華やぐ町*3
「……は?」
マティアスがぽかんとしている。横でウルリカも唖然としている。だがランヴァルドは怯まない。
「……ソフィーア・サンドラ。名前に覚えはあるはずだ。そうだな。お前が過去に引っかけた女だ」
「……まさか」
ランヴァルドはウルリカからの視線が若干気になったものの、『もうバレてるんなら今更遠慮なんてしてられるか!』とばかり、開き直った。
「そうだ、マティアス。つまり……お前はブラブローマのお嬢様を誑かすのは今回で『二度目』になるんだ。な?上手くやれるだろ?」
何せ、マティアスは既に一度、ブラブローマ領主令嬢を誑かしたことがある。一度成功したのだから、二度目もまた、見込みがあるだろう。
いける。十分に。
……ランヴァルドは確信を持って、笑みを深めるのであった。
「マグナスさん。いくつか確認したいことがございます」
「どうぞ」
さて。ウルリカがいつもの鉄面皮を少々思案顔にしながら手を挙げたので、ランヴァルドもまた『何が出てくるんだ……?』と緊張しつつ、ウルリカに発言を促した。
「まず、ブラブローマのご令嬢についてです。今回は……その、マティアスさんがご令嬢と『親しく』なることで情報を引き出す、という試みなのですね?」
「ええ。令嬢が何も知らなかったとしても、領主が何か隠していることについて手掛かりくらいは得られるのではないかと思いましてね」
返事をしつつ、『ウルリカさんもそういうのについては寛容な方なのか』と安心する。一応、彼女も密偵の類なので、情報の引き出し方は数多知っていることだろう。……最も得意なのは拷問なのだろうが。
「『二度目』だというのは?」
「それは、2年ほど前にマティアスが『ソフィーア・サンドラ』という女性と恋に落ちたからですよ。その時は彼女も家名を隠していましたが、よくよく調べてみれば彼女は『ソフィーア・サンドラ・ブラブローマ』……つまり、領主令嬢にあらせられた、という訳です」
マティアスは只々苦い顔をしているが、ランヴァルドはつらつらと続けつつ涼しい顔である。
「……ちなみに、『恋に落ちた』という経緯を」
「ブラークロッカの花盛りの頃はそういうのが多いんですが……ご令嬢に声を掛ける不埒な輩が多くてですね。その中でも特に性質の悪いやつからお嬢様をお救いした縁で食事を共にすることになり、そのまま滞在中は暫く親しく過ごさせて頂いていた……ってところだったよな?マティアス」
「……ああ、そうだね。雇った連中は実によくやってくれたよ」
マティアスがため息を吐きつつそう肯定するのを聞いて、ウルリカは『成程、つまり、雇ったものにご令嬢を襲わせ、そこを助けたふりをしながら接近した、と……』と納得した顔をしていた。このやり方はマティアスの常套手段だ。ステンティールに潜り込んだ時も同じようなやり口で領主夫人に取り入っていたが。
「では、最後に……」
そしてウルリカは、ちら、とマティアスを見てから、少々眉根を寄せてランヴァルドに問いかけてきた。
「マティアスを野放しにすることについて、マグナスさんはどのようにお考えですか?」
まあそうだろうな、とランヴァルドは思う。
マティアスは放したら、逃げるだろう。それはそうだ。その危険があるからこそ、今まで箱に詰めたり見張ったりなんだりと苦労しているのだから。
だが。
「それでも、マティアスを使うべきだと考えています」
ランヴァルドは引かない。ここで、マティアスを使ってご令嬢を誘き出す以上によい策を思いつけない、というのが実情だ。
「理由は、まあ、幾つかありますが……第一には、適任だからです。マティアスは、まあ……ご令嬢を誑かすのが上手いので。ええ。俺なんかより、よっぽど」
「そうかな。僕に言わせればお前も中々のものだけれどな」
……マティアスが余計な口を挟んできたので、ランヴァルドは『嘘吐け』と顔を顰める。ランヴァルドは……まあ、貴婦人や貴族のご令嬢の類を誑かしたことが無いとは言わないが、決して得意ではない。やらなければならない時にはやるが、やらなくていいならやらない。その程度である。
「それに、これからジレネロストの領主になる男が、ブラブローマのご令嬢と熱愛ってのも面倒だ。そうだろ?ランヴァルド」
「……まあ、それが一番大きな理由だな」
そして、今のランヴァルドには失うものがある。今回の古代遺跡の調査にしても、王命によって行っているものだ。そんな立場を危うくするような醜聞は、全て自分から遠ざけておきたいところではある。
そして……。
「それに、マティアスは幸いにして、裏切らないと思いますよ。或いは裏切ったとしても、それを利用してあれこれ動く余地があるというか」
ウルリカが不思議そうな目を向けてきたのを見て、ランヴァルドは笑う。
「まあ、つまり……今のマティアスは無一文なので、確かにソフィーア様を誑かして金を貢がせるのが手っ取り早く再起する方法なんですよ」
マティアスが逃げるとしたらどこへ、と考えて……ランヴァルドは、『あっ、こいつ、逃げる場所がかなり限られるぞ』と気づいたのだ。
というのも、ランヴァルドは既にフォーゲルのヨアキム相手に、『マティアスはしくじったんだぞ』と伝えてある。情報屋のあの老人に情報を与えたのだから、まあ、当然、マティアスの失敗は広く知れ渡ることとなっているだろう。
そして、多くの者は『失敗した相手』とは組みたがらない。更には、マティアスの失敗のせいで多くの者が巻き込まれている。ステンティールのゴロツキ然り、マティアスに投資していたであろう連中然り。
だから、マティアスは助けを求めるにしてもかなり限られるのだ。そして、その『限られた』部分程度なら、ランヴァルドが警戒しておくことが可能である。
何せ彼らもまた、ジレネロストへの投資を始めようとしているからだ。ランヴァルドはこれを見越してヨアキムに情報を流しておいたわけだが……ヨアキムのことだ。『ジレネロストへの投資をマグナスが勧めてきたってことは……』と、芋蔓式に情報を手繰り寄せていることだろう。
……特に、商売に関わる者であるならば、ジレネロスト領主になる予定のランヴァルドの不興は買えない。ジレネロストは投資の対象でもあるだろうが、それ以上に、交易都市としての面を強く持つ。
そんな都市を見て、『ちょっと齧りついて甘い汁を吸いたい』と思う者は多い訳だ。ならば、そのジレネロストと表立って敵対しようとするマティアスが居たとしたら、どうだろうか。
……悪徳商人達は、容赦が無い。間違いなく、マティアスを潰しにかかるだろう。
ということで、マティアスは案外、自由にされたところで逃げられない。少なくとも、悪行をおおっぴらにやれるようには、ならないのだ。
よってマティアスは、ランヴァルドの言う通りにするしかない。『再起』を図るのであれば。
「……ちょっと待て、ランヴァルド。いくら一度引っかけた相手だからって、流石に領主令嬢が領主令嬢だと分かった状態で手を出すのは危険すぎる」
マティアスがそう言い始めたのを聞いて、ランヴァルドはにやりと笑う。
これは良い兆候だ。つまるところ、マティアスが『前向きに考え始めた』ということなのだから。
「領主令嬢から情報を引っ張ろうってのもね。領主には今さっき、お前が直々に警戒する材料を与えてる訳だ。その上で『古代遺跡について何か知らないか?』だなんて娘に探りを入れて成功すると思うか?」
「まああの娘、馬鹿っぽかったからいけるだろうと思うんだが」
「そこは僕も同意見だよ、ランヴァルド。だが、娘がそうでも、領主クリストファー自身はどうだ?流石に、自分の娘を使って自分のことを嗅ぎ回っている奴が居たら、気づくんじゃないかな?」
マティアスの言うことも、尤もではある。そこは当然、ランヴァルドも気づいていた。
「まあ、だからこそソフィーアお嬢様を誑かす名誉をお前に譲ってやろうって話だ。その間、俺が適当に目立つ動きをしながら領主の警戒を引き受ける」
「お前が囮になる、って?ふうん。まあそれはそれでいいけれどね……」
ランヴァルドの提案に、マティアスは少しばかり笑った。
そして。
「……そうだな、ランヴァルド。今回のこの話、引き受けてもいい。ただし、条件がある」
「何だ?」
マティアスが切り出してきたのを聞いて、ランヴァルドは半分程度、身構えた。どうせ碌なことは言わないだろうが……全くの無価値なことも言わないだろう、と。
「そうだな。まずは成功報酬について。ソフィーアお嬢様を誑かして情報を引っ張ってこられたら、謝礼として僕は自由を貰おう。ああ、そのついでに支度金も欲しいね」
「何言ってんだお前。金はお前が勝手にソフィーアお嬢様から調達しろ。俺は銅貨1枚も出さないからな」
ランヴァルドはぴしゃりと言い切った。当然である。マティアスには金は出さない。当然である。
「……流石の守銭奴だね」
「ああ、その通りだとも」
「……まあ、それはいいや。お前に金をせびって金を貰えるとは僕も思っていないさ」
ランヴァルドは、『なら最初からそんなこと言うな』と半眼を向けた。マティアスは飄々としているばかりだが。
「僕としても、今回の作戦は成功させたい。ソフィーアお嬢様とは『久しぶりに』愛を確かめ合いたいし、ついでに頂ける支援があるなら喜ばしいことだしね。お前らのことは気に食わないけれど、だからといって何もかも破壊しつくしていこうとも思わない。だから、作戦の成功率を上げたいんだ。分かるだろ?」
「ああ。だから俺が囮に……」
「いや、それじゃあ足りない。より念には念を入れるべきだ。そうだろ?」
マティアスがにやにやと、妙に機嫌よく笑っているのが気にかかるが、ランヴァルドとしてもマティアスが出す案には興味がある。
なんだかんだ……マティアスは、まあ、『人を誑かす』のは上手いのだ。ランヴァルドよりも余程。その能力を如何なく発揮させることができるなら、是非そうしたいところなのだが……。
「この作戦には、そちらの拷問吏にも参加してもらおうじゃないか」
「私ですか?」
……まさか、ウルリカに飛び火するとは思っていなかった。
「う、ウルリカさんを?」
「ああ。領主クリストファーは女好きだ。囮になるなら、女の方がいい。違うかな?」
ランヴァルドは『どうしましょう』という顔をウルリカに向けてみた。
確かに、ウルリカが出ていけば有効だろう。彼女は1人でも行動できる程度に戦える人間だし、社会の裏側を知っている『領主の懐刀』だ。実力には申し分なく……そして、その氷のような美貌もまた、悪くない。領主クリストファーならば、確かにウルリカが気になるに違いない。
だが、仮にもステンティール領主から借りているだけの人材に損な役回りを押し付けるのも躊躇われる。
どうしたものか、とランヴァルドは考え……。
「成程。分かりました」
だが、ランヴァルドが考えている間に、ウルリカが返事をしていた。
「へえ。やる気なんだね?」
「ええ」
マティアスが少々意外そうな顔をしているが、ランヴァルドはそれ以上に意外そうな顔をしていることだろう。『ウルリカさんが!?』という気持ちでいっぱいである。尚、ネールはこの事態を全く理解していないので、只々、きょとん、と首を傾げているのだが……。
ウルリカは、そんな視線を一身に集め、笑った。
「競争ですね。マティアスさんが領主令嬢ソフィーア様から情報を引き出すのが先か……それとも、私が領主から情報を引き出すのが先か」




