未知と*5
とにかく、逃げた。当然である。いくらネールが居ようとも、相手の数が数なのだから。
……否、勝てる。ネール1人なら勝てるだろう。だが……こちらには、ごくごく当たり前にしか戦えないランヴァルドとマティアスが居る!
ネールが10人倒す間に、ランヴァルドもマティアスも倒れずにいられるとは限らない。ウルリカならばなんとかできるだろうが、ランヴァルドやマティアスは、囲まれたらお終いなのである!
「おいおい、これ、収拾がつかないんじゃないのか?」
「でしょうね。むしろ、領主はそれをお望みなのでしょう」
走って逃げつつ、後ろを振り返ったマティアスとウルリカが苦々しい表情を浮かべる。
……領主クリストファーは最早、なりふり構っていられないと見える。領民が全員死ぬかもしれない状況で、それでも、『自分が悪かったことにはしたくない』という、ただそれだけの理由で、彼はこうしているのだろう。
だから彼は、おおっぴらにランヴァルド達を追っている。『あいつらが諸悪の根源だ』と言わんばかりに。
……だが、より悪辣なのは、どちらか。
そんなことは、分かり切っているのだ。
「よし……マティアス。小細工は得意だろ。ちょっと付き合え」
……こちらには、悪徳商人が2人も揃っている。
ランヴァルド達は、逃げた。だが、逃げる方向は、少々おかしい。
ただ逃げるのであれば、より細い道を逃げた方がいい。相手の兵は数が多い。その数を少しでも分断していった方が、撒ける可能性が高くなり、撒けなかったとしても、各個撃破に持ち込めるならば倒せる可能性が上がる。
だが……今、ランヴァルド達は、商店も民家も多い、大通りのど真ん中へと進路を定め、そこを兵士に追われているのだ。
当然、目立つ。商店が立ち並び、民家からも近いこの通りであるならば、当然、人通りも多い。朝の麗らかな日差しを浴びながら、多くの兵士が鎧姿も物々しく駆けていく姿に、人々は大いに注目した。
……そして。
「恥を知れ!ブラブローマの紋章を掲げながら、領民の命より領主のちっぽけな名誉を守ろうというのか!?」
大通りの先、領主邸の正面。その広場の中央で、ランヴァルドはそう、声を張り上げた。
その姿は凛々しくも勇ましい、まるで英雄めいたものである。
……そう。南部のこのブラブローマにおいては、北部人のランヴァルドはそれなりに見栄えがする。北部では平均より低い身長も、南部では、まあ、そこそこのものなのだ。
そして何より、高貴な身分を思わせる凛々しい面立ちと、品の良い服装、そして抜き放った剣に刻まれた紋章……朗々と発せられる声もまた、広場で兵士に向かい合うにあたって不足の無いものである。
その横に控えるのが明らかにメイドだと分かる格好の女であることも、金剣勲章を身に付けた『英雄ネレイア』が居ることも……それらは総合して、ランヴァルドの印象を形作る。
貴族が観光に訪れては金を落としていく町においては、高貴さや美しさが人々に対して与える影響は果てしなく大きい。
そしてなにより、ブラブローマは祭り好きの観光地だ。祭があれば、盛り上がる。それだけのことである。
「皆!この町はもう危ない!領主とその娘は、自らの欲のため……愚かにも、ブラブローマを犠牲にすることを選んだ!」
概ね、ドラクスローガでやったのと似たようなことを、ランヴァルドはやってみせる。
民衆を煽って、動かす。それだけのこと。ただし……ここは南部だ。北部でやったよりはお上品に、そして凛々しく、冷徹にやってみせるべきだろう。ここでは美しさと上品さ、そして、賢さと正しさがものをいうのだ。
「皆も、昨日の雹と、現れた魔物のことは覚えているだろう!?あれこそ、領主が呼び込んだ災いだ!」
ランヴァルドの発言は、広場の民衆を大いにざわめかせる。
……ここに居る者達は当然、雹も、雹の魔力によって現れた魔物にも、覚えがある。そんな彼らは、訳も分からず出てきている兵士達より、ランヴァルドの言葉に信用を置く。
「このままでは、ブラブローマ全域が危うい!しかし、このことを皆に公表しようとした私を、事もあろうか、領主クリストファーはこのように兵を差し向けて……口封じのために殺そうとしているのだ!」
兵士達が、怯む。自分達が何故、ランヴァルドを追っているのかも理解していない者達が大勢居るのだ。彼ら自身も、自分達に何の大義があるのか知らない以上、ランヴァルドの言葉には、大いに惑わされる。
「私はランヴァルド・マグナス!そしてこちらは竜殺しの英雄、ネレイア・リンド!我らは王命によって、この地を救いに来た!さあ、賢き者達は聞け!愚かな統治者によってこの地が滅ぼされる前に……我らが成すべきことはただ一つだ!」
朝の光は美しく、ランヴァルドの剣を輝かせた。ランヴァルドはここが舞台であるかのように振る舞い……その剣を、真っ直ぐ、領主の館の方に向ける。
「領主を捕らえろ!失われた平穏には足りずとも……正しく、その償いを!罰を!奴らに!」
「女好きの色ボケ領主から町を守れ!」
マティアスが叫んだ。……マティアスはこの『小細工』のため、ランヴァルドから離れて民衆の中に紛れ込んでいたのである。
線の細い青年の、涼やかながら怒りに満ちた声が、広場の喧噪をすぱりと切り裂いていく。
……すると、マティアスの声をきっかけにして、民衆の怒声があちこちから上がるようになった。
そして……上がった声が、次々に動いていく。
民衆が、兵士を押し退けて、領主の館へと向かっていくのだ。
……彼らを駆り立てるものは、祭りの興奮。そして、未知への恐怖と、義憤である。
これは性質が悪い。ランヴァルドは良く知っている。人間を突き動かすものの中でも相当に強いものが、この3つだからだ。
集団による興奮は、冷静な判断など失わせる。
恐怖もまた、そうだ。何か動かなければ、と人を突き動かす。
そして義憤は……何より性質が悪い。だからこそ、使い勝手がいいのだが。
義憤によって動く連中は扱いやすい。『悪の領主に立ち向かう新たな英雄』という虚像を民衆に見せてやれば、それだけで彼らは動く。マティアスがやったように、最初に声を上げる者さえ居れば、後は簡単なこと。
……民衆が動けば、形勢は逆転する。
何せ、兵士とは数が、桁違いなのだから。
「よし、このままずらかるか、領主の方はキッチリ、ここでカタ付けとくか……」
さて。
そうして民衆が領主邸へと押し掛けていき、兵士達はその勢いに気圧されて武器を下ろし、まごまごと流されていく。その様子を眺めて……ランヴァルドは、ため息を吐いた。
「ここで片付けておいた方が、後々に禍根を残さないのでは?」
「まあ……ブラブローマが生き残る方に賭けるなら、そうですね」
ウルリカは『過ちは正されねば』と呟きつつ不思議そうにしているが……ここはランヴァルドにとって、大きな分岐点なのである。
……もし、古代人の説得に万事成功してブラブローマが生き残った場合。その場合は……領主クリストファーの処分が次の問題になる。その時に有利に動くためには、ここでキッチリ、領主クリストファーなり、娘のソフィーアなりを片付けておいた方がいい。
だが、古代人との交渉に失敗するか……はたまた、『落としどころ』が上手く噛み合った場合など、ブラブローマが犠牲になることが決まった場合。
その時は……むしろ、領主を生かしておいた方が都合がいい。主に、『全ての罪を被せて始末するのに便利だから』という理由で。
「僕も拷問吏に賛成するよ。古代人の方はさておき、ブラブローマのことだけでもキチンとしておくべきじゃないかな?」
ランヴァルドが迷っていると、マティアスが珍しくもそう意見してきた。
「へえ。お前にしては珍しく、前向きな考えだな」
「いや?単に、貴族が潰されるのが面白い見世物だからって理由だけど?」
「そういやお前、こういう奴だったな……」
……が、まあ、マティアスはマティアスである。『まあ、元々あの領主様は気に食わなかったからね』とせせら笑っているが、これはこれで真剣なのだろうから余計に性質が悪い。
「……まあ、死んだ後にも死体は蹴れるじゃないか。今から身代わりを考えなくてもいいと思うけれどね」
「それもそうか。よし。じゃ、領主邸に続こう。俺達に兵を差し向けた以上、あいつらは王命に背いた反逆者だ。明らかな愚を犯している訳だし、正義はこっちにあり、だな」
……そして、マティアスの言葉に易々と乗ってしまうあたり、ランヴァルドもまあ、同じような性質である、ということだ。
「……ところで、ブラブローマの領主と令嬢が処分されることになったら、誰がこの後、この土地を治めるのでしょうか」
「まあ、適当な遠縁がやればいいんじゃないですかね。ひとまず、古代遺跡の扉だけ開けりゃ、管理者の任には就けるでしょうし。実務は王城から官吏を派遣してもらえば、数年はそれで事足りるでしょうし、その数年の間に建て直せば、まあ、なんとか……?」
……まあ、更に先のことは自分には関係が無いことなので、ランヴァルドはもう、何も考えないことにした。
最悪の場合はイサクとアンネリエ、そして偉大なる国王陛下に全てをお任せするとして……今は、これ以上の被害を出さないように、少しでも誠実に、そしてスッパリと容赦なく動くべきだろう。
そうして、一刻もすればブラブローマ城は陥落した。
当然である。兵士達も状況を見て自分達の不利を悟ると、すっかり寝返ってしまったのだから。
領主が元々、如何に人望の無い者だったかがよく分かる。愛嬌と人当たりの良さ、そして口先だけでも、女遊びは何とかなるだろう。だが、それだけで領民を宥めすかすことはできても、真に信頼を得ることはできない。領主クリストファーは、自身のツケを支払うことになった。
……ランヴァルドとしては、少々身につまされる思いである。ジレネロストを任されることになる以上、ランヴァルドもまた、『明日は我が身』なのである。まあ、『あっち側』へ行くことなく、上手くやってみせる、という自信もまた、あるのだが。
ブラブローマ城では、領主クリストファーと領主令嬢ソフィーア、そして領主夫人や執政補佐官などが次々と捕縛されていた。……彼らの処理は、まあ、民衆に任せてしまっていいだろう。
ランヴァルドは民衆に向けて今一度声を張り上げ、『此度のことは国王陛下にお伝えする。数日内に返事を頂けるだろうが、その間に領主クリストファーと領主令嬢ソフィーアのせいで、ブラブローマが滅ぶかもしれない。民は皆、避難できるならしておくように』と指示を出す。
民は変わらず不安そうな顔をしていたが、それは仕方がない。下手に誤魔化して平和ボケされても困る。
ランヴァルドは不安がるブラブローマ領民達に諸々の説明を、諸々の問題の無い範囲内で教えてやって……そして、質問攻めになっても尚、誠実に、1人1人へ対応した。
その間にウルリカが国王宛ての報告書を書いてくれる。概ね、『古代人と接触。特徴は以下の通り。彼女との対話の中で、世界に魔力を増やしたがっているらしいことが判明。ブラブローマがジレネロスト同様になる可能性有り』といった内容である。
……国王側の意見を貰う余裕は無い。だが、ひとまず報告はしておくべきである。その方が、責任逃れが楽なので。
「さて……領主を餌にしたって、古代人は納得してくれないだろうしな……」
ランヴァルドはため息を吐きつつ、いよいよ明後日に迫る、古代人との会話を思い描いて、ますます頭を悩ませることになるのだった。
その夜。
ちゃっかり領主邸の客室を勝手に借りることを決めこんだランヴァルドは、考えの整理がてら、『どうせ後々提出する羽目になるんだろうしな……』と報告書の体で諸々を書きつけていた。
……すると。
「ん?どうした、ネール」
いつの間にやってきたのやら、すり、とネールがすり寄ってきた。
「眠れないのか?」
声を掛けてみると、ネールは、こくん、と頷いた。
……海色の瞳が、少々不安そうに瞬く。それを見て、ランヴァルドはネールの頭を、もそ、と撫でた。
「そうか。なら、もうちょっと待ってろ。もう少しで終わる」
そうして、左手でネールの頭を撫でてやりつつ、右手では忙しなくペンを動かし……宣言通り、数分でペンを置く。
「……よし。じゃあ、寝るか」
そのままベッドへネールを運ぶべく、ネールを抱えると……ネールは、わたわた、と動いて、するん、とランヴァルドの腕からまろび出る。そしてそのまま、ランヴァルドが置いたばかりのペンを握るので、『ああ、お喋りするか?』と聞いてやった。するとネールは嬉しそうに、こくこくと頷く。
ならば、と、適当な紙を出してやる。するとネールは紙の上に、元気に文字を書き始め……。
『あした いせき いきたい』
そう、書いて見せてきたのである。
「……遺跡?なんでまた?古代人との約束は、明後日だぞ?」
明日はまだ、古代人との約束の日ではない。ランヴァルドが不思議に思っていると……ネールは少し考えてから、『しらべる』と書いて見せてきた。
……成程。まあ、確かに、無駄なことではない。
何せ、ランヴァルド達はまだ1つ、見ていない遺跡がある。
恐らく、魔力を含んだ雹を降らせる原因となった、その遺跡……ブラブローマの3つの遺跡の内の1つを、まだ、確認していないのだ。
「分かった。じゃあ、明日はそっちに行ってみるか。場所は幸い、お嬢様が吐いてくれたことだし、『鍵』は一応、居てくれていることだし……」
マティアスはこの騒ぎに乗じて逃げるか、とも思ったのだが、ウルリカが睨みを利かせているからか、未だ逃げずに残っている。ということで、古代遺跡の扉を開くことには何の問題も無い。
「……お前も、何か考えがあるんだろ?或いは、まだ考えとしてまとまっていなくても、感じ取ったものがある、ってところか?」
ネールにそう聞いてみれば、ネールは『我が意を得たり!』とばかり、こくこくとまた頷いた。
……今、最も古代人に近しい存在が、ネールだろう。
そのネールに何か、考えがあるのだというのならば、まあ、一縷の望みを託して、遺跡へ向かってみるのも悪くない。
ランヴァルドはネールに『じゃあ、明日は早めに出発するぞ』と話しかけつつ、今度こそネールをベッドへしまうべく、ひょい、と抱えあげてネールを運んでいくのだった。
……尤も、ネールをネールのベッドに入れて、ランヴァルドがランヴァルドのベッドに入った数秒後には、ネールがランヴァルドのベッドにもぐりこんできていたが……。




