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クズに金貨と花冠を  作者: もちもち物質
第六章:氷を喰らい生きる者
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摩耗*4

 夕陽が投げかける最後の光の、その一片までもが消え失せた。

 雪は淡く闇色に染まりつつあり、もう半刻もすれば辺りは完全に闇の中になるのだろう。

 ……だが、ランヴァルドはそれでも突き進む。

 人の命がかかっているのだ。躊躇はできない。その思いは兵士達も同じであるらしく、『自分達が助かった分、仲間達を助けるのだ』と、士気は極めて高かった。

「ネール。魔物か、人間か……何か気配はあるか?」

 ランヴァルドはネールにそう尋ねつつ、只々進む。ネールはネールで、懸命に周囲の気配に意識を集中させては、『あっち』『もうちょっと』『もうすぐ』と教えてくれる。

 ……気配が近づいてくるにつれ、ランヴァルドにもそれは感じ取れるようになってくる。

 そうして、夜闇の向こうから喧噪が聞こえるようになり……。


 只々暗い海が向こうに見える。

 波の音に混ざって、剣が骨を断つ音が、悲鳴が、聞こえてくる。

 だがその中でもひときわ通る音がある。

「右翼!孤立するな!中央に寄れ!手が足りないなら貸す!」

 ……聞き覚えが無い声だ。当然である。ランヴァルドが最後に聞いた彼の声は、まだ声変わりしていなかった頃のものだ。

 だがそれでも、誰が指揮を執って戦っているのかは、分かった。

 ……ファルクエーク領の最北端。海を見下ろす岬にて、弟のオルヴァーが戦っている。




 オルヴァー率いる部隊は、じりじりと消耗している様子であった。

 数多、魔物の死体が転がっているところを見ると、相当数を倒したことは確かなのだろう。だが同時に、兵士も相当数が倒れている。

 魔物は際限なく湧き出していて、兵士には限界がある。……当然、このままでは持ち堪えられないのであろう、ということも、分かった。

 だがそれでも、オルヴァーの戦いぶりは見事であった。

「……すごいな」

 ランヴァルドはどこか現実味がないように思いながら、オルヴァーを遠く、見つめた。

 ランヴァルドの記憶にあったオルヴァーは、幼い子供であった。だが今の彼は、もう立派な青年である。

 叔父譲りの鳶色の髪に、母譲りの濃いグレーの瞳。叔父に似た体躯は、北部生まれらしい精悍さと力強さに満ち、母譲りの整った顔立ちは、まあ、よく人目を引く。

 そして何より……その戦い方が、華々しく人目を引くのだ。

 身体を強化する類の魔法を使っているのだろうが、長剣を鋭く一振りしたそれだけで魔物の首を斬り落とす。この華やかな剣技には目を瞠るしかない。

 オルヴァーの剣が翻れば、次々に魔物が屠られていく。ランヴァルドは、『ああ、英雄と呼ぶに相応しい姿だ』と思った。

 そして、魔法だ。オルヴァーが放つ魔法の残滓が宵闇の中に尾を引いて、まるで、流星のように見える。炎が氷雪を融かしながら魔物へ迫り、大いに怯ませ、そして兵士達を守る。光が魔物達の目を晦ませ、その隙にオルヴァーの剣が魔物の心臓を刺し貫いている。

 ……これほどの戦いができる人間は、そうは居ない。

 やはり、オルヴァーは……弟は、天才的な剣と魔法の名手に成長していた。ランヴァルドとは、違って。




 だがそんなオルヴァーも、劣勢に追い込まれているわけだ。彼自身の消耗もあるのだろう。時折、精彩を欠く動きが目立つ。

 ランヴァルドは瞬時に判断し……自分が連れてきた兵士達を、押しとどめた。

「援軍が入って統率を乱すわけにはいかない。少し、魔物が減って落ち着いたところで加勢に入るぞ」

 そう告げれば、兵士達は困惑した様子であったが……ランヴァルドは、ネールを見つめた。

「ネール。やってくれるか」

 ネールはランヴァルドを見つめて、『任せろ』と言わんばかりにこっくり頷いた。そして黄金色の光を纏い、雪を蹴って、駆けていく。

 ……そうして黄金色の強い光がオルヴァー達の元へ届いた直後、魔物が一気に数を減らしたのだった。


「よし!今だ!英雄ネレイアに続け!」

 オルヴァー達の部隊に近い位置の魔物はネールが片付けた。その機を見計らって、ランヴァルドと兵士達はオルヴァー達の元へと向かった。

 ……オルヴァーの兵士達は、急な増援に困惑しつつも、歓喜の声を上げる。『助かった!』と心から安堵したような声を聞いて、ランヴァルドは『よし、間に合った』と、やはり安堵する。

 途端に余裕が生まれて、兵士達は負傷した者の保護を始めた。ランヴァルドも、自分に近しい位置で血を吐いていた兵士に声を掛け、さっさと治癒の魔法を使い始める。

「よし、ひとまず血はすぐに止められそうだ。その後で内臓の方も治すから、ちょっとばかり時間はかかるが。頑張れよ」

 イサクから譲り受けた魔石を握り、魔力を吸い出しては魔法の形にして、負傷兵へと注ぎ込む。すると、兵士はひとまず、致命的な状況からは脱することができた。無論、完治と言う訳にはいかない。ランヴァルドにはそんな技量も、魔力も、そして余裕も無いのだ。


 ランヴァルドが『次の者を』と呼びかける前に、統率の取れた兵士達が、負傷者を連れてきてくれる。おかげでランヴァルドは、次々に治癒の魔法を使うことができた。

 幸い、イサクから譲り受けた魔石は上等なものだった。おかげで随分と楽である。少なくとも、雪から僅かな魔力を掻き集めるよりは、余程。

「……よし、大方、治せたか……」

 そうして、ひとまず治すべき兵士達を治すことができた。雪の上に座り込んで立ち上がることもできないまま、ランヴァルドは顔を上げて……。

「……兄、上……?」

 そこで、愕然と自分を見下ろす目を見つけた。

 母によく似た濃いグレーの瞳は、驚愕に見開かれており……。

 ……その目に、ランヴァルドは一瞬、どきり、とさせられた。

 彼の目元が、あまりに、母に似ているから。




「ああ。ランヴァルド・マグナス……うん。まあ、その本人だ」

 ランヴァルドは嫌な汗を滲ませながら、ぎこちなく笑う。

「オルヴァー……その、本当に大きくなったな。立派になった。俺とは比べ物にならないくらいに」

 弟に、何と言えばいいのか分からない。何せ、10年ぶりだ。

 オルヴァーはかわいい弟だ。少なくとも、ランヴァルドにとってはそうだった。10年が経って、恐らくランヴァルドより身長が高くなって、それでも……それでも彼は、ランヴァルドにとって、弟なのだ。

 だが、だからこそ、何を言えばいいのか分からない。

 ……だが、そこからはオルヴァーが先に口を開いた。

「いいえ。俺などまだまだ未熟者ですよ」

 オルヴァーは微笑み、親愛の情を滲ませた目でランヴァルドを見つめ、手を差し出してくる。

「兄上こそ、よくぞご無事で。またお会いできて嬉しいです」

「……そう思ってくれているなら、嬉しいよ」

 差し出された手を握って、ランヴァルドは立ち上がる。が、立ち上がった途端に酷い眩暈が襲い掛かってくる。ぐるん、と地面が回転するような感覚を覚え、そして気づけば、雪の上に倒れていた。

「兄上?兄上、あの、これは……」

「あ、ああ……大丈夫だ。少し、眩暈がしただけで……少し休めば、それで済むはずだ」

 ランヴァルドはそう言って笑ってみせるが、体はそろそろ限界だろう。ぶっ倒れて眠ってしまいたいところである。だが、そういうわけにもいかない。

「少しばかり、兵士の治療を行ったんだ。それで、魔力を使い過ぎた。だが、俺の魔法如きじゃ効果はたかが知れてるからな。ちょっと、彼らの様子を見てやってほしい」

「ええ……分かりました。彼らのことは、俺が必ず」

 オルヴァーに負傷兵のことを引き継げたので、これでひとまずランヴァルドの仕事は終わっただろうか。無論、まだ負傷兵が居るなら、そちらに回らねばならないが……ネールのおかげで魔物は相当数を減らしている。この分なら、ランヴァルドが少々ここで座り込んでいても問題は無いだろう。


「その、兄上は……ここへは、あの兵達を、率いて?」

「ああ。拠点には王城の使者の方も居られる。そこの負傷兵も多少は治療できたから……兵の数を減らしても十分持ち堪えられるだろうと判断した。一方で、こっちは急を要するだろう、と」

 オルヴァーは戸惑いながらもランヴァルドに問いかけてくる。ランヴァルドはそれに答えてやってから……ふと、思う。

「……指揮官に命を受けたわけでもなく兵を動かしたことについては、謝る。俺のことは如何様にもしてくれていい。だが、お前の兵達は皆、お前に何かあったなら助けねば、とここまで来たんだ。士気も高かった。勇敢な、良い兵士達だ。だから、待機の命令に背いた彼らを処罰することは、どうかしないでくれ」

 ……指揮官、というものは、その兵士達の命を預かり、同時に、彼らの命よりも遥かに重いものを守らねばならない者である。

 よって、兵士は指揮官の指先となって動く必要がある。統率を乱すことは許されないし、指揮官の命令も無く動くことも許されない。

 そんなところでランヴァルドが兵を率いたのは、まあ……緊急事態だったとはいえ、オルヴァーに対する不義理であった、とも言える。よって、ランヴァルドはオルヴァーにそう、伝えたわけなのだが……。

「ああ……いえ、お気になさらないでください。そもそも兄上には、この兵を率いる権利が、あるのですから……」

 ……オルヴァーがどこか歯切れ悪くそう言うのを聞いて、ランヴァルドは『やっぱり失敗だったか』と、申し訳なく思う。

 だが。

「その……先程見えた、あの戦士は、その、兄上の……?」

 更に続いた言葉に、ランヴァルドはそれどころではなくなった!


「……ん!?いや、ネールは、その、違う。違うからな?彼女は、その、縁あって拾った子だ。俺の子じゃない」

 慌てて訂正すれば、オルヴァーは『そ、そうでしたか……てっきり、その、うん……』と、なんともバツの悪そうな顔をした。……こういう顔をすると、幼い頃の面影が色濃い。

「今は叙勲されて、国王直々に命を受けて動いてる。龍殺しの英雄ネレイア、というと、聞いたことがあるだろ?」

「え、ああ、彼女が……?」

 オルヴァーは何とも言えない顔をしながら、ちら、とネールが居るのであろう方を見る。

 ネールの姿は見えないが、彼女が纏う黄金色の光は力強く輝いて、まるで太陽か何かのように辺りを照らしている。あそこでネールが戦っていることは、よく分かった。

「……凄まじい強さですね」

「ああ。小さいのに立派な奴だよ」

 ネールが放つ黄金色の光を見ていると、なんとなく心が安らぐような心地がした。陽だまりの色の光は、こんな北部には珍しく、そしてあまりに温かい。

 ……だが、ネールの方を見やるオルヴァーの表情が硬いのが気にかかる。

「彼女さえ居れば……何もせずとも、ファルクエークは安泰でしょうね」

 そしてオルヴァーの目が、ちら、とランヴァルドを見る。

 ……否。

 ランヴァルドのベルトに吊るされた、剣を。


 ……母が、見ていたような、そんな目で。


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― 新着の感想 ―
ちょっと欲が出てきたか、一波乱あるか?
まぁどうやっても後ろ盾をつけて領主の座を取り返しに来た可能性が頭によぎるよね…… その所為でファルクエーク家は表面をなぞる様な会話しか出来なくなってるしランヴァルドの精神状態も悪化の一途という こ…
右舷ということはオルヴァーくんは船に乗って戦っていたのかな? とすると結構大きな湖か海があるのですね……
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