忙しい日々*5
その日は王城に泊まった。ネールはしっかり有言実行、ランヴァルドのベッドにしっかりもぐりこんで、しっかり暖を取っていった。
……自分の隣でぬくぬくしている幸せそうなネールを見て、『まあ、寒さを感じるってんなら、安心ではあるが……』と思いつつ、ランヴァルドはなんとなく釈然としないものを感じて遠い目をしているのだった!
さて。
翌日、朝早くの内からランヴァルドとネールは出発する。ジレネロストへ帰還するためだ。
「さて、祭りか……。さっさと告知を出して、人を集めて、金を落とさせる準備を……こういうのはマティアスが得意なんだが頼るのは癪だ。よし、イサクさんを頼ろう」
ジレネロストへ帰還するのは、まあ、休養のためでもあり、古代遺跡にかまけて数日お留守になっている領主業をこなすためでもあり……そして、祭りのためでもある。
祭りは、よいものだ。何せ、儲かる。
今、ジレネロストの経済状況はそれなりに潤ってはいるが、それでも慢性的に『人が足りない』という状況になりつつある。
まず、買い手が居ない。そして働き手も居ない。土地は余っており、これから畑仕事の季節になるというのに。商品となる魔物の毛皮や牙も大量にあるのに。……これでは金が回りきらない。勿体ない!
なので人を集めたい。今年は無理でも、来年の麦蒔きの季節には入植を間に合わせたい。ならば、ひとまず知名度を高め、人を集めるための手掛かりにするのが手っ取り早い。
そこで、祭りである。
……ジレネロストに今居る者達は、開拓魂を熱く燃やす元冒険者が多い。或いは、旧ジレネロストに住んでいた者達が、ちらほら、と戻ってきたところか。
そんな彼らに報いてやるのも、領主の務めである。幸いにして、国王から多少の援助は頂けている。それを利用すれば、祭りを盛大に執り行うことは可能である。祭りによってジレネロストに落ちる金とジレネロストにやってくる人のことを考えれば、十分に黒字が見込めるのだ。
「楽しみか?まあ、折角だ。楽しくやろう」
そして何より、ネールだ。ランヴァルドの隣を歩くネールは今も、そわそわと嬉しそうにしている。
彼女はジレネロストの祭りの記憶があまり無いらしい。……少なくともジレネロストの大災害の直前の祭りの時には納屋に閉じ込められたままだったようだし、もしかするとその前から、そんなものだったのかもしれない。
ならば、これはネールにとって初めて参加する祭りとなる。その分、盛大に楽しくやってやりたい。
「その分、お前にも手伝ってもらうからな。覚悟しておけよ、ネール」
ランヴァルドがネールに笑いかけてやると、ネールは嬉しそうに、こくこくと頷くのだった。まあ、やる気があって大変良い。
王城の地下の遺跡からジレネロストの遺跡まで瞬時に移動してしまえば、ジレネロストの遺跡からネールのお家……兼、ランヴァルドの家でもある藍色の屋根の家はすぐそこである。
……つくづく、とんでもない立地である。遺跡を隠すことも考えて、やはりここに城を建てておくべきだろうか。あまり頻繁に領主と英雄が古代遺跡へ出入りしているのを見られるのも外聞が悪いことだし……。
「……っと。何か来てるな。ああ、そう急ぐな。足元に気を付けて。転ぶなよ」
ランヴァルドが考えていると、家の先の道……現状、ジレネロスト随一の大通りとなりつつあるそこに、屋台が出ているのが見えた。
最近ではこうして、行商の者が屋台を出してくれることも多い。ネールはお小遣い……ランヴァルドが渡しているネールの『取り分』を握りしめて、そんな屋台へ突撃していく。
ランヴァルドがゆっくり追いかけていくと、屋台では菓子類と薬を売っているようだった。ジレネロストは今、あちこちで建設だの土砂の撤去だの開墾だのをやっているため、疲れている者、擦り傷切り傷の類を負う者も少なくない。そんな中で働いている者達にとっては、菓子はよい娯楽で、薬は必需品なのだ。
特に、この屋台は薬を売る傍ら、鉄板を出し、そこで焼き菓子を焼いて売っている。辺りにはふんわりと焼き菓子の甘い香りが立ち込めて、なんとも購買意欲をそそられる。実に上手い商売だ。
そしてネールはそんな焼き菓子が鉄板の上で焼かれていくのを『ほわあ』と表情を綻ばせながら眺め……そして、屋台の店主にそれを指差して、金貨を渡す。
店主は『毎度!いやあ、英雄ネレイアにご贔屓にしてもらって嬉しいな!オマケしときますね!』と愛想よく笑うと、釣り銭をネールに握らせ、それから紙袋に焼き立ての焼き菓子をたっぷりと詰めて渡してやっていた。
ネールはにっこりと笑みを向けると、紙袋を抱えてぱたぱたと駆け戻ってくる。ランヴァルドが『こっち持っててやるからお釣りはしまっちまえ』と紙袋を持っていてやれば、ネールは小さな袋にお釣りをしまって、改めて、にこにこと紙袋を抱え直す。
紙袋の中に詰められている焼き菓子は、平たく焼いたケーキというか、ふんわりとしたビスケットというか、なんとも微妙な代物である。だが、焼き立てのこれは表面がさっくりとしていて、そして中がふんわりとし、まあ、美味いのだ。
「……何だ、分けてくれるのか?そいつはどうも」
いつもの如く、ネールは紙袋の中身を1つ取って、ランヴァルドに差し出してくれる。ランヴァルドはそれを受け取って、早速食べた。さっくりとしてふんわりとして、そして甘い。……なんだかんだ疲労していたらしいランヴァルドは、『あー、美味いなあ』と思いつつ、口角を少々上げることになる。
ネールは口角を上げるどころではない。1つ食べては幸せそうな笑みを浮かべているものだから、屋台の店主もにこにこと嬉しそうだ。
……更に、ネールがそんな調子でにこにこ食べているものだから、辺りに居た人々が『あらかわいい。よっぽど美味しいのね』『俺も食いたくなってきたなあ……』と、焼き菓子を買い求め始めた。
屋台の店主はにこにこしながら大忙しだ。焼き菓子が売れれば、そのついでに薬も買い求める者も増える。これは中々良い儲けになるだろう。
……つくづく、上手い商売である。ネールを宣伝に使っているところも含めて。
菓子ににこにこ顔のネールであったが、『それ全部食ったら昼飯が入らなくなるぞ』と言ってやれば、ネールは『それもそうだ』とばかり頷いて、紙袋は丁寧に口を折りたたまれて、ひとまず居間の戸棚に置かれることになった。今日のおやつと食後のお茶受けになって、紙袋は空になるだろう。
それから、ランヴァルドは『執務室』で領主業をこなすことになり、ネールはネールで散歩に出掛けていく。そうしてネールは散歩のついでにジレネロストの困りごとを解決してくるのだろう。恐らく、山の斜面の整備だとか、石切り場の手伝いだとか……ネールがナイフを振り抜いて手伝える箇所で。
そう。ネールは実にあちこちで役に立っている。山を切り開く力もあるネールは、石切り場で石材を切り取ってやったり、畑にしたい場所にあって退かすのに難儀している大岩を斬り砕いて退かしてやったり、切り開きたい山の斜面の木々を片っ端から切っていったり……と大活躍なのである。
勿論、ネールもずっと働いている訳でもなく、本当にただのんびり散歩して帰ってきたり、そのついでに花を摘んできて居間に飾ったり、と楽しんでもいる。
が、ネールにとって、開拓のお手伝いも散歩も、概ね同じようなものらしい。聞いてみたら『どっちもたのしい』とのことだったので、まあ、『健気な生き物だ』とランヴァルドは呆れ半分、感心半分である。
……さて。
そうしてネールが出掛けて行ってしまったところで、ランヴァルドは早速、あれこれと雑務をこなしていく。
『執務室』……つまり、例の掘っ立て小屋の中、紙にペンを走らせたり、紙を捲ったりする音ばかりが響く。
ジレネロストが正式にランヴァルドの領地になったのはついこの間のこととはいえ、その前から実質ランヴァルドが管理していたのだ。既にもう慣れたものだし、分からないことも少ない。
元々領主業をやるつもりで生きていたこともあるだろうが、この短期間でもうすっかり、『領主ランヴァルド』として板に付いてきている。
領民達からしても、ランヴァルドの覚えは良いらしい。何せ、今このジレネロストの領民は、元々ジレネロストに住んでいたが3年前に避難を余儀なくされ、そしてごく最近戻ってきた者達か……はたまた、魔物だらけの旧ジレネロストの開拓を始めた頃からの仲の冒険者達、そしてその頃から世話になっている業者達だ。
自分達の故郷を取り戻してくれた者に対しての覚えは良いだろうし、開拓を共に進めてきた者への覚えも良い。更に、元々ジレネロストに愛着がある者達と、開拓復興を最初期から手伝うことでジレネロストに愛着を得てしまった者達だ。ジレネロストへの愛もまた、大きいのである。
……おかげでランヴァルドは、随分と楽をしている。領民達は未だ少ないものの、よく働き、積極的に復興を進め、新たに山や森を切り開こうとしてくれる気概のある者達ばかり。腕に覚えのある元冒険者も多いので、治安の維持にも有効だ。
よって、このジレネロストの領地経営には、かなりの余裕があった。少なくとも、半年前にはまだ『滅びた領地』で『魔物の巣窟』であったとは思えないほどには。
「よし。祭り、か……」
ランヴァルドは大凡の仕事を片付けると、早速、『祭り』について考え始める。
……それを本当に『イスブライターレ祭』にするかはさて置くとして、まあ、祭りは開きたい。折角だ。良い娯楽であり、今後の発展の足掛かりにもなるような祭りを開くことは、ジレネロストのためになる。
「まあ、場所さえ整備しとけば、後は勝手に人が集まるだろうな。後は、何か目玉になるようなものを用意して……」
……ランヴァルドはひたすら、案を書いては書きつけていく。採用する気のない案もひとまず書き出しておけば、後で別の案に化けることもあるのだ。
そうしてひたすらに案を出していけば、『ネールが喜ぶだろうから、菓子の屋台を招致するか。なら折角だし、今後のジレネロストの祭菓子を投票で決める催しでも……』などと、考えがまとまっていく。
更に、『夏に差し掛かると他の領地の祭りと日程が被るな。ならやはり、急いだ方がいいか。だがまだ夜は冷える。ネールが寒がるといけないし、何か温かいものを……大きな篝火にするか?蜂蜜酒を湯で割って供する……いや、折角なら目玉にあるような……そうだな、なら蜂蜜入りのミルクというのは……』などと考え。
ついでに『招致するなら芸人の類を呼ぶか。或いは英雄ネレイアの活躍を演劇に仕立てさせてもいいな。よし。ならその伝手が確か王都にあったはずだから』……などと考え。
そして『警備も気を遣わないとな。俺の急な叙勲と領主任命を良く思わない連中は幾らでも居るだろう。ああ、だったらハイゼルのバルトサール様とステンティールのアレクシス様をお呼びして箔を付けるか。オルヴァーも呼べば来てくれるだろうし……マティアスはまあ、折角だし金を落とさせるために呼ぼう』などと考え……。
……そうして、祭りについてひたすら案を出していたランヴァルドは、ふと、自分の机の上に差した影を見て顔を上げる。
するとそこには、ネールが居た。ネールは首を傾げつつ、少々心配そうにランヴァルドを見ている。
「……っと、もうそんな時間か。悪いな。お前も帰ってきたことだし、飯がてら休憩にしよう」
時計を見れば、もう昼過ぎだった。これはいかん、とランヴァルドは書類の類を簡単に片づける。昼食後、また続きをやることになるだろうが。
「ん?気になるか?これは、祭りの計画を立てようと思ってな」
が、片付ける前の紙に目を留めたネールが興味深そうにしていたので、『ほら』と紙を見せてやる。ネールは大分、文字の読み書きができるようになった。ランヴァルドが手伝ってやらずとも、文字を読み、内容を理解する。
……内容を理解したらしいネールが、ぱっ、と表情を明るくするのを見て、ランヴァルドは『よし』と頷いた。
ネールは祭りの案を読んでは、頬を紅潮させ、目を輝かせて、『これがいい!』とばかりにランヴァルドを見上げたり、『これは実に興味深い』とばかり頷いたり……実に楽しそうに反応を見せてくれる。
「そうだな。折角だし、お前にも手伝ってもらって案を出すとするか。とにかくな、こういうのは大量に案を出した方がいいんだ。優劣関係なく、量を出す。で、それらを研いで研いで、鋭くしていくんだ。だからお前の意見もあったらきっと役に立つ」
ランヴァルドがそう言えば、ネールは嬉しそうにうんうんと頷いた。
「ついでに、他の領民達にも聞いてみるか。そうだな、企画段階から携わったとなれば、彼らの愛着もよりひとしお、ってところだろうし、そうなりゃ自主的に色々やってくれるだろうし……」
ランヴァルドが早速また案を出していくのを見て、ネールはぽかん、としていたが、やがてくすくす笑い出す。
「……そうだな。ひとまず休憩だ。よし、飯にしよう」
ランヴァルドとしても、ネールに笑われては流石に沽券にかかわる。休憩すると言った手前、きちんと休憩することにして……さて、昼食のために歩き出す。
ひとまず、最近大通りにできた飲食店に入ってみるか、と決めつつ……。
そうしてランヴァルドはネールと共に昼食を摂った。ネールは食後に蜂蜜入りのミルクを貰って、嬉しそうにしている。
……この飯屋もそうだが、他の店でも、ネールのために蜂蜜を置いてくれている。なのでネールは、このジレネロストで食事をしている限りは、ほぼ毎食毎食、蜂蜜入りのミルクを飲むことができるのである!
ランヴァルドは『皆してネールを甘やかしすぎじゃないのか?』と思わないでもなかったが、今、向かいの席で蜂蜜入りのミルクを飲んでは『ほう』と息を吐き出して幸せそうにしているネールを見ると、仕方がないような気もしてくる。
……ネールは、このジレネロストの希望なのだ。ここに居る者達は皆、ネールの功績を知っている。ネールがこのジレネロストを取り戻したのだということを、知っている。……ついでに、ネールが両親を失ったこともまた、知っている者がちらほらと居るのだ。
だからこそ、皆は恩返しとばかり、ネールを可愛がる。今やネールは、このジレネロスト中から可愛がられているのだ!
ランヴァルドはこれを嬉しく思う。ランヴァルドが与えられるものには限りがある。特に、『愛』の類については、いくらランヴァルドが努力したところで、実の親と同じように、というわけにはいかないだろう。
だからこそ、ネールを大切にしてくれる者は、多ければ多い程良い。子供はこうして、多くの者から愛を与えられて、すくすくと育つべきだ。だからこうして、ネールが皆に愛されていることを、ランヴァルドは嬉しく思う。
「……ん?ネール、どうした?」
だが、そんな折。
ネールがふと、ぴく、と反応しつつ、窓の外に目を向けた。
……ネールはランヴァルドより耳がいい。或いは、音を聞いているのではなく、魔力を見ているだけかもしれないが。
とにかく、ネールが反応したのだから、まあ、そういうことだろう。
ランヴァルドが勘定を済ませている間に、ネールが外へ飛び出していく。そして少しの後、馬の嘶きが聞こえ、ガシャガシャ、と鎧の音がして、焦る人の声が聞こえてきて……。
「よし、出番か」
「あっ、ランヴァルド・マグナス・イスブライターレ殿!……こちらが、国王陛下からの親書でございます!」
ネールを見て馬を停めたのであろうその兵士から、早速書状を受け取って、読む。
……そして、ランヴァルドは『よし』と頷いた。
「よし、ネール。すぐに出るぞ。行き先はドラクスローガだ!」
こくりと頷いたネールと共に、兵士へ労いの言葉を掛けると、すぐさま家へと帰る。そして荷物を持ったら、すぐに裏手の古代遺跡へと向かうのだ。
……忙しく、しかしやりがいのある日々だ。どこか、楽しくもある。
ランヴァルドは『エリク達が無事だといいが』と思いつつ、まあ、無事にするべく……ネールと共に、ドラクスローガへと移動するのだった。




