雪解け*4
父と母を告発する。
オルヴァーがそう言うのを、ランヴァルドは、驚きながら聞いていた。
「あー……えーと、それはどういう咎で?」
「兄上に毒を盛ったことについてです」
一応確認のために聞いてみたが、やはり、そういうことらしい。
「……正さねば。今からでも……もう、遅いとしても。それでも、やらないよりは、マシでしょう。裏切りの代償は、払わねば」
オルヴァーは随分と思いつめた顔をしていた。橇の上でも、ひたすらにこれを考えていたのだろう。
「……分かっていたはずなんです。兄上がファルクエークを捨てて逃げるような人ではないことは、知っていたはずなんです。なのに、10年間『兄上はファルクエークを捨てた』と納得してきたのは……そう思っていたかったからなんです。俺は兄上の名誉や正しさより、自分の気持ちの整理と、父母との居心地の良い関係を選んだ。……俺も、当然罰せられるべきです」
オルヴァーは正に、『思い詰めている』という状態だ。これは少々よろしくないな、とランヴァルドは思う。
直情的で真っ直ぐで、まあ、大変結構なことだが……そればかりでは、生きていけまい。ランヴァルド自身が、そうだったように。
「なあ、オルヴァー。その程度は一々考えることでもないだろ」
結局、ランヴァルドはそう言ってやることにした。
「裏切っただの、憎んだだの、恨んだだの……そういうのはな、言わなきゃバレないもんだ。正直に全部懺悔してやる必要なんて無いんだぞ。皆、そうしてる。俺だってそうだ」
オルヴァーと、そして何故かネールも真剣な顔でランヴァルドの言葉を聞いている。……少々、気まずい。そしてやはり、この2人はなんとなく似ている気がする。主に、純粋さと、ランヴァルドへの憧れめいたものが。だからこそ気まずいのだろうが。
「人間ってのは、ずっと正しくなんて居られない。所詮は人間だからな。……俺だって、間違ったことを山のようにしてきた。お前が知らない10年の間に、俺はお前が知ったらひっくり返るようなことを片っ端からやってきたからな」
ランヴァルドはそう言ってオルヴァーに笑いかける。笑いかけつつ……ひっそりと、自分がやってきたことを思い出す。
……本当に、この、真面目で明るく人好きのする好青年には言えないようなことを、山のようにやってきた。『オルヴァーには死んでも知られないようにしないとな……』と思い、そっ、と記憶に蓋をした。ネールが『しりたい』という顔をしていたが、そちらは、『よーしいい子だ』と撫でてやることで誤魔化した。
一方、オルヴァーは撫でて誤魔化す相手でもない。ランヴァルドの言っていることはなんとなく、分かるのだろう。彼の経験にはあまり無いことだろうが、それでも領主になるのだから、『黙って誤魔化した方がいいこともある』ということくらいは、知っているはずである。
「大体な、オルヴァー。お前が領主夫妻の告発なんざやったら、そりゃ、謀反だぞ。その後が大変だろうが。統治もガタつくし、王城からの覚えも、そう良くはない」
「しかし……」
「お前は領主になるんだ。だから、時には正しくないことをしてでも、領民のためになることをしてくれ。俺より、領民を取れ。一を救うために千を犠牲にするような道を、わざわざ選ぶんじゃない」
少々説教臭いな、と思いつつ、しかし、ランヴァルドはこれを言わねばならない。……これはきっと、ランヴァルドにしか、言えないのだから。
「でしたら、兄上」
だが、そこでオルヴァーはまた、何やら意を決したような顔をする。
「俺より、あなたの方がファルクエークの領主に相応しいと思います。どうか……この地を、治めては頂けませんか」
ランヴァルドは半ば予想していて、半ば予想していなかったオルヴァーの言葉を聞いて、じわ、と自分の胸の内で何かが融けるような気がした。
やっと、欲しかったものが手に入ったような、そんな心地だ。だが、その喜びと同程度、『俺はそんなにファルクエークの領主をやりたかったのか』という驚きの方が強い。
ここ数日だけで、随分とランヴァルドの知らないランヴァルドのことが判明している。ランヴァルドは自分自身に対して『お前は案外、過去に執着する性質なんだな……』と半ば呆れのような気持ちになってきた。
まあ、ランヴァルドのことはいい。それは、また今度じっくり考えればいい。どうせ、時間はたっぷりとある。
だが……今、罪悪感と己の10年への絶望、そして性質の悪いことにランヴァルドへの憧れまでもを抱いてしまっているオルヴァーに対しては、ここでさっさと返事をしてやらねばなるまい。
「……気持ちは嬉しい」
どう切り出したもんかな、と考えながらひとまずそう言えば、オルヴァーの目がいよいよ、絶望に暗くなっていく。
「いや、本当に嬉しいんだ。俺がずっとなりたかったものになってくれ、って言われるのは……嬉しいな。予想以上に」
なのでなんとか言葉足らずにならないように、言葉の接ぎ穂を足していく。……こんな風に自分の気持ちを相手に一生懸命伝えなければならないことなど、そうは無い。無かった。それ故にランヴァルドは今、自分でも自分に戸惑いながら、なんとか言葉を選んでなんとかやろうとしている。
「だが、あー……うーんと、だな」
……迷った。『言っちまってもいいのか?』と。
だが、結局は言うことにする。未だ暫定でしかないこととはいえ、これは覆らないだろうし……それをオルヴァーに言ってしまったからといって、何か不都合が起こるでもあるまい。
ということで。
「……ジレネロストの領主の任を打診されているんだ。恐らく、このままいけばそうなるだろう」
「え……?」
ランヴァルドがそう説明すれば、オルヴァーはいよいよ、ぽかん、としてしまった。
「ジレネロスト……で、すか?」
「ああ。ジレネロストだ。3年前に大災害で滅びた……今回のファルクエークと同じような状況に陥って、その上で滅びた、不運な土地だな」
ランヴァルドがそう説明してやると、オルヴァーはジレネロストのこと自体は知っていたらしかったが、それ以上に疑問が押し寄せてきてしまったらしい。
「な、何故兄上が、ジレネロストの……?」
「……まあ、色々あったんだ」
どう説明したものか、とランヴァルドは頭を抱える。……そしてその結果、ランヴァルドはある程度誤魔化しながら、概ねのところをそのまま話すことにする。
「えーと、ドラクスローガで『竜殺し』が起きたことは知ってるか?実はアレをやったのはネールでな。そこで王城とのツテができたもんで、ジレネロストの魔物退治にネールを動かすことになったんだ。その時に俺が多少色々やってたもんだから、まあ、貧乏くじを引かされる羽目になった、ってところか」
「ああ……話には聞いております。ドラクスローガで革命が起きた、と。……成程!その革命を導いたのが、兄上だったのですね?」
ランヴァルドは内心で、『導いたというよりは焚き付けて燃やしたという方が近いな』と思っていたのだが、ランヴァルドが訂正するより先に、ネールが『その通り!』とばかり嬉しそうに頷いてしまったので、ランヴァルドは訂正の機会を失った。嗚呼。
「成程、どうして兄上が王家の使者団に居らっしゃるのか、とは思っていたのですが……それで、ジレネロストに英雄ネレイアの力を投じるきっかけが生じた、と」
「ま、そんなところだ。俺はネールのオマケだったんだがな」
ランヴァルドがそう言うと、ネールが隣ですかさず『そんなことはない』とばかりに首を横に振ったので、やはりオルヴァーは『ですよね!』とにこにこしてしまった。……やはりこの二人、なんとなく、似ている!
「まあ、それで色々あって、ジレネロストの領主の任に就く、ことになりそうなんだ。だからもう俺は、ファルクエークの領主にはなれないぞ」
「そう、なのですね……」
オルヴァーが悲しそうな顔をしているのを見て、ランヴァルドは苦笑するしかない。この弟は、ランヴァルドが手に入れたかったものを永遠に手に入れそこなったことを、こうも悲しんでいるらしい。
「……ジレネロストの領主の座は、手に入れたかったものとは、違うもんだが……それでも、大切なものなんだ」
だからランヴァルドは、ネールの頭をもそもそと撫でながら教えてやるしかない。
「こいつの故郷なんだよ。ジレネロストは」
「英雄ネレイアの?」
「うん。……な、ネール」
ネールが嬉しそうにこくこくと頷き、きゅう、とランヴァルドの手を取り、くっつく。手に触れるネールの頬が、もっちりと柔らかい。『こいつ、出会った時より肉が付いてきたな。よし』とランヴァルドは思った。出会った頃のネールはあまりにも痩せすぎだったので。
……そのまま、もち、とネールの頬をつついてネールの健康状態を確認していると、オルヴァーがふと、そわそわと気まずげに聞いてきた。
「……その、兄上。英雄ネレイアは、拾った子だと、仰っておいででしたが……その」
「いや、そこに偽りはないぞ。ハイゼル東部、カルカウッド近辺の森の中に棲んでいたのを拾ったんだ。俺の子じゃないからな?」
再度の確認になるが、念のためそう言ってみる。……非常に不本意なことに、ランヴァルドがファルクエークを出てからの年数と、ネールの年齢が、その、あまりにも丁度良いので!
ランヴァルドが念押しすると、オルヴァーは『え、ええ。それは分かっていますよ』と少しそわそわの収まった様子で頷いた。
そしてネールは……『俺の子じゃない』と言ったランヴァルドの服の袖を引っ張って、少々不満げな顔をしている。その様子がなんともいじらしいものだから、ランヴァルドは笑うしかない。
「だが……まあ、家族みたいなもんだ。な、ネール」
そのままネールを抱き上げてやれば、ネールは、ぱっ、と笑って、こくこく頷いて、きゅう、とランヴァルドに抱き着いてきた。なのでそのまま、くるくる、と少し回転してやってから、ネールを地面に下ろす。ネールはご機嫌になったようだ。
……そんな様子を見ていたオルヴァーは、ふ、と笑った。
「兄上は……ファルクエーク以外に大切なものができたのですね」
「ああ。そういうことだ。ファルクエークを愛する気持ちに変わりはないが、ジレネロストとネールだって、大切なものなんだ」
故郷との決別、というには、未練が多い。
自分がもっと上手くやれていれば、と思うことも、母親と叔父がせめてああならば、と思うことも、ある。ファルクエークについても、思うことは多い。
……だが、他にも思うことが増えてしまった。
ネールのことに、ジレネロストのことに。……ついでに、古代人だの人為的な寒冷化だの魔物の大量発生だの、考えなければならないことも責務も、増えた。
つまるところ、他のものが増えた分、ファルクエークへの執念や憎悪などに割ける部分が減ってしまった、ということなのかもしれない。
それが良いことなのか悪いことなのかは、分からない。だが、良くも悪くもランヴァルドはネールと出会う前から、大分変わってしまったのだ。
変わってしまったランヴァルドは、もう、ファルクエークは望まない。
愛する故郷には安寧であってほしいが、そこにランヴァルドの椅子は無い。ランヴァルドが座るべき椅子は、もう、ジレネロストにあるのだから。
「だから……オルヴァー。領主同士、それから、兄弟同士で上手くやろう。お前が気にしているのが俺のことだっていうんなら、そうしてくれ。俺は、お前がファルクエークを継いで……それで、ジレネロストとこれから仲良くやってくれるんなら、それ以上望むことは無いさ」
……そして、同じ高さの椅子に座る者同士、オルヴァーと……領主同士として、そしてもう一度兄と弟として、共に在れたら。
失われたものが一部、返ってくるのなら。そんなに幸福なことは無い。
「兄、上……俺のことをまだ、弟だと、思って下さるのですか」
「ああ。ずっと思ってるよ」
「あなたの居場所を奪った奴ですよ、俺は」
「そうかもな。だが、俺はお前に対してはそうは思えないみたいなんだ」
オルヴァーに対して、憎い思いは無かった。羨望はあったが、それだけだった。10年前も、できる限りいい兄でありたいと思っていた相手だ。……弟だと、思っている。ずっと。
ランヴァルドが苦笑すれば、オルヴァーは強い感情が綯交ぜになったような顔で、頷いた。
「……分かりました。なら、兄上はジレネロストを。俺は、ファルクエークを……」
だが、オルヴァーはそこで言葉を途切れさせて、耐えるように唇を引き結ぶ。言うのを迷っているような、そんな様子だったが……。
「しかし……領主の件はそうとしても、父にも母にも、勿論俺にも、報いがあって然るべきです」
……ようやく、オルヴァーがそう嘆くのを聞いたランヴァルドは、考える。『何もできない』というのも、報いの一つだぞ、と、言ってやってもいいのかもしれないな、と。
実際、オルヴァーにできることは、もう、これ以上何も無い。オルヴァーが何をやっても、ランヴァルドが苦しんだ10年は返ってこない。
そして……オルヴァーにできることは、もう、全てやってもらった。気遣わせているし、彼が何を考えていたか知ることもできた。……その上、今もランヴァルドに懐いてくれているらしい。罪悪感に塗れて、ぎこちなくはあるが。
ならば、これで十分だ。……ランヴァルドはこの弟を、『弟だ』と自信を持って言えるというそれだけで、十分に思う。
であるからして……まあ、オルヴァーにできることは、もう無い。
無い、のだが……。
「ああ、そうだ、オルヴァー。早速、兄からの助言だ」
ランヴァルドは笑って、オルヴァーの肩を軽く叩く。
「お前は領主になるんだから、人を使うってことを、覚えなきゃあならない」
「人を……?」
「ああ。『告発する』なんて、間違ってもお前が言うことじゃない。領主は領地の頂点だ。頂点が自ら動く必要は無いし……ま、手を汚す必要も、無い。勿論、『手を汚した』って示してやる必要がある時もあるだろう。だが、今回のこれはお前がやることじゃあないんだ」
オルヴァーは困惑していたが……ランヴァルドは精々、『悪徳商人』らしく笑ってみせる。
「告発は俺にやらせろ」
ファルクエーク城に戻ると、またもや使用人達の歓待が待っていた。彼らはランヴァルドとオルヴァーの帰還を喜び……そして何より、ランヴァルドとオルヴァーの様子を見て、喜んでいた。
……ランヴァルドは、オルヴァーに話しかけ、笑顔で話すオルヴァーの言葉に嬉しそうにしてみせ、時にはオルヴァーの肩に腕を回して笑い合い……意識してオルヴァーとの関係が良好であることを見せつけてやったのだ。
この様子は使用人達を大いに喜ばせ、安堵させた。ついでにオルヴァー自身もこれを喜んでいた。ランヴァルドへのぎこちなさが多少和らいで、より一層、仲の良い兄弟の様子に見えただろう。
……さて。
そんな玄関前から、ちら、と見上げた城の上階。そこの窓は領主の執務室の窓であるが……案の定、ランヴァルド達の様子を見下ろしている目がある。
ランヴァルドはそれに向かって、にやり、と笑ってやった。
……真っ直ぐに、母の目を睨み返して。




