がんばる*2
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ネールは少し、迷った。この人がいい人なのかどうか、ネールにはまだ、分からないから。
だが……ランヴァルドはこの人のことを大切にしていたな、と思う。
それから……ランヴァルドは、ネールの両親と弟と妹のことも、大切にしてくれたな、と。
ジレネロストでの色々の間、ランヴァルドは一度だって、ネールの両親のことを悪く言わなかった。ネールの両親はネールにランヴァルドのことを悪くいったし、きっと、ネールの両親はランヴァルドに嫌なことを沢山したのに。
それはきっと、ランヴァルドがネールのことを大切に思ってくれているからだ。ネールがネールの両親を大切にしていたのを知っていたから、だから、ネールには、悪口を言わなかった。
……ネールはランヴァルドのそういうところを、すごいなあ、と思う。ネールもランヴァルドみたいになりたいな、とも、思う。
だから、ネールはランヴァルドの弟のことを大切にする。ランヴァルドが大切にしている人のことは、ネールも、大切にする。……たとえ、その人達がランヴァルドのことを嫌いだったとしても。ランヴァルドに酷いことをするまでは。
ネールが首を傾げると、ランヴァルドの弟……オルヴァーは、少し困ったような顔をしながら、言葉に詰まった様子で目を泳がせる。
「その……英雄ネレイア。君と、兄上のことを聞きたいんだ」
兄上、つまりランヴァルドのことだろう。オルヴァーはどうも、ネールとランヴァルドのことが気になるらしい。まあ、気持ちは分かる。ネールのことは怖いから知りたいのだろうし、ランヴァルドのことはお兄さんだから気になるのだろうし。
だからネールは、頷いた。ネールのことを知って、怖くないって思ってもらえたら嬉しいし、ランヴァルドについてはもっと嬉しい。
ネールが頷くと、オルヴァーはほっとした顔をした。……こうやって表情が緩むと、ほんの少し、ランヴァルドに似ているかもしれない。
「あー、じゃあ、その、君は……」
早速始まった質問に、ネールが『頑張って答えるぞ』と意気込んでいると……。
「兄上の子か?」
……そう来た。なので、ネールはゆるゆると首を横に振る。
ネールがランヴァルドの子だったら……ちょっと嬉しいけれど。でも、ネールはランヴァルドの子じゃないのだ。
「そ、そうか……。では、君のご両親は?」
続いた質問に、ネールは思案する。どう答えたものか、これはとってもとっても難しい!
……が、ネールがそうして考えていたら、オルヴァーは『答えにくいことを聞いてしまったかな』と申し訳なさそうな微笑を浮かべてくれたので、ネールは大きく頷いた。その通り。とっても答えにくい!
ひとまず、ここはこれでよかったらしい。オルヴァーは小さく頷いて、別の質問をしてくる。
「兄上とは、どうして一緒に?」
これは簡単だ。ネールは雪の上に、『ひろってもらった』と書いた。それから、『ちょうきけいやく』とも書いた。そう!ネールはランヴァルドと、長期契約中なのだ!
「長期契約……?」
オルヴァーが訝し気な顔をするので、ネールは胸を張って堂々と頷いた。
それから、『べんきょう おしえてもらう』『しょうばい おてつだいする』『もういいっていうまで いっしょにいてくれる』と書いた。ネールはちゃんと、契約内容を覚えているのである!
「なる、ほど……?」
ネールの言葉に、オルヴァーはよくわからないような顔をした。……オルヴァーはもしかしたら、こういう契約を結んだことがないのかもしれない。なら知らなくても仕方がないね、とネールは頷いた。
「兄上は……今、何をやっておいでなのだろうか。その、どのように生きておいでだったのか……」
ネールは首を傾げる。
……何をやっているのか、といえば、今はただひたすら、人のために頑張っている。
そして、どう生きているか、と言われたら、眠って、ごはんを食べて、生きている。……そして気づいた!最近のランヴァルドは、そのどちらもあんまりできていない!
改めて、ネールはランヴァルドに食べさせ、ランヴァルドを寝かしつけることを決意した。ヘルガとの約束は守るのだ!
「あー、難しかったか。ええと、職業……お仕事を聞きたい」
が、オルヴァーが考えていたのはちょっと違うことだった。それなら答えるのが簡単である。ネールは、『しょうにん』と書いて見せた。
……それから、ふと、『ジレネロストの領主にもなる予定』と書こうか迷ったのだけれど、そっちはまだ内緒かもしれない、と思ったので、そっちはやめておいた。
「商人、か……。商売をして、長いのだろうか」
ネールは頷く。ランヴァルドはネールと会うよりずっと前から商人をやっているらしい。お家を出てからずっと、ということだから……もう、10年商人をやっていることになるのではないだろうか。
「そうか。長いのか。……兄上は、ファルクエーク家を出奔してから、どのように生きておいでだったのだろうかと思っていたのだが……」
しゅっぽん、って、何だろう。ネールは首を傾げた。なんだかいい響きだけれど。しゅっぽん。
……それから少しばかり、オルヴァーは黙りこくった。何か考えている様子だったので、ネールはそれを待つ。
「兄上は何故、ファルクエークへ戻っていらしたのだろう。何か、聞いているかな」
そしてオルヴァーはそう、尋ねてきた。そう尋ねながら、どこか、怯えているようにも見えた。
だからネールは、書く。
『たすけにきた』と。
じっと、オルヴァーを見つめる。それから、オルヴァーの目は、ランヴァルドみたいな藍色じゃないんだな、と思った。
「助けに……」
オルヴァーの、濃いグレーの目を見つめて、またネールは頷く。
そうだ。ネールは助けに来た。ランヴァルドが、ここを助けたかったから。だから、ネールもここに来た。
ランヴァルドは、ファルクエークを大切に思っている。だから、あんなにぼろぼろになってもまだ、頑張ろうとしているのだ。……それが伝わるといいのだけれど。
「……そうか。ありがとう。それじゃあ最後に、君の好きな食べ物を教えてくれないかな。お礼として、できるだけ用意したい」
オルヴァーがそう言ったのを聞いて、ネールは咄嗟に考えを巡らせる。
……ネールの好きな食べ物は、蜂蜜入りのミルク。それに、木の実が入ったパンも好きだし、林檎の庭で食べられるケーキも好きだし……。
でも、今、ネールが用意してほしい食べ物は、果物だ。ランヴァルドが食べられそうなものだ。
だって、何よりもネールが好きな食べ物は、『ランヴァルドと一緒に食べるごはん』なのだ!
ということで、ネールは『くだもの』と書いた。嘘ではない。ネールは果物も好きである。魔獣の森ではよく、水晶葡萄というらしいやつや、黄金林檎と呼ばれるらしいやつを食べていた。
「果物……成程、君は南部出身かな?」
唐突にそう聞かれて、ネールは不思議に思いながらも頷いた。多分、ジレネロストは南の方。
「そうか。北部では果物があまり実らないから、特にこの季節は、日持ちする林檎くらいしか無いんだ。……だが、できる限り頑張ってみよう」
成程!どうやら、ファルクエークでは果物が少ないらしい!
それは大変である。ランヴァルドが食べられるものが、少ない!これは大変である!
ネールは心配になってきた。ああ、ランヴァルドに色々、食べさせたいのに!
それからネールはオルヴァーと別れて、ランヴァルドの天幕へ戻った。ランヴァルドはなんともそわそわと落ち着かない様子で待っていたが、ネールが戻ってくると少しだけ落ち着いた顔になる。ネールはそれが嬉しい。
「ネール、何かあったのか?」
そしてランヴァルドはそう聞いてきて、ついでに紙とペンを渡してくれる。なのでネールは早速、『オルヴァーと はなしてた』と書いて見せる。それから、『あにうえのこと しりたい って』とも。
「俺の?……まあ、そうだろうな」
ランヴァルドは何かに納得したように頷いて、それから、ネールが持ち帰ってきた林檎に目を留める。なのでネールも林檎のことを思い出す。
「……ああ、うん。頂こう」
ランヴァルドに林檎を差し出せば、ランヴァルドは林檎を受け取って、意を決したように食べ始めた。
……時折、飲み込むのが難しそうな様子が見られる。飲み込んだものを吐き出しそうなのを我慢している様子もある。けれど、ランヴァルドは頑張って食べる。
そうだ。ランヴァルドは頑張っている。こんなにも。
だからネールも頑張らねば。どうすれば、もっとランヴァルドを助けられるだろうか……。
ランヴァルドは時間をかけて、林檎を2つ、なんとか食べ終えた。ネールは少しだけ、安心する。……もっと食べてほしいけれど、青ざめてじっとしているランヴァルドを見たら、もっと、なんて言えない。
だからせめてランヴァルドが寒くないように、と思ったネールは、ランヴァルドの肩に毛布を掛け、その毛布の内側に入って、ランヴァルドのお隣に座る。
そのままぴったりくっついていれば、ちょっとあったかいはずである。少なくともネールは、ランヴァルドとくっついているところがぬくぬくしてきた。
「……お前はぬくいな」
ランヴァルドも同じことを考えていたらしくて、ネールの頭をもそもそ撫でながらそんなことを言う。ぬくいならよかった。ネールは満足である!
「寝るわけにはいかないが、もうちょっとだけ休ませてくれ。落ち着いたら、イサクさんのところに行こう」
……更にできることなら、このままランヴァルドを寝かしつけたいのだが。寝かしつけたいのだが!
でもランヴァルドにも予定というものがある訳だし、あまり無理は言えない。ネールは、ランヴァルドの健康も大切だが、ランヴァルドがやりたいことだって、大切にしたいのだ。
結局、そのままランヴァルドはぼんやりとネールの頭を撫でつつ、少しの間を過ごした。だが、それも少しの間だけ。
「マグナス殿。少しよろしいですかな?」
なんと、こちらから行くより先にイサクが来てしまったのである!
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イサクの声に返事をすれば、イサクとアンネリエが天幕の中へと入ってきた。そして、イサクより先にアンネリエが話し始める。
「マグナスさん。オルヴァー様が、また北へ向かわれるそうです」
「えっ」
戻ってきて早々、また向かう、と。……それは結構なことだが、ランヴァルドとしては少々心配だ。
「ですが、闇雲に戦っていても埒が明かないのでは、と思いまして……」
「まあ、多分どこかに古代遺跡があるわけですからね。そいつをどうにかしたいところです」
オルヴァーは恐らく、今回の魔物の発生の原因が古代遺跡にあるであろうことを知らない。彼が1人で行けば、当然ながら古代遺跡を探すでもなく、ただ闇雲に戦い、無駄に消耗するだけになってしまうだろう。
「ええ。ええ。そういうわけで、我々も提案させていただきましてね。『古代遺跡を探したい』と。ついでに、こちらには古代遺跡を既にいくつも攻略してきた御方がいらっしゃるので、同行を、とも」
既にその辺りの説明をしてくれているイサクには感謝するしかない。ランヴァルドが寝ている間に、随分と色々なことが進んでいるようだ。
……だが。
「……そうしたらですね、お断りされてしまいました」
「えっ」
イサクのしょんぼりした顔を見て、ランヴァルドは改めて言葉の意味を反芻して……。
「な、何故!?」
只々、混乱するしかないのであった。




