摩耗*5
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ネールは、ひたすら魔物と戦っていた。
特に、問題は無かった。ジレネロストで戦った時よりも、魔物は強くない。ちょっと多いけれど、それも、ネールが頑張れば済む話だ。
だが……ここの魔物は、ちょっぴり冷たい。ネールはそれを、不思議に思う。
また一体、真っ白な毛並みの狼の喉を刺し貫いて、ネールは首を傾げる。
この狼、まるで氷でできているかのように冷たいのだ。不思議に思ってよくよく見てみると、この毛並みは毛じゃなくて、霜なのである!びっくりした!
……そう。本当に氷でできている魔物も、いくらか出てきている。
まず、氷の鎧をまとった氷のゴーレム。ランヴァルドぐらいの大きさしかないし、氷はそこまで硬くないから大丈夫。
次に、氷の甲殻を持った大蜥蜴。これの鱗はちょっと硬かったけれど、大丈夫。
それから、冷たさというものだけをぎゅっと集めて固めたような、ふわふわ浮かぶ不思議なもの。……これが冷たいんじゃなくてあったかかったら、ネールはこれを袋に詰めてお布団に連れて帰るところだった!
……まあ、こんな調子で、冷たい魔物がとっても多い。不思議なことだ。
だけれど……ネールはなんとなく、その理由が分かるような、そんな気もする。
海が見える。北の端っこの端っこ……そこには、なんとなく知っている気配がある。
あの子の気配だ。
ネールはちょっと迷ったが、あの子の気配がする場所……多分、古代遺跡があるのであろうその場所に突入するより先に、ランヴァルドの様子を見に行くことにした。
ランヴァルドは沢山の人を治して、ぼろぼろになって、それでもまだ、きっと、治している。
だから、そんなランヴァルドはネールが休ませねばならない。ネールはヘルガによろしく頼まれたのだ。ちゃんとよろしくしなければならない!
……ということで、ランヴァルドの元へ戻ったネールだったが。
「あ、ああ、ネール。戻ったんだな……」
ランヴァルドが、妙に、ぎこちない。……ついでに、ランヴァルドの隣に居た人も、ネールを見て少し硬い表情をしていた。
……ネールにはなんとなく、分かる。この人は多分、ネールが怖いのだ。カルカウッドの人達もそうだった。ネールを怖がる人達は、こういう目でネールのことを見ていた。よく覚えている。
けれど……ちょっとだけ、何か違うような気もする。怖がっているのだろうけれど、ネールが強いから怖いのではないのかもしれない。
となると、ネールがあの子に似ているから怖い?いや、それも違う気がする。……結局、考えてみても、よく分からない。
考えても分からないことを考えても仕方がない。ネールは早速ランヴァルドの傍へ駆け寄って……そして、はた、と気づいた。
ランヴァルドが、冷たいのだ!
「ネール。こちらはオルヴァー。あー……一応、俺の弟だ」
ランヴァルドがそう説明してくれるが、ネールはそれどころではない!だって……ランヴァルドがこんなにも冷え切っている!顔色だって、悪い。まるで雪か紙かなにかのようだ!
「オルヴァー。こちらがネレイア・リンド。英雄ネレイアだ。えーと……ん?」
ネールは喋るランヴァルドにも構わず、ランヴァルドをぐいぐいと引っ張る。なんとかして、ランヴァルドをあったかい場所に入れて、温めなければならない!
持ち上げて運ぶのは流石にちょっぴり難しいから、引っ張るしかない。ああ、ネールがもっと大きな体で、ランヴァルドをひょいひょい担いで運べるくらいだったらよかったのに!
「お、おい、ネール。どうしたんだ?何か見つけたのか?」
ランヴァルドが困惑しているのも、よく考えたらおかしいのだ。いつものランヴァルドだったら、『俺を休ませたいのか?分かった分かった』とでも言ってくれたことだろう。ネールが言いたいことを読み取れないくらい、ランヴァルドは疲れているのである!
仕方がないから、ネールは雪に文字を書く。『おやすみ!』と。……が、ランヴァルドが『……ちょっと待ってくれ。暗いせいかよく見えない』なんて言うものだから、ネールは発光してランヴァルドの視界を助けた。けれど多分、ランプの灯りが足りなかったんじゃなくて、目が霞んでよく見えていないのだ……。ああ!
「おやすみ……いや、まだ寝る訳にはいかない。負傷兵もまだ居ることだろうし……」
「いえ、兄上はどうか、お休みになってください」
ランヴァルドが渋い顔をした一方で、オルヴァーはそう、表情を曇らせた。
「どう見ても、無理をしておいでです。それに、負傷兵の治療ならこちらでもできますから」
……どうやら、ネール以外から見ても、ランヴァルドは調子が悪く見えるようだ。ネールは、オルヴァーという人がちゃんとランヴァルドを見ていることにちょっとだけ安心した。
「そうか……うん、そうだな。少し、休ませてもら……」
そして、ランヴァルドはそう言いきらない内に、もう、雪の中に倒れてしまった。
ランヴァルドの意識が、無い。ネールは、さっ、と自分の背筋が凍るように思った。
だが、オルヴァーがランヴァルドの首筋を少し触って、『眠ってしまっただけか』と呟いて、緩く息を吐き出した。……ネールも念のためみてみたけれど、ランヴァルドはやっぱり、眠っているだけだった。ああ……よかった!びっくりした!
「……ええと、英雄ネレイア?」
それからオルヴァーはネールに呼び掛けた。……やっぱり、ちょっと怖いのだろうか。遠慮がちというか、どう接したらいいのか測りかねている、というか。
まあ、多分、これが普通の感覚なのだ。ネールには分かる。ただ、ランヴァルドが特別だっただけだと!
「誰か呼んできてもらえませんか?兄上を、橇へ運びたいのですが……」
オルヴァーがそう言うのを聞いて、ネールはすぐに頷き……ぴょこ、と駆けていって、ぴょこ、と戻ってくる。……ちゃんと、橇と橇を牽く犬を連れて!
「え、あ、橇を……?あの、人ではなく……?」
……すると、オルヴァーはどことなく困った顔をしながらランヴァルドの傍から立ち上がる。その顔を見て、ネールは『誰か、と言われたから犬を連れてきてしまったけれど、もしかして人を連れてくるのが先だっただろうか』と首を傾げた。
……でも、人が居る場所はもうちょっと遠い。橇と犬を連れてくる方が早かったので、これでいいと思う!
「あー……では、運びましょうか。ええと……」
多分、オルヴァーは体が大きいからランヴァルドを橇へ載せるくらいはできると思う。けれど、ランヴァルドのお荷物があると、運ぶのが難しいだろう。だからオルヴァーも、ランヴァルドの荷物……鞄や剣を見て、ちょっと複雑そうな顔をしているのだと思う。
ということで、ネールはランヴァルドの鞄と、それから剣を運ぶことにした。
ネールがランヴァルドの鞄を持ち、剣を抱えると、オルヴァーは何か言いたげな顔をしていた。だが、ネールは『どうぞ』とちゃんと場所を譲って、橇までの道を開ける。
……それでも動かないオルヴァーの顔を、じっ、と見つめていると、オルヴァーは少し困ったような、何か焦るような顔をしていたけれど、結局はランヴァルドを抱き上げて、橇に載せてくれた。
なのでネールも、橇に乗る。ランヴァルドにできるだけ寄り添って、少しでもあったかいように、と頑張るのだ。
「……では、戻りましょうか」
オルヴァーがそう言うのを聞いて、ネールはこくんと頷いた。
ちょっと気になることはあるし、何より、この先にあるであろう古代遺跡……そして、そこに居るかもしれない『あの子』のことは気になる。
けれど、今は何より、ランヴァルドが優先だ。ランヴァルドのことは、何が何でも守らねばならない。ネールは、強く強く、そう思う。
そうして走り出した橇の上、ネールはランヴァルドの様子を見る。
……血の気が無い顔の中、目の下には隈ができている。あまり、眠れていないのかもしれない。
これはよくない。多分、ランヴァルドは寒いのだ。こんな寒い土地なのに、1人で寝ていたらきっと寒いに違いない!ネールだって、ちょっと寒いのだ。ご飯をあまり食べられていないランヴァルドは、きっと、もっと寒いに違いないのだ!
ネールは只々、ランヴァルドのことが心配である。ここへ来るまでも、そう大きくない林檎を2つ食べただけ。お昼ご飯のスープは、少しだけ口に含んで、でもそれきりだった。
だからネールは、ランヴァルドが起きたら何か……何か、食べてもらいたい。けれど、何ならランヴァルドは食べられるだろう?
それからネールは、ランヴァルドを沢山寝かさなければならない。寝かしつける。寝かしつけるのだ!もし、ランヴァルドが起きてきて働こうとしたら、すぐに止めなきゃいけないのである!
ネールは決意を胸に、ぴったりとランヴァルドに寄り添う。
……まずは、ランヴァルドの寝床に潜り込む。それだけは、なんとしても、実行せねばならぬ、と……。
それで、起きたらご飯、それからまた、ゆっくり寝かしつけて、そして、またご飯……!
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ランヴァルドは、妙にふやふやとした柔い夢うつつの中で、ぼんやりとしていた。
ぬくい。居心地が良い。なんとなく、落ち着く。
考えなければならないことがあるはずで、こんなところで寝ている場合ではないはずで……しかし、どうにも体は動かない。
考えろ、思い出せ、と頭が動き始めるが、その直後、重い痛みがじわりと頭に広がる。
ぐるぐると視界が回るような眩暈もある。本当に、碌でもない。
だからランヴァルドは現実など放り捨てて、また、目を閉じて眠るしかなかった。
……自分の胸のあたりでもそもそしている、温く柔らかなものを抱きしめてみると、不思議と少々、落ち着いた。自分の中で不足している何かが、多少、満たされるような心地であった。
気休めかもしれないが、頭痛も和らいだように思える。ランヴァルドはぼんやりとしたまま、きゅ、と腕に力を込めて温もりを抱き寄せると、また意識を失った。
次にランヴァルドが目を覚ました時には、もう幾分、意識がはっきりしていた。
「ん……」
小さく呻けば、懐で何かがもそもそ動く。……だろうな、と思いはしたが、確認してみると、ネールであった。
「ネール……お前、なんだってここに……いや、そもそもここは何処だ……?」
ネールもまた、ぱっちりと目を開けてランヴァルドのことを見つめている。じっ、とランヴァルドの顔を見つめていたネールは、何を思ったか、唐突にランヴァルドの顔を触り、それからにっこりと笑った。……何を確認していたのかは分からないが、ひとまずネールはご機嫌である。
ここは天幕の中であるようだから、野営地のどこかであることは間違いないだろう。だが、それが最北端なのか、その少し手前なのか……それすらも、ランヴァルドの記憶だけでは分からない。
「ネール。ここは何処だ?近くにイサクさんかアンネリエさん、或いはオルヴァーは居るか?」
起き上がりつつネールにそう問えば、ネールは頷く。……まあ、誰かは居るのだろう。
ということは、一度、最北端から南下して撤退してきたのだろう。負傷兵も多かったことだ。その判断は間違いではないだろう。
「じゃあ、ちょっと話を聞きに行くか……。くそ、俺はどれくらい寝ていた?」
推測できることには限りがある。ランヴァルドは軽い眩暈を覚えながらも、立ち上がって、天幕を出る。さて、イサクか誰かに事情を、と。
……だが。
「お、おい、ネール。どうした?」
ネールが何故か、ランヴァルドの袖を引いていく。『そっちにイサクさんが居るのか?』とも思ったが、どうも違うように思える。
天幕を出てすぐは兵士の姿も見えていたが、ネールが引っ張っていく方は……森だ。そして、茂みだ。どう考えても、ここにイサクは居ない。
「なあネール。イサクさんは……」
……だが。ネールは構わず、そこらの地面に屈みこんだ。
そして……雪から、ぴょこ、と飛び出している植物の茎だったらしい何かのあたりを、小さな手で掘り返し始めたのだ。
「あー……ネール?」
ランヴァルドにも構わず、一心不乱に雪を掘り、そして土も掘ったネールは……茎を掴んで、ぐい、と引っ張った。
すると、ぽこん、と……ごく小さな芋が、現れる。
……ネールは、何か強い決意を感じさせる顔でランヴァルドにその芋を見せてきた。
「……あー、うん。芋だな」
ランヴァルドは、どうしてよいものやら、分からない。
そして目の前にはネールと、そして、芋がある。
……どうしてよいものやら、分からない!




