雪解け*3
眠ったような、眠らなかったような、そんな微妙な気分だったが、ランヴァルドはふと目を覚ました。
……そして、自分の寝袋がもぞもぞしていることに気付く。
ぬくい。やわい。……ランヴァルドはそれを確かめると、ちら、と遺跡の入り口の方へ視線をやった。
太陽の光の差し込み具合から見るに、まだ日の出から少し、といったところだろう。オルヴァーもまだ、寝ている。なら、もうしばらく寝ていてもいいはずだ。
……ランヴァルドはネールを撫でつつ、心地よい温もりと共に、二度寝を決め込んだ。
二度寝から目覚めたら、ふと、視線を感じた。
……見れば、自分にくっついたネールが、じっ、とランヴァルドを見つめていた。
「……そろそろ起きるか」
どうも、隣ではランヴァルドを起こさないようにそっと、オルヴァーが身支度しているようだった。ならばそろそろ起きた方がいいだろう、と寝袋から出る。
ネールもランヴァルドと一緒に、もそもそ、と寝袋から出てくる。すると、オルヴァーは『まさか2人入っていたとは』というような驚きの表情を浮かべていた。……てっきり、ネールの寝袋にまだネールが入っているものと思っていたらしい。
「あー、おはよう」
「おはようございます。その、兄上、お加減は……」
「うん、悪くない……と思う。まだ、魔力は不安定だが」
オルヴァーが気遣ってくれるのに応えつつ、『そうだな、調子は悪くない』と、思う。
……まあ、気分がそれなりに晴れたから、だろう。魔力については、まあ、かなり無茶をした分、当分は魔法を使わない方が良さそうではあるが。
ということで、ランヴァルドは未だ、自分に治癒の魔法を使えていない。切り傷はそのままである。上に居る兵士達と合流すれば、薬と包帯くらいは分けてもらえるだろうから、それまでの辛抱、といったところだろうか。
「さて、何か腹に入れたらさっさと遺跡の処理を済ませよう。急がないと、お前の兵も心配してるだろうし」
「そう、ですね……。外の様子も気になります」
ランヴァルドが申し出ればオルヴァーも早速同意してくれ、消えてしまった焚火を再び熾し始める。
オルヴァーが炎の魔法を使ってあっさりと火を付ければ、すぐさま焚火は大きくなって、煮炊きに使える程になる。
「麦粥でいいか」
「ええ。……あ、そうだ。折角ですし、このハム入れましょう。これ美味いんですよ、兄上」
「へー。ならお相伴に与るとするかな」
……オルヴァーとは、未だ、少々ぎくしゃくしている。だが、まあ……オルヴァーの言葉に偽りはないのだろうな、とランヴァルドは信じているし、オルヴァーはランヴァルドになんとか『埋め合わせ』をしようと足掻いている。だから、無碍にする気にはならない。
このまま当面、ぎくしゃくはするのだろうが……少なくとも1人、ランヴァルドは家族を取り戻した、ということになる、だろうか。
「3人前……でいいか。ネールはそんなには食わないし、俺もそんなには食えそうにないが、オルヴァー、お前、2人分ぐらいは食うだろ?」
「はい。兄上の料理でしたら5人前でも!」
「うん。腹がはちきれない程度にな」
オルヴァーが笑いかけてくるのに笑い返して、ランヴァルドは早速、粥を煮始めた。
ことこと、と煮える鍋から、ふわふわ、と湯気が立ち上り、麦粥の素朴な香りと共に、北部の寒い朝を温めていく。
……寒く、しかし温かく、平和な朝だった。
それからランヴァルドはなんとか、麦粥を食べた。食べきった。……1人前には満たない程度ではあったが、それでも食った。
食事に随分と抵抗感を覚えるようになってしまったランヴァルドだが、ずっとこのままではいられない。ランヴァルドは、食わねばならない。生きるために。生きて、ネールとの約束を果たし続けるために。
ネールはそんなランヴァルドを嬉しそうにみていた。ランヴァルドは緩い吐き気を耐えながら、『まあ、こいつが嬉しそうにしてるんだから、悪くないよな』と思う。
さて。食事を終えたランヴァルド達は、遺跡の最奥へ戻った。
が、そこでランヴァルドは、惨状を見て『うわっ……』と顔を顰めることになる。
「……血が」
「あー、うん。まあ、切り傷だらけだったしな……」
ランヴァルドが立っていた箇所には、血痕がばらばらと散っている。吹き付けた氷の刃によって切り裂かれた箇所は未だ、痛む。
「兄上……申し訳ありません。せめて、俺が治癒の魔法を使えればよかったんですが……」
そしてそんなランヴァルドをオルヴァーが気づかわし気に見ているものだから、居心地が悪い。
……こういう時、一緒に居るのが例えばマティアスか何かだったなら、こちらを気遣うようなことは一切しなかっただろうと思う。そう考えると、まあ、マティアスと組んで色々やるのは気を遣わずに済んで楽だったな、とランヴァルドは思い出す。
また、ネールは……今も、床に落ちた血痕を見てなんとも悲しそうな顔をしているが、ランヴァルドの傷に障らないように遠慮がちに、そっ、と寄り添ってランヴァルドを温めようとしていた。
……まあ、ネールは喋ることが無いので、こちらも気を遣わずに済んで楽である。ついでに、ぬくいのでそれもまあ、悪くない。
「ああ、気にするな。治癒の魔法は俺がその内自力でできるように回復するさ。よし、さっさと解体しちまおう」
ランヴァルドはため息交じりに制御盤の傍にしゃがみ込み、ネールを呼んで制御盤の横板を外させて、その中身を弄り始める。
「……このようになっているのですね」
「ああ、そうだな。ま、これだとこのあたりを外しておけば、大丈夫だろ」
オルヴァーが見ている前ではあったが、ランヴァルドは特に彼を警戒していない。……というより、オルヴァーを警戒し続ける気力と体力ももう無い、と言う方が正しいのだが。
それに、まあ……遺跡の解体の様子は、むしろ、オルヴァーに見せておきたかった。
「もし、今後ファルクエークで遺跡の暴走があったなら、こういう具合に部品を抜いておくといい」
「はい」
真剣な表情でランヴァルドの手元を見て学ぼうとしているオルヴァーを、頼もしく思う。
……彼がファルクエークを治めるのであれば、ファルクエークは安泰だろう。少なくとも、今後はオルヴァー自身が古代遺跡の脅威を遠ざけることができるはずだ。
「よし。じゃ、次はそっちの壁面だな」
「そちらにも何か、あるのですか?」
「ああ。魔力が通ってるのはあっちの方だから……ま、当てずっぽうだな。大体、主要な機関には起動時の魔力を補うための魔石があるから、魔力の気配を辿ればそれなりに勝率の高い当てずっぽうができる」
オルヴァーとそんな話をしながら、ランヴァルドはふと、昔のことを思い出す。
中庭で、オルヴァーと一緒に本を読んだり。咲く花の名前を教えてやったり、その花の薬草としての効能を教えてやったり。……丁度、今のように、ランヴァルドの後ろを付いてくるオルヴァーに、色々と話して聞かせてやったものだ。
……少しずつ、昔のやり直しをしているような気分になった。そしてそれが、そんなに嫌ではない。
ランヴァルドはそんな感覚の中、オルヴァー相手に古代遺跡の講義をしてやる。オルヴァーは真剣に聞いていたし、中々鋭い質問をいくつか投げかけてきて、ランヴァルドを『ああ、こいつも頑張って勉強してきたんだな』と喜ばせてくれた。
……ただ、『兄上は古代遺跡の専門家でもあるのですね!』と無邪気に尊敬の眼差しを送ってくるオルヴァーを見て、『そうか……俺はもう、古代遺跡の専門家……』と、少々複雑な気持ちには、なった。
尚、ネールは隣でにこにこと笑いながら、ぱちぱちと拍手をしていた。ネールにとっては、ランヴァルドが褒められているのは喜ばしいことらしいので……。
そうして古代魔法装置の解体が終了した。
「外した部品は、悪いがイサクさんに預けるぞ。こんなところでファルクエークの謀反を疑われちゃ面倒だからな」
「はい。そのようにしてください。もしこれが何かの研究に役立つようなら、王城で保管して頂いた方がいいでしょうし……」
部品については、オルヴァーの許可を予めとっておくことにした。イサクもきっと、今のオルヴァーになら話しておいた方がいい、と判断するだろう。
そんな話をしながら遺跡の外に出ると、よく晴れて、凍った海が朝陽に煌めいていた。雪は白く白く陽光を反射して、少々眩しすぎる程だ。
「さて、ここから崖上まで戻るのか。骨だな……」
「兵にロープか何か下ろしてもらって、吊り上げてもらいますか?」
「あー……いや、まあ、俺達が動いた方が早そうだな……。報告は早い方が、いいだろ」
さて。ここからがまた、大変な道だ。オルヴァーが雪を融かしてくれた箇所も、一晩でまた雪が降り積もってしまっている。
結局、またオルヴァーが炎で雪を融かしてくれたところを、またなんとか上っていくことになった。オルヴァーが張り切って雪を融かしてくれたおかげで、大分、歩きやすかったのが救いである。
崖上へ戻ったランヴァルド達は、そこからもう少しばかり離れた個所に駐屯していた兵士達と合流した。
……そこに居た兵士達は、おろおろと心配そうにこちらを見ていた。……まあ、彼らが何に心配しているのかは、分かる。
「待たせたな。古代遺跡が沈黙したことはここからでも分かっただろうが……先の1基と同様に、こちらも兄上が制御してくださった。もう、ここから魔物が湧き出ることは無いだろう」
オルヴァーがそう兵士達に報告すると、兵士達は、そっ、と伺うようにランヴァルドの様子を見てくる。
彼らは、オルヴァーとランヴァルドの不仲、それに伴うファルクエークの統治のぐらつきを心配しているのだろう。
……彼らを不安がらせておくのは、本意ではない。ランヴァルドにとっても、オルヴァーにとっても、ファルクエーク全体にとっても、まあ、得にならないのだ。
「古代遺跡の制御については、オルヴァーにも知識を伝えておいた。今後また別の個所で古代遺跡が見つかることがあったとしても、オルヴァーが対処できる。……任せたぞ、オルヴァー」
なのでランヴァルドは、敢えてオルヴァーに笑いかけ、オルヴァーの背を軽く叩く。
「……はい、兄上!」
それにオルヴァーは、嬉しそうに笑った。本当に、嬉しそうに。ランヴァルドは多少の演技を混ぜてオルヴァーと親し気に振る舞った訳だが、オルヴァーはそれをただ純粋に喜んでいるらしかった。
……オルヴァーが『兄上に任された!』と嬉しそうにしているのを見て、ランヴァルドは、思った。
こいつ、ちょっとネールに似てるところがあるな、と……。
兵士達への報告も終わり、いよいよ、北端から戻ることになった。
橇が走り、その上でランヴァルドは暫しの休憩とする。……ここ最近、馬車でも橇でも、ぐったりしてばかりである。
だが、体は傷つき疲労しているものの、気分は随分と良くなった。ランヴァルドが手慰みにネールの頭を撫でてやっていると、ネールはなんとも幸せそうに笑う。それを見て、ランヴァルドはまた、『ああ、死ねないな』と思い出すのだ。
……ネールの傍にいるのは、別に、ランヴァルドでなくともよいはずなのである。彼女の保護者になれる人間など、決して少なくはあるまい。それこそ、イサクとアンネリエにネールのことを任せてしまっても、よかったはずなのだ。ランヴァルドの利益のことを考えないならば。
だが……それでもランヴァルドがネールと共に居ようと思うのは、それが金になるからであって……そして、ネールを大切に思ってしまうからである。
ある種の傲慢だ。親でもないくせに、とも、思う。だがこれがどうにも心地いいので、ランヴァルドは、まだ死ねない。
……ネールは嬉しそうに、ランヴァルドの頭を撫で返してくる。それもまた、なんとなく心地よかった。
そうして、橇での移動が終わり、馬車に乗り換えた頃。
「兄上。その、ご相談がございます」
同じ馬車に乗ったオルヴァーが、ふと、真剣な表情で、言った。
「……城に戻り次第、父上と母上を、告発しようと思います」




