華やぐ町*7
ランヴァルドはブラブローマ城の前でにんまり笑っていた。案の定、領主クリストファーは『祭の関係でお出かけになっており、まだ戻っておりません』とのことである。
ということは、ウルリカが上手くやっていることだろう。……あの鉄面皮が女好きの領主を篭絡する様がまるで想像できないが……まあ、ウルリカのことだ。きっと上手くやるはずである。多分。
そんなランヴァルドは、ぶらぶらと宿への帰り道を歩きながら……見覚えのある人影を見つけて、近づく。
「よお、マティアス。首尾はどうだ」
マティアスは振り返ると、なんとも嫌そうな顔でため息を吐いた。
「ああ、上々だよ」
「その割に機嫌が悪いな」
「お前が話しかけてきたからね。僕はこれから寝るところだ」
マティアスが不機嫌なので、ランヴァルドとしては楽しい。不愉快な思いをさせられた分は不愉快にしてやろうという気持ちにさせられるので。
「ってことは、お嬢様は相当夜遊びをお楽しみでらっしゃる、って訳か」
「いや、お嬢様は夕食までだね。その後はお嬢様の侍女や、領主様の愛人あたりを適当に」
……そしてマティアスはかなり上手くやっているようである。流石と言うべきだろうか。やはり『パンはパン屋に焼かせた方が良い』というのはその通りである。
「そうか。収穫はあったか?」
「今のところ、芳しくないね。最近話題のワイン工房の話だとか、最近の季節外れの雹の話だとか、近頃流行りのレースの編み模様のことだとかは聞いたけど。……まあ、もう少し時間を貰うよ」
マティアスはさっさと話を切り上げて宿に戻りたいらしい。まあ、夜通し働いているのだろうからこれ以上引き止めるのも悪い気がしてくる。
「ああ。ゆっくりやってくれ。今日はウルリカさんが動いてるからな。お前があんまり頑張りすぎる必要もないだろう」
……だが、ウルリカの名を出すと、マティアスは少々、目の色が変わった。
「あの拷問吏の方は順調なのか?」
「さあな。今日の成果次第じゃないか?ネールも一緒に居るから、領主との接触は問題ないだろうけどな」
ランヴァルドがさらりと答えれば、マティアスは少し考え始めた。『これは何か漏らすか』とランヴァルドが期待しながら待っていると……。
「お嬢様には最近、本命が居るらしい」
マティアスはそう、漏らしてくれた。ランヴァルドは内心で大喜びである。
「本命?」
「ああ。お嬢様の侍女……兼、領主様の愛人がそう言ってたよ」
成程。どうやらあの領主、未だに女好きは治っていないようである。……貴族の私生児であるマティアスとしては、思うところが多分にあるだろう。表情にそれがよく出ている。
「お嬢様はそいつを誰にも見せないらしいけれどね。ま、それだけ大切にしている本命の男が居るんだったら……あの拷問吏も、領主様よりそっちを狙った方が効果的なんじゃないかな?」
「まあ、領主様が駄目ならそっちだな。お前は?お嬢様は諦めるのか?」
「……まあいずれにせよ、もう少し足場を固めたいね。お嬢様は馬鹿で扱いやすいんだが、馬鹿だから碌に情報を持っていないみたいだ。まあしょうがないか。こっちはハズレってことかもね」
マティアスが肩をすくめてそんなことを言うので、ランヴァルドは『まあ上手くやってくれ』と思いつつ、考える。
……領主令嬢ソフィーアの『本命』とは、一体どんな男なのだろうか、と。
ついでに、本命がいつつ、マティアスをはじめとして一体何人に手を出しているんだろう、とも……。
マティアスは宿へ戻るらしかったので、ランヴァルドはもう少々、町をぶらついてから戻ることにした。
……宿に戻ってもよかったのだが、マティアスの寝顔を眺める趣味は無い。ネールと違って。
少し町を歩けば、来月に行われるらしい祭りの準備を着々と進める店舗がいくらか見受けられた。窓辺で針を動かしている婦人はどうやらブラークロッカの花模様を刺しているようであったし、店先の花壇の手入れをしている者の姿もある。
賑やかでいいことだな、と思いつつ、ランヴァルドは『ジレネロストでも何か祭りがあってもいいか』などと思う。
かつてジレネロストで行われていた祭りについては……ネールに聞いても碌な回答は無いだろうが、アンネリエが記憶していることだろう。それを再現してもいい。
或いは、もっと儲かるような催しを新たに考えても良いわけで……。
……と、そんなことを考えながら、歩いていたところ。
「……ん?」
ふと、ランヴァルドは、何か妙な気配を感じ取って立ち止まった。
それは、地面がぐらりと揺れたような、そんな気配だ。
……だが、周りを見てみても、ランヴァルドと同じような反応をしている者は居ない。ということは、気のせいだろうか。
「……何だったんだ、今のは」
少しばかり嫌な汗が背筋を伝う。何も無かったなら、それでよいのだが……。
「っ」
瞬間、背後に視線を感じて振り返る。
……誰も居ない。
だが、ランヴァルドは確かに、この気配に覚えがある。
……古代遺跡で数度、感じた気配だ。
+
ネールはふと、何かの声が聞こえた気がした。
窓の外。どこか、少し遠い所から……。どこだろう、と思ってきょろきょろしてみるけれど、誰の姿も見当たらない。
「ネールさん。どうされましたか」
ウルリカに尋ねられて、ネールはどう説明したらよいものか、迷う。
ちなみに、ウルリカとネールの向かいでは、領主クリストファーがぼんやりした顔で座っている。……ウルリカはやっぱり、領主クリストファーのお茶に何か入れていたらしい。
後で聞いたところによると、『まあ、強いお酒のようなものです。ただし、酔いを自覚させない薬を混ぜたものでした。判断力を鈍らせる効果があるので、あのような場で便利なのです』とのことだった。世界には色々な薬がある。ネールはまた賢くなった。
「外……に何か、見えたのでしょうか」
見えたわけではない。ネールはちょっと困りつつ、自分の耳をちょっと示して見せた。すると、ウルリカは『何か聞こえた、ということですか?』と尋ねてくれたので、『その通り!』とばかり頷いた。
「私には特に何も聞こえませんでしたが……つまり、何か魔法の気配だった、ということでしょうか」
ウルリカは『私には然程魔法の心得がございませんので……』と少々目を細める。少し悔しそうだ。
だが、ネールだって、魔法に詳しいわけではない。魔法を魔法だと自覚できたのも、つい最近のことだし、ランヴァルドに教えてもらうまで、ネールは自分が魔法を使っていることにも気づいていなかったわけだし……。
……だからこそ、ネールには魔法が声に聞こえてしまうのかもしれない。ちょっと不便である。
そうだ。古代遺跡でも、そうだった。ネールは何かに呼ばれたような気がして振り返ったことがあったけれど、あの時も声じゃなくて、何か、魔法のようなものが漂っていたのかも。
そんなことを考えていたら……ふと、窓の外が、きらり、と煌めいた。
あれ、と思って見てみれば……なんと。
「まあ……」
空から何か降ってくる。
きらきらした……水晶の欠片のようなそれは、ぱらぱらと地面に降り注ぎ……。
「……雹、ですか」
かつん、かつん、と音を立てて、広場のタイルの上にそれが散らばった。
雹、というらしい。ネールはこういう風に、空から氷の粒が降ってくるのを初めて見た。
綺麗だなあ、とネールは思う。きらきらした氷の粒が、たくさんたくさん、降ってきて……なんだかまるで、御伽噺のようだ。
「このお天気で……」
だが、ウルリカの目は険しい。ネールもウルリカにつられて、空を見上げる。
……晴れている。青空だ。ただ、きらきらと氷の粒が降るばかりで……雲一つ無い。
「な……何が、起きているんだ……?」
そんな折、薬の効果が弱まってきたらしい領主クリストファーが窓の外を見て青ざめていた。
「ソフィーアは……ソフィーアが何かしたのか!?」
少し錯乱気味の彼を、彼の侍従が落ち着かせようとしている。だがその間にも、領主クリストファーの口からは『ソフィーアが』『次の水龍が』とよく分からない言葉の切れ端が零れ落ちていくばかりだ。
「領主クリストファー様」
ウルリカが立ち上がって一歩、領主クリストファーに近づく。
「……何か、これについてご存じのようですね?」
領主クリストファーは何かに怯えるような顔をしていたが……ウルリカは、表情一つ変えずに、まるで氷の彫像のような顔で、問いかけた。
「お話を伺わせていただけますか?」
+
「おい、ランヴァルド!」
ランヴァルドは背後から声を掛けられて、はっとする。
「お前は何をぼんやりしてるんだ!?屋根のある所に入れ!」
見れば、マティアスがランヴァルドの腕を掴んでいた。どうやら、宿に戻りかけたところで引き返して、ランヴァルドのところへ戻って来たらしい。
一体何故、と思ったランヴァルドの足元に……かつん、と、透明な欠片が転がる。
そしてそれに気づいた一秒後には、かつん、かつん、かつん……とあちこちで音が聞こえるようになり……マティアスに引っ張られて近くの店の軒先に入った直後にはもう、ばらばらと勢いよく雹が降り注ぐようになっていた。
「雹……?一体、なんで……」
降り注ぐ氷の欠片は、どんどん道に転がっていき……降り積もるまでに至る。まるで、割り砕いた硝子を敷き詰めたが如き光景だ。
空を見上げてみれば、雲一つない青空だ。だというのにこのように雹が降るとは……あまりにも、現実味が無い。
だがランヴァルドはこの氷の粒を見て別のことを考えていた。
……あの時、ハイゼルで、或いはジレネロストで、そしてステンティール東部で……古代遺跡の中を吹き荒れる吹雪が孕んでいた、刃めいた氷の欠片。あれに、似ている気がする。
そして。
「おい、マティアス。あれを見ろ」
「……冗談じゃないね、全く」
ランヴァルドはマティアスと共に往来の真ん中……そこに落ちてきたものを見て、青ざめる。
氷の中でも煌めく薄青のそれは、どうも……ドラゴンの鱗のように見える。
さながら、氷の底に見た、水龍のもののような……。




