逃避行*3
「道を開けてくれ。多少だが治癒の魔法を使える」
ランヴァルドは早速できかけていた人だかりを掻き分けて、馬車の主の元へと向かう。
……そこには、肩口に痛々しい切り傷を作り、血を流している男の姿があった。よくもまあ、この状態で馬を御して戻ってこられたものである。
御者台にも荷台にも、血が流れて汚れている。幸い帰り道で積み荷が無かった分、馬を走らせてなんとか戻ってこられたのだろうが……不幸中の幸い、といったところだろう。この男にとっては。
「傷は……くそ、深いな、これは」
ざわめく鉱山労働者達の視線を浴びながら、ランヴァルドは治癒の魔法を使った。
ほわ、と光が灯り、徐々に御者の男の傷を癒やしていく。……やはり、ランヴァルドの魔力は大したことがない。治癒の魔法は実にゆっくりとしか効かなかったし、それではどうにも、間に合いそうになかった。
仕方がない。ランヴァルドは一つ舌打ちすると、懐に忍ばせていた魔石を握りしめる。ネールから貰った、例の使いさしだ。
すると途端に光が強まり、一気に御者の傷が治った。『治しすぎた』かもしれないが、仕方がない。程よく治して魔石の魔力を温存できればそれがよかったのだが、衆人環視の中で『上手く手を抜く』自信は無かった。
魔法を使い終わって魔石を確認すると、魔力は随分と残り少なくなっているようだった。……少々惜しいことをしたようにも思うが、まあ、諦めるしかない。ただ、『不運だった』。そういうことである。
それから少しして馬車周りも落ち着いてくると、ランヴァルドの方へやってくる女が居た。
「ああ、旅のお方!私の主人を助けていただいて、本当にありがとうございます!」
どうやら、ランヴァルドが治した御者の妻であるらしい。彼女はランヴァルドの前で深々と頭を下げ、礼を言ってきた。
……ランヴァルドとしては、礼などどうでもいいから金が欲しいところである。今のところ、魔石の使い損だ。だが、この手のお礼の後に続く言葉は、大凡予想が付いている。
「それで……その、お礼をしたいのですが、お出しできるものがこれぐらいしか無くて……」
これだ。どうせそんなことだろうと思っていたので、ランヴァルドは内心で舌打ちする。
差し出されたのは、僅かな貨幣であった。銅貨が5枚に、銀貨が1枚。まあ、宿代と食事代には十分だが、最上の魔石の分には遠く及ばない。
「いや、いい。礼が欲しくてあんたの亭主を助けたわけじゃない。この金で亭主に美味いものでも食わせてやってくれ」
だからランヴァルドは差し出された貨幣を受け取らず、そっと女に握り直させた。
銀貨1枚程度なら、はした金だ。あればあるに越したことは無いが、この程度ならネールを1日、否、ほんの半刻程度働かせればそれで倍以上稼げる。
なので今は、このはした金を手に入れることよりも、この鉱山の人々の信頼を得ることを優先すべきである。何せ……時は金なり。ついでに、追手は待ってくれないだろうから。
「でも……なら、せめて何か、おもてなしさせてください」
「すまない。急ぐ旅路なんだ。その、少々訳があってな」
ランヴァルドは御者の妻に『如何にも訳ありである』というような複雑な笑みを見せてやってから、さて……いよいよ『本命』である馬車の方へと向き直る。
「……だが、この様子だと馬車は当分、出ないか。困ったな……歩くとなると、一度野営することになる、が……ネール、それでもいいか?」
ついでに、幼く美しいネールを気遣う様子を人々の前で見せつけてやれば、いよいよ人々はランヴァルドを助けようと思ってくれる。
「いや!仲間の命を救ってもらったんだ。馬車を動かすくらい、わけはねえ!」
「そうだ!こんな小さなお嬢ちゃんを野宿させるわけにはいかねえからな!さあ旦那!荷物を積んだら出発するから乗ってくれよ!せめてそれくらいはさせてくれ!」
鉱山労働者達が気力を奮い立たせながら、早速馬車の準備を始めてくれたのをみて、ランヴァルドは安堵の笑みを浮かべて『ありがとう』と礼を言った。
……が、内心ではにやりと笑っている。こうして本来動くはずの無かった人をこうして気分よく働かせる。出費はあったが、まあ不運に対しての被害は少なく済んだ、と言えそうだ。
そうして鉱山労働者達は積み荷を運び始めた。だが、責任者であろう男は、少々心配そうな顔をしている。
「うーん……馬車を襲った野盗が、まだうろついてやがるかもしれねえ。多少は腕の立つ奴を乗せていきゃあ、なんとかなるか……?」
そんな話を労働者の1人としているのを耳聡くも聞きつけて、ランヴァルドは笑顔でそちらへ歩いていった。
「ああ、それなら俺達が助けになれるだろう」
あくまでも満面の笑みで、ランヴァルドは彼らに告げる。それはまるで、人々を助けに来た英雄か何かのように。
「こちらもそれなりには腕が立つからな。馬車に乗せてもらえるなら、このランヴァルド・マグナス、喜んで護衛の任に就こう。……いいか?ネール」
ランヴァルドがネールに笑いかけると、ネールは満面の笑みでこくんと頷いたのだった。
……まあ、嘘は吐いていない。『こちらもそれなりには腕が立つ』の『こちら』は、ランヴァルドでなくネールがだが、それだけである。嘘ではない。嘘ではないのだ。一応は。
さて。
やがて積み荷の粗鉄が馬車に積み込まれると、その隙間にランヴァルドとネールも乗り込んだ。
「では、どうぞご無事で!」
「ああ!ありがとう!」
馬車は鉱山労働者達に見送られつつ動き出し、そして、道を進み始めた。
行先は、ハイゼオーサ。ハイゼル領の中心都市である。
荷馬車はそれなりの速度で進んだ。恐らく御者は、野盗を警戒しているのだろう。少しでも早く、この辺りの道を抜けてしまいたいものとみえる。
そのおかげで馬車の乗り心地は多少悪化したが、ランヴァルドはそれに文句を言うつもりは無い。ランヴァルドとしても、できるだけ早く町に到着してしまいたいので。
「ハイゼオーサに到着したら、もう夕方だろう。すぐ宿を取って、そのまま宿で食事だな。……知り合いが居る宿がある。そこにしよう」
ネールに一応、そう予定を告げてやると、ネールはこくりと頷いた。まあ、彼女自身には計画も何も無いので、ランヴァルドの提案は全て受け入れてくれるのだろうが。
「ん?どうした」
だが、そんなネールがふと、馬車の幌の外に意識を向け始める。身を乗り出して外を眺めて……そして。
「ああ、野盗か!おい!馬車を停めてくれ!」
ランヴァルドが大声で叫べば、未だ野盗の気配に気づいていなかったらしい御者が慌てて馬を停める。そしてそれと同時、ネールが駆け出していった。
「よし、行くぞネール!やっちまえ!」
ランヴァルドもネールを追いかけて馬車を飛び出しつつ、剣を抜いて野盗へと迫っていくのだった。
御者が事態を把握し切る前に、事態は収束した。まあ、ネールによって。
……ランヴァルドは、全く血に汚れることのなかった剣を一応拭うふりだけして、鞘に納めた。ネールはネールで、一振りだけのナイフで上手に戦い、見事、5人の野盗を皆殺しにしている。
やはり、間近に見ると恐ろしい所業だ。こんなにもあっさりと、こんなにもあっけなく、人を殺してしまえるのだから。
もし、後継者を探す暗殺者がこの場に居たならば、それはそれは大喜びでネールを養子にするだろう。……そして、ランヴァルドのような『悪徳』商人でも同じことだ。
「ナイフ、やっぱり2本欲しいよな。まあ、次のを買うまでの間、これで繋ぐか」
早速、野盗の死体から一振りのナイフを奪い取って、ネールに渡す。ネールはこくんと頷くと、ナイフの刃を念入りに確認し、数度振り回してみてから、納得したように腰のベルトにナイフの鞘を固定し始めた。
その間、ランヴァルドは野盗の懐を漁って、金が無いかを見る。……すると、数枚の銅貨の他、銀貨が1枚出てきた。野盗にしては金持ちだったようだ。
ランヴァルドは『これでさっきの女から貰うのを断った分をチャラにできたな』とほくほくしつつ、他にも何か無いか野盗を漁り……そして、小銭稼ぎ程度にはなるだろう、と、柘榴石と銀でできた指輪を抜き取っておいた。
指輪なり首飾りなり、貴金属や宝石を身に着けておける形にしたものは、1つ2つ持っておくと便利ではある。まあ、今後、ランヴァルドが再び積み荷を奪われて身一つで魔獣の森に放り出されることは無いと思いたいが、もしそんな状況に陥っても、身につけているものがあれば、それなりに立て直しを図れるものだ。
また……身に着けているものを渡す行為は、それだけ『後が無い』『他に選択肢が無い』という状況を演出する小道具になってくれる。交渉の場でそういった使い方もできるので、まあ、ランヴァルドのような悪徳商人にはありがたいものだ。
……と思っていたら、ネールがじっと、柘榴石を覗き込んでいた。
ほわ、とため息を吐きながらきらきらした目で宝石を見つめる姿は、年相応の少女のそれに見える。
「……こういうのが好きなら、ハイゼオーサで買うといい。魔物退治を半日もやれば、お前ならこの指輪くらい、10や20は簡単に手に入るぞ」
ランヴァルドがそう言うと、ネールは神妙な顔でこくりと頷いた。……もし、彼女が装身具を欲しがったなら、その時は宝石の目利きの仕方を教えてやろうかな、と、ランヴァルドは考えた。
収穫なり装備なりを終えたランヴァルドとネールは、馬車へと戻る。御者は、離れた位置から見ていたのでランヴァルドとネールが何をしていたのかよく分からなかったようだが、ひとまず野盗を退治し終えたことは分かったらしい。
「いやはや、あんた達、本当に腕利きなんだなあ。野盗退治がこんなに簡単に済むとは!」
「まあな」
ボロが出ないようにあまり多くは語らないままランヴァルドが馬車に乗り込めば、ネールもぴょこん、と乗り込んでくる。そうして馬車はまた、出発した。
「それにしても助かったよ。ハイゼオーサに到着したら、領主様に掛け合って野盗をなんとかしてもらわなきゃあな、と思ってたんだが……あんた達には助けられてばっかりだな」
「一応、領主様には俺から報告しておこう」
馬車を動かしながら、御者が嬉しそうに弾んだ声で話しかけてくるのに対し、ランヴァルドも笑顔で答えた。野盗退治ついでに、領主に謁見する口実を得たのだから。更についでに領主の御用聞きでもしてみるのも悪くない。
ハイゼオーサは国内でも然程北の方ではないが、それでも、多少は北部の影響が来ているだろう。野盗退治でも、魔物の素材集めでも、領主がやってほしがる仕事はそれなりにあるはずだ。
ランヴァルドがそんなことを考えて、にやにやしていると……。
「……なあ、あんた。失礼だが、もしかして……その、どこかのお貴族様なのかい?」
御者が、そんなことを聞いてきたのである。