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クズに金貨と花冠を  作者: もちもち物質
第六章:氷を喰らい生きる者
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嚥下*3

 イサクの護衛の兵士達が、それとなくアデラを囲む。アデラは蒼白な顔でじっとしていたが、彼女を庇う者は誰も居ない。

 唯一、領主アルビンだけはどうしたものか、というかのようにあちこちへ視線をやっていたが、それだけだ。彼にできることは何も無い。

 そして……アデラが、ふと、視線をやった先。オルヴァーは……アデラを冷たく一瞥して、それきりだった。それ以降は、『兄上!なんという無茶を!』と、只々ランヴァルドのために世話を焼く係になってしまったので、アデラはオルヴァーに何も声を掛けられなかった。

「兄上!ただスープの中身を調べる必要があったのならば、毒を盛った本人に飲ませればよかったではありませんか!」

「しかし母上は、俺自身が毒を盛ったとお考えのようだったからな。丁度いいだろ。この方が誤魔化しも効かないことだし……」

「よくありません!」

 ……オルヴァーがランヴァルドの周りで頭を抱えている。そしてネールは、ぽこぽこぽこぽこ、とランヴァルドの胸を叩いて、抗議の目をずっと向けてきている。

 ランヴァルドは椅子にぐったりと座りながら、ただ、オルヴァーの心配とネールの抗議とを受け続けていたのだが……そうして小一時間すると、指先に力が入らなくなってくる。

「……ん」

「あ、兄上……」

 今回も血を吐く羽目になるだろうか、と思ったが、そちらの毒は調合されていないらしい。……恐らく、ランヴァルドが馬車に乗り、王都への道を進み始めて少ししたところで心臓が止まるように調整してあったのだろう。

 ……尤も、調整が甘いことは間違いないのだが。

「大丈夫だ。この程度の毒じゃ、俺は死なない」

「解毒剤を」

「もうちょっとちゃんと症状が出てからにしとこう。後で証拠不十分ってのも、癪なんでな」

 ランヴァルドが笑うと、オルヴァーはやきもきとした顔でため息を吐き、ネールはまた、ぽこぽこぽこぽこ!とランヴァルドの肩を叩きはじめる。凝りが解れて丁度いい、と言ったら余計に怒られるだろうか、と思いながら、ランヴァルドは僅かに身じろぎして、ネールのぽこぽこが丁度いい具合になるように体の位置を変えた。


 ……そうしてネールにぽこぽこやられたり、気が気でない様子のオルヴァーに周りをぐるぐるうろうろと歩き回られたりして、四半刻。

「……うん。そろそろ飲むか」

 ランヴァルドはようやく、アデラが持っていた解毒剤を飲むことにした。そろそろ、眩暈と吐き気が酷い。そして、指は酷く冷え、脈は弱くなっており……まあ、毒の症状がよく出ているのだ。

 そして、そうと決めたなら薬を飲む前にやっておきたいことがある。

「イサクさん。俺の瞳孔を確認して頂けますか」

「はい。……おおー、開き切っていますな」

「ですよね。道理で眩しい訳だ」

 ランヴァルドが苦笑しながらそっと目を伏せれば、オルヴァーがすぐに動いて、しゃっ、と部屋のカーテンが閉められた。

「脈も、取っておいていただいても?」

「そちらは私がやります」

 脈はアンネリエが確認してくれるらしい。ありがたく任せると、アンネリエはランヴァルドの手首に触れ……『あ、あら?』と少し困惑したように、肘の内側、そして首筋へと触れる位置を変えて、なんとか脈を診てくれる。

「……弱いですね。その上、不安定です」

「そりゃあ、脈を取りづらかったでしょう。ご面倒をお掛けしました」

 アンネリエに苦笑を返せば、アンネリエはなんとも心配そうな顔で、一応微笑み返してくれた。

「兄上。顔色があまりにも……!」

「だろうな。寒い。……いや、寒いが、別にくっつかなくてもいいんだぞ、ネール。おい、ネール」

 そしてオルヴァーの言葉を聞いたネールが、くっついてくる。おかげで重い。そして、ぬくい。

「……このままでも死にはしないでしょうが、まあ、一応、薬を。それも一つの証明になるでしょうから」

 いつまでもネールを引っ付けておくわけにもいかないので、ランヴァルドはさっさと薬を飲む。

 ……途端、強い酒を飲んだ時にも似た、胸の内がかっと熱くなるような感覚を味わう。

 どく、と急に強く心臓が脈打ち、その圧迫感にランヴァルドは呻き、咳き込む。これをまたオルヴァーやネールが大層心配したが、『心配ない』と手をひらひらやって大人しくさせておいてから……少しばかり落ち着いてきたところで呼吸を整えて、ふ、と息を吐く。

「ま……後は少し大人しくしてりゃ、よくなるだろ。経過は、イサクさんに時々確認して頂いて……」

「ええ、ええ。勿論ですとも。しかとその任務、引き受けましょう」

 ランヴァルドとしては、イサクにここまで面倒をかけて申し訳ない気持ちであるのだが、イサクはにこにこと笑っていてくれるので只々ありがたい。

「まあ……私としましては、マグナス殿の食事に毒が混入していたこと、そしてファルクエーク領主夫人がお持ちになった薬は間違いなく盛られた毒に対処するための薬であったことを、間違いのない事実として受け止めておりますが」

 そしてイサクは、そのにこにことした顔を少しばかり困ったような顔に変えて、領主アルビンへと向き直る。

「さて……これを王城には、どのように報告すべきやら。何か、よい知恵はお持ちですかな、領主アルビン殿。或いは……」

 イサクの目が、真っ直ぐに領主アルビンを見据える。それが国王によく似て、威厳に満ち溢れているものだから恐ろしい。

「申し開きしたいことなどは?」

 ……そうして領主アルビンは、只々青ざめることになったのだった。




「私が」

 そこで動いたのは、アデラだった。

「私が……やったことです。使用人を使って、毒を……」

「ええ。それは知っていますとも」

 震える声で自供するアデラに、イサクは柔らかく、それでいてにべもなく頷く。

「……他に、誰も知りませんでした。私が、私が1人で……」

「アデラ」

 ……そしてアデラを止めたのは、領主アルビンだった。

「……知りながら止めなかったことを、心から詫びる」


 アデラが絶句する。だが、アルビンはもう、止まらない。

「……この度は、王城よりお越しになった使者であるところの皆様に、このような、命を危険に晒すような失態を……本当に、最早何も、申し上げることなどできず……」

 領主アルビンがしどろもどろながらそう口にすれば、ふ、と息を吐いて、イサクは『まあこんなものか』とばかりに頷いた。

「では、ファルクエーク領主として、非を全面的にお認めになる、と。そういうことで報告してよろしいですかな?」

「はい」

「逆賊に国土を一部とはいえ治めさせるわけにはいきません。それは、お分かりいただけますな?」

「……はい」

 領主アルビンがただ俯いて答えるのを、アデラは茫然と見ていた。……こうして領主自身が罪を認めて項垂れてしまっている以上、『王城の使者など、ここで全員殺してしまえ』という手段に出ることも、もう叶わない。

「また、逆賊を生かしておく理由もない。……それも、覚悟の上ですな?」

 ……そして何より、こうしてアデラ達……『ファルクエーク家』の者達の首筋には、剣が突き付けられているのと同じである。この状況で、動けようはずがない。


「さて……マグナス殿」

 動かないアルビンとアデラを前にしていたイサクが、ふとランヴァルドを振り返る。

「此度の被害者は、マグナス殿です。彼らの処遇は如何様にいたしましょうか。何かお知恵はありませんかな?」

「ファルクエークを治める者が居なくなるのは、問題かと思います。……ここは、現領主殿には退いて頂いて、オルヴァーを領主の座に据えるよう求めるのが妥当かと」

 ランヴァルドは苦笑しつつ、『まあ、そのあたりで収めてください』と伝える。

 ……アデラがとんだ失態を犯したことは間違いないが、ファルクエーク自体に罪はない。ここは、多くの民が暮らす無辜の土地なのである。

「王家で領地を接収してしまうこともできますが」

「民のことを思うならば、ファルクエークはファルクエークの血の者に治めさせるべきかと。ただでさえ、北部特有の、気性の荒い者が多い土地です。わざわざ王家が苦労を背負い込む必要は無いのではありませんかね」

「ふむ。まあ、そういうことでしたら」

 そのあたりはイサクも十分に分かっていると見えて、あっさりと頷いた。元々、『ランヴァルドのとりなしによってファルクエーク領の廃止は回避された』という筋書きにするつもりだったのだろうから、ランヴァルドとしても驚きは無い。


「……では、『表向きは』領主アルビン殿が領主の座を退き、オルヴァー殿がファルクエークの領主になる、と。そういうことですね?」

「はい。いかがでしょうか」

「ええ。大変結構ですとも。ま、国が大変なこの時期に、わざわざ波風を立てる必要はありますまい」

「ありがたいですね。『表向きは』やはり穏やかである方が、民への影響も少ないでしょうし」

 こうして、『表向き』の話は決着した。

 そう。あくまでも、『表向き』の話だ。……当然、これでは終わらないということは、この場に居る全員が分かっている。

「……して、『内々に処理する部分』については、どうしましょうかね。マグナス殿のご希望があればお伺いしたいのですが」

 イサクがランヴァルドを見つめる。静かに笑みを湛えている彼は、ランヴァルドが何を言っても、『ではそのようにしましょう』と言うのだろう。

 ……そう。

 今、領主アルビンと領主夫人アデラの命は、ランヴァルドの手に握られた。




 他人の命を握っている状況、というものは、まあ、悪くない。悪くはないのだが……酒と同じだな、とランヴァルドは思う。適量であれば、それでいい。だが、ずっと、延々と味わい続けていたいものでもない。

「……叔父上。お聞きしたいことがございます。よろしいですかね?」

 ランヴァルドはひとまず、アルビンに向き直った。まだ、アデラと直接何かの話をする気にはなれない。

「叔父上は、俺が毒を盛られるはずだったことをご存じでしたか?今回、そして、10年前……2回、ありましたが」

 ……とはいえ、これはこれで、やはり気まずい。アルビンは少し考える素振りを見せて、それから、小さく答え始めた。

「……正確なところは、知らなかった。だが、何かあるのだろう、とは、気づいていた」

「そうですか。では、10年前、俺が毒に倒れた時……何を考えておいでだったんですか?」

 続いてランヴァルドが尋ねれば、アルビンは言葉に詰まり、視線を床に彷徨わせ……そして、手で顔を覆うようにして、項垂れた。

「……ああ、確かに、『都合がいい』と、思った」

「オルヴァーに家督を譲るのに、ということですね?」

「そうだ」

 諦めたか、開き直ったか。アルビンが話す気になったのは、まあ、喜ばしいことだ。無言でいられるよりは、ずっといい。

「……ランヴァルド。お前を見ていると、どうにも……兄上を見ているかのようだった」

 ふと、ランヴァルドは思う。そういえば、アルビン自身の話をこうして聞いたことは今まで碌に無かったな、と。

 ランヴァルドが次期領主として補佐する間も、アルビン自身のことを聞いた覚えは、あまり無い。無論、『かつてこうだった』という類の思い出話は、いくらか聞いていた。だが、アルビン自身が何を思い、何を感じていたかは、聞いた覚えが無い。

「賢い子だったな、お前は。だから……私の無才を暴き立てる」

 ……だからランヴァルドは、アルビンがランヴァルドを通して、父を……アルビンの兄の姿を見ていたのだということを、初めて知った。

 そして、そこに酷く劣等感を覚えていたことも、まあ、初めて聞いた。これは、察しがついていたことでは、あったが。

「……成程。そりゃあ、俺の墓を建てるわけですね。そうすれば、あなたを脅かす者は居なくなるから」

 墓の話に触れれば、アルビンは少々、怯んだ。

「まあ……積極的に俺を殺そうとしたわけでもなく、ただ、妻が都合よく動いたのを止めずに見ていただけ、っていうのは……実にあなたらしいですね」

 ランヴァルドがそう憎まれ口を叩いてやっても、アルビンは反論できない。それはそうだ。悪いのは彼だ。如何に鬱屈としたものを抱いていて、自分の能力に余る領主業に身を窶してきたとはいえ……不正を見逃し、ランヴァルドが死に行く様子をただ黙って見ていたのだから、アルビンに反論の余地は無い。


 ……そうしてアルビンの話を聞いてから、ランヴァルドは『これ、オルヴァーが居るところで聞くことじゃなかったな』と少々後悔する。オルヴァーが、凄まじい形相でアルビンを睨んでいるので。

 ……まあ、これが彼らにとって一番の罰であるかもしれない。

 ランヴァルドを廃してでも家督を譲りたかった愛する息子に、憎まれるということが。

 そしてそれがより堪えるのは……アデラの方だろう。




「……何故、スープを飲んだの?」

 アデラに何か聞こうと思うより先に、アデラの方からそう、聞いてきた。

「何故、それで平気だったの?予め、解毒剤を飲んでいたんでしょう?あなたは、分かっていて……!」

 ……焦燥が滲む声。狂気が滲む目。それらを見下ろして、ランヴァルドはため息を吐く。

「解毒剤なんてありゃしない。当然だ。何が入っているのかも分からないのに、どうして薬を用意できる?」

「だから、知っていたんでしょう!?」

「いや。何も。……本当に毒が入っているかどうかすら、知らなかった」

 アデラの疑いも苛立ちも、どこか遠い。ランヴァルドが立っている場所の、その遥か足元の出来事に思える。

「なら何故……!」

「何故かって?そんなの、あなたが一番よく知っているだろうに」

 ランヴァルドがとっくに通り越してきたそれを、ランヴァルドはアデラに解説してやる羽目になる。『少し考えりゃ、分かるだろうに』と思いながら……同時に、『分からなかったからこそ、俺を殺そうとしたんだろうな』とも、思いながら。

「俺は、あらゆる毒に耐性があるんですよ。あなたのおかげだ」


「耐、性……」

「……毒を盛られることに備えて、少量ずつ毒を飲んでは耐性を付けてきた。……いつか、あなたが俺の食事に毒を盛るだろうと、思っていたから」

 アデラの目が揺れるのを、ランヴァルドはじっと見つめ返す。

「喜んでください。俺の毒への耐性は、あなたが育てたんだ。……あなたが俺を憎んでいることくらい、10年前どころか、更にその前からずっと、知っていましたよ」

 ……そうだ。ランヴァルドはずっと、知っていたのだ。

 自分だけが『家族』ではないのだ、と。オルヴァーが生まれて少しした頃から、既に、知っていた。それでいながら、ずっと気づいていないふりをしていたのは、彼らの為だった。

 ……だから、今、『気づいていたんだぞ』と言ってやれることを、嬉しく思う。

 ようやく、あの頃の孤独な自分に陽の光を当ててやれたような、そんな気がする。




「……そうだな。罰を、というのならばそれがいいか」

 そしてランヴァルドは、一度、食堂を出て……目的のものを見つけ出してくると、それを食卓の上に置いた。

「これを飲み干すことを、あなた方の罰としましょう」

 ごとり、と食卓に載せられたそれは、アデラが部屋に隠していた毒の瓶だ。




 そう小さくない瓶の中では、特定の植物が数種類、揺れている。……毒草を強い酒に漬け込んだものだ。ファルクエークの短い夏の間に花咲く、美しい毒草が、数種類。

 用意周到なことだ、とランヴァルドは苦笑した。瓶の中の植物がすっかりボロボロになっているところを見ると、ここ最近漬け込んだものではないだろうが……となると、10年前に用意したものだろうか。非常に物持ちがいい。

 ……そして、そんな代物があるなら、これこそ彼らにピッタリの品であろう。

「母上。これが何かは、あなたが一番よくお分かりでしょうね?」

 アデラはただ黙って、じっと瓶を見つめている。だが、その表情は雄弁に、動揺を語っていた。

「自害しろ、と……そういうことか……」

 アルビンが蒼白な顔でそう言うのを、聞いてランヴァルドは笑って首を横に振った。

「いいえ。一度に飲まなくとも構いませんよ。少しずつ、少しずつ飲めばいい。……少量ずつならば死にはしませんよ。その分長く苦しみはしますが、それだけだ」

 彼らが何を思っているのかは、もう分からない。だが、それはもう、どうしようもないのだ。

 彼らが考えを改めることが無いとして……それは、仕方のないことだ。どうしようもないことなのだ。

 失われたものは戻ってこず、変えられないものは変わらないままそこに在り続ける。アルビンのことは分からないが、アデラは……まあ、今後もランヴァルドのことを我が子だとは思わないのだろうし、己の行いを悔いることは無いのだろう。

 だからこそ、ランヴァルドは毒の瓶を彼らにずいと押し出して、迫る。

「……俺はやったんだ。あなたにも同じことはできるでしょう?」

 ……この罰は、彼らのためなどではなく、ただ、ランヴァルドのためだけにある。

 ランヴァルドが『これで全て終わった』と飲み込んで、前を向くために、あるのだ。


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― 新着の感想 ―
毒親
 一度に飲む毒の量の裁量権ですか。「あれ? ここ数週間飲んでなかったのに瓶の中身が減ってませんか?」とかチェックするオルヴァーがいる…かもしれない。
りゃんゔぁりゅどぉおおおお………… ファルクエーク兄弟、幸せになって…… お互い自己評価低そうだから褒め合って居心地悪くしあえばいいと思う!!! 子供って大人が思うよりずっと聡かったりしますよね、…
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