違うということ*3
古代人の、ネールによく似た顔立ちを見つめる。
見つめ返してくる瞳からは、まるで感情が読み取れない。
……ランヴァルドは只々緊張しながら、彼女に向けて言葉を発する。
「ネールに、色々と説明したんだ。こいつはあんまり物事を知らないもんだから……」
どう言ったものか、と考えつつ前置きすると、ネールは『その通り!』とばかりに頷き、古代人はそんなネールを見てまた頷いた。……顔立ちのみならず、似ている気がする。
「だが同時に、あんたにも知っていてほしくてね。改めて、『多くの古代遺跡が作動したらどうなるか』について、俺の見解を聞いてくれ」
古代人は首を傾げた。だが、ネールが頷きながらランヴァルドを見つめているのを見て、ひとまずランヴァルドの話を聞くことにしてくれたらしい。
ここまでは、いい。問題は……古代人が、これらを知らないのか、はたまた、知っていて古代遺跡を動かそうとしているのか、だ。
「大雑把に言っちまえば、魔力があまりに濃くなると、多くの人間が死ぬ。俺もそうだな」
ランヴァルドは早速、古代人に『どうか知らなかっただけであってくれ』と思いながら話す。
「正直なところ、あんたと話しているのも辛いものがある。前回、通訳を交代でやっていたのはそういう訳だ」
古代人はゆっくりと頷いた。ウルリカとマティアスが離れたところに居るのを、ちら、と見て、また小さく頷く。
「……3年ほど前、ここから北北東に向かっていった先に、ジレネロストと呼ばれる土地がある。そこは古代遺跡を用いた研究で大ポカをやらかしてな。魔物だらけになって、人間が住めなくなった。……今は、なんとか元の状態に戻せるようにしているが」
古代人はジレネロストのことを知らないのだろう。少しばかり首を傾げていたが、やがて、『まあそういうことか』と納得したように1つ頷いた。
「古代遺跡の用途も、俺達は詳しく知らない。ネールもそうだ。……だが、魔力を発生させるためのものが、そこそこの数あるんだろうってことは分かってる」
ハイゼルの氷晶の洞窟に始まり、ジレネロストの2基もそうだ。ステンティール東の遺跡もそうであったことだし……ブラブローマに位置するこの遺跡も、ある種、その類なのかもしれない。
「だから……まあ、古代遺跡をあんまり動かされると、俺としては、困る訳だな」
ランヴァルドがそう言えば、古代人はじっと、黙ってランヴァルドを見つけ続ける。
「あんたが求めているものは、『古代遺跡ができる前の世界』なんだったか。それはどういうものだったんだ?」
『より多くの魔力が、そのままの形で満ちていた世界』
きん、と耳鳴りがするような心地がして、それから古代人の言葉が脳裏にそのまま注ぎ込まれた。……やはりこの感覚には、慣れそうにない。
「……そうか。なら、あんたが望むものを、俺は望んでいない。そういうことになる。それで、ネールは……」
ぐわん、と揺れるような頭痛を堪えてランヴァルドがネールを見やれば、ネールはこくんと頷いて……文字を書き起こしていく。
『まりょく おおいの こまる』
そう、ネールが書いて古代人に見せる。生憎、古代人は現代語が分からないらしいが……。
「……『魔力が多いのは困る』そうだ」
ランヴァルドがそう通訳すると、古代人はじっと、ネールを見つめた。
ただ黙って、じっと見つめるだけだった。
……しばらく、そのまま時間が流れた。ランヴァルドは大いに緊張させられながらも、それでも古代人から目を逸らさない。
こちらにやましいことは無い。こちらの利害を相手に提示して見せて……それから、相手が求めるものをどう与えるか。それを考えるだけなのだから。
そう。これは、商人としてごくごく当たり前に行うべきことなのだ。だから、ランヴァルドは沈黙を破る。
「まあ、そういう訳で……あんたに提案がある。魔力が多い土地をお望みなら、どこか一部地域を区切って、魔力の多い場所にするってのはどうだ?」
交渉だ。目の前の、自分が決して敵わない相手を前にして交渉に臨む。
「あんたの意見を聞きたい」
……大丈夫だ。
いざとなったら……ネールが居る。戦うために強くなった、ネールが居るのだ。だから、ランヴァルドは恐れてはならない。ランヴァルドの仕事は、ここでの交渉を進めることだ。それ以外のことは、ネールがやってくれる。
……そのまま、ランヴァルドはしばし、相手の返事を待った。
どうか、これでなんとか収めてはくれないかと祈りながら。
……すると。
『必要ない』
古代人の声が、脳裏に舞い込む。
『私は世界を取り戻したい。切り取られた一部だけが欲しいわけじゃない』
古代人は、相変わらず感情の読めない目でランヴァルドを見つめて、そう言った。
『あなた達の協力は必要ない。一人でも十分にやれる。これまでと変わらず、魔力を満たすだけ』
……どうやら、交渉は決裂したらしい。
「……俺達を殺すつもりか」
どう言葉を選ぶか考えながら、なんとかそう問いかければ、古代人はそれでも尚、表情を変えずに答える。
『あなた達を駆除したいわけじゃない。けれど、死んでしまってもそれは仕方ない』
「俺達はあんたを止めなきゃいけなくなる」
『止められない』
……ランヴァルドはこれで、『ああ、こりゃ交渉どころじゃないな』と諦めた。
相手が、あまりにも……何もかも、違いすぎる。交渉のテーブルに着くどころではない。それ以前の問題だ。
何せ、ランヴァルド達現代人が生み出すものは、恐らく、古代人の彼女にとって何の価値にもならないのだ。だから、現代人を生かしてやる理由は彼女には無いし、彼女の慈悲に期待するには、あまりにも価値観が異なりすぎる。
こちらが差し出せるものが無い。あったとしても、そんなものは古代人にとっては、自分の力で難なく手に入れられるものだ。
だから……交渉は、できない。そういうことである。
「……じゃあ、最後に1つ聞かせてくれ」
そうして諦めたランヴァルドは、次の手を打つべく時間を稼ぐ。自分が稼いだ時間で、何か良い案を思いつかなくてはならない。
何せ、今、この状況。……古代人は、目の前に、『自分を邪魔する』と分かっている者達が居るのだ。相手がこちらを殺そうと思ったならば、それきりだ。
「あんたがこっちに構わず遺跡を起動して回るっていうんなら、どうして、わざわざ俺の誘いに乗ってくれたんだ?こっちと話をする意味は、あんたにとって何かあったのか?」
なんとか古代人から逃げおおせる方法を考えながらそう質問を発せば、古代人は考え始めた。
……彼女は、言葉を選ぶのが苦手なのかもしれない。そういうところも、少しネールに似ている。
そうして考えに考えた古代人は、やがて、先程までより幾分小さな魔力で話しかけてくる。
『……特に、意味は無い』
……迷った結果がこれなのは、本当に理由が無いからなのか、はたまた、『そこにあったから少し観察してみよう』という程度のものだったということなのか……はたまた、ネールが時々そうであるように、言葉を選び損ねたのか。
「理由もなく、こっちに付き合ってくれてたってことか?」
時間稼ぎのために再度質問すれば、目の前で古代人は少しばかり、迷うような表情を見せた。
……そして次の瞬間、ランヴァルドは、頭を殴られたような衝撃を受けた。
ネールが立ち上がり、身構える。だが、古代人は動かない。
……どうやら、古代人は話したつもりだったらしい。が、魔力の調節が上手くいっていないのだ。ランヴァルドが言葉としてその魔法を受け取るには、それはあまりにも強すぎた。
だが、古代人は特に言い直すことも無く、ただ、じっとネールを見つめた。
……ランヴァルドには何も聞き取れないが、ネールには、何か聞こえたらしい。
ネールはじっと古代人を見つめ返して、ふるふる、と首を横に振った。すると古代人の表情に、初めて感情らしいものがはっきりと見えるようになる。
彼女が浮かべていたのは……悲しみの表情だ。
再度、古代人がネールにしか受け止めきれない言葉を発した。
ネールは古代人を見つめ返して首を横に振り、しかし、その手は腰のナイフへ伸び……。
ネールがナイフを抜くことは無かった。
……古代人の姿は、消えていたのである。
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ネールは困惑していた。
消えてしまう直前、古代人はこう、ネールに告げたのだ。
『この世界では、あなたは小さな水槽に入れられた鮫のようなもの。小さな鳥籠に入れられた鷲のようなもの。さぞかし窮屈で、生きづらいことだろう』と。
……それを聞いて、ネールは首を横に振った。
ネールは別に、生きづらくない。
ネールはこの世界を、窮屈だとか、生きづらいとか、思ったことはあんまり無いのだ。特に最近は、全く無い。何せ、ランヴァルドが居てくれるので!
すると、相手は少し、悲しそうな顔をした。
『いずれ分かる。この世界は、あなたが居ることを喜ばないだろう。そして私達には、私達のための世界を取り戻す力がある。共に行こう』
……ネールはまた、首を横に振った。
古代人も、ネールの返答は分かっていたのだろう。最後に一言だけ言って、すぐ、ふっ、と姿を消してしまった。
ネールは古代人が消えてしまってからもしばらく、誰も居なくなった椅子を見つめていた。
「……ネール。最後の、聞き取れたか?」
すると、少し落ち着いたらしいランヴァルドが、そう聞いてきたので、ネールはちょっぴり寂しい気持ちになりながら、文字を書く。
『なかまがいるなら いっしょにいたかっただけ』
……仲間が居るなら、一緒に居たかっただけ。
彼女は、そう言っていた。
だからネールも、なんだかちょっぴり寂しい。
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