水の源*4
古代遺跡の入り口は、野原の真ん中にあった。
「春になったらこのあたりは花畑か」
その時期に見たかったものだな、と思いながら、今は何も無い、ただの枯れ草の野原を歩く。
「おい、見つかったぞ」
そして、マティアスが野原の何も無いそこに、石の扉を見つけた。
ほんの少しばかり土地が盛り上がっただけの、丘とも言えないようなそこに、ただ地面に蓋を乗せただけのような、扉とも言えないような石板がある……というような様相である。さながら、地下へ続く跳ね上げ扉の類だ。到底、古代遺跡の類には見えない。
「じゃ、マティアス。よろしくな」
「……僕にやれって言いたいのか?」
「お前以外にこの扉を開ける奴は居ないからな」
マティアスは嫌そうな顔をしていたが、ランヴァルドは『ほら、さっさとやれ』とマティアスに命じる。
マティアスは『そもそもこんなところまで付いてきたくなかった』というようなことをぶつぶつ言いながらも、きちんと扉を開けてくれた。石扉の下は、当然ながらぽっかりと続く縦穴だ。ここに落ちたら面倒だな、とランヴァルドは思った。
「一応、梯子はあるようですね。では先に行かせていただきます」
「いや、ウルリカさん。この先でブラブローマの血を必要とする箇所があるかもしれませんので、マティアスに先に行かせましょう」
ウルリカが梯子を降りかけていたのを引き留めて、ランヴァルドはそっと、マティアスを押し出す。
「……僕も入るのか?」
「当然だろ」
ランヴァルドは『ほら、さっさとしろよ後がつかえてるんだ』とマティアスを追いやる。マティアスは嫌そうな顔をしていたが、やがて諦めたように梯子を降りていった。
それに続いて、ネールがぴょこんと縦穴に飛び込んでいった。……下手すると、マティアスよりネールが先に到着しそうである。
続いてランヴァルドとウルリカも後に続き、全員が古代遺跡の中へと入っていくことになった。
……なんとなく、厭な予感を抱えながら。
梯子は然程長くなかった。ランヴァルドは『助かるな』と思いつつ、辿り着いた床の上、ランプに火を入れた。
ランプの光に照らし出されるのは、古代遺跡にお馴染みの石壁である。彫刻の意匠は古めかしく、実に古代遺跡らしい。また、先に見ている古代遺跡と同様の模様も見られるので、ここがブラブローマの血で管理する3つの遺跡の内の1つであることは間違いないだろう。
「何者かの気配はありますね」
「ええ。慎重に行きましょう」
通路の奥からは、確かに何者かの気配を感じる。これは水龍のものなのか、それとも……。
「……ネール。もしかしたらこの先で例の奴と会うかもしれない。そうなったらその時は、打ち合わせた通りだ。いいな?」
ランヴァルドはネールにそう呼びかけて、ネールと目を合わせる。ネールもまた、ランヴァルドを見つめ返して、こくん、と強く頷いた。
「よし……じゃあ、行くぞ」
ランプを掲げ、ランヴァルドは歩き出す。その横にネールが控え、後ろにマティアスとウルリカが続く。
……遺跡の中は、少し、寒い。
全てが石造りだから、冷えるのか。それとも……。
通路を進んで少しすれば、また扉が現れる。が、ランヴァルドが開こうとしても開かない。
仕方が無いので、ランヴァルドは無言でマティアスを呼んで、マティアスに扉を開かせた。すると、扉がすんなりと開く。ランヴァルドとネールは揃って『お前が居てよかった!』という顔をしてやった。マティアス本人は肩を竦めていたが。
……扉が開いた先へ向かえば、そこには前回の遺跡にも似た地底湖がある。
だが、凍っていない。
「間に合った、ってことか……?」
ならば、と、ランヴァルドは水の底を覗き込む。……だが、そこに水龍の姿は見えない。
「居ませんね」
「……元々居ないのか、何かあったのか、分かりませんね……」
ウルリカも一緒に覗き込んでくるが、彼女にも結論は出せない。
仕方が無いので、周りの古代魔法を読み解くことにした。どうも、こっちは1つ目の遺跡と違うようなので。
ランヴァルドは古代遺跡の専門家などではない。決して、違う。だが……この面子の中では、ランヴァルドだけが唯一、魔法をまともに学び、古代文字を読み解くことができるのである。ならば仕方がない。調べるのはランヴァルドの仕事だ。
「……あー、成程な」
「何か分かりましたか」
そうしてランヴァルドが魔法を読み解いていった結果、ランヴァルドは何とも言えない顔をする羽目になる。
「1つ目の遺跡。俺達が最初に行った方の遺跡ですが……あっちは恐らく、水龍が水を操り、ブラブローマに流れる水を集めるような……或いは、品質を管理するだとか、水を動かすだとか……まあ、そういうことをやっていたんでしょう」
ウルリカと、ついでに興味深げに寄ってきたネールとに説明してやりながら、向こうで聞き耳を立てている様子のマティアスにも一応聞こえるように話して聞かせつつ、ランヴァルドは『不確かなことばっかり言いたくは無いんだが』と思いつつ、それでも一応、話して聞かせる。
「で、恐らく、俺達が行っていない2つ目の遺跡……それが、『雨を降らせる』ような役割を果たしていたんじゃないかと」
「雨を?」
「ええ。水を循環させるための装置があったと予想しています。まあ、さっき雹が降ったのはそれだろうな、と」
全くの推測ではあるが、自分達が見ていない遺跡のことも、ある程度は考えていく。……なぜならば、このブラブローマにある遺跡は3つ。その3つが無関係であるはずはないし、3つの遺跡が仕事を分担しあって動いているであろうことは間違いないのだ。
ジレネロストでも、2つの古代遺跡があったが……あれも、2つが繋がって動いていたように思われる。ならばブラブローマも同じだろう。
「そして今、俺達が居る遺跡。ここが……恐らくは、『水の源』です」
ランヴァルドは覗き込んだ水の底、微かに光る装置らしいものを見つめる。
水龍ではなく、あのような装置があるのだ。まあ、アレはアレで、何か働いているのだろう。ここにある装置から読み取る限りでは……『水を生み出す』ように働いているはずだ。
水をどのように生み出しているのかは分からない。近くの大地に染み込んだ水をここに集めている、ということなのか、水龍の力で水を集めるか何かして、それが集められる場所がここだということなのか……。
……或いは、全くの無から水を生み出しているのか、ここではないどこかから水を集めているのか……そのあたりは定かではないが。
「ま……ようやく『源』に辿り着いた、って訳だ。水の、そして……情報の、だな」
どのみち、ランヴァルド達の行うべきことは変わらない。
ランヴァルドは、ウルリカが警戒する気配を背後に感じながら、水面へ落としていた視線をゆっくりと上げる。
……地底湖の、向こう側。そこにぼんやりと、人影が見えていた。
「黒幕のお出ましだな」
フードの付いた外套を纏って、その人物は……そっと、地底湖の水面に足を乗せる。
そしてそのまま、水面を歩いてやってくるのだ。これにはランヴァルドのみならず、ネールも、ウルリカも、マティアスだって驚かされる。
……だが、ランヴァルドの頭には、『古い魔法には、水面を渡れるようになるものもあったらしい』という知識があった。『あれはそういうことか』と理解することが、一応はできる。
だが同時に、ランヴァルドだけは気づいてしまうということでもある。『あいつは失われたはずの、古代の魔法を使っている』と。
「……ネール」
ランヴァルドが小さな声でネールを呼べば、ネールはすぐに、ランヴァルドの隣へやってきた。少し、緊張した面持ちである。
ランヴァルドはネールに少し微笑みかけてやって、それから前を向く。水面を渡ってやってくる、フードの人物を迎え入れるために。
そうして、フードの人物が湖を渡り切った時。
「さて。あんたはネールと話をしたいんだったな」
ランヴァルドはそう、声を発した。ごく当たり前に。当たり前のことだと、自分に言い聞かせて。
フードの人物は、じっとランヴァルドの様子を窺っているように見える。認識を阻害する魔法を使っているらしく、相変わらず、その容貌は判然としないが……それでも、相手が少々戸惑っているのか慎重になっているのか、まあ、そんなところであろうということだけは分かった。
「だが、ネールは喋れないんでな。あんたとやり取りするのには不便があるだろう。少なくとも『話す』ってのは難しい」
ランヴァルドは尚も喋る。舌先だけで窮地を切り抜けてきたランヴァルドだ。得体のしれない相手を前にしても、その舌が鈍ることは無い。
「ついでに、ネールは古代文字の読み書きは一切駄目なんでね。あんたと筆談ってのも、難しいんじゃないか?」
更に言葉を発せば、相手が少々、怯んだ、ように見えたかもしれない。『何故知っている』と思ったか、はたまた、『そこまで調べがついていたか』と思ったか。……ランヴァルドは、『まあどっちでもいい。ちょっと驚いてくれたならな』と内心で零しつつ、如何にも友好的な笑みを浮かべてみせた。
「だが、あんたの要望には応えたい。こっちも聞きたいことがあるんでな。ネールもあんたのことが気になっているらしいし……」
ランヴァルドの言葉に、相手は何を思っただろうか。警戒だろうか。それとも……多少なりとも、対話する気になっていてくれればいいが……。
「……そこで、俺が通訳をやらせてもらえないか?俺はネールが何を言いたいか大体分かるし……現代文字も古代文字もできる。どうだ?」
『精々、俺の価値を高く見積もってくれ』と祈りつつ、ランヴァルドはそう、申し出た。
……相手はネールに何らかの価値を見出しているらしい。少なくとも、ネールとは対話するつもりがあるらしい。
だが、恐らく、ここでランヴァルドを殺すことは簡単なのだ。『特別』ではないランヴァルドは、ネールとは違う。相手の気分1つで如何様にもされてしまう、儚い命だ。
だが……ネールはそんなランヴァルドの脚に、きゅう、とくっつくようにして相手を見つめる。『ランヴァルドが居ないならお話しなんてしないぞ』とでも主張するかのように。
……そうして、フードの人物が動いた。
一瞬警戒したランヴァルドだったが……フードの人物はただ、フードを外してこちらを見つめ返してきた。
その、フードを外した人物には、もう、認識阻害の魔法が掛かっていなかった。だから、その顔を存分に見つめることができたランヴァルドは……否、ランヴァルドのみならず、この場に居た全員が、絶句する。
……そこに立っていたのは、ネールにそっくりな顔立ちの女性だった。




