華やぐ町*6
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ネールはウルリカと共に、町の広場に来ていた。
広場は円形にできていて、明るい色のタイル敷きになっている。綺麗だなあ、と足元を見ながら、ネールはてくてく歩く。
広場の周りには商店がいっぱいだ。その中のいくつかは、ネールにも分かる。あっちは多分、花屋さん。そっちにあるのはきっと服を売る店で……そうそう、あの看板はランヴァルドが教えてくれたものだ。商人さんの荷物を預かる場所!
……ということは、このあたりは商人さんが沢山来る場所なのだろう。ランヴァルドもこの町に来たことがあると言っていたことだし、道を行き交う人の中にも、それらしい人の姿がちらほら見えることだし……。
ネールは街並みを楽しみながらウルリカと一緒に歩く。ウルリカも周りを見回しながら歩いているので、2人の姿はさながら観光客であった。……その実、ネールは未だ大きな町というものが全て珍しいが故の行動であったし、ウルリカはウルリカで、別のものに注意を払っているのだが。
「ネールさん。このあたりで休憩しましょう。丁度、屋台もあることですし、簡単に昼食がてら。いかがですか?」
ウルリカがそう提案してくれたので、ネールは元気に頷く。
広場には食べ物の屋台がある。ちょっと見ても何の食べ物なのか分からない。ネールはそわそわしながらウルリカと共に屋台の列に並び、そして、屋台で白身魚のフライがパンに挟まったものを購入した。
ウルリカと一緒に広場の一角の長椅子に座って、お魚のパンを食べる。……パンは思いの外柔らかくふわふわで、白身魚のふわふわとぴったりだった。とても美味しい!
「ふふ、ネールさんは本当に美味しそうに召し上がりますね」
……そんなネールを見て、ウルリカがくすくす笑う。ネールが首を傾げていると、ウルリカは少し嬉しそうにまた話してくれる。
「エヴェリーナお嬢様もそうなのです。美味しいものを召し上がる時、とても美味しそうで……なので料理人達が大層喜んでいます」
成程。どうやら、美味しいものを美味しそうに食べると料理人が喜ぶらしい。……ネールにはまだ、よく分からない話だ。
尚もネールが首を傾げていると、ウルリカは『あら?』というようにまた首を傾げ、それから少し考えて……。
「ネールさんは、マグナスさんが美味しそうにお食事されていたら、嬉しくなりませんか?」
……そう、ウルリカが説明してくれたので、ネールはようやく、なんとなく分かってきた。
そうだ。確かに、ネールはランヴァルドが嬉しそうなら嬉しい。ものを食べて『美味いな』と言っていたら嬉しくなるし、余計にご飯が美味しくなる気がする。
成程、そういうことか、とネールが頷いていると、ウルリカはまた、なんだか嬉しそうな顔をする。
「ネールさんは本当に、マグナスさんのことが大好きなのですね」
ウルリカの言葉に、ネールは力強く頷いた。その通り!という気持ちを込めて。
「そんなネールさんを見ていると、私もなんとなく心地よいですよ。やはり、仲の良い人々の姿というものは、よいものです」
ネールは少し考えて、『ウルリカとエヴェリーナが楽しそうにしているのを見ていると、確かにちょっと気分がいい』と思った。……ランヴァルドは色々なことを教えてくれるが、ウルリカも色々なことを教えてくれる!
「……まあ、人の仲を悪くすることも、時には必要なわけですが……」
そんな折、ウルリカはふと、そんなことを言って……少し遠くの方へ視線をやった。
「これもまあ、仕事の内ですからね」
ウルリカが見ている方を見て、ネールも気づいた。
……領主クリストファーが居る。
ネールはウルリカと少し打ち合わせしてから、動き出した。
……ウルリカに言われた通り、お魚パンの包み紙を屑籠に捨てに行って、そのまま、広場の花壇からにょっきり生えている芽を眺めてしゃがみ込む。
時々、芽を優しくつっついてみたり、隣の花壇を覗きに行ったりしながらしばらくそうしていると……。
「これはこれは!」
……来た。
ネールは緊張しながら顔を上げる。
しゃがんだネールのずっと上に、領主クリストファーの顔がある。ネールはそれを見上げて、さて、どうしたものか、と少々困るのだが……。
「竜殺しの英雄、ネレイア・リンド様ですね?先日は、どうも」
領主クリストファーは、ウルリカの予想通り、勝手に喋ってくれる。なのでネールはちょっぴり安心した。勝手に喋ってくれる分には、ネールは何もしなくていいのでしくじる心配が無いのだ!
「しかし、折角稀代の英雄にお越しいただいたというのに、この花壇では申し訳ありませんね。あとひと月もすれば、この花壇は花でいっぱいになるのですが……」
領主クリストファーが実に勝手に喋るのを、ネールはひとまず聞く。……ネールは喋れないので、まあ、聞く一方になってしまうのはいつものことなのだが……こうしてひたすら相手が喋るのを見ていると、ふと、ランヴァルドと話している時は、『お話ししている』気分になるのにな、と不思議に思う。
ランヴァルドと話している時だって、ネールが喋らないわけだから、ひたすらランヴァルドが喋っているだけなのだが……一方的に喋られている気がしないのは、なんでだろう。
「また来月にでもお越しください。その頃には丁度、祭りがあるんですよ。今日も私はその打ち合わせに来ていたんですがね」
……そうしてネールが、領主クリストファーに全く関係ないことを考えて、首を傾げていると……。
「ネールさん。どうされましたか」
……よし、来た。
打ち合わせ通り、ウルリカがやってきた。ウルリカは、戻ってくるのが遅かったネールを心配して探しに来てくれた、という体になっている。
「あら、あなたは……」
そしてウルリカは、ここで初めて領主クリストファーに気づいた、というように、戸惑いの表情を浮かべた。……ウルリカも、こういうのが上手だ。ランヴァルドも上手だけれど。ちなみに、ネールは下手である。自覚はある。自覚はあるのだ……。
「……これは失礼いたしました。領主様がいらっしゃるとは思わず」
ウルリカが綺麗に一礼すると、領主クリストファーは、ぱっ、と表情を明るくした。
「これは、これは!貴女とは昨日、お会いしましたね?」
「はい。ランヴァルド・マグナス様とネレイア・リンド様の秘書として働いております。ウルリカ・ルヴァイと申します」
成程。ウルリカは『狼』なのか、と思ってネールは頷く。かっこいい苗字だなあ、とネールは思った。
……が、後にウルリカに聞いてみたら、『ああ、あれは偽名です。私は孤児でしたので、苗字は持っておりません。仕事の時の為にいくつか名前と苗字を持っているのですが、『ルヴァイ』はその内の1つですよ』と教えられてびっくりすることになるのである!
「いやあ、昨日もお声がけしたかったのですが、あの場にはマグナス殿もいらっしゃいましたのでね、遠慮してしまいました。しかし、今ならばお誘いしても失礼にはならないでしょうかね?」
領主クリストファーがそんなことを言い出すのを聞いて、ウルリカはネールの方を見た。ネールもウルリカを見上げて、首を傾げる。
「あちらに良い茶と酒を出す店がありましてね。ブラブローマ領内でも有名なところなのです。折角、王都からいらした方にご紹介しなかったともなればブラブローマの領主として名が立ちませんので。どうか、一杯御馳走させていただけませんか?」
ネールは相変わらず、ウルリカを見上げて首を傾げる。
ウルリカは表情を動かさずに、『はあ、まあ……』と、切れ味の悪い返事をしていた。
「いかがです?クロッカは花が名産ですからね。このように花果茶の類も有名でして。ついでに水も良い水が湧きますのでね。こうして色も香りも良いお茶を淹れられるというわけです」
領主クリストファーに連れていかれた先で、ウルリカとネールは不思議なお茶を飲んでいる。
白い陶器のポットの中に、茶葉、そして乾かした花やベリーが入っている。そこにお湯を注いで少し待つと、赤みがかったお茶が出来上がるのだ。
花と果物の香りがして、不思議なかんじだ。特に、香りがするのに甘くないところがとっても不思議。
「ネールさん。恐らくこれに蜂蜜を足すと美味しくなるかと」
ネールがお茶を飲んで首を傾げていたら、微笑みながらウルリカがスプーンを差し出してくれた。スプーンには黄金色の蜂蜜がとろりと掬われていて、蜂蜜がスプーンごとネールのカップの中にちゃぽんと入ると、ふわふわ、と蜂蜜が溶けて、お茶に混ざっていく。
よく混ぜてからお茶を飲んでみたら……今度は美味しい!成程、甘い香りがするお茶は、甘い方が美味しい!ネールはまた1つ、賢くなった!
「お気に召していただけたようですね」
ふと気づけば、領主クリストファーがにこにこしながらネールの方を見ている。……ネールはちょっと困ってしまう。
この人はあんまりいい人じゃないような気がする。けれど、こうして一緒にお茶を飲んでいる訳で……こういう時、どうしたらいいのかよく分からない。
だから、ネールはランヴァルドのことを思い出す。こういう時、ランヴァルドだったらどうするだろうか。
……ちょっと考えてから、ネールはにっこり笑って、領主クリストファーに頷いてみせた。多分、ランヴァルドならそうする。ついでにランヴァルドだったら、ここで上手に沢山喋る。ネールにはそれができないから、せめてこうしておこう、と思ったのだ。
「おや、よかった!……それにしても、竜殺しの英雄と聞いた時にはどれほど恐ろしい人かと思いましたが、まさか、こんなに可愛らしいお嬢さんだったとは」
領主クリストファーが喋るのを、ネールはにこにこしながら聞く。……だが、その内にこにこしているのがちょっと辛くなってくる。ほっぺが攣りそうな気がする!
でも領主クリストファーは身を乗り出すようにネールを見つめているし、話してくるし……ああ、ウルリカが領主クリストファーのカップにお茶のお代わりを入れている。でも領主クリストファーの話は終わらないし、ネールはずっと見つめられているし……。
これは困った、と思ってウルリカを見上げてみると、綺麗な所作でお茶を飲んでいたウルリカがネールに気付いて、それから助け舟を出してくれた。
「申し訳ありません、領主様。ネレイアさんは少々、お困りのようです。あまりそのように見つめられませんよう」
ウルリカはやんわりとした声ではっきりとそう言ってくれた。すると領主クリストファーは、『ああ!こんな可愛らしいお嬢さんをまじまじと見つめてしまうなんて、確かに不躾だった!謝罪いたします、レディー』などと言って、ネールに片目を瞑ってみせてきた。多分、これは謝罪ではない。ネールはそう思う。
「ところで、そちらの……ウルリカ嬢?」
「はい、何でしょうか」
さて。ネールが見つめられる時間は終わって、次はウルリカが見つめられる時間らしい。ネールは『何かあったらウルリカを守るのだ』という気持ちで身構えながら、事の成り行きを見守る。
「大変失礼ながら、ルヴァイ家の名を初めて聞きまして。どのあたりに城をお持ちなのですか?」
「いえ。私自身は平民です。古くを辿ればステンティールの傍系に連なる血筋であるようですが」
ウルリカが、さらり、とそう言えば、領主クリストファーは大げさに驚いてみせた。
「ああ、それは大変失礼いたしました!……いえ、あなたの所作があまりに気品に満ちた美しいものでしたので。さぞや良い教育を身につけられたご令嬢なのだろう、と……」
「お褒めに与り光栄です」
ウルリカは涼しい顔でお茶を飲む。それに合わせて領主クリストファーもお茶を飲んだ。
……それからも、領主クリストファーはウルリカ相手に沢山話した。ウルリカは表情が変わらなかったが、質問には答え、それなりに会話が弾んでいるように見えた。
そして……ちょっぴり不思議なことに、ウルリカは頻繁にお茶を飲む。領主クリストファーもそれに合わせてお茶を飲む。そうしていると領主クリストファーのカップが空になったので、ウルリカがお代わりを注ぐ。そしてウルリカの分も注ごうとしたら、ポットはもう、空っぽだった。
それを見た領主クリストファーが店員さんを呼んで、『ポットを変えるように』と、ちょっと偉そうに命令していた。すると、また別のポットがやってきて、ウルリカは微笑みながらネールのカップにもお代わりを注いでくれた。蜂蜜も入れてくれた!
……ところで。
さっき、ネールが見つめられている間……ウルリカが袖の中から小瓶を出してはお茶のポットの中に中身をそっと入れていたのだが、あれは何だったのだろうか。
ネールが不思議に思っている間にも、領主クリストファーはとても良く喋っていた。……そう。ちょっと不思議なくらい、元気に喋っていた。まるで、強いお酒を飲んだ時みたいに。でも、領主クリストファーはそれに気づいていないみたいだ。
一方のウルリカは、顔色一つ変えずに受け答えを続けている。そんな彼らを見て、ネールが首を傾げていると……。
「ところで、領主様。このお茶は大変美味でございます。クロッカでは染色産業も盛んなようですが、やはり領内に水源があるというのは羨ましい限りですね」
ウルリカが、そんな話を始めた。
……そして。
「噂によれば、ブラブローマには水龍の加護があるとか。もしや、古代遺跡に居るという水龍がそれですか?」
それ聞いちゃっていいんだ、とネールは思った。
「おや、よくご存じで。……ええ。ブラブローマの古代遺跡には水龍が棲んでおりまして。水源たる水龍を管理するのが、我らブラブローマの血の役目なのですよ」
こっちも話しちゃうのか、と、ネールは思った。
……そして、ネールは同時に思った。
やっぱり、ウルリカがお茶に入れていたもの、何か、毒の類なんじゃないだろうか、と……。
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