華やぐ町*1
遺跡を出て、再度、マティアスに扉を封印させた。マティアスは『いいように使いやがって』と悪態を吐いていたが、ランヴァルドもウルリカも、ネールでさえも耳を貸さないので無駄である。
「マティアスはまだ殺さないのですか」
「あー……まあ、できればもう少し温存しておきたいですね。もう一度、使わないといけないことがあるかもしれないので」
ウルリカに返事をすれば、マティアスが驚いたような顔をしているのが視界にちらりと入った。まあ、自分の命が長らえたのだから、マティアスにとっては朗報だろう。ランヴァルドにとってはマティアスという危険なブツをもう少し長く保持していなければならない分、悲報だが。
「遺跡の奥には水龍が居ました。ただし、凍り付いた湖の底で封印されていましたが」
「まあ。またドラゴンですか」
「ええ。ドラゴンはいい加減見飽きましたがね……ここのドラゴンをただ殺してしまうのもどうかと思いましたし、その上ドラゴンを殺すために封印を解くというのはより危険です。結局のところは、領主様にご判断を仰ぐしかないかと」
ランヴァルドがため息を吐けば、ウルリカは『それもそうですね』と頷く。領主に仕えているだけあって、そのあたりの倫理観はきちんとしている、ということだろう。だからこそ、ランヴァルドは『売れそうだから売る』などと言う言い方はしないわけだ。
「……ここ、ブラブローマもステンティールのようになりかねないのですね」
ウルリカはふと、目を眇めて閉じた扉を見つめた。
……ウルリカが何を考えているのかは分からない。だが、ウルリカは茸探しに向かった洞窟の中で岩石竜に襲われているし、マティアスがステンティールの血を使って遺跡への道を開いた時、奈落の底へ転落しかけてもいる。古代遺跡とドラゴンへの警戒は、人一倍強いことだろう。
そう。ウルリカは、遺跡もドラゴンも、脅威だとちゃんと知っている。
だが……。
「ええ。俺はそう考えていますよ。問題は……ブラブローマの領主様も同じように考えてくださるか、ですが」
……問題は、『世界中の全ての人間がそうだというわけではない』というところにある。
さて。
ランヴァルド達はその日の内に、ブラブローマ領の中心都市、クロッカに到着した。
『鈴』の名を冠するこの町は、ブラブローマ領の名の由来にもなっている青い花……ベルのような形をした青い花が有名である。
「ウルリカさんはブラブローマは初めてですか?」
「ええ。……美しい町ですね」
馬車の中から外を覗いて感嘆のため息を漏らすウルリカとネールを振り返って、ランヴァルドは笑う。
「観光都市ですからね。まあ、見目麗しい、素晴らしい街並みでしょうとも。初夏あたりには、あの野原はほとんど全て青い花でいっぱいになるんですよ。その時の祭りが有名ですね」
ここクロッカは観光都市だ。豊かな南部の土地では実りも多く、食べ物に困ることもそうそう無い。北部であればとにかく畑を作らねばならないような場所にも花畑があるが、それでも十分やっていけるのが南部なのである。
「土産物としては、ブラークロッカの花の刺繍が入ったハンカチなんかが有名ですね。水も綺麗な土地柄ですから、染色も盛んで。鮮やかな青の糸が作れるからこその商品です」
「お詳しいのですね」
「まあ、旅商人なのでね」
ランヴァルドが苦笑する一方、ウルリカは街並みを見つめつつ、『お嬢様へのお土産に丁度いいかもしれませんね』と呟いた。ランヴァルドは耳聡くそれを聞きつけ、『もしエヴェリーナお嬢様へ何か買われるようでしたら、知り合いの店をご紹介しますよ。信頼できる品質のものがある店です』と商人らしいことを言ってみる。
ついでに、『青の糸だけを使って編んだレースのハンカチなんか、エヴェリーナお嬢様に丁度いいかもな』と考える。……ついでに、ネールにもいいかもしれない。ネールは何故だか、青色が好きなので。まあ、ブラークロッカの花は、藍色と言うには淡い色をしているが。
「マグナスさんは、こちらにはお越しになったことが?」
「ええ。商人になってからは数度。……布や糸、特に青いものは、ブラブローマのものが最上なのでね。仕入れるならここなんです。それから、金払いのいい顧客も多いもんで……」
ランヴァルドはついつい、そう喋ってしまってから、『ウルリカさんにこの先を話すのはやめておこう』と口を噤んだ。
……観光地であるブラブローマ領、特にこの中心都市クロッカには、貴族の別荘が多い。初夏の花盛りには、豊かな生活をしている者達がこぞって観光に来るのだ。
なので、そこを狙えば貴族連中からぼったくることが容易なのである。或いは……貴婦人を適当に誑かして、『旅先での火遊び』と相手が割り切れるような恋を演出してやりつつ、金を貢がせるのにも丁度よかった。
無論、その辺りの事情はウルリカには言えない。……恐らく、彼女はそういった話に対しては潔癖である。
「ああ、ランヴァルド。僕とお前とで、どっちが多くの貴婦人を引っかけられるか、勝負したこともあったね」
……だが、マティアスがにやにやしながらそういうことを言うものだから台無しである。ウルリカが何とも言えない軽蔑の目をマティアスと、恐らくランヴァルドにも向けているであろうことを背中に感じつつ、ランヴァルドは御者に徹した。
「あの頃は良かったな。あの年は確か、どこも豊作でどこも豊かだった年だっただろう?貴族連中は随分と金払いが良くてね……懐かしいな」
そうして、けらけらと笑うマティアスと、軽蔑の表情を浮かべているであろうウルリカ、そして何が何やらよく分からないままきょとんとしているネールとを乗せて、馬車はゆっくり、クロッカの町の中を進んでいくのであった。
……ランヴァルドとしては、『やっぱりマティアスは殺しておくべきだっただろうか』という気分にならないでもない。
その日はもう遅かったので、宿を取ることにした。
……迷ったのだが、部屋は1つだけ取った。宿の主人に怪しまれるかとも思ったが、マティアスは『荷物』として運び込むとして……ウルリカがそっと、ランヴァルドに寄り添うようにしていれば、『夫婦とその娘。あと荷物』というように受け止められたらしい。簡単に部屋を貸してもらえた。
どうやら、ウルリカはこういった事態にもそれなりに慣れているようである。流石はステンティール領主の懐刀、といったところか。
「マティアスの見張りは交代で行いましょう。私とマグナスさんと、交代で……」
「そうですね。……あ、いや、ネールもやる気ですよ、これは。じゃあ3人で見張り、ということにしましょうか」
宿の部屋に荷物およびマティアスを運び込んで、ランヴァルドはため息を吐く。
マティアスを連れていると、見張りの為に気を抜くことができない。これは中々に辛い。休めないでいると、どんどん頭が鈍ってくるものだ。ランヴァルドはそれをよく知っている。
「食事は……マティアスを食堂に連れていくのは嫌だな。なら、持ち帰りのものをいくらか買ってきて、ここで食べる方が良さそうですね。買ってきますよ」
「ならばその間の見張りは私が。ネールさんは街並みが気になる様子でしたから、是非、ご一緒に」
ウルリカが勧めてくれたので、ランヴァルドは言葉に甘えてネールと共に町へ出ることにする。……ネールがそわそわしているのを見ると、『観光する余裕が多少あるってのはいいもんだな』と思わされる。
「ウルリカさんにマティアスを頼みっぱなしってのも申し訳ない。さっさと戻るぞ」
だが、あまり時間をかけても居られない。ランヴァルドがそうネールに告げれば、ネールは決意に満ちた表情で、うん、と頷くのだった。
……健気である。
とはいえ、折角のクロッカだ。ランヴァルドはネールを連れて、宿が面している大通りを進んでいく。
賑やかな通りには、いくらか酔っ払いの姿も見られる。無論、北部ほど酷くはないが。
「この辺りだと、葡萄が採れるからな。葡萄酒も安くて美味いのが揃ってる。あの酔っ払い連中は葡萄酒で酔っ払う連中かもな」
ランヴァルドは『久しぶりに葡萄酒でゆっくりやりたいもんだが……今回もそういうわけにはいかないだろうな』とため息を吐く。飲めない酒のことを考えるのも空しいので、いっそ『ここで葡萄酒が安ければ、いくらか買っていって中部か北部で売るのもアリか』と、商人らしいことを考えることにした。
……葡萄酒というと、ハイゼル領ウィーニアが葡萄栽培の北限だ。よって、葡萄酒作りの北限もその辺り、ということになる。だからこそ、中部や北部では葡萄酒が高級品で、その分、蜂蜜酒や林檎酒といった酒がよく飲まれているのだ。
北部貴族であったランヴァルドにとって、葡萄酒は高級品であり、貴族の飲み物、という認識である。ランヴァルドが初めてブラブローマ領を訪れたのは、まだ父が生きていた頃だったが……あの時、庶民も少し良い葡萄酒を飲んでいる姿を見て、度肝を抜かれたものである。
「……思えば、商売に興味を持ったのはあの時だったかもな」
あの時、ランヴァルドは確か、父に問うたのだ。『ここの葡萄酒を北へ持ち帰れば、家臣が……或いは領民も、皆が喜ぶのではないでしょうか』と。
父はそんなランヴァルドを褒め、ついでに『ならば、北から南へ持ってくるべき商品はどのようなものがいいと思う?』と問い返してきたのだったか。
ランヴァルドはその時、北部の産業が如何に薄弱であるかを思い知ったし……流通や商売といったものに興味を抱きもした。
同時に、葡萄が作れず、葡萄酒を買う代わりに売るべき品も碌に持たない北部の領地を治めていくことが如何に難しいことかを知った。いずれ、自分が領主になった時にはどうすればよいか、考えるようになった。
……そんなランヴァルドを、父は喜んでくれた。
ふと、そう思い出して、ランヴァルドは顔を顰める。
……結局、自分は父から譲り受けるはずだった椅子に座り損ねた。
父が期待してくれていたことを、やり遂げ損ねたのだ。
今更、ファルクエークの家に未練は無い。母も、義父も……弟には多少申し訳ないような気持ちがあるが、まあ、全てはもう終わったことだ。彼らはもう、ランヴァルドにとって関係の無い者達である。
家を出たことを後悔してはいないが……ふと思い出した時、胸の痛みを覚えることは、ある。今、ランヴァルドがそうであるように。
ふと気づけば、ネールが心配そうにランヴァルドの服の裾を握りしめていた。
「……ああ、何でもない。悪いな。心配させたか?」
ネールは、ランヴァルドの様子を見て、心配してくれたらしい。ランヴァルドは笑みを作ると、ネールを、ひょい、と抱き上げた。
「さて。何か美味いものを買っていこう。ウルリカさんにも喜んでもらえるものが見つかるといいが。……ああ、お前もちゃんと、食べたいものが見つかったら報告するんだぞ?いいな?」
ネールを抱き上げたまま通りを進んでいけば、ネールはランヴァルドに、きゅう、と抱き着きながら、一生懸命、通りの屋台に目を光らせ始める。食事を見つける任務を授かって、意気込んでいるらしい。
つくづく、健気である。ランヴァルドは苦笑しつつ、ネールに『あの食べ物はな……』と、ブラブローマ領特有の料理の屋台の解説をしてやるのだった。
そうして、翌日。
ランヴァルドとネールは、マティアスをウルリカに任せて領主邸へと向かった。
ブラブローマ城は、ブラークロッカの花を想起させる上品な青色の屋根瓦を使った、優美な建物である。南部の城は北部とは違って砦としての役割をあまり必要としなかった歴史があるため、このように美しいものが多いのである。
……何より、美しい建物を建てる余裕がある、という理由が強いだろうが。
「領主様にお目通りしたい」
ブラブローマ城の門番に声をかけて、ランヴァルドは堂々と彼らを見つめる。『怪しい者ではない』と、その態度で証明するために。
……また、ネールも胸を張って堂々としていれば、その胸に煌めく金剣勲章が目立って大変よろしいのだ。案の定、門番はランヴァルドの貴族然とした立ち居振る舞いと、ネールの勲章とを見て、『無下にしてはならない相手だ』と理解してくれたようである。
「この領地に迫る危機について、情報を持って参りました。どうか、お取次ぎを」
そして、ランヴァルドがそうとだけ言えば、門番達はすぐさま、『確認します』と慌ただしく駆けていく。……ひとまず、第一関門は突破したと言えるだろう。
ランヴァルドとネールは、それからすぐに応接間へ通された。
白い漆喰で塗られた壁に、薄く紫がかった青の絨毯やカーテンが映えてなんとも美しい。調度品も、ブラークロッカの花のような繊細さを感じさせる、趣味の良いものである。
ランヴァルドは、美しい花模様が入った錫の花瓶を見て『あれは金貨2枚程度の品……いや、4枚まではいけるか……?』などと考えつつ、のんびりと待ち……そして。
「ようこそ、ブラブローマへ。王城より遥々、よくぞお越しくださいました」
応接間に現れた人物を見て、ランヴァルドは笑みを作る。
「お時間を頂き、ありがとうございます。……領主クリストファー様」
彼こそが、クリストファー・フラン・ブラブローマ。この地を治める領主にして……かつて『女泣かせの』と冠された男である。




