忙しい日々*4
それから四半刻。帳面の中身を読み終えたランヴァルドは、渋面であった。
「……爺さん。あんたこれ、読んだのか」
「読んださ。読まなきゃ情報屋じゃねえな」
「それもそうだ」
ランヴァルドは深々とため息を吐いて……そして、少々躊躇いつつヨアキムに問う。
「あんたはこれを読んで、どう思った?」
「キチガイの日記だ。それだけだな」
ヨアキムの即答に『そうか』とだけ返して、ランヴァルドはまた、思案する。
……帳面の中身は、ヨアキムの言う通り『キチガイの日記』であったように思えたので。
日記はどうやら、ある古代人が記したものであるようだった。この日記の主である彼は、古代遺跡の整備の任に就いていたらしい。
最初のページには『魔力濾過装置の整備点検を行うことになった』と記してある他、職務に就けた喜びなどが綴られていた。
まあ、真っ当な内容である。少なくとも、『キチガイの日記』とは到底言い難い。
その後も彼の日記は続き、彼が『魔力濾過装置の整備点検』を行う様子や、その他、日常の様子などが綴られている。
『濾過装置の清掃作業時には酷く冷える』『濾過装置が無ければより多くの魔力を誘引できるのではないか、という学術論文を見つけた』『今日はドラゴン肉のシチューが美味かった』『同僚が結婚した』『清掃作業中の寒さにも慣れてきた』と……まあ、ページを捲るごとに様々なことが読み取れた。
だが、途中から様子がおかしくなってくる。
『呼ぶ声がする』『濾過装置を外すべきだ』『寒さはもう感じない。元々寒さなど無かった』『より多くの魔力を得るべきだ』『死んだ父と会話できた』といった内容であったが、それらを綴る文字は歪み、判読が難しくなってきた。
文字の変化と共に、内容もまた、変わってきている。荒唐無稽な話が増え、唐突に内容が終わる日も出てきて……ヨアキムの言葉を借りるなら、『キチガイの日記』ということになる。
……そうして、最初の頃とはまるで異なる筆跡になってしまった文字で『私は向こうへ行く』と書き残されたページを最後に、後はただ、白紙が続くのみとなった。
「こいつは……どういうことだ?」
ランヴァルドは、分かるような、分からないような、分かりたくないような……そんな気持ちでただ、ぼやく。
ネールが心配そうな顔でランヴァルドを見上げていたが、ランヴァルドはただ、繰り返して最後の文章を読んでいた。
『私は向こうへ行く』。
……『向こう』とは、どこなのだろうか。
それが、王城で聞いた『ここではない世界』が、本当にあるとでもいうのだろうか。
色々と思うところはあるが、ランヴァルドにできることといったら、手に入れてしまったこの日記を王城へ提出することくらいである。
ならば、ということで、早速王城へ向かう。
王城への移動はこれまた古代遺跡とネールの魔法頼りだ。ネールがこの魔法を使えるようになったと知ったイサクが、他の賢者によってすでに解体された古代遺跡を案内してくれたのである。
おかげで王都へもすぐに移動できるようになったのだが……『あの、本当にこの遺跡の存在を俺達が知ってしまってもよかったんですか?』とランヴァルドはイサクに恐々尋ねた。何せ……その遺跡は、王城の地下に位置するものであり……間違いなく、王族の緊急脱出経路であったからである!
が、イサクは『どのみち、ネールさんが敵に回ればこの国の壊滅は待ったなしですからなあ。ならば利を取った方がよいでしょう』と笑うばかりであったため、ランヴァルドとネールは、畏れ多くも、一部の王族しか知らない古代遺跡と、そこから王城、そして王都の外へと通じる通路を活用することになってしまったのである!
……という経緯もあり、ランヴァルドとネールはその日の夜、王城に到着した。
古代遺跡から王城内部への通路は使わず、一度王都の外に出てから王都に入った。流石に、王の私室や玉座の裏から出ていくのは、畏れ多いにも程がある!
王城に到着してすぐ取次ぎを求めれば、すぐにイサクとアンネリエがやってきた。この2人も大忙しである。
そうして国王より先にイサクとアンネリエに例の日記の内容を共有することになり、そして4人揃って、首を傾げることになる。
「ふーむ……『私は向こうへ行く』という一文については、『ここではない世界』の話を学者達から聞いていなければ、ただ自死したものと思ったでしょうが……」
「自死する前の遺書のようなものと考えれば、辻褄が合ってしまいますからね」
イサクとアンネリエは首を傾げつつも考えを述べてくれるのでありがたい。ランヴァルドはこの日記を、先入観無しに読んでくれる者を求めていたのだ。
「それにしても、徐々に正気を失っていくように見えるのがまた何とも……恐ろしいですな」
「やはり、そう読めますか」
「ええ。筆跡がこのように崩れていくのは、そういうことかと」
イサクからもお墨付きを得て、ランヴァルドは『やっぱりこれはキチガイの日記ってことか』と、ヨアキムの評を改めて噛みしめる。
そして。
「……実は他の学者らが『ここではない世界』のことを知ったきっかけも、古代遺跡に関わっていたと思しき古代人の手記であったようなのです。私は要約文を少し読んだだけでしたが……その要約にもまた、『徐々に正気を失っていくような内容』と記載がありました」
「……つまりこの日記は、『古代遺跡に関わっていた古代人が徐々に正気を失っていく』という例の、2つ目、ということですか」
「ええ。そういうことです」
さて。イサクとランヴァルドは揃って眉根を寄せることになる。
……1つだけなら、『たまたまそういう人物の日記だった』と考えるだろう。或いは、『自死したようだから、まあ、気が狂っていたのも当然か』と捉えられる。
だが、2つだ。
同じように正気を失っていく日記が、2つ。別の個所から、別人のものであろうそれらが見つかっているのだ。
……これを、『偶々だ』と考えるのは、少し難しい。
そうして、ランヴァルドは現状の報告がてら、国王との謁見を行った。
『即日で謁見できていいのですか?』とイサクに聞いてみたのだが、イサクは笑って『何を仰いますやら!今やあなたはこの国きっての重要人物です。当然、国王陛下も優先して謁見の時間を設けるべきなのです!』と言うものだから、只々恐縮するしかない。
「……というような内容の日記が、見つかりました」
「そうか。場所は?」
「南西部。シルヴェルバ領内にあった古代遺跡のようです。……情報屋から買ったものですので、直接確認したわけではありませんが、信頼のおける情報屋ですので、間違いは無いかと」
ランヴァルドが報告すると、ふむ、と国王は頷いた。
……ヨアキムについての詳細は伏せたが、先程イサクにそれとなく聞かれたので、それとなく答えてある。必要だと思われるようなら、そっと調査が入るだろう。そして、特に必要が無いと思われるだろうし、裏通りの情報屋をそっとしておくくらいの感覚は、イサクにも国王にもあるはずである。
「同じような内容の日記が3つ、か」
「3つ?」
更に、国王はそう言って眉根を寄せた。
「……お主らの前に謁見を求めてきた賢者の1人が、これを提出していった」
……国王は、玉座の傍らにあった盆の上から、ドラゴンの皮紙と思しきものを持ち上げて、ひら、と振ってみせた。
「これにも似たような内容が書いてある」
「うーむ……古代人の暮らしの一端を知ることはできましたが、だからといってどうすることもできませんからなあ……」
「もう終わってしまったことですものね」
さて。
国王との謁見および、新たに見つかった資料の内容については、イサクとアンネリエも知らなかったらしい。それはそうである。たった今、持ち込まれたものだったようだから。
「第三の資料は、客観的なものでしたからな。『古代遺跡の清掃作業に従事していた者が徐々に正気を失っていく』ということが客観的に記録されていたのは大きな情報ですが……うーむ、一応、マグナス殿とネールさんも、気を付けて頂いて……」
何とも気まずげなイサクを見て、ランヴァルドは苦笑する。
……古代人達が古代遺跡の古代魔法装置に長く携わる中で徐々に正気を失っていったことは、確かなことであろうと考えられる。だからこそ、現代を生きる者達の中で殊更古代遺跡に関わり、そして今後も古代遺跡に関わることになるランヴァルドとネールにとっては、他人ごとではない。
ランヴァルドとしては、『俺達も徐々に正気を失っていくんじゃないだろうな……』とひやりとさせられる。
狂気を自覚することは、難しい。客観的に見てもらうしか、自分がそうかそうでないかの判断が付かないのだから、余計に恐ろしい。
……ただ、救いは無いでもない。
「『徐々に寒さを感じなくなっていく』という点も共通していますからね。一応、気を付けてみます」
「そうですなあ……。もし、寒さを感じにくくなるようなことがあれば、すぐさま遺跡を離れて休んで頂いた方がよろしいかと」
ランヴァルドがヨアキムから手に入れてきた日記もそうだったが、『正気を失っていくのと同時に、寒さを感じなくなっていく』という点もまた、全ての資料に共通していた。
正気を失っていくことと、寒さを感じなくなっていくことと……その2つに関連があるのかどうかもよく分からないが、まあ、全ての資料に共通している以上、気にしておくに越したことは無いだろう。
「なあ、ネール。お前、最近寒さを感じにくいってことはあるか?」
ということで早速、ランヴァルドはネールに聞いてみた。ランヴァルドが心配なのは、ランヴァルド自身よりも、ネールだ。
……ランヴァルドの気が狂ったところでランヴァルド1人を処分すれば済む話だが、ネールはそうもいかない。ネールは今や、この国の希望だ。失う訳にはいかない。それに何より、ネールにはまだまだ未来がある。子供の未来に悪い影響などあってはならない。
「……あ、そうか。寒いのか。うん。分かった。分かったから」
が、今のところその心配はなさそうである。ネールは『とても さむい。 なので ねるときは いっしょがいい』と書いて、堂々と見せてきたので。更に、見せたついでにきゅうきゅうとくっついてきたので。
「……本当に寒いだけだろうな、お前。いや、違うな。絶対に違うだろ、ネール」
ランヴァルドはネールの様子を訝しんでみたのだが、ネールは只々、ご機嫌なばかりである。
……まあ、寒さを感じるということなら、それは良いことだ。ランヴァルドは『ああくそ、ぬくいなあ』と思いながら、くっついてくるネールの頭を撫でてやって、ため息を吐くのだった。
そうして一頻りネールにくっつかれ、その様子をイサクとアンネリエに何とも微笑ましく見つめられてしまった後で……。
「それにしても、やはり陛下はマグナス殿を高く買っておられるようですな!まあ、当然でしょうが!」
イサクはそう言って、にこにこと笑った。
「ああ……ありがたいことです。畏れ多くもありますが」
ランヴァルドとしては、恐縮するしかない。特に……目の前にアンネリエが居るので。
……先程、国王はランヴァルドの働きを直々に褒め称えると同時に、『ところで、領名を改めることはしないのか』と問いかけてきたのだ。
ランヴァルドは新たに、『イスブライターレ』の家名を授かった訳だが、治める領地は相変わらず、『ジレネロスト』のままである。
こうした場合、新たに授かった家名に合わせて領名を改めることも多いものだが……ランヴァルドは、『改めるつもりはありません』と、はっきりそう答えた。
……『ジレネロスト』という名を消し去ってしまうのは、どうにも躊躇われた。アンネリエのことを思うと、どうにも。
それに加えて、ネールのこともある。『ジレネロスト』は、ネールの故郷だ。彼女の故郷の名を、ずっと残しておいてやりたい気持ちは、ある。
「……マグナスさん。その、よろしかったのですか。その、領名を改めない、というのは……」
アンネリエがなんとも気まずそうにそう尋ねてきたのを見て、ランヴァルドもまた、気まずく思う。……だが、だからこそ、ランヴァルドは精々悪徳商人ぶって答えるのだ。
「『ジレネロスト』のことですか?ええ。勿論。名前を変えるというのは、なんだかんだ、面倒ですからね。『ジレネロストの大災害』は有名です。だからこそ、『ジレネロストの復活!』と銘打つことで、これだけ宣伝効果がある。この利を捨てるのは愚かしい」
……ランヴァルドがぺらぺらと話して聞かせる内容もまた、事実である。『ジレネロスト』の名を使い続けることによって得られる利益は、確実にあるのだ。
尤も、同時に『新たに生まれたイスブライターレ領』と銘打っても、それなりに、或いは『ジレネロスト』以上に宣伝効果はあるだろうと思われたが。
「……それに、まあ、戻ってきやすいでしょう。『ジレネロスト』の方が。元々住んでいて、避難していった者達は……まだまだ、あちこちに居るはずですから」
だがやはり、ランヴァルドは『ジレネロスト』の名をそのままにしておくつもりである。きっと、そう望む者が、あちこちに居るはずなので。
……そして彼らが『ジレネロスト』へ戻ってきてくれるのであれば、ネールの故郷を取り戻すことに繋がるので。
「まあその、つまり、みすみす、人口増加の糸口を捨てるのもどうかということで」
「……そうですか」
アンネリエはほんの少し潤んだ目を瞬かせると、やがて、にっこりと笑ってみせた。
「ならば、全力でお手伝いしなければ。『イスブライターレ』の名を刻むものの新設を!」
「えっ」
唐突であった。アンネリエの提案は唐突であった。何故か彼女は大いにやる気に満ち満ちているようであるが……ランヴァルドにとっては、唐突なことである!
「記念館はいかがでしょう?或いは、城を……そうです。マグナスさん。城はどうなさるおつもりですか?まさか未だに、領主ともあろうお方が、『物置小屋』で執務に励んでおられるということはありませんよね?」
「いや、その……ネール。おい。裏切るな」
ランヴァルドは誤魔化そうとしたが、ネールが『そのとおりです!』とばかり大きく頷いてみせたので目論見は儚くも潰えた。とんだ裏切りに遭ったものである!
「ねえ、マグナスさん。あなたの功績は、大きいものです。その功績を後世に伝えることもまた、『ジレネロスト』には必要なことなのでは?」
「そうですなあ。マグナス殿の名を刻んだものを何か、新たに設けるのは悪くないと思いますよ」
アンネリエもイサクも、随分と乗り気である。ランヴァルドが押されてたじろいでいると……ふと、アンネリエが表情を明るくして、言った。
「そうだ!祭りを開くのはいかがでしょう?『イスブライターレ』の名を冠する祭りを!」
……ランヴァルドは、考えた。ほんの10秒ほど。
そして、そんなランヴァルドの横で、『お祭り……!』と目を輝かせるネールを見て、考えはすぐさま纏まる。
「名はさておき、祭は確かに、話題を生んで収入に繋がりますね」
そう、結論を出した。……なんだかんだ、ランヴァルドは商人なので。