嚥下*4
それから数日間は、非常に忙しなかった。
まず、その日のうちにイサクとアンネリエはすぐさま王城へ書状を送り、ファルクエーク領主の座がオルヴァーへと移譲される旨を伝え、ついでに、簡単に事の顛末と、アルビンとアデラの処理についても伝えられた。
……アルビンとアデラについては、その日からすぐ、軟禁ということになった。これはオルヴァーが命じたことである。
オルヴァーは、家臣達に今回のことの顛末を発表し、その上で、アルビンとアデラを幽閉する旨を宣言したのである。
ランヴァルドは、『あれじゃあオルヴァーへの反発だってあるだろう。領内が荒れるぞ。止めときゃいいのに……』と呆れたのだが、悲しみを帯びながらも晴れ晴れとした弟の顔を見て、『これでよかったのかもな』とも思う。
……オルヴァーは、反発を覚悟で、事の顛末を公表した。それはつまるところ、ランヴァルドの名誉を回復させたい、という彼の望みに他ならない。
ランヴァルドとしては、弟が自分を思いやってくれることへの喜びと、自分のせいで弟が苦境に立たされることになった罪悪感とで複雑な気持ちではあるが……オルヴァーには、ただ頭をわしわしと撫でてやって、『頑張れよ』と声を掛けるのみとした。
オルヴァーは健気にも、嬉しそうにしていた。……オルヴァーはこれから当面、領地運営の引継ぎに、領地の立て直しに、と忙しいだろう。だが、『兄上と肩を並べるために!』と意気込んでもいるので、まあ、大丈夫だろうと思われる。
……ランヴァルドは、『当面の間は細かくファルクエークの状況を気にかけてやらないとな……』と思った。
どうやら、オルヴァーが再び懐いてくれるようになって、ランヴァルドは兄らしいことをしたくなってきたようである。柄でもないような気がするが、同時に、自分は元々こういう奴だったのでは、とも思えてしまうので、まあ、複雑な心境であった。
3日後には、王城から書状が届いた。『新たなファルクエーク領主の着任を祝福する』という、定型的な文面の他に、『苦難の道ではあろうが、励め』と、言葉少なに激励の言葉もまた、書き添えてあった。オルヴァーはそれを読んで決意を新たにした様子である。
そしてイサクとアンネリエは何やら手を回していたようで……今後もアルビンとアデラを監視するために、人や物資を捌いていた。
……一週間後には、2人の身柄はファルクエーク東部で朽ちかけている古城に移されるらしい。そのための人員が一時的に王城から派遣されてきており、少しの間、ファルクエーク城は賑わうこととなった。
……尚、今回裁かれることとなった、アルビンとアデラについてだが。
アルビンは、毒を、ちびちびと、本当に少しずつ、少しずつ、飲んでいるらしい。アンネリエ曰く、『あれではあの瓶が空になるまでに何年かかることやら』とのことである。
だが、ランヴァルドの言葉通り、少しずつ、少しずつ毒を飲んでいるということならば……いつか、古城を出る日が来るのかもしれない。それは、オルヴァー次第だが。
そして、アデラは……ランヴァルドが出したものとはまた別の毒で服毒自殺を図ったらしい。だが、それは見張りの手によって呆気なく阻止され、今はまた、少しずつ、少しずつ、例の毒を与えられるようになっているという。
……『既に正気ではないのでは』と、アンネリエが言っていた言葉を、『まあそうだろうな』とランヴァルドは納得しながら聞いていた。
何を以てして正気と言うのかは難しいところだが……アデラの考えの片鱗すらも、ただ推測することしかできないが……それでもやはり、『正気ではなかった』と。ランヴァルドはそう、思うのだ。
彼女が何故、これほどまでにランヴァルドを憎んでいたかは、まあ……ランヴァルドの父であるエドヴァルドを憎んでいたから、ということになる、だろうか。
アデラにとって父は、愛する人と引き離されて無理矢理結婚させられた相手であった。故郷から遠く、決して住み良いとは言えない北の大地に連れてこられたことも、彼女が塞ぎ込む要因であったかもしれない。
……父が死んだ後、父に劣等感を覚えていたアルビンと恋に落ちたのは、まあ、アデラにとって必然であったのかもしれない。
そして、生まれて初めて、自分の思い通りに自分の心を動かせるようになったアデラにとって、アルビンは大切な相手であったのだろうし、そのアルビンとの間に生まれた息子のことは、心底可愛かったのだろう。
……そして、そんな理想的な家族の中で、ランヴァルドが唯一、邪魔だった。そう思う程度には、アデラはかつての夫を、ファルクエークを……そしてランヴァルドを、憎んでいた。
『ま、大方そんなところだろ』とランヴァルドは思っている。狂人相手に答え合わせをするつもりは無い。今更だ。10年前ならともかく。
……そして、そんな風に周囲が忙しくしている間、ランヴァルドは何をしていたか、といえば……。
「……暇だ」
寝ていた。
……寝ている。ランヴァルドは今、寝ている。自室のベッドで、ただ……寝て、体を治しているのであった!
流石に、体にガタが来たらしい。当然といえば、当然である。絶食状態であったところで魔力の限界を超えるような魔法の使い方を重ね、遺跡の氷による切り傷が重なり、そこに『魔力を多く含んだ氷を貪り食うことによって魔力を無理矢理補填する』という特大の無茶をやらかし……更に毒を飲んだ!
ここ数日の無茶は、間違いなくランヴァルドの体を蝕んでいた。今回、諸々の決着がついて安心したと同時……かくん、と糸が切れたように体が動かなくなり、そしてそのまま発熱し、ぐったりとベッドに横たわる羽目になっている。
……とはいえ、一晩と少しゆっくり眠れば、頭はしっかりしてしまった。微熱と怠さ、そして荒れた消化器官の痛みはあるものの、まあそれだけなので……ランヴァルドはこっそりと、ファルクエーク領のここ10年分の帳簿を見て、財政の立て直しを図るべく情報を整理しているのだが……。
「兄上!また帳簿を見ていますね!?お休みください!」
ドアが開いて、オルヴァーがつかつかと入ってきて、そして、ランヴァルドがベッドの枕元に積み上げた帳簿を、さっ、と奪い取ってしまった。
「うわっオルヴァー!お前、なんでここに!」
「兄上が!お休みにならないからです!」
「……暇なんだよ」
「暇なわけがありますか!体は間違いなく傷ついているんですから、休むのに専念してください!」
……オルヴァーはすっかりランヴァルドに対して過保護になっており、この調子である。ランヴァルドは『くそっ!ネールが2倍に増えやがった!』という気分である。
「……兄上。俺は、その、まだまだ未熟ですが、病床の兄上までもを働かせねばならない程では、ない、かと……」
だが、オルヴァーの顔を見て、『もうちょっと控えるべきだったな』と、思わないでもない。
オルヴァーとしては、ランヴァルドが働こうとすることによって、罪悪感と劣等感を覚えてしまうらしい。オルヴァーは、『俺が未熟なばっかりに、兄上は安心して寝ていられないのだ』と自分を責めてしまうのだろう。
「ああ、分かってる。別に、お前の仕事ぶりに不安があるからやってるんじゃない。単に暇なんだ。まあ、10年も商人をやってたからな。帳簿の類は嫌いじゃないんだ」
オルヴァーを安心させてやるべくそう言えば、オルヴァーは小さく頷いた。
「それから、その……まあ、ほら。お前が忙しいことに変わりは無いだろ?手伝えることがあったら、嬉しいな、と……」
……それからランヴァルドは言葉に迷い、迷って……オルヴァーの不安気な顔を見てしまえば、仕方がない。ため息交じりに認めることにした。
「……10年ぶりに、お兄ちゃんらしいことをしたくなったんだよ」
恐らくランヴァルドは、病床で少々気が弱っているのだ。だからこそ、こんなことをしているように思う。
……オルヴァーにとっての家族は今や、ランヴァルドのみとなってしまったのだ。その分、ランヴァルドが兄らしくしてやらなくては、と思ってしまうのは……まあ、気が弱っているからだろう。
つまるところ……ランヴァルドにとっても、オルヴァーが唯一、血の繋がった家族になってしまったので。その事実は間違いなくランヴァルドの気力を摩耗させていたのだ。
「兄上……へへへ、なんだか嬉しいです。俺も、10年ぶりに弟をやらせてもらっていますけれど、その、悪くないですね。こういうのも」
だが、こうしてオルヴァーが嬉しそうにしているのを見ると、そう悪い気分ではない。……随分と素直で可愛い弟である。今や、ランヴァルドより図体はでかいわけだが。
「まあ、お気持ちは嬉しいのですが、今はとにかく、寝てください。医者もそう言っていましたよ、兄上」
「そうだな。うん。そうするよ。……それで、イサクさんの方のあれこれが終わるより先に回復して、1日2日だけでも、手伝ってからここを発てるようにする」
結局、イサクは『もう折角ですから、出発を1日延ばすなどとけち臭いことは言わず、半月ほど延ばしましょう!ひとまずの報告は書簡でも構わないわけですし、陛下への報告より、ファルクエークのあれこれを処理することを優先としましょう!』と言ってくれたので、ランヴァルドはそれに甘える形になっている。
……おかげで、このようにゆっくりと休むことができ、ついでに、少しはオルヴァーの面倒を見てからここを発てそうなので、本当にありがたいことだ。
……ありがたい。本当に。
ランヴァルドがこうして、ファルクエークに関われるように、機会を設けてもらったのだ。心底、嬉しく思う。
ランヴァルドは恐らく、ずっと、こうしたかったのだ。自分が愛した土地のために頭を捻り、体を動かして……大切な人が大切にしていたものを、大切にしたかったのだ。
これからも、ファルクエークには様々な困難が待っていることだろう。直近だと、周辺の領地に舐めた真似をされる可能性が非常に高い。何せここは北部。気性の荒い者が多いこの地域では……領主の気性も、そうである場合が多い。
『何か領内で問題があって急遽代替わりした若造』であるところのオルヴァーを舐めてかかる者は多いだろう。特に、最近はどこも冷夏の影響で景気が悪い。『ならば奪え』と思う者が、居ないとは言えないのだ。
……だが、それらに関われる。ランヴァルドはもう、外からファルクエークの衰退を見てせせら笑うようなことはしなくてもいい。
ベッドの横に置いてある剣に触れる。
……とても、気分が良かった。前向きで。明るくて。悪徳商人には似つかわしくない程に。
……オルヴァーも去り、帳簿も『これは没収します!』と持っていかれてしまい、ランヴァルドはまた、暇になった。『寝るか』とも思うのだが……なんとなく、おちつかない。多少の焦燥に似た感覚を味わい、どうにも、ベッドを出て動きたいような気分になり……。
だが。
「……お前まで来たのか、ネール」
ネールが、来てしまった!
ネールはランヴァルドが寝ているベッドの近くにまでてくてくとやってくると、じっ、とランヴァルドの顔を見つめる。
「ああ、体調はもういいんだ。だが、もう少し休めとオルヴァーが……おい、ネール」
そして、ランヴァルドを見つめていたネールは、ランヴァルドの話を最後まで聞かず……上着を脱いで、ベッドの近くのコート掛けに掛けて、そして!
「……ああうん、こうなる気はしてたよ」
すぽん、と。……ネールは、ランヴァルドの横に、潜り込んできたのであった!
「お前も眠いのか?全く、しょうがないな……」
ランヴァルドはため息を吐きながら、ネールのために少し場所を開けてやる。するとネールはにこにこと、嬉しそうにすり寄ってくる。
……と、この状態にしてしまってから、はた、と気づく。『いや、ネールが俺のベッドで一緒に寝ようとするのを、俺が止めなくてどうする!?』と。
だが……招き入れてしまった。そしてネールのぬくさが、どうにも手放しがたいほどに心地よい。
ネールのぬくぬくとした体温をじんわり味わいながら、『ああ、俺、少し寒かったんだな』と、気づいた。それから……少々、体調を崩して気が弱って……そのせいで、『寂しい』などと、思っていたらしいことにも、気づいた。
「……ああもう、俺はどうしてこうなっちまったんだ?」
ベッドの中で頭を抱えてみても答えは出ない。一体どうして、ランヴァルドはこうも変わってしまったのだか。
……ネールと出会う前であるならば、1人で寝て、1人で起きて……1人で死にかけて、1人で蹲って、1人で立ち上がっていたものを。それがどうして、ネールがくっついてくるのが心地よい、などと。
今、たまたま気が弱っているだけだ。体も随分と傷つき、消耗したから、そのためだ。
ランヴァルドはそう、自らに言い聞かせつつ……しかし、そんなランヴァルドを見て、ネールがにこにこしている。
「嬉しそうだな、ネール……」
こうもネールがにこにこと嬉しそうにしているものだから、最早どうすることもできない。ランヴァルドは深々とため息を吐くと、ごろ、と体を横に向ける。胃腸の調子が悪いので、横を向いて寝るのが楽なのである。
そうしていると、ネールがころころ、と転がってきて、ランヴァルドの腹のあたりに収まり、満足気な顔をした。ランヴァルドは苦笑しつつ、ネールの腹に腕を回してそのまま抱きかかえてやる。
「おやすみ」
……そして、午後の日差しがほわりと窓の隙間から入ってくるだけの薄暗い部屋の中、ランヴァルドは再び、目を閉じることになったのだった。




