絶望より性質の悪い*1
ネールがこくんと頷いて、飛んでくる。ぴょ、と飛び上がって馬の背に乗るネールを引っ張り上げて支えてやると、ランヴァルドは馬の手綱を握り直し……イサクとアンネリエを振り返った。
「すみませんが、お二人は先に王城へ!……こちらは北の魔物を片付けてから戻ります!」
「ああ、いえ、待っていますとも!どうぞお気になさらず!」
「どうかお気をつけて!」
出発直前になんてことを、と思ったランヴァルドだったが、イサクもアンネリエもあっさりとランヴァルドの無茶を許してくれた。心底ありがたく思いつつ、ランヴァルドは早速、馬を走らせる。
「あ、兄上!?」
「兵の指揮は頼んだ!こっちは魔物を粗方片付け次第、元凶を探しに動く!」
オルヴァーの戸惑った声を置き去りに、ランヴァルドはネールと共に、北へと向かう。
……あの古代遺跡は、ランヴァルドが確かに解体したはず。だというのに、魔物が溢れ出しているとすると……。
「……くそ、嫌な予感しかしねえ!」
悪態を吐いて、ランヴァルドはただ、雪混じりの風の中、馬を駆る。
ファルクエークの滅びが刻一刻と近付いて来るのを、目の前にかんじながら。
ランヴァルドとネールが先陣を切ったおかげで、幾つかの良いことがあった。
まず1つ目に、町の被害と兵士達の死傷は大幅に減ったはずである。
何せ、ネールが行き会う魔物行き会う魔物、片っ端から片付けて回っているので。
……ネールの戦闘力は相変わらずだ。行き会っただけで、その魔物の運命は潰えることとなるのだから。おかげで、ランヴァルド自身も安全に北へ向かうことができた。
2つ目に、初動がより早くなったということがある。
ランヴァルドがこれだけ身軽に飛び出してきてしまったのだ。オルヴァー率いるファルクエークの兵士達は、今頃大急ぎで支度をしていることだろう。何せ、オルヴァー自身が誰よりも焦っているはずだからだ。
……ファルクエークの剣をわざわざ寄こせと言ってきた程なのだ。彼がランヴァルドにファルクエーク次期領主の座を奪われると危惧していることはまず間違いないだろう。
ならば、ランヴァルドが1人、ネールを利用して功績を得ようとしているのを、どうして止めずにいられるだろうか?
そして3つ目として……ランヴァルドとネール2人なら、身軽だ。馬を飛ばせば馬車を動かすより素早く移動できるし、橇も大人数や大荷物を載せた時より速く動く。
それ故に……ランヴァルドとネールは、傾いた太陽が雪を照らす頃には、例の古代遺跡の前へ到着していた。
「……遺跡からの気配は、無い、な……?」
ランヴァルドは橇を降りて、古代遺跡の様子を窺う。
……ランヴァルドが部品をいくつか抜き取って解体してしまったこの遺跡は、今、沈黙している。
ここから魔力が吐き出されている訳ではない。つまり、ランヴァルドが止めた遺跡が再稼働している、というわけではないようなのだが……。
「となると、一体どこだ……?」
……魔物の発生源が魔力であることは間違いないだろう。そしてそれは、ファルクエーク領北端にあるであろうこともまた、恐らくは事実。
だがそれ以上のことが、どうにも読み取れない。魔物が出てくる場所を探そうにも、魔物が多くてどうにも出所が分からないのである。
そう。魔物が多すぎる。
つい一昨日、このあたりの魔物を一掃したというのに……それが夢幻だったかのように、今、雪原は魔物で溢れ返るようですらあった。これでは到底、このあたりの様子を探ることも叶わない。
……となれば、頼みの綱はネールだ。
「悪いな、ネール。このあたりの魔物は全部、やってもらうことになる」
ランヴァルドは『流石のネールでも、これは厳しいか』と内心冷や汗をかきつつ、ネールに一応言っておく。
だが、ランヴァルドの心配など全く知らないというかのように、ネールはこっくり頷いて、ナイフを抜き放った。
……そしてその直後、最も近い位置に居た魔物の首が斬れ飛ぶ。続いて、その隣も。更に隣も。
「……心配するなら、俺自身の心配をした方がいいか」
ランヴァルドはネールの快進撃を気持ちよく見守って笑うと、さて、と剣を抜く。
……ファルクエークの紋章が入った剣の、よく手入れされた刃がぎらりと夕陽に煌めいた。
そうして陽が落ちる頃。魔物の姿はすっかり少なくなっていた。
ほとんどはネールがやった。当然である。ランヴァルドは幾ら剣を握っていたとしても、自分の身をなんとか守るだけで精一杯だった。それすらも、ネールに守ってもらってなんとか、といった有様なのだから情けなく思えてくる。
だが、ランヴァルドもネールも生きている。そして魔物は死んだ。それが全てだ。
そして……。
「兄上!」
……魔物がすっかり消えた雪原に、オルヴァー達の一団が到着する。
この数をこの短時間でまとめ上げて追い付いたのだから、大したものだ。……ついでに、この数の兵士達が無事にここまで到着できたのは、ネールによる露払いが存分に効いていることだろう。そのことに、ランヴァルドは安堵する。
「これは……」
そして、オルヴァー達が見ることになるのは、ネールが仕留めた夥しい量の魔物の死体である。
このランヴァルドですら最早値崩れだなんだと考えることもできないほどの数の魔物が、雪原に沈んでいる。
……ネールは強い。ますます、強くなった。
「英雄の名は伊達じゃないってことだ」
ランヴァルドは唖然とするオルヴァーにそう言ってやって……それから、さっさと現状の共有を行う。
「前回の古代遺跡に異変は無いみたいだな。となると別の場所が怪しい。他に古代遺跡の類を知らないか?」
「いえ、古代遺跡など、何も……」
「そうか……」
オルヴァーが何か知っているか、とも思ったのだが、残念ながらここから情報は得られないようである。ならばまたネール頼りか、とランヴァルドは思案し……。
「兄上」
そこで、オルヴァーに呼ばれて振り返る。
「兄上は、何のためにここで戦っておられるのですか?」
……ランヴァルドはそこでまた、オルヴァーの目を見る羽目になる。
オルヴァーの目は母譲りの濃いグレーだ。だが、そこには怯えのようなものが見える。それでも気丈に振る舞おうとしている様子に、どことなく、10年前に見た弟の面影を見出す。
「王命だからだ」
「それだけですか?」
「その他の理由、と言われてもな。愛する故郷の為、ってのは、理由にならないか?」
……何故、と言われてしまうと、ランヴァルドとしても返答に困る。
ランヴァルドは何故、このようにファルクエークのために尽力しているのだろうか。
最早、そんな義理は無いだろうに。
「故郷の……為、ですか。愛する……」
……貴族としての矜持は、今もランヴァルドの内にある。『民を守れ』と。『ファルクエークの地を守れ』と。
そして、ファルクエークという土地を愛する心も、また。
だがこれはきっと、不幸なことだった。ランヴァルドにとっても、オルヴァーにとっても。
今となっては、そう思う。
「まあ……その、何だ。俺は今、王の使者としてここに居る。ついでに、この英雄ネレイアとの雇用契約を結んでいる間柄としてな。目的は古代遺跡の調査。必要に応じて稼働の停止。本当に、それだけで……ファルクエークに戻って何かするつもりは無い」
ランヴァルドはそう言って、ちら、とオルヴァーの顔を見る。……複雑そうな顔をしていた。とても。困惑が大きいのだろう。
「次の領主はお前だし、俺はこれからも王命で動くことになる。その……二度と、ファルクエークには帰らないさ。10年前から母上はそうお望みだしな。ま、こんなところでいいか?そろそろ遺跡の方に取り掛からなきゃあな」
少しばかり嫌味が混ざったが、これくらいは許されるだろう。……だが、困惑するオルヴァーを見て少しばかり気まずく思ったランヴァルドはさっさと話を切り上げた。
ランヴァルドの足元にやってきてたネールを撫でつつ、困った時のネール頼み、とする。
「どうだ、ネール。どこから魔物が来ているか分かるか?」
ランヴァルドが尋ねると、ネールはこくんと頷き、風に耳を傾け、見えない何かを見るように目を凝らし……そして。
『あっち』というかのように、一点を指差す。
「……あっち、か?」
ランヴァルドはネールの指が指し示す方を見て首を傾げたが、ネールはやはり、こくんと頷くばかりだ。
「あっちは……海、だが……」
……ネールの指は、ファルクエークの最北端……海の方を、指し示している。
「……海の向こう、ってことは、ないよな?なあ、オルヴァー……海に何か、あるか?」
「いえ……何かある、とは思えませんが……」
はて、とランヴァルドは首を傾げる。オルヴァーも首を傾げている。ネールも首を傾げつつ、しかし、それでも海の方を指差し続けている。
……やはり、何かあるらしい。
ネールが1人、ずんずん歩き始めたので、ランヴァルドはそれを追う。ランヴァルドが行く以上、オルヴァーも付いてこざるを得ないらしい。
「オルヴァー。遺跡は俺とネールで何とかできる。そっちはそっちで、魔物の残党をなんとかしてくれないか?」
「いえ。俺も付いていきます。……魔物については、兄上方がもうほとんど退治してくださったのでしょう?兵を残していきますので、そちらは問題ありません。それより、古代遺跡を見ておきたい」
……まあ、ランヴァルドの監視も含むのだろうから仕方がない。ランヴァルドが遺跡で何か……『ファルクエークにとって悪いこと』をしようとしているとでも警戒しているのだろうから。
「……そうか。なら好きにしてくれ。だが、絶対に死ぬなよ」
「ええ。勿論」
オルヴァーと目は合わない。だが、義理は果たしたと言っていいだろう。
ランヴァルドは1つため息を吐いて、ネールを追いかける。……何かあるらしい、海に向かって。
オルヴァーも黙って付いてきた。……居心地が悪いが、まあ、これも仕方あるまい。
ネールは進んでいって、進んでいって……そして、あまりに進んでいくので、ランヴァルドは途中で『こら』とネールをひょい、と抱き上げてしまうことにした。
「ネール。ここから先はもう崖だぞ。……まだ地面があるように見えるだろうが、これは雪庇だ」
説明してやって、それからネールが『せっぴ?』とばかり、首を傾げているのを見て苦笑しつつ、雪に絵を描いて説明してやる。
「こういう風に……雪が積もって、何も無いところに地面が生まれたような具合になっちまうんだ。だが、当然ここには雪しかないからな。うっかり踏み抜いたら落ちちまうぞ」
ランヴァルドが教えてやれば、ネールは神妙な顔でこくんと頷いた。……南の方の出であるネールにとってはあまり馴染みが無いだろうが、積もりに積もった雪というものは、地面すら偽ってしまう。雪庇を踏み抜いて転落した例など、ファルクエークに居れば毎年のように聞くものだ。注意するに越したことは無い。
「そういうわけで……あー、ネール。改めて聞くが、魔物は……」
降り積もった雪の上、もう少し進めば恐らく崖はもう無く、その下には凍てつく海がある……というこの状態。ネールがどこから魔物の気配を感じ取っているのやら、聞きたいような、聞きたくないような、そんな気分でランヴァルドはネールに尋ね……。
その時だった。
崖下から、ばさり、と羽音が聞こえる。
「……またか」
ランヴァルドは心底うんざりしながら、崖の方を見守る。ネールが『やっぱり』というような顔でのんびり頷いているが、オルヴァーは1人、存分に警戒して……そして。
「ど、ドラゴンか!?」
驚くオルヴァーを見て、『そうか、そうだよな。ドラゴンって本来、こういう反応になるものなんだったな……』とどこか遠く思いつつ、崖下から舞い上がってきたドラゴンを見つめた。
「あー、ネール。やっちまえ」
……そして、ネールが飛び出していくのを見送って、ついでにドラゴンの命が潰える瞬間をのんびりと見守るのだった。
数秒後、ドラゴンは死んだ。当然である。ネールがやっちまったので。
「ネールー!無事かー!?」
ドラゴンを仕留めついでに崖下に落ちていったネールに呼び掛ける。雪庇のこともあるので、おっかなびっくり、及び腰だが。
……すると、崖下から元気に、ぽわ、と金色の光が届いた。ネールが光っているらしい。ということは、ネールは無事なのだろう。まあ当然だが。
ついでに、崖下から魔物の悲鳴がいくらか聞こえてきた。……魔物も居るらしい。だがまあ、ネールが行ってしまった以上、魔物は着々と死んでいるはずである。まあ仕方がない。
「ネール!片付いたら3回光って知らせてくれ!」
そうとだけ伝えてしばらく待てば、1分もしない内に3回、ぽや、ぽや、ぽや、と金色の光が届いた。片付いたらしい。
「よし、ネール!まさかそっちに古代遺跡があるか!?あるなら1回、無いなら2回、分からないなら3回光れ!」
ついでにそう聞いてみれば、ネールは、ぽや、と1回光った。
「1回光った……ということはこの下か……」
「あの、兄上。何故、英雄ネレイアは光るのですか……?」
「えーと……あいつにとってはあれが言葉の1つなんでな。うん……」
……冷静に考えると、『もう少しちゃんとした情報伝達の方法を予め決めておいた方が良かったのでは』とじわじわと思うのだが、今は仕方がない。ネールには情報伝達の為だけにぽやぽや光ってもらうしかないのであった!




