエーク領内に他の遺跡が無いかどうか』を確認すべく、ネールと共に領内を巡る羽目になった。まあ、仕方がない。
「そういうことでしたら是非、よろしくお願いします。……それで、ええと、しばらくこの城に滞在なさる、ということですよね?」
「あー……うん。その、できる限り早く領内を探索し終えたいからな、宿場を使うことも多いと思うが……その、うん。もう何日かは、世話になる」
それに伴って、ランヴァルドはもうしばらく、ファルクエーク城に宿泊することになる。……オルヴァーがやたらと嬉しそうなのが救いである。
それから。
ランヴァルドはその日の夜にかけて旅程をざっと立てた。……というのも、ファルクエーク領内を巡っている途中で他の領で古代遺跡が起動した時、ランヴァルドとネールにどのようにして報せるか、という問題が生じてしまうためである。
その点は、予めオルヴァーと王城に『こういう旅程でファルクエーク領内を巡りますので、何かあったらそれぞれこの地点で狼煙を上げてくださいね』と伝え置くことでなんとかすることにした。
ファルクエークの民衆にとっては、よく分からない理由で連絡用の狼煙を上げさせられるわけなので、いい迷惑であろうが……オルヴァーは快く引き受けてくれたので、ランヴァルドも開き直って任せてしまうことにした。
ということで、その日もまたファルクエーク城に泊まることになり……翌日。
「さて、ネール。まずは最寄りの古代遺跡に寄って、王城へ移動して、イサクさんに旅程と賢者の派遣依頼を託して、で、俺達はまたファルクエークに戻って遺跡探し、ってかんじだが……大丈夫か?あ、うん、大丈夫そうだな……」
ランヴァルドは馬車の中、ネールに本日の予定を確認してみたが、ネールはすこぶる元気いっぱい、頷いてみせてくれた。大丈夫そうである。
「ま、1日半、ゆっくりさせてもらったからな。俺の方は大丈夫だ。お前も体調が崩れそうだったり、疲れたりした時にはちゃんと言うんだぞ」
ネールは『それはこちらのセリフである』というような顔で、じっとりした目をランヴァルドへ向けていたが、ランヴァルドはそれは無視することとして……。
「……ま、急がないとな」
気は、急く。
ファルクエークを実験場のようにしてしまうということについても、それで古代人を誘き寄せることができるのかという点についても、不安は多い。
それでいて、急がねばならない。各地の遺跡を探し出し、片っ端から解体していって……そうして、古代人がこれ以上何もできないようにしておかねばならない。さもなくば、3年前のジレネロストのようになる土地が生まれてしまうわけだ。それは、何としても避けたい。
「例の古代人には悪いが……」
……今一つ、先の見えない話である。どうすれば、このいたちごっこが終わるのかもよく分からない。或いは、いたちごっこを終えた先に何があるのかさえ。
だからこそ、例の古代人から、話を聞ければよいのだが。
……ファルクエークでの作戦がうまくいくことを祈って、今はただ、できることに集中するしかない。
そうして、ランヴァルドとネールはまず、古代遺跡経由で王城へ向かった。
王城の地下に出てくるのも、最早慣れたものである。ランヴァルドは『これ、場合によっては知ってるだけで死罪ものなんだよな……』と思いつつ、王城地下の遺跡を出て、何食わぬ顔で王城に戻り、そこでイサクに旅程や賢者の派遣依頼について、託していくことにする。
……そのついでに、ランヴァルドは『死者の国』についても調べてもらえるよう、イサクに頼んできた。彼らの仕事を増やすのは申し訳なかったが、それでも今は、少しでも手掛かりが欲しいところだ。何も無ければそれでいいが、何かあったなら、それから調べていても遅い。
ということで、快く諸々を引き受けてくれたイサクに礼を言って、ランヴァルドとネールは再び王城地下の古代遺跡へと入り、そこからファルクエークへと移動し……。
……そして、忙しくも、ファルクエーク中を巡ることになるのである!
ランヴァルドは『なんつう忙しさだ!』と思いつつも、馬車を使い、橇を使い……時にはどうしようもなくなって歩きつつ、ネールに『このあたりに遺跡の気配はあるか?』と聞きながら、数日を過ごしたのだった!
……数日後。
「……ということで、途中で他領の遺跡の停止と解体をやってきた以外には問題も無く……ファルクエーク内では遺跡1基を解体してきた。あと、イサクさんから届いていた手紙によれば、叔父上から出た情報にあった隣領の遺跡については賢者が派遣されて、そっちも解体が進んでるらしいぞ」
ランヴァルドはぐったりしながら、オルヴァーへ報告を行っていた。
……ここ数日、ほぼほぼずっと、移動し通しだった。途中で一度、ファルクエーク城へ戻ってきて泊まったものの、それ以外は全て出先の宿頼りであったし、まあ、疲れた。
「で、領内の様子だが、東の方は全体的に道が悪いな。まあ、流通の需要が無いってことだろうし、何か人や物が行き交う仕組みを作った方がいいな。あ、それから南西の方では橋の老朽化の報告を受けた。まとめといたから見といてくれ」
「ありがとうございます、兄上!」
……ついでに、折角ファルクエーク中を巡ることになったのだ。オルヴァーの代わりに各地の視察をして、問題点をいくつか見つけておいた。それらを一覧にして渡せば、オルヴァーはこれを大層喜んでくれた。何よりである。
折角、ファルクエークを犠牲にしかねない大規模な実験などをやるのだ。ならばファルクエーク中の整備という整備をこの機会に済ませてしまってもいいだろう。
「兄上……ところで、その、お疲れではありませんか?お休みになられた方が……」
「いや、王城に戻る。何か起こっていないとも限らないしな……」
……そして、ランヴァルドはというと、諸々の準備で忙しい。
そう!ランヴァルドは王城とファルクエークの調整役でもあるし、王城から命を受けている賢者でもある。そして……。
「それに、そろそろジレネロストに戻らないとな。祭りの準備もあることだし……」
……自分の領地まで持っていて、大変に忙しいのである!
ということで、オルヴァーには惜しまれたがランヴァルドは帰った。予想していたより長い逗留になってしまったので、いまから巻き返しを図らねばならない。
勿論、ジレネロストへ帰る前には王城へ立ち寄ってイサクに諸々を報告することも忘れない。
イサクは『成程!では、2か月を目途にして、遺跡の再起動を行いましょう!そのための助力は王城からも尽くしますよ』と頼もしく勇ましい言葉をくれたので、ランヴァルドはよくよく頼んでジレネロストへと帰った。
……そして。
「やることが……多い……」
その日の夜。ランヴァルドは、ジレネロストの執務室(つまり、納屋である!)の中でため息を吐いていた。
……やることが多いのである。
領主としての仕事は不在の間に恐ろしいまでに溜まっていた。そしてそれらはしっかり、文字通り……山積みになっていたのである。
「ああ……ネール。悪いが先に寝ててくれ。俺は当面、寝られそうにない」
仕方がないので、ランヴァルドは様子を見に来たネール相手にもそう返事をするしかない。
ネールは不満げな顔をしてランヴァルドを見上げていたが、こればかりはランヴァルドにもどうすることもできないのだ。仕事を片付けないことには、おちおち寝ていられない。これでまた、『古代人がまた別の遺跡を起動しました』となったら、また出動する羽目になるのだ。
ならば、それまでに片付けられるだけ仕事を片付けておくべきであり、のんびり休んでいる暇など無いのである。
……ということで、ランヴァルドはしばらく1人、集中して仕事に取り掛かることになった。
幸い、『やらねば』という強い思いだけで体を動かし続けることができたため、仕事はそこそこに捗った。
だが、まだまだ終わらない。山になった仕事は、そうそう終わってくれないのである。ランヴァルドはそれらを見て、ため息を吐きつつ次の仕事に取り掛かり……。
「……ん、ああ、もう朝か……」
ふと、納屋の外から漏れてくる光を見て、気づく。いつのまにやら朝になっていたようだ。
伸びをしてみると、ごき、めき、と肩が厭な音を立てた。……徹夜によって、体は酷く強張っていたし、目は霞むようになっていた。朝陽が眩しい。
「……ネールの朝飯を準備してやらなきゃあな……いや、自分で食ってるか……?」
そういえばネールを放っておいてしまったが、ちゃんと起きているだろうか。……否、そもそも、ちゃんと一人で寝ただろうか。
気になって、一旦、家の方へ戻る。
藍色の屋根の家は、妙に静かで、気配が無い。……ネールが居るだろうにもかかわらず、である。
嫌な予感がして、ドアを開ける。
……居間には、誰も居ない。そのままランヴァルドは奥の部屋……ランヴァルドの寝室へと向かった。だが、そこにネールは居ない。
『いや、そりゃそうだよな』と思い直して、改めてネールの寝室へと向かったが、そこにもネールは居なかった。
「……ネール?」
ランヴァルドは、一気に血の気が引く思いで立ち尽くす。だが、それも数秒のこと。すぐさま、ネールを探しに行くべく、家を飛び出し……。
「あ、マグナスさん!おはようございます!」
「……あ、アンネリエさん?」
そこで、ここに居るはずのないアンネリエの姿を見つけて、ぽかん、とすることになる。
しばらく思考が追い付かないまま、ランヴァルドが立ち尽くしていると……アンネリエは、『ああ……やっぱり』と苦笑する。
「その、私、ネールさんに呼ばれてここへ来たのですが……やはり、マグナスさんはご存じなかったようですね?」
「……は?」
ランヴァルドは、またもや固まることになる。
ネールに、呼ばれた、とは。一体。