作戦*3
「お、おお……すまないな、突然の訪問だっていうのに……お前だって忙しいだろうに……」
「何を仰いますか!兄上がお帰りになったのですから、当然、来ますよ」
オルヴァーはそう言うが、間違いなく業務を大急ぎで片付けてきたのだろう。ついでに、それらの中には中途半端に放り出されてきたものもあるのだろうと予想される。
「して、お帰りになったということはしばらくこちらにおられるということですか?」
「あー……いや、できるだけすぐに王城に戻らなきゃならな……うん、ええと、今夜は泊めてくれ」
オルヴァーが寂しそうだったので、ランヴァルドは『やっぱり日帰りは無理がある』と結論を出した。使用人達には面倒をかけるが、まあ、門番の様子を見るに、喜ばれはしても疎まれはしないだろう、と開き直ることにする。
「ちょっとな……まあ、国王陛下から『内々に』打診、というかがあってだな……」
さて、ではどうやって本題に入ろうか、と思いつつ、ランヴァルドは『まあ、迷うだけ無駄か……』とやはり開き直ることにした。
「……ファルクエークの古代遺跡を再稼働させてほしい。当然、前回のように魔物が出ることが予想される。だがその分の補償と、支度にかかる費用は王城から出してもらえる。……どうだ?」
さっさと切り込んでしまえば、オルヴァーはきょとん、とした後、真剣な顔で考え始めた。
「……兵は?王城からお借りできるのでしょうか」
「いや、できればファルクエーク内の兵士を使ってほしい。ああ、だが俺とネールはこっちに居ることになるだろうから、勘定に入れてくれていいぞ」
「成程。では、期間はどのくらいになりそうですか?」
「……1週間。いや、欲を言えば2週間程度、見ておきたい。が、そこの限度はお前に任せる」
ランヴァルドの答えを聞いて、オルヴァーは『成程』と呟き、指を組んで、視線を虚空に彷徨わせながら何か考え始めた。
恐らく、実際に魔物と相対することになるであろうその時の盤面を想定しているのだろう。何せ、オルヴァーは優秀だ。特に、戦いのことに関してはランヴァルドより余程。
「……少々、厳しくはあります。兵士達に負担を強いることにはなりますし……2週間、持たせるためには、うーん……補給は、予め準備しておくにしても、その費用が……いや、そもそもどこから食料の余分を……」
……が、戦い以外に関しては、まだまだランヴァルドの方が得意だろう。特に、金と流通については。
「……ついでに、王城からの支援と補償の金は、まあ、甘めに見てくださるらしいからな。ちょっとばかり過大に請求していい。費用も、手間も、な」
「えっ!?あっ……ああ!そういうことですか!?」
「ああ。そういうことだ」
オルヴァーはまだまだ、『裏の意図』には疎い。真っ直ぐな気質である分、こういう部分はもう少し勉強してもらう必要があるだろうが……まあ、ランヴァルドが補えばいい話である。
「……ってことで、物資についてはいくらでも工面できるものと思っていいぞ。だからついでに輸送のための街道整備もしちまえ。兵は貸せないが、工事のための人員なら融通してもらえるだろう。それから備蓄倉庫および兵の駐屯のためって名目で、宿場の整備もしちまっていい。そうしたら北の方の開拓も進むだろ」
ランヴァルドが早速、色々と助言してやると、オルヴァーはぽかん、とし……それから、表情を明るくして、言った。
「兄上……つまり、その、ファルクエークの財政の立て直しのために、このお話を持ってきてくださったのですね?」
……あまりにも真っ直ぐに、きらきらと笑みを向けられるものだから、ランヴァルドとしては少々、居心地が悪い。
ランヴァルドにとって、こうした『商談』は、精々、お互いににやりと笑うくらいで済ませるものであって……満面の笑みで純粋な感謝と尊敬を向けられるものでは、ないのだ!
「まあ……そういう面も、無い訳じゃ、ないな……」
「ありがとうございます、兄上!」
……まあ、オルヴァーのこの真っ直ぐさは、ある種の武器であり、防具だ。
特に、ランヴァルドのように後ろ暗さが多少ある者にとってはあまりに眩しく……それ故に、非常にやりづらいのだ!
それでいて、オルヴァーも馬鹿ではない。ただ純真無垢なだけではなく、戦士としての鋭さをも持ち合わせている。
となると……まあ、若さゆえの未熟さはあるだろうが、それを差し引いても……領主として中々良い人材だな、と思わされるのである。
なんだかんだ、人に好かれる人というものは、有利なのだ。近隣と上手くやっていく上でも、こうして商談になった時にも。
現に、ランヴァルドがすっかり絆されてしまっているのだから!
「……じゃ、この話は受けてもらえそうか?ファルクエーク領主として、判断してくれ」
そうしてランヴァルドが判断を迫れば、オルヴァーは潔く、こくりと頷いた。
「はい。このお話、お受けいたしましょう。……そして、頂いた機会は必ずや、ファルクエークの領民達のために最大限活用させていただきますよ」
頼もしい弟の顔を見て、ランヴァルドもまた表情を綻ばせる。
ランヴァルドのように姑息な手段を学んで欲しいとは思わないが、強かさを身につけていってくれれば……よりファルクエークは安泰だろう、と思えるので。
「それから……兄上のお役に立てるなら、それも嬉しいです」
……ついでに、オルヴァーが照れたように笑うのを見て、ネールも『そうでしょうとも』とばかりに頷いていた。ランヴァルドはただ、苦笑するしかないが!
その日は宣言通り、ファルクエーク城に泊まることにした。
やはりと言うべきか、使用人達は大層喜んでくれて……そのせいで、ランヴァルドは大層盛大にもてなされた。
『あの日の食事とは異なるものを!』と使用人達が気遣ったため、夕食は肉の煮込みではなく、魚のフライになった。
また、何故だか『ランヴァルドは林檎が好きらしい!』と噂になっていたらしく、林檎のジャムを詰めたパイが焼かれた。
……ランヴァルドは、『いや、もう食べるのにそんなに苦労はしていないぞ』とオルヴァーに伝えておいた。一応。念のため。延々と気遣われ続けるのも、気が引けるので。
が、林檎が好きかという話については、『まあ、別に嫌いじゃあないし、むしろどちらかといえば好きだし……このままでいいか』と判断し、そのままにしておくことにした。
恐らく、ランヴァルドが食べ物を受け付けなかった時にネールが一生懸命、芋と林檎を食べさせてくれたのを見ていた者達が、ランヴァルドの好物だと勘違いしたのだろうし……そう思えば、ランヴァルドは何やら、林檎が好きになってきたので。
それから、オルヴァーが『お疲れのところ恐縮なのですが……』と帳簿を持ってきたので、色々と教えてやることにした。どうやら、帳簿の処理の中によく分からない部分があったらしい。
ということで、そんなものを教えてやったり、最近の国内情勢について色々と助言してやったりして……オルヴァーの仕事も無事に片付いたらしい。ランヴァルドとしては、弟の仕事の邪魔をしてしまったことが気になっていたので、それが片付いて何やらすっきりした気分である。
……そして。
「兄上。お休みになる前に一杯、いかがですか」
オルヴァーがにこにこしながら見せてきたのは、葡萄酒の瓶であった。
「いや、美味いな、これ。……相当値の張るものじゃないか?」
「父上の部屋から出てきました。どこかからかの頂き物かもしれませんし、となると売るわけにもいかないので……ならば開けてしまうしかないだろう、と」
「成程な。そういうことなら遠慮なく頂こう」
グラスに注がれた赤い葡萄酒を味わいながら、ランヴァルドは『うん、美味い』と口元を綻ばせる。
……元々、ランヴァルドは葡萄酒が好きである。葡萄の採れない北部では高級品であるので、そう何度も口にしていたわけではないが。ついでに、旅商人になってからは、節約に節約を重ねていたせいで、やはり、酒を飲む機会はあまり無かった訳だが。
「……笑われるかもしれないが、いつか、大人になったお前と酒を飲む日が楽しみだったんだ」
そんな葡萄酒であるので、飲みながらふと、そんな言葉が漏れもする。ランヴァルドは言ってしまってから『言わない方が良かったか』と少々後悔したが……。
「奇遇ですね。俺もですよ。俺も、いつか兄上と杯を交わすことを楽しみにしていたんです。もうそんな日は来ないと思っていましたが……嬉しいな。小さい頃の夢が、こうして突然に叶うなんて。半年前には全く、思いもしなかった」
オルヴァーがなんとも嬉しそうにしているのを見て、『やっぱり言ってよかった』と胸を撫で下ろす。
……ランヴァルドは未だに、この10も年下の弟に対してどう接していいものやら、量りかねている部分がある。オルヴァーもそうであるからこそ、逆に『ならやりすぎなぐらい距離を詰めておくか!』と振り切れているのだろうが。この点、ランヴァルドとオルヴァーは真逆の性質なようで似た性質なのかもしれない。
「兄上。兄上は……その、ファルクエークを出てから10年、どのように過ごされていたのですか?」
そんな折、ふと、オルヴァーがそんなことを聞いてくる。
聞かれて、思い出して……ランヴァルドの脳裏には、碌でもない思い出ばかりがぽんぽんと浮かぶ。
脱税くらいは平気でやったし、金持ちを騙して物を売りつけたり、貴婦人を誑かして物を売らせたりもした。人に知られれば良い顔はされないような何やらを取り扱ったし、ヘマをして自分で使う羽目になったし……。
「旅商人をやってた。まあ……うん、そんなに楽しい話じゃないぞ」
……色々な記憶にサッと蓋をして、ランヴァルドは始まってもいない話を締めくくった。
「聞きたいです。是非」
が、オルヴァーはなんとも無邪気に、きらきらと目を輝かせて聞いてくるものだから……ランヴァルドはため息交じりに、話す羽目になる。
「……じゃあ、ネールと会った時の話でもするか」
……自分のこの10年の間で、一番無難なここ半年の話を。
そうして、ランヴァルド自身というよりはネールの話をしてやったところ、オルヴァーは目を輝かせ、『本物の英雄譚だ!』と大層喜んだ。
『喜んでもらえたなら何よりだ』とランヴァルドは安堵しつつ、葡萄酒を呷る。……まあ、葡萄酒が美味いのが救いである。
「しかし……彼女は本当に、根っからの英雄なんですね。あちこち人助けをして回るとは……」
オルヴァーは何やら、ネールの行いについていたく感銘を受けているらしい。ランヴァルドが『急ぐ旅路なのに人助けなんてしてる場合じゃないんだぞ、ネール!』と嘆いていたそれらが、オルヴァーにとっては見習うべき善行だというのだから、ランヴァルドは只々、気まずい。
「そうだな。まあ、優しくて、それでいて強い気質は英雄向きだ。あの力については後天的なものみたいだが……まあ、本人にはその自覚はあんまり無いかもしれない」
ランヴァルドは葡萄酒をちびちびやりつつ、小さくため息を吐く。
……ネールについては、色々と思うところがある。
ランヴァルドが己のためにネールを利用しようと魔獣の森から連れ出して、そして……『英雄ネレイア』にしてしまった。ネールは、ただハイゼルやステンティール近辺で人助けの旅だけしていればよかったのだろうに、それをここまで連れてきてしまったのである。
挙句の果て、ネールに世界の命運を背負わせるようなことまでしているのだ。……振り返れば、随分と遠くまで来てしまった。
「ネールは、幸いでしたね」
……だというのに、オルヴァーは只々快活に笑って、そう言うのだ。
「彼女の傍に居たのが兄上でなかったならば、彼女は間違いなく、こうはなっていなかったことでしょう。悪人に捕まって利用されていたか、何も為せぬまま死んでいたか……古代人とやらに連れて行かれて、そのままだったかも」
「……どうだかな」
オルヴァーの只々真っ直ぐな明るい言葉を聞いて、少々後ろめたく思う。何せランヴァルドは、『ネールを捕まえて利用しようとしていた悪人』なのだから。
「間違いありませんよ。少なくとも、ネールは兄上に出会ったことを心の底から幸福なことだったと思っているでしょう?」
ランヴァルドは、『いや、それこそどうなんだ?』と思ったが……だが、ここで白を切るのも不誠実ではあるか、と思い直す。
「まあ……懐かれては、いる、な。うん……」
「でしょう!好意的な者には懐っこく見えますが、やはり兄上に対しては特別懐いているように見えますよ。いやあ、彼女が俺を殺しに飛び掛かってきた時とは大違いで……あ、うん、この話はやっぱりやめておきましょう……」
……オルヴァーが『失言だった』とばかり、ちび、と葡萄酒を飲む様子がなんともおかしい。ランヴァルドは思わず笑ってしまいつつ、思う。
ネールにとって、ランヴァルドに連れ出されたことが幸福なことであればいいな、と。
それからもオルヴァーと雑談を暫し続けたランヴァルドは、夜も遅くなってから部屋へ戻った。すると、途端にネールがぱたぱたやってきて、むきゅ、とくっついてくる。
「ネール。まだ起きてたのか」
顔を覗き込んでみると、ネールは何やら眠そうなとろりとした顔でこくんと頷いた。
「俺が居なきゃ眠れないって訳でもないだろ?え?」
眠いなら寝ればよいものを、と思ったが、まあ、ネールの気持ちも分からないでもない。ランヴァルドはネールを抱き上げて、ベッドの中にしまい込んでやることにした。
そうしておいて、ランヴァルド自身もベッドに潜り込めば、ネールがもそもそとやってきて、なんとも嬉しそうな顔をする。そして、ぬくい。
……ふと、ランヴァルドは『そういや、最近悪い夢を見ないな』と思う。
もしかすると、ネールが入ったベッドがぬくいから、それの影響かもしれない。或いは……ネールが悪い夢を食べているのかもしれない。伝説の生き物のように。
「……俺はお前が居なきゃ眠れないかもな」
ついつい、言葉を漏らしてしまって、それから、『しまった』と気づくが、もう遅い。もう既に……ネールは、オルヴァーにも負けないくらいに目をきらきらと輝かせて、ランヴァルドを見つめていた!
「ああ、冗談だ。そんな顔するな。おい、そんな顔するなって。ちょっと酔ってるんだよ。悪かったな」
居心地が悪くなってきて、ネールの頭を毛布の中に押し込む。むぎゅ、とやってやれば、ネールは頭の先まで、すぽん、と毛布の中に埋もれていった。
「ほら。もう寝るぞ。眠いんだろ」
そうして毛布の上からネールの頭を撫でてやって、ぽす、ぽす、と背を軽く叩いてやれば、毛布の中でネールが微睡む気配があった。やはり子供である。
「……おやすみ」
毛布越し、ネールのつむじのあたりに口づけて、そうしてから、はた、と『やっぱり俺は酔ってる。間違いない』と気づき……ランヴァルドも、さっさと寝てしまうことにした。
寝てしまうに限る。こういう時には……。




