違うということ*1
そうして翌朝。
ランヴァルドはマティアスとウルリカに事情を話し、2人と共に遺跡へ向かった。
……領主クリストファーについては、置いておくことになるが、まあ、仕方がない。民衆は民衆で、避難の準備を進めたり、『いや、どうせ大丈夫だろ』とばかり開き直って居座る準備を進めたり……と、まあ、彼らもまた忙しいようである。
そんな中、適当に領主の馬車を拝借して向かった先は湖である。
山から湧き出た水が流れ込んで生まれた広大な湖は、青く、深く、透き通って美しい。ここもブラブローマの有名な観光地の1つである。花の季節になれば、この湖の周りもブラークロッカの花で彩られるのだろう。
さて。そんな湖の周辺をぐるりと見てみれば……事前に領主令嬢ソフィーアから聞き出していた通り、遺跡への入り口が見つかった。
ここもまた、野原にあった遺跡と同様に地面に扉があるだけの、意識してみなければ見つけられないようなものである。『よくできてるもんだ』とランヴァルドは半ば感心しつつ、その扉をさっさとマティアスに開けさせ、早速、遺跡の内部を探索しにかかった。
遺跡の中へ入ってみれば、そこは他の遺跡同様の気配を有していた。
……が、多少、魔力が強い、だろうか。
「ああ……まあ、予想できたことではあったが……寒いな」
ついでに、寒い。酷く冷える。これが、石造りの建物特有のそれではないことくらい、流石に察しがついている。
「雹が生まれるくらいですからね。既に古代人の手が入っている以上、それ相応の気温になっていることでしょう」
「気温、で済んでくれてりゃ、いいんですがね……」
ランヴァルドはなんとなく嫌な予感を覚えつつも遺跡の中を進み……次第に、石畳が凍り付くようになる。これはいよいよ、と覚悟を決めつつ、遂に最後の扉を開くと……。
「……あっ、こりゃ駄目だ。一旦閉めよう」
……びゅ、と吹雪が吹き込み始めたので、ランヴァルドは開いた扉を閉めた。
……扉を閉めてしまったものの、このままではいられない。それはランヴァルドにも分かっている。
「……あー、ネール。そんな顔するな。分かってる。分かってるさ。ただ心の準備ってものがな……」
ネールは既に扉を開く準備をしているのだが、流石に思い切りが良すぎる。ランヴァルドは一旦、ネールをひっこめた。うっかりすると、ランヴァルド達を置き去りに、ネールだけあの吹雪の中へ突入していきかねない!
「あっ、こらこら、ネール。ちょっと待て。お前1人で行く気か?」
そして実際、ランヴァルドにひっこめられたネールがそれでも尚、扉へ向かっていこうとするのを見ると……どうも、ネールは1人で行く気らしい。やる気と決意に満ちた目でランヴァルドに頷いてくれるが、ランヴァルドとしては、それはそれで困る。
「……あー、ウルリカさんはここに居てください。何かあった時に外と連絡できないと困るので……」
「そうだね。僕と拷問吏はここに残るとしよう」
「いや、マティアス。お前は来い。内部にお前にしか動かせないものがあったら困る」
ランヴァルドはウルリカには遠慮があるが、マティアスには無い。ということで、マティアスの襟首を掴みつつ……ネールと向き合って、頷き合う。
「よし……行くぞ!」
そして意を決して、扉を開けた。
扉の中は猛吹雪である。ほんの数歩進んだだけで、自分がどこから来たのか分からなくなるほどに視界が悪い。
まともに目を開けていることも難しいような状態だ。捕まえてきたマティアスが何か文句を言うのが聞こえたが、それも吹雪にかき消されてよく聞こえない。
それでもランヴァルドがなんとか進んでいけるのは、こうした吹雪を何度か北部で経験しているからだ。
凍り付いた石畳の上をどう歩けばいいのかも、猛吹雪に対してどのように進んでいけばいいのかも、ランヴァルドの経験が教えてくれる。
……できるだけ、ネールの前を歩いた。少しでも、ネールに吹き付ける吹雪がマシになるように、と。
だがそんな心配は要らなかったかもしれない。
「……ネール?」
ネールが、ふんわり光る。黄金色の光を纏って、ふわ、と、まるで舞うように一歩先へ躍り出た。
そしてそのまま、吹雪など何も無いかのように進んでいき……ランヴァルドには見通せない、吹雪のその先へと行ってしまう。
「ネール!おい!どうした!?」
ランヴァルドは、捕まえていたマティアスを適当に放してネールを追いかける。マティアスが部屋から逃げ出した気配はあったが、それより先にネールだ。ランヴァルドはネールが進んだ方へと進んでいき……。
ふわ、と、吹雪が弱まったような気がした。
「……ネール、お前……やるじゃないか」
見てみれば、黄金色の光はネールを包むのみならず、まるで小さな天幕か何かのように広がっていた。その中にランヴァルドもすぽりと入ってしまえば、ふわ、ふわ、と粉雪が舞って、そしてそれもじきに止まってしまった。
……後に残されたものは、冷え切って凍り付いた室内と、突如として良好になってしまった視界。そして、満足気な顔をしているネール……ネールが示している、古代魔法の制御盤である。
「よし。じゃあさっさとこいつの様子を見てみよう」
ランヴァルドは、感心半分呆れ半分くらいの心地で、息を吐く。吐き出した息が白く凍って消えていく中、ランヴァルドは制御盤に手を置いた。
ネールはこくこくと頷いて、ランヴァルドの手に、小さな手を重ねた。
そこから先は、随分と楽だった。
ハイゼルの時を思えば、本当に、驚くほどに楽だったのだ。
……何せ、凍り付くような寒さも大分和らぎ、吹雪に視界を邪魔されることもなく、落ち着いて作業ができたので。
そして何より……慣れによって。
ランヴァルド自身が古代遺跡に慣れた、ということもあるだろうが、それ以上に、ネールが慣れていた。
そう。ネールだ。なんと、ネールがこの古代魔法装置の制御に成功したのである!
ランヴァルドは半ば手探りで、この部屋の吹雪を止めるべく制御盤を操作していた。
絡み合った魔法を読み解き、『こっちを解いて、こっちに繋げて……』とやっていくと、やがて、なんとか制御を受け付ける状態にまで持っていけた。だが、その先が……どのようにしてこの吹雪を止めるよう遺跡へ命令するのかが分からず、そこで一旦、詰まったのだ。
だがそこでネールが何かやって、遺跡は見事、沈黙することになったのである。
「どうした、ネール。いつの間にこれの制御を覚えたんだ?」
……ランヴァルドは只々驚きながらネールの顔を覗き込む。するとネールは、制御盤の上、霜を指で溶かして文字を書く。
『いすとつくえ』
「あー、一昨日、遺跡で出したりひっこめたりしてた奴か」
自慢げに胸を張っているネールを見て、ランヴァルドは『本当に大した奴だな、お前は』と只々驚くことしかできない。
どうやらネールは、古代人の真似をして椅子とテーブルを床から出したりひっこめたりやっていたアレから学んで、古代魔法の装置を制御できるようになってしまったらしいのだ。
「参考までに聞くが、一体どんな風に制御してるんだ?」
ランヴァルドが尋ねると、ネールは難しい顔で考え込んで……また、霜を指で溶かしていく。
『とまってね って おねがいした』
「成程なあー、分からん」
無論、ネールのやり方はランヴァルドには分からない。
……恐らく、ランヴァルドが学び、知識として身に付け、理論立てて魔法を使うのに対して、ネールは感覚だけで魔法を操っている。今もネールは、『こうやったらできた』という至極単純な経験を元にして、『こうやったらできる』を感覚だけで理解しているのである。
そしてこの遺跡は、そうした性質の者が使うことを想定して作られているように思える。
この遺跡を作ったのであろう古代人達が魔法を当たり前に見て、当たり前に読み解けるからこそ、『ここに椅子とテーブルのセットがあって、出て来いと思えば出すことができる』というような仕掛けが存在しているのだ。
ランヴァルドが苦労して読み解いている古代魔法についても、古代人達にとってはごく当たり前に『見ればわかる』という程度のものでしかないのだろう。制御盤に手を置き、ランヴァルドには到底持ち得ない魔力を『ちょっと魔力を流す』という程度の感覚で扱い、そして『こうなれ』と思うだけで、古代魔法を動かせる。
……そうだ。古代人というものは、皆、そうなのだろう。自分自身も魔法のようなものだから、そのようにして魔法を操る。赤子が自分自身の手足の動かし方を学ぶように、魔法を当たり前に操ってしまえる。それが古代人なのだ。
そしてネールもまた、そういう意味では古代人と『同種』なのだろう。
「……お前には、古代人が使っているのと同じような魔力が宿っているんだろうな」
吹雪の止んだ部屋の中で、ランヴァルドはネールにそう、話しかける。
ジレネロストの事故のせいで、意図せずしてこれほどの魔力を手に入れてしまったネール。古代人に『同種』と思われているネール。……もしかしたら、『魔物』と称した方がよいのかもしれないネール。そんなネールに、ランヴァルドは遠く及ばない。
今更ながら、ランヴァルドはそれを強く、実感した。ネールは幼い子供だが……同時に、この場に居る誰をも瞬時に殺し得る力を持った、異質な生き物でもある。
……だからこそ、ランヴァルドがネールに対して果たさねばならない責任がここにある。
「お前は俺よりずっと、古代遺跡を制御するのに向いてるはずだ。俺にはできないことも、お前ならできる。だから……」
いいのか、と、一瞬、逡巡する。
だがそれも一瞬のことだ。ランヴァルドは結局、ネールに笑いかけ、問いかける。
「ネール。お前は、遺跡を動かすことについて、どう思う?古代人の彼女が言っていたことについて、まだ、お前の意見を聞いていなかったからな。折角だ。教えてくれ」
……答えによっては、ランヴァルドがこの手でネールを捻じ曲げなければならない。或いは、始末する必要すら、あるかもしれない。
それを覚悟しながら、ランヴァルドはただ、ネールに笑いかける。
ネールはランヴァルドの考えなど露ほども知らないであろうまま、少し考えた。
……そして、また、霜の上に指を滑らせていく。
『いせき うごくと、どうなる?』
「そうだな。詳しいことはよく分からん。気になるなら、古代人の彼女に聞いてみるべきだろうが……恐らくは、魔力がこの世界にもっと多くなるんだろうな」
ネールの質問に答えてやりながら、ランヴァルドは少し体をずらして、部屋の入口……ウルリカやマティアスからはネールの様子がよく見えないように、それとなく動いた。
『まりょく おおいと まもの ふえる?』
「……そうだな。魔力が多い場所に魔物が生まれる。同時に、魔石や質のいい薬草も生まれるが」
ネールは1つ1つランヴァルドの答えに頷いて……それから、不安そうにまた文字を綴る。
『みんな まりょく にがて?』
「……ああ。俺もウルリカさんもマティアスも、あの古代人が当たり前に扱う程度の魔力を浴びていたら、それだけで具合が悪くなっちまうわけだ。古代人はそうじゃないみたいだし、お前くらい強ければそうでもないらしいが……」
どう答えたものか、と思いながらも答えれば、ネールはふと、思い出したように天井を見上げる。そこには先程までの冷気で生まれた氷柱がある。
『さむいの きらい』
「そうだな。だからお前は俺のベッドにもぐりこみに来る訳だし……」
ランヴァルドがしみじみと言うと、ネールは少し首を傾げた。……が、納得したように頷き始めた。ランヴァルドが首を傾げたいところだが、それはさておき……。
『さむいの とめた』
「……そうだったな。お前はたった今、吹雪を止めたばっかりだ」
『とめるの、わるいこと?』
ネールの言葉にどう答えてよいものやら分からない。
だって、ネールには……古代人の側につく権利がある。
「分からない。俺にも……誰にも、分からないことだ」
ランヴァルドは結局、こう答えるしかない。
「一昨日話した古代人のあの人にとっては、古代遺跡を動かすことが、良いことなんだと思う。彼女は今のままだと辛いのかもしれないし、それは俺達には分からないことだが……。そして一方で、俺やウルリカさんやマティアスは、古代遺跡が動くと具合が悪くなる。ジレネロストみたいに魔物も出てくる。人が棲めない土地は増えるだろう」
これは、無責任だろうか。ネールをここに連れてきている責任を負うことにはなるだろうが、ネール自身に対する責任として、これは正しい在り方だろうか。
判断をネール自身に求めるのは、酷だ。それは、分かっている。知識も経験も不足しているネールに対して、公平ではない。
「結局、どっちが正しいかなんて、言えるものじゃない。俺にとっての損得はあるが、お前にとって同じかどうかは分からない」
……それでも、ランヴァルドは『俺達が困るから、遺跡を止めなきゃいけない』とは、言えなかった。
古代人との交渉が決裂した時……ネールだけ助かるかもしれない道を、ネールから奪うことは、できなかった。
『けんかになる?』
「……なるかもな。なったらなったで、勝てそうにないからな。できるだけ、喧嘩にならないようにしたいんだが」
……無力だ。ランヴァルドはあまりにも、持っているものが少なすぎる。
力も、選択肢も。与えられるものも。何もかも。
……しばらく、ネールはランヴァルドを見つめていた。
そのまましばらく、考えていた。
……だが。
『つよくなる』
ネールはふと、そう文字を書いた。
ネールはじっと、制御盤の奥……古代魔法の装置を、見つめている。
先程まで吹雪を吐き出していた、それを。
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