摩耗*3
ランヴァルドは時折、目を覚ました。
目を覚ます度に、状況は変わっていた。最初はただ敷物の上に寝ていたのだが、その内毛布が被せられるようになり、そして今は、いつのまにやら天幕の中に運び込まれており、更に、毛布が増えていた。
……そして、毛布の中には一緒に、ネールが入っている。が、その是非を考える力は無い。
己の限界を超えて魔法を使い過ぎたせいで、頭痛が酷い。すり減った精神では思考もままならず、只々、『ぬくい』とだけ感じながら、ネールと毛布に温められている。
『やらなきゃいけないことがあった気がするが忘れた』というような心地で、ランヴァルドはそのままぼんやりしていた。だが、それもじきに無理が来て、目を閉じることになる。
結局のところ、魔法の使い過ぎによって摩耗した精神を回復するものは、睡眠なのだ。
丁度良いことに、毛布の中はぬくぬくと暖かい。ランヴァルドはその心地よさをぼんやり感じながら、再び意識を失った。眠ったのか、あまりの頭痛に気絶したのかも曖昧なまま。
……幸い、夢は見なかった。
そうして意識がぼんやりと浮かび上がったり、また沈んだり、ということを繰り返して……ランヴァルドは夜中に目を覚ます。
というのも、天幕の外がざわざわと騒がしかったからだ。
その時にはランヴァルドの意識も、なんとかはっきりしてきていた。相変わらず頭痛は酷かったが、まあ、それなりに明瞭に思考ができたし、動けるくらいには回復していた。
「……ああ、ネール。起こしたか」
ついでに、ネールも一緒にもそもそと起き出してくる。これを少々申し訳なく思ったランヴァルドだが、ネールは『気にしていない』というように首をふるふる横に振る。それでいて、天幕の外の騒がしさに耳を傾けているらしく、首を傾げていた。
「何かあったらしいな。負傷者かもしれない。ちょっと出てくる」
外套を羽織り直して天幕の外に出れば、ネールも慌ててついてきた。敵襲であれば、ネールが居てくれた方がありがたい。もう少し寝かせてやりたい気持ちもあったが、今はネールにも無理をしてもらうことにする。
「何かあったのか」
天幕を出たランヴァルドは、近くの兵に聞いてみた。というのも、兵士同士が何やらざわざわと囁き合っているばかりで、何があったのかよく分からないからだ。忙しなく動いている者達が居ることから、何か、大変なことがあったのだろうとは思われるのだが……。
「そ、それが……」
兵士はランヴァルドに話してよいものか、一瞬躊躇ったらしい。だがそれも一瞬のこと。彼自身の不安を吐き出すように、ランヴァルドに告げた。
「オルヴァー様が未だ、ご帰還なされないのです」
「……オルヴァー?」
血の気が引く。その名は、よく知っている。
「ええ。ファルクエーク家のご子息です。此度の戦いでは指揮官を務めておいでなのですが、ご自身も前線で戦っておいでで……」
兵士はランヴァルドが何も知らないものと思って解説してくれるが、そんなものを聞かずとも、よく知っている。
……ランヴァルドが最後に見たオルヴァーは、まだ9つだった。剣と魔法の才覚を発揮し、皆に大切にされていた。無邪気にランヴァルドに懐いていた姿が、はっきりと思い出される。
「彼は、どこへ?」
「ここから更に北上して敵の親玉を探ると仰って出ていかれたきり……定例の時刻になっても、連絡がありません」
ランヴァルドは『行かねば』とすぐさま判断した。
そして同時に、『行かねば』とすぐさま思ったならば、それに必要なものをはじき出すだけの頭脳と冷静さは持ち合わせていた。
「ネール。イサクさんを連れてきてくれ。居なかったらアンネリエさんでもいい。それから、君。他の兵を集めてくれ。動ける者だけでいい。半分は残して、半分は付いてきてもらう。とにかく人手が要るんだ」
魔力不足で酷く痛む頭でそこまで考えて、それから、ランヴァルドは雪の上に文字を書いては考えをまとめていく。
……ここでこれだけの負傷兵が出ていたのだ。オルヴァーが更なる北を目指したのは、あまりにも無茶であろう。尤も、オルヴァーからしてみれば、最早この状況を打破するためにはこの程度の危険は省みられぬ、と判断したのかもしれないが……。
何はともあれ、オルヴァーは更なる北へ向かったのだ。確かに、そこに魔物の親玉があるのだろう、とは、ランヴァルドも思う。
魔力の気配は、北から来ているように思われる。恐らくは……あちらに、古代遺跡でもあるのだろう、とも。
となると、ここから北上していけばより一層、魔物が手強くなるだろう。そんな中へ進軍していったのだから、準備もそこそこにあったのだろうが……その彼らが『定刻になっても連絡できない』ような状況になっているとしたら、ことである。
ランヴァルドは瞬時に、そこまで考えていた。即ち……『魔物はネール1人になんとか任せられるだろう。だが、例えば遺体の回収にはどうしても人手が要る』と。
だがそれと同時に、『オルヴァーのことだ。あいつは生き延びていてくれるだろう』とも、思った。
何せ、オルヴァーは剣も魔法も、幼い頃にして既にひとかどのものであった。そのオルヴァー自身が北上を決めたのだから、彼には勝算があったのだ。
であるからして……ランヴァルドは、『負傷者や遺体の回収』と同時に、『孤立したオルヴァー達、最前線の者達の救助』をも想定して動く。
……そう、想定せずにはいられないのだ。
「マグナス殿!もう起きていてよろしいのですか!?」
ネールが呼んできてくれたイサクは、雪の上をわたわたと走ってくる。……走りながらそう呼びかけてくるのだから、ランヴァルドは余程酷い倒れ方をしていたのだろうか。
「イサクさん!魔石の類はお持ちではありませんか?もしお持ちでしたら、売って頂きたい!」
だが、イサクに返事をする余裕も無く、ランヴァルドはそうイサクに問う。するとイサクも、緊急事態だと理解したらしい。
「ええ、ええ。勿論です。精算は全て終わった後にしましょう。ま、経費扱いで王城持ちになるでしょうからどうぞ気兼ねなく!」
イサクが、ぽい、といくつか魔石を放ってくれたのをありがたく受け取りつつ、ランヴァルドはやってきた兵の数を数える。
……多少無理して来ているのだろうと思われる兵も、数に数える。申し訳なくは思うが、そうするしかない。
「……北へ向かった部隊の連絡が途絶えた。何かあったものと見て、救助に向かう」
ランヴァルドがそう呼びかければ、兵士達は『何故、この方が指揮を……?』と不思議に思ったらしい。だが、ランヴァルドは気にせず続けた。
「半数は、付いてきてくれ。道中の安全は保障する。ここには竜殺しの英雄、ネレイア・リンドが居るからな。そして残る半数は、ここを守ってほしい。負傷者もここには多い。魔物は相当数をネールがやったはずだ。それでも危険は残るが……どうか頼む」
ランヴァルドの言葉を聞いた兵士達は、ざわめきつつも動き出す。
北へ行く者と、残る者。……すんなりと分かれたところを見るに、オルヴァーが常日頃からあらゆる想定での訓練を積んでいたのだろう、と思われる。
そんな弟のことを……誇らしい、とは、思えない。ランヴァルドはそんなことを思える立場には無い。
だが、ただ、『ああ、よくやっているな』とは、思う。ファルクエークがオルヴァーによって守られていることを、嬉しく、ありがたく思う。
「よし……では5分後に出発する。各自、準備を!」
そんな弟を助けられるかもしれないのだ。ランヴァルドは、動かないわけにはいかないのである。
たとえ、摩耗した精神が悲鳴を上げていたとしても。
兵士達が準備を整える間、ランヴァルドは目を閉じてその場に座り込んでいた。
少しでも、回復しておきたかった。目を閉じてじっとしていれば、多少は体調がマシになるように思われたのだ。
「マグナス殿……向かうのであれば、私が代わりに行きます。どうか、お休みになられては」
そんなランヴァルドに、イサクがそっと声を掛けてくる。だが、ランヴァルドは首を横に振った。
「いえ。王城の方を危険に曝すわけには参りませんので」
……こんなところで、国王陛下からの不興を買いたくはない。ランヴァルドが生き延びたとしても、イサクに何かあったなら、ランヴァルドが得られる地位も名声も、全てに傷がつきかねない。そしてランヴァルドのみならず、『ファルクエーク』も、また。
それは、イサクにも分かっているのだろう。だからこそ、イサクは口を噤んで悔しそうな顔をする。
「それに……これは私の責務です。長らく放り出していたんだ。これくらいは、しなきゃあ……」
そして何より、これはランヴァルドにとっては丁度良い機会であったのだ。
罪滅ぼしの機会が得られるのだから、実に喜ばしいことである。自分が捨てた領地の危機に居合わせることができたのだから。
「……いっそ滅んでりゃあ、とも、思ったんですがね」
ランヴァルドは笑って、そうぼやく。
「やっぱりそういう風には、なれそうにない」
「……そうですか。ああ……マグナス殿。貴殿の誠実さが、どうか報われますよう、祈っております。そしてここの無事は、必ずや守り通しましょう」
「頼もしいです。ありがとう」
イサクが居れば、この拠点は大丈夫だろう。この御仁は王家の血を引くお方である。当然、魔法の扱いは並大抵のものではない。まあ……ネールほどではないにせよ、十分に頼れる存在だ。
「これだけ働かれるのです。これは、国王陛下にマグナス殿に対する特別な褒賞を進言しなくてはなりませんな!」
「ははは。期待しておきますよ」
イサクの言葉に励まされつつ、丁度準備を終えて集まった兵士達……そして、心配そうにランヴァルドを見上げるネールを、見る。
「……ネール。弟が危ないんだ。無理を言って悪いが、どうか助けてくれ」
ネールはランヴァルドの言葉に頷いた。頷きつつもやはり、心配そうな顔をしていた。
……流石に、ネールがここまで心配するのだから、自分は余程酷い顔をしているのだろうな、ということは分かる。だがそんなネールに笑いかけて、頭を撫でてやったら……ランヴァルドはすぐさま、号令をかけるのだ。
「出発!」




