遺跡の在処*8
+
がたごと。がたごと。
馬車は少し揺れて、その度に小さく音を立てる。ネールはこの音が案外好きである。
馬車が揺れるのも、不愉快ではない。何せこの馬車はとっても乗り心地が良いのだ。前にランヴァルドと一緒に乗った乗合馬車の類とは全く異なる、快適な乗り物なのである。
そんな心地よい揺れを楽しみながら、ネールは隣に座るウルリカを見上げて、にこ、と笑った。
……この、銀の髪に氷の青の瞳をした女性のことが、ネールは大好きである。この人は優しくて、強くて、かっこよくて……それから、ランヴァルドにも優しい。だから、大好きなのだ!
エヴェリーナも、このウルリカを大層気に入っているようだった。『ウルリカはね、お父様の懐刀なの。でも私がステンティールを継ぐ時には、ウルリカには私の懐刀になってもらいたいわ!』と、意気込んで語ってくれた。ネールはエヴェリーナの話を聞きながら、『いいなあ』と頷いた。
……一方で、ネールの席の向かいに居るマティアスのことは、嫌いである。
マティアスはランヴァルドを殺そうとした奴だ。だから嫌い!……でも、そんなマティアスも今は元気が無い。
何せ、マティアスは今……箱に入れられている。
マティアスは、箱から首と手足だけを出した状態である。ウルリカ曰く、『この姿勢でこの格好になっていれば、自力で動くことはできませんので』とのことだ。ネールはまた一つ、賢くなった。
また、ランヴァルドは今は御者をやっているが、途中でウルリカと交代するらしい。
そしてウルリカと交代した時……ランヴァルドは、ネールにリュートの弾き方を教えてくれることになっている!
エヴェリーナと話していた時、『竪琴を練習しているの。難しいけれど、上手にできると楽しいのよ』と教えてくれた。ネールにとっては、音楽なんて遠い存在だったのだが……ランヴァルドが以前、ドラクスローガでリュートを弾いていたのを思い出して、ネールもやってみたくなったのだ。
……ランヴァルドと出会ってから、ネールの世界はぐんぐん広がっていく。
知らないことを沢山知ったし、やりたいことがどんどん増えていく。まるで、春の芽吹きの季節、にょきにょきと地面から顔を出す柔らかな芽のように、ネールの中でにょきにょき芽生えてくるものが沢山あるのだ。
そんな調子なので、ネールはなんとなく、そわそわしている。楽しみなことが沢山あると、どうにも人間はそわそわしてしまうみたいだ。
……そんなネールを見て、ウルリカは嬉しそうに微笑んでいた。ネールはウルリカを見上げて、また笑う。
「もうすぐ交代の時間ですから、そうしたらマグナスさんからリュートを教わることができますよ。……楽しみなんですね、ネールさん」
ウルリカの言葉を聞いて、ネールはこくこく頷いた。
ああ……幸せ!
+
ランヴァルドは御者を務めながら、周囲の様子に気を配っていた。
ここは、ステンティールからハイゼルに向かって東に進み、そこから南下したあたりの街道上だ。……このまま行くと、ジレネロストの南東部あたりに位置する領地、ブラブローマへ到着することになる。
ブラブローマは南部の中では比較的北の方だが、それでも十分すぎるほどに温暖な地域だ。冷夏の影響も、北部などと比べればかなり緩やかだろう。
だが……それでも、野盗の類は出るものだ。
ランヴァルドの視界に、刃物の煌めきが入ってくる。一瞬、遠くの方にあっただけのそれにすぐ気づいたランヴァルドは、同時に蹄の音を遠くに聞いた。
そこまで判断できれば、後は簡単だ。ランヴァルドは即座に馬車の方を振り返って叫ぶ。
「ネール!出番だ!出てこい!」
途端、馬車の中からネールが飛び出してきて……丁度、迫ってきていた賊の一団目掛けて、ナイフを振りかざしたのだった。
「よし、でかしたぞネール」
ネールが賊を片付け終えてしまってから、ちら、とウルリカが様子を見に貌を出した。
「ウルリカさん。マティアスは?」
「問題ありませんよ。そちらも問題はなさそうですね。流石はネールさんです」
ウルリカには、『有事の際には出てこないでマティアスを監視してくれ』と伝えてある。賊の襲撃程度、ネール1人で十分に片付くのだから、ウルリカにまで手伝ってもらう必要は無い。ならば、万が一のことを考えて、マティアスの監視に人員を割くべきだろうと考えたのだ。
「では私は引き続きマティアスの監視に戻ります」
「助かりますよ。じゃあ、そちらはよろしく」
ランヴァルドはにっこりとウルリカに笑い返し、ウルリカが馬車の中へ戻っていったのを確認すると……ネールが倒したばかりの賊の懐を漁って、金目のものを頂戴することにした。
……汚れ役も引き受けるであろう割には清廉潔白なウルリカには見られたくない光景である。だが、折角殺した賊の金品を漁らないというのも、あまりに惜しい。
「ネール。ウルリカさんにはナイショだからな」
ランヴァルドは、自身の手元をじっと見つめてくるネールにそっと囁く。ネールは神妙な顔でこっくりと頷くと、ランヴァルドの見様見真似で別の死体の懐を漁り始めた。
……なので流石に、止めた。『ネール。お前は先にウルリカさんのところに戻って、一緒にマティアスの監視をしていてくれ』と告げれば、ネールは『任務を得たり!』とばかり、意気込んで馬車へ戻っていってくれたので、ランヴァルドは胸をなでおろしつつ、引き続き、1人で賊の死体を漁ることにしたのだった。
「シケてやがる……」
……そうして、一通り賊の死体を漁ったランヴァルドは、ぽつ、と呟く。
「まあ、こんなところで野盗をやるぐらいだからな。どう考えても儲かってはいないんだろうが……」
ため息交じりに確認する戦果は……少々、乏しい。
銀貨が1枚あったくらいで、後は銅貨が細々と見つかっただけだ。宝石の類も、1つばかり、銀と紫水晶の指輪が見つかっただけである。
「……南部のはずなのにな」
豊かなはずの南部で、これ、となると……案外、南部にも冷夏の影響が色濃いのだろうか。
馬車は途中で御者を交代しつつ、進んでいく。
ウルリカが御者をやる時にはランヴァルドが馬車の中、ネールにリュートを教えてやった。
ランヴァルド自身も、然程上手い訳ではない。ただ、少し酒場で弾いてみせる程度のことなら不自由なくこなせる、というだけで。だがまあ、音楽などそんなものだ。人を楽しませ、自分も楽しむくらいの音楽には、そこまで卓越した技術は必要ないのである。
ネールは早速、ごくごく簡単な曲なら弾けるようになりつつある。まだまだ小さな手では弦を押さえるのが難しいようだが、いずれ、ネールが大きくなったらもっとそつなくこなせるようになるだろう。
……と、まあ、そんな具合に楽しく馬車は進み、いよいよ目的地へ到着することになる。
「ここか。……ここにあると知らなきゃ、絶対に見つけてないだろうな」
そこは、温暖な南部らしく、草木の気配の濃い場所であった。
未だ春が遠いだけあって、枯れ草や枯れ木の類、そして、木の芽を枝に付けて寒さに耐える木々、といった植物で埋め尽くされている訳だが……そんな枯れ草や立ち枯れた蔓といったものに覆われて、そこに『それ』はあった。
「扉だ。……全く、よく隠したもんだよ」
木々に埋もれたそれは、石の扉だ。彫刻が施されており、そこにある紋章は間違いなく、ブラブローマの紋章だ。ついでに、古代文字の類が刻まれているのだが……。
「えーと……『青い花の血を持つ者よ、汝の為に扉は開く』、と。成程な。じゃあマティアス、さっさとやってくれ」
古代文字を読んでみればやはり、ここがブラブローマの遺跡であることは間違いなさそうである。
「僕の情報が正しかった、ってわけだ。分かったらさっさと拘束を解いてくれ」
マティアスは馬車の中から不機嫌そうな声を上げた。ガタガタ、と音がするところを見るに、何とか自由になろうと無駄な努力をしているらしい。
「いえ。拘束を解くのは危険ですので、このままやって頂きましょう」
が、ウルリカは無慈悲である。ランヴァルドも手伝って、マティアスをその拘束ごと運んできて扉の前に据えると……マティアスはやはり、渋った。
このまま扉を開けてお役御免、となっては終わりなのだから、抵抗して当然である。
「おいおい、マティアス。いいからさっさとやってくれ。この奥でもお前の血を使う場面があるかもしれないし、ここ以外にブラブローマの血が必要な場所があるかもしれない。今すぐにお前を殺すつもりは無いんだから。それに……」
ランヴァルドは『やれやれ』とため息を吐きつつ、マティアスを説得する。
「……ここでゴネても、ウルリカさんが居る分、お前が損をすることになるぞ」
……ランヴァルドに応えて、ウルリカが薄く微笑んだ。マティアスはそれを見て一つ舌打ちをすると……拘束の箱から出ている手を、なんとか伸ばして扉に触れた。
「……開きましたね」
「本当にこいつにブラブローマの血が入ってるとはな」
ランヴァルドは感心しつつ、扉の向こうを覗き込む。
暗くて、詳しいところは何も分からない。だが、古い魔法の気配が静かに湛えられていることは、分かる。
「ウルリカさんはここでマティアスの監視をお願いします。奥へは、俺とネールが向かいますので」
「そうですか。では入り口付近に居ります。どうか、ご武運を」
ウルリカとのやり取りの後、ランヴァルドは手持ちのランプに火を灯す。ネール用の魔法ランプも光を放つようになり、これで暗所の探索の準備は整った。
ということで。
「さて、ネール。準備はいいな?手早く済ませるぞ」
ランヴァルドがそう声を掛ければ、ネールはこくんと頷いた。意気込みはバッチリのようである。
だが……ランヴァルドは手放しにやる気に満ち溢れては居られないのだ。何故なら……。
「……お前も忘れてると思うから一応言っておくが、これは、まあ……本来なら貴族しか入れないだろう場所への侵入だ。見つかると、まずい」
……ネールが『そうなの!?』というような顔で愕然としているのを見て、『ああ、やっぱり分かってなかったか』とため息を吐きつつ、ランヴァルドは早速、遺跡の中へと入っていく。
まあ……ランヴァルドは悪徳商人なので、不法な盗掘程度、やったことがある。
今回も似たようなもんだろ、という心づもりで、早速、奥へと進んでいくことにした。
ブラブローマの遺跡の中は、他の地域の遺跡と概ね似たような造りをしていた。
石材の床と壁と天井。柱には紋章が刻まれ、精緻な彫刻が施され……まあ、他でも見た通りである。
「……長らく誰も入っていないみたいだな」
かつ、と靴音を立てながら進んでいくが、命の気配は感じられない。ただ強く強く、魔法の気配があるばかりだ。
「警戒は必要だろうがな。ネール。油断するなよ」
ネール相手に必要無いようなことを言いつつ、ランヴァルドはランプを掲げて遺跡を進む。
……ジレネロストの遺跡よりは小規模に見える。あれよりはステンティールの遺跡に近しいだろうか。まあ、貴族の血が管理している遺跡なので、用途も恐らくは貴族のためのものなのだろう。ステンティールで岩石竜が封じられ、ゴーレムがその対策として残されていたように。
だが、だとするとこの先には何か、よからぬものが封印されていることになる。ついでに、それがランヴァルド達の侵入によって目覚める可能性も、十分にある。
よって、ランヴァルドは緊張している。何が出てくるものやら、分かったものではないのだから。
……そうして遺跡の奥まで進んでいくと。
「……湖?」
そこには、大きな湖があった。そしてその湖は凍り付いていて……その中に何か、巨大なものが氷漬けになっている。
ランヴァルドは凍った湖の底を覗き込んで、深々とため息を吐いた。
「どう見ても、ドラゴンだな」
……氷の中に閉じ込められているものは、水龍と呼ばれる類のドラゴンであろう。




