氷晶の洞窟*1
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その夜、ネールはぱちり、と目を覚ました。何か、物音が聞こえた気がして。
「……う」
……その原因はランヴァルドである。ランヴァルドは魘されているらしく、小さく呻き声を上げて、苦し気に身じろぎしていた。
心配になって、ネールはランヴァルドを覗き込みに行く。だが、眉根を寄せて苦しそうにしているランヴァルドにしてやれることもなく、ただ、おろおろしながら眺めるだけになってしまう。
……昨夜も、こうだった。こんな風に魘されていて、苦しそうだった。もしかしたらその前も、こうだったのかもしれない。
原因は分からない。疲れが出たせいなのかもしれないし、これから洞窟に向かうから緊張していて夢見が悪いのかもしれない。だがなんとなく、ネールは、ランヴァルドがいつもこうなのではないか、と感じた。
……ヘルガが言っていた。ランヴァルドは、熱に侵されながらも一人、ボロボロになってこの宿に辿り着いた、と。恐らく、北から逃げてきたのだ、と。
どういう事情でランヴァルドがそうなってしまったのかは、よく分からない。だが……彼が大変な思いをして生きてきたことだけは、なんとなく分かる。
分かるから、今、魘されているランヴァルドを見て、どうにかしてあげたいと思う。
それでもどうすることもできないネールは、しばらくおろおろしていた。……だが、やがて、ランヴァルドは落ち着いてきた。寝息が安定してきた。表情も幾分穏やかになっている。
それを見てほっとしたネールは、また、自分のベッドに潜りこむことにした。
……何かしてあげたかったのに、何もできなかった。そんな無力感をちょっぴり感じながら、ネールは毛布の中で丸くなって、再び眠りに就くのだった。
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「よし……ここだな」
翌朝。ランヴァルドとネールは、氷晶の洞窟の前に辿り着いていた。
氷晶の洞窟とは、ハイゼオーサの北西の山にある洞窟だ。カルカウッドの魔獣の森のように魔力が多い土地であるのだろう。
洞窟の中には綺麗な湧き水が出る泉がある他、上質な水晶や魔石の類が採れるらしい。それらはハイゼオーサの産業の一部となっている。
魔石や水晶を使った細工物が有名である他、洞窟から町の外れまで水道を引き、洞窟の湧き水を町外れで使っているのだ。魔力が溶け込んだ水は、酒や水薬を仕込むのに使われる。ハイゼオーサで作られたエールは北部でも南部でも知られているし、ハイゼオーサで煎じた薬は効果が高いと評判である。
……さて、そんな恵みをもたらす氷晶の洞窟であるが、魔力が多い土地であるために今回のように魔物が湧くことがある。それでも魔獣の森のように魔物だらけではないところを見ると、魔獣の森よりは余程、魔力が薄い土地柄なのだろうが。
「この中には魔物が居るらしいからな。気を付けて進むぞ」
ランヴァルドはネールに声を掛けて、早速、洞窟の中へと進んでいく。『どうか無事に出てこられますように』というよりは、『奥に居るっていう魔物が高値で売れるやつだといいな』という気持ちで。
……ランヴァルドとしては、折角なら稼ぎたいのである。そこは何があっても、ぶれることが無い!
洞窟の中ではあちこちに、氷か何かのような結晶が見られた。……水晶である。これが、『氷晶の洞窟』の名前の由来となっているのだろう。
ネールはこの水晶の美しさに心を奪われたらしく、ほわあ、と感嘆のため息を漏らし、きらきらと目を輝かせて天井や壁面の水晶を見つめていた。
「……気になるなら一欠片二欠片、持って行ってもいいぞ」
目的である魔物の討伐の前に荷物をいっぱいにするわけにはいかないが、ネールがあまりにも水晶に見惚れるものだから、ランヴァルドはそう、許可を出した。
すると途端にネールは満面の笑みで頷いて……地を蹴り、壁を蹴って、一気に天井付近にまで跳び上がってしまった。まるで羽でも生えているかのような挙動である。
ランヴァルドが少々慄いていると、ネールはそのナイフの刺突と無意識による魔法の行使によって、天井付近から生え出ていた水晶の結晶を数本、根元から折り取った。
「っとと」
ネールが掴み損ねて落ちてきた結晶は、ランヴァルドが慌てて受け止める。折角の美しい結晶だ。傷がついては大変だ。上質なものの値打ちが下がるようなことは、ランヴァルドが決して許さないのだ。
さて、やがてネールは水晶の結晶を手に握って、ほくほくしながら戻ってきた。
それを確認してみると、掌になんとかようやく収まるくらいの大きさのものから、ランヴァルドの指くらいのものまで、まちまちであった。だが、それら全てが傷も少なく、透き通り、形の美しいものである。
「……中々悪くないな」
この水晶なら、高く売れるだろう。ここで荷物を増やすわけにはいかないが、魔物を倒して戻ってきたところで水晶をもう少々、ネールに採らせてもいいかもしれない。
「魔力が少し、籠っているのか」
そして、この水晶には魔力がほんのりと感じられた。洞窟の入口付近でこれなのだ。もっと奥の方へ進めば、魔石として売れる程度で、かつ極上の水晶としての美しさを持つ結晶が見つかるかもしれない。
ランヴァルドは期待に胸を膨らませつつ、頭の中で算盤を弾きつつ、楽し気なネールと共にうきうきと先へ進んでいく。
洞窟の中には湧き水で川ができていた。湧き水は清く澄んで美しかったが、何せ、冷たい。うっかり水の中に入れば、身を刺すような冷たさに襲われることだろう。
ランヴァルドとネールは慎重に、水から頭を出している石を足場に進んでいく。……とはいえ、ネールはぴょんぴょんとまるで臆することなく、身軽に飛び石または壁を蹴って進んでいたので、慎重さなどほとんど無かっただろうが。
「……気温が下がってきたな」
そうして洞窟の奥へと進んでいけば、次第に気温が低くなっていくのが分かった。湧き水のせいだろう。
北部出身のランヴァルドには、大したことのない気温だが、ネールには少し、肌寒いかもしれない。
「おい!ネール!寒くないか!?」
ランヴァルドの先を行くネールに後ろから声を掛ければ、ネールは一度、飛び石の上で静止して、そこで、少し考えて……『大丈夫』というように、にこ、と笑みを浮かべてみせてきた。
まあ、あれだけ動き回っていれば体も温まるだろう。ランヴァルドは納得して、ネールが再び先へ跳んでいくのを見つつ、自分も進むべく慎重に、水辺の石を踏んで行く。
そうして更に進んでいったところで、ふと、ネールが動きを止めた。
ランヴァルドも恐らくネールと同じものを感じ取って、そっと耳を澄ませる。
……ぴちょん、と、滴る水の音。天井から落ちた水かとも思われたが、それとはまた、音の重さが異なる。
そして何より……気配が。
「さて、そろそろお出ましか」
ランヴァルドは、隣に戻ってきたネールの耳元でそっと囁く。ネールは、こく、と頷いて、ナイフを静かに抜いた。
「……相手は兵士何人も殺してる奴だ。気を抜くなよ」
ランヴァルドの言葉に、ネールはまた頷いて……そして。
次の瞬間、一気に奥に向かって、床を蹴った。
ネールが飛ぶように奥へ進んでいってすぐ。ランヴァルドは自分の役割を果たすべく、物音を立てつつ奥へと向かう。すると案の定、そこにいた魔物は天井近くを進んでいくネールではなく、ランヴァルドに気づいた。
「よお、デカブツ!お前は全身どこも高く売れそうだな!」
ランヴァルドはその手にいつもの剣ではなく、弓を構えて、まっすぐにその相手……水晶でできたゴーレムを見つめた。
ゴーレムは、石や金属、時には氷といったものが魔力によって変じた魔物だ。概ね、魔石を核にして、そこに集まった石や金属で体を作っていくのである。
魔力の濃い鉱山の奥に生息することが多い。かつて存在した古代文明には、ゴーレムを人工的に生み出す技術があったというが、そんなものは失われて久しい。まあ、そういった魔物である。
ランヴァルドはゴーレムを睨みながら、にやり、と笑う。何せこのゴーレムは……全身が水晶でできているのだ!
「こりゃあ上物だな」
水晶の質は、然程良くないものも混じっている。足や腕を構成している濁った結晶については、水晶としての価値はほとんど持たないだろう。
だが、頭部や胴体の一部は、透き通って美しい。あれは高く売れそうだ。……加えて、ゴーレムは魔力によって動く石材でもある。つまり、体を構成する石は全て、魔石なのである!
まあ、全身が高値で売れそうなゴーレムの価値はさておき、その強さもそれなりである。
魔力を多く有するため、その体は極めて強靭だ。ランヴァルド一人では勝てそうもない相手ではある。最も、ハイゼル領の兵士達が誰も帰ってこなかった、というのは、いささか不思議だが……。
……どのみち、ランヴァルドには関係のないことである。何せ、こちらにはネールが居るのだ。
「よし……くらえ!」
ランヴァルドがわざわざ声を上げて注意を引きつけながら矢を放てば、ゴーレムは飛んできた矢を腕で叩き落としながら、ランヴァルドに向かって突進してくる。この程度の獲物に小細工は必要ない、とばかりに、真っ直ぐ。ランヴァルドだけを、その目に映して。
……そうしてゴーレムの腕が、いよいよランヴァルドへ到達する、というその時。
「かかったな」
ランヴァルドは恐怖に体を硬くしながらも、『勝ち』を確信した。
ゴーレムの肩関節の上へ、勢いよくネールが降ってきたのである。
バキン、と、水晶が鋭く割れ砕ける音が響く。
ネールのナイフはゴーレムの肩関節を寸分違わず破壊していた。
水晶と水晶の継ぎ目……魔力によってくっついていたのであろうそこは、ネールのナイフの一撃で砕け、砕けたことによって魔力を一時的にでも失い……そうして、ゴーレムは腕を失った。
「よし、いいぞ!」
ランヴァルドが次の矢を番える間に、ネールはゴーレムの肩の上に乗り、続いてゴーレムの頭部を狙う。ランヴァルドしか映していなかったゴーレムの目は、そこでようやく、ネールを捉えたが……もう遅い。
ネールのナイフはゴーレムの首へと差し込まれ、そしてまた、バキン、と水晶が砕けた。
ゴーレムが暴れると、ネールの軽い体は吹き飛ばされそうになった。だが、ネールは上手にゴーレムの首を破壊し終えると、そのままぴょんと宙へ跳んで、ゴーレムの足元へと着地した。
ゴーレムはその巨体故に、懐に潜り込まれると弱い。いきなり首を落とされたゴーレムはネールを叩き潰そうとするが、すぐ近くに居るネール相手に、どうすることもできない。そうする間にもゴーレムは、魔力を急激に失って動きを鈍くしていく。
……そして、とどめ、とばかりにネールがゴーレムの足首を破壊していくと、いよいよゴーレムは地響きを立て、ずしん、と地面に倒れたのであった。
「ふう……よくやったぞ、ネール!」
ゴーレムの死を確認したランヴァルドは、嬉々としてネールを褒め称えた。ネールは途端に嬉しそうにする。褒められると嬉しいらしい。健気なことである。
「水晶でできたゴーレムか……。ああ、悪くない!つまり、上等な魔石の塊だからな!」
ランヴァルドはゴーレムの死骸……つまり、魔力を持つ水晶の塊を前に、『さて、どう誤魔化して持っていくかな』と考え始める。
流石に、この巨体丸ごと一体分を運ぶわけにはいくまい。そして何より、この死骸は基本的にはそのまま領主バルトサールへ献上し、後の処理はハイゼルの兵士達に任せることになるはずだ。
……だが、持っていけるものは持っていきたい。手に入る金は全て手に入れたいのである。
と、ランヴァルドが悩んでいたところ。
「……お前、賢いな」
なんと。ネールが既に、動いていた!ゴーレムの体から生え出た綺麗な結晶だけをナイフで叩いて、砕けたものを拾い集めているのだ!
これなら確かに、『戦っている最中に折れた部分です』と言い訳することもできるだろうし、そもそも気づかれない可能性が高い。
ネールは中でもとりわけ美しく上質な水晶を折り取ると、にこにこしながらランヴァルドに差し出した。
「ああ、これはいいな。貰っておこう。……だが、ほどほどにしておけよ」
ランヴァルドが声を掛けると、ネールはこくりと頷きつつ、また水晶を集め始めた。
……そんなネールを横目に、ランヴァルドはふと、ゴーレムの胸部を見た。
「ん?これは……」
ランヴァルドは眉根を寄せる。どうも、嫌な予感がする。
……ゴーレムの胸には、何か、紋章のようなものが刻まれていた。