林檎の庭*1
「……どうして、そう思う?」
ランヴァルドは慎重に、若干の緊張を気取られないように問い返す。
「いや、魔法を使ったことといい、立派な剣を持っていることといい……それに、立ち居振る舞いも堂々としてるもんだから」
御者がそう、少々控え目な調子に言うのを聞いて、ランヴァルドは息を吐きだしつつ、緊張を緩めた。
「ま、そうだな。俺は『元』貴族だ。訳あって家を追い出されちまったもんでね。だから、そう固くならないでくれ。今はただの商人だから」
「……そうか、あんたも苦労してるんだな」
「まあな」
ランヴァルドは少々笑って返して……それから、ふと視線を彷徨わせた先で、自分を見上げているネールの視線とぶつかった。
……ネールは、少し心配そうにランヴァルドを見上げていた。ランヴァルドの身の上をちらりと聞いて、何か、思うところがあったのかもしれない。
ランヴァルドは『大したことじゃあない』と言ってやって、ネールの頭を少々乱雑に撫でた。
「……そういえばお前、花冠はどうした?」
頭を撫でついでに、『そういえばさっきまでこいつの頭にあったものが無いな』と気づいて声を掛ければ、ネールもそこで気づいたらしい。……どうやら、さっき野盗と戦った時に落として、そのまま忘れてきてしまったようだ。
「ま、まあ、そう気落ちするな。花は野に帰してやった方がいい」
しゅんとしたネールを励ましてやるべく、ランヴァルドはまた乱雑に、わしわし、とネールの頭を撫でてやる。そうしていると、ネールはやがて落ち着いてきたのか、はたまた、午前中の歩き疲れが今になって出てきたのか、やがて、ランヴァルドに凭れ、すうすう、と眠り始めてしまった。
……ランヴァルドは自分に寄り掛かる温い重みを感じながら、しばらくの間、ネールの頭を手慰みに撫でておくのだった。
道中でもう一度、野盗に行き会った。だがネールによってあっという間に撃退された。
やはり、ナイフは2本あった方が戦いやすいらしい。ネールは上機嫌でナイフを振り回していた。……だが、野盗の死体から奪ったナイフは安物であったらしく、数度使っただけで大きく刃毀れが生じている。やはり、きちんとしたものを買い与えた方がいいだろうな、とランヴァルドは思った。
……ネールは、ランヴァルドが稼ぎ、のし上がるための最も重要な道具である。そして、道具を使うのであれば、その手入れを怠ってはならない。必要なものがあるならば、不足なく与え、最大限の力を発揮させるべきだ。
そんなことを考えつつ馬車に揺られ続け……太陽が地平の果てに沈む頃、ようやく馬車はハイゼオーサに到着した。
馬車はそのまま、ハイゼオーサの鍛冶屋へと向かった。そこの鍛冶屋と旧知の仲だという御者は、今日はそこに泊めてもらう予定らしい。
……さて。そうしてランヴァルドとネールは、早速宿へと向かうのだが。
「おい、余所見してると転ぶぞ」
ネールは、ほわあ、と息を吐きつつ頬を紅潮させて、目を輝かせてハイゼオーサの街並みをきょろきょろと眺めていた。
……そう。ハイゼオーサは、ハイゼル領一番の都市だ。ウィーニアやカルカウッドとは比べ物にならない程の発展を遂げている。
立ち並ぶ建物も、木を組んだ簡素なものではなく、石造りのきちんとしたものが多い。元々が城塞都市であったこともあり、ハイゼオーサの街並みはそこらの小さな町とはまるで異なるのだ。
もうすぐ夜が来るというのに人通りの多い通りも。行き交う人々の服装も。労働者達の夕食を売る屋台や店仕舞いしている露店に見える品々も。それら全てが、都会のそれであった。
「ほら。物珍しいのは分かったから。今は宿だ。宿を取れなきゃ、野宿になるんだぞ」
カルカウッドくらいしか見たことが無かったのであろうネールからしてみれば、この大都会ハイゼオーサは珍しいものだらけだろう。だが、今はそれどころではない。
「……俺は眠いんだ、ネール」
ネールは馬車の中で眠って元気いっぱいだが、ランヴァルドはその間も眠ることなく警戒に勤めていた。そのせいで、今、眠い。
ランヴァルドが不調を訴えれば、ネールは慌てて、とててて、とランヴァルドの後に付いてきた。もうよそ見することなく、ただ必死に、ランヴァルドを追いかけてくる。まるで、置いていかれるのを恐れるように。
置いていかれるのが嫌だ、と思っている分には、ネールがランヴァルドを裏切る心配は薄いだろう。これは非常に好都合である。どうしたわけか、ネールはもうすっかりランヴァルドに懐いているようだった。
……人をあっさりと殺せる生き物に懐かれる、というのは、なんとも妙な気分である。頼もしいような、恐ろしいような。だがそれでもランヴァルドはネールに笑みを向けた。
「よし。じゃ、行くぞ」
ランヴァルドはネールを連れて、よく知る宿……『林檎の庭』亭へと向かうのだった。
宿のドアを開ければ、からん、とベルが鳴る。何度も聞いたことのある音だ。
そして……。
「ようこそ、『林檎の庭』へ!……あら、ランヴァルドじゃない!」
早速出てきたのは、ランヴァルドが何度も見た顔である。
「よお。久しぶりだな、ヘルガ」
……彼女はこの宿の看板娘。ヘルガ・アペルグレーンは、ランヴァルドの顔なじみである。
「どうしたの?泊まってく?食堂でお喋りするのが目的かしら?それとも私に会いに来た?」
「そうだな。お前に会いに。……ま、今回は泊まりで頼む。ベッドが2つある部屋がいい」
冗談めかして尋ねてきたヘルガに、ランヴァルドもまた、冗談めかして答える。
……まあ、あながち、間違いでもない。ヘルガとお喋りに興じるのは、悪くない選択である。何せ……彼女は情報通なのだ。
ヘルガは栗色の髪と金褐色の瞳を持つ、愛嬌のある笑顔が特徴的な看板娘だ。近寄りがたいところはまるで無く、明るく、すぐ人と打ち解ける。そして何より、宿と宿の食堂兼酒場で働いている。
……それ故に、あちこちから珍しい話を聞くのだ。その情報にはランヴァルドも今まで何度も世話になった。
今回も是非、ここで情報収集させてもらいたいところだ。だが、今は何よりもまず、食事と睡眠が欲しい。ランヴァルドはさっさと金を出して支払った。
「ベッド2つね、了解。……あら、その可愛いお嬢ちゃん、まさかあなたの子?」
そこでようやく、ヘルガはランヴァルドの後ろに隠れるようにしていたネールに気づいた。どうやら、ネールは人見知りしているらしい。少々の不安と警戒を滲ませながら、ヘルガを見ている。
「いや、訳あって引き取った子だ。ま、色々と事情があってね。……な、ネール」
ランヴァルドがネールに話しかければ、ネールはもじもじしながら頷き、それから、ぺこ、とヘルガへお辞儀して見せた。ヘルガは『かわいい!』とにっこりした。
「そう。こんなに可愛い子が一緒なら、良いベッドがある部屋にご案内するわ」
「それはありがたいね」
「いいのよ。良い部屋だって、お客さんが入らなかったら何にもならないんだから。この時間になったらもう、新しくお客が入るとも思えないし……だったらかわいい子に使ってもらった方がいいじゃない?」
ネールのかわいらしさににこにこするヘルガは、『お部屋へご案内しまーす』と歩き出す。その後についていくランヴァルドの更に後をネールがついてきて、3人がぞろぞろと連なって歩くことになる。
そのまま案内されて、言葉通り『良いベッド』なのであろう、寝心地の良さそうなベッドが2つ並ぶ部屋へ通された。
「食事は?この後摂る?」
「ああ、そうだな。食堂に行くよ」
「ふふふ。なら是非、食後のデザートを頼むべきね。今日のチーズケーキは最高の出来よ!」
「そいつはいいな。こいつが喜ぶ」
「そうなの?ならこの子の分は大きめに切った一切れにしてあげる!可愛い子には甘いお菓子を。でしょ?」
ネールはきょとんとしていたが、ヘルガはそんなネールにウインクを一つ飛ばした。
「じゃあ、ごゆっくり!下に居るから、何か必要なものがあったら遠慮なく言ってね!」
ヘルガは手をひらひら振りながら、また持ち場へ戻っていく。それを見送って……ランヴァルドは、ネールと顔を見合わせた。
「お前……得な性分だな」
ネールは首を傾げていたが、この可愛らしさで一段良い部屋をあてがわれたのだ。ついでに、ケーキのおまけの約束まで取り付けている。本人は、何もしていないのに!
……つくづく、『かわいい』ということは、得なのである。
ベッドが確保できたところで、荷物を下ろし、一息ついてから夕食を摂りに食堂へ向かう。
宿の一階、受付があるホールはそのまま、食堂兼酒場なのだ。そこでは忙しそうに、ヘルガが働いている。
「来たわね!さあお好きな席へどうぞ!」
早速、ヘルガはランヴァルドとネールに気づくと、笑顔で空席のいくつかを示して教えてくれる。ランヴァルドは壁際の、話を他の客に聞かれにくいであろう位置にある卓に座ることにした。ランヴァルドがこの宿でよく使うのは、この席なのだ。
「はい、ご注文は?とりあえずパンとスープは付くわよ。他に食べたいものがあったら言ってね!当然、チーズケーキは頼むでしょう?」
「ああ、分かったよ。……おまけしてくれるんだったな?」
「この子の分だけね。ランヴァルドの分は普通の大きさよ」
「ああそうかよ。……じゃあ、肉団子。ここのは美味いからな。後は……蜂蜜酒を頼む」
「分かったわ。蜂蜜酒はお湯割りにしてあげる。あんまり濃いの飲んだら、あなた、すぐ寝そうな顔してるもの」
ヘルガは注文を取ると、じっ、とネールの方を見る。ネールは見つめられて、少々緊張した様子である。
「ネール、お前はどうする?」
ランヴァルドはメニューをネールに見せてやる。文字は教えたが、もう読めるだろうか。読めない様子だったら手助けしてやろう、と考えていると……ネールは真剣な顔でじっとメニューを見つめ、どきどきとした様子で、その文字列をそっと指差した。
「ああ、蜂蜜入りのホットミルクね?了解!」
……案の定、と言うべきか。
ネールが自分で文字を読み、初めて自分の力だけで注文したのであろうそれは、蜂蜜入りのホットミルクであった!