化け物の責任*2
「国王陛下は、あの化け物を利用するお考えなのでしょう。でも、あれは危険です。古代魔法の産物は、我々の手に負えるものではない。制御など、できやしない」
アンネリエの表情には、深い後悔が見える。
かつて『治める側』であった者の後悔なのだろう。無論、そこに『上に立つ者』としての驕りや傲慢が全く無いとは言えないのだろうが、それはランヴァルドとて同じことである。
「まあ、そうでしょうね。俺も古代魔法の遺跡については、できるだけ触れずに居た方がいいように思いますよ」
「ならば、分かっているでしょう。あれは処分すべきです。今後の……ジレネロストのみに限らず、世界全体の平和のためにも」
ランヴァルドは、『ネールを退席させておいてよかったな』と思う。同時に、今の今まで、ネールへ直接これを言わなかったであろうアンネリエに対して、多少の感謝をしないでもない。
……尤も、アンネリエの立場からすれば、『ネールの反感を買って警戒されたら、いよいよネールを排除できなくなる』という思いがあるのだろうし、その考えを否定するつもりもないが。
そして同時に、アンネリエが今、これをランヴァルドに話しているということは……アンネリエは、ランヴァルドを味方に引き入れることができる、とまだ望みを捨てていないということだ。或いは、既に失敗しているから、せめて一縷の望みをかけて、といったところかもしれないが。
「処分ができないなら……少なくとも、王城が管理すべきです。そして表に出すべきではありません。存在を知られること自体が、危険に繋がります」
「あー、まあ、それはもう遅い気がしますね。ついでに言うと、多分、あなたが気づくより……いや、俺が気づくよりも更に先に、気づいている奴が居ますよ」
アンネリエの言うことは分からないでもないが、ランヴァルドは既に、『もう遅い』と分かっている。
……ステンティールも、ハイゼルも。それぞれ、古代遺跡に何か細工をした者が居たとしたら……その者が、ネールのような存在に気付いていないなどとは、楽観視できない。
「……それは一体」
「俺から詳しいことは言えませんよ。全て知っているわけでもないんでね」
ここから先は、まあ……言うとしても、イサクと国王陛下にだけ、ということになるだろうか。少なくとも、ハイゼル領主バルトサールと、ステンティール領主アレクシスの許可は得ないと、一介の商人には話せない内容である。
「まあとにかく……俺は、ネールの存在はさっさと公表しちまうべきだと思っていますよ。下手に隠した方が、こういうのはすぐ広まっちまうもんでしょうから。国王陛下もそうお考えなのでしょう?」
ランヴァルドの経験上、隠そうとしたことは概ね、公にされるものだ。精々が『公然の秘密』だろうか。
……ネールの存在を今更隠すことはできないだろう。少なくとも、ドラクスローガではもう、ネールの名が知れ渡っている。ネールを消そうとしても、ステンティールも、ハイゼルも、ネールの存在を知っている。
そして何より……ネールは、金剣勲章を授与している、国王陛下が直々に認める英雄なのだ。それを『隠す』ことはおろか、『消す』ことなどできようはずもない。
ならば、公表すべきだ。
ネールのことを隠すのではなく……隠すとしても、その出自や強さの秘密だけを隠しておけばいいのだ。
功績も、ネールの存在自体も、隠さない。公にしてしまっておけば、その分、管理は楽だろう。アンネリエの立場でも、そう考えても良いようなものだが。
「何を馬鹿なことを……そうしてあのような化け物の存在が知れ渡って、同じようなものが無数に生まれ出たら、この国はどうなると思っているのですか?」
……まあ、ランヴァルドにもアンネリエの懸念は分からないでもない。
ネールのような存在が無数に生まれたら……この世界は大きく変貌を遂げることになる。
古代遺跡の暴走によって、ジレネロストのようになる土地が増えるかもしれない。
そうなれば並大抵の人間では太刀打ちできない魔物が跋扈し、ごく一部の、限られた『化け物』だけがそれに対峙しうる、というような……既存の体制を全て破壊しかねない革命が起きてしまうことだろう。
だが。
「魔物狩りが捗るでしょうね。冒険者は失業するかもしれないが、俺は儲かる」
ランヴァルドは飄々と、いっそ偽悪的ににやりと笑ってやった。
「……は?」
「馬鹿も鋏も使いようだ。下手に使えば怪我をするだろうが、上手く使えば利益が出る。冒険者が剣を『危ないから』といって握らない道理がありますか?無いでしょう?ネールだって、同じことですよ」
アンネリエは、愕然としている。『なんてことを』と非難がましくもある。だがランヴァルドは怯まない。
自分が正しいとは思わないが、『それなりに賢いやり方だ』とは自負している。
少なくとも、現実的ではあるだろう。……そして。
「それに……ネールは、馬鹿でも鋏でもない。自分で考えて、自分を制御できる人間だ。なら、あいつ自身があいつのことを御せばいい」
『ネールは人間である』と、ランヴァルドは思っている。
……そこが、ランヴァルドとアンネリエとの思想を隔てる、最も大きな違いなのかもしれない。
「あなたは、己の利益のために世界を危険に曝すというのですか」
「そう思って頂いても結構。だがそれはあなたも同じことだ」
ランヴァルドは悪徳商人だ。アンネリエに対して、どこまでも惨いことを言える。その程度の面の皮の厚さは、ある。
「あなたは、ジレネロストを自分が統治したいから、ネールを排除したいだけでは?どちらが『己の利益のために世界を危険に曝す』ものなんだかな」
せせら笑ってやれば、アンネリエは激高した。
「私は己の利益など不要です!あなたとは違う!」
「そうか?俺は似た者同士だと思ったがな。まあ……いいでしょう。あなたがそう言うなら、そうなのかもしれない。それでも、ネールを消すのはお勧めしない。何せ彼女は、この世界の希望だ。世界を救ってくれるかもしれない英雄を、どうしてわざわざ処分する必要があるんです?」
ランヴァルドの言葉に、アンネリエは明らかに戸惑っていた。戸惑いながらも、ランヴァルドの意見を否定しようと、足掻いている。
「世界を救う、など……」
「ありえなくはない。ドラクスローガの民を救ったのは、ネールだ。それに、ジレネロストを魔物の手から取り戻したのも、ネールだ。まあ、あんた達、ジレネロストの領主一族の尻拭いをしたのがネールだ、って言ってもいいか?」
分かりやすく挑発してみたのだが、流石にこれにはもう、乗らなかった。
代わりにアンネリエは大きく呼吸して……そして、ランヴァルドを睨むでもなく、見つめてくる。
「……それでも、危険です。マグナスさん。あなたはあの化け物を、甘く見ている」
「そうかもしれませんね」
ネールは危険だ。確かに、それはそうだ。だがそれでも……ランヴァルドはネールならネール自身を御せるだろうと思っているし、そうすべきだとも思っている。
「彼女は、世界を滅ぼし得る。例えば……あなたを失えば、きっと」
「俺?」
だが、アンネリエがそう言うのを聞いてしまえば、流石に少々、不意を突かれた。
……だが、まあ、確かに……自分達を客観的によくよく考えれば、そうかもしれない。
ネールは今、家族を失ったばかりだ。大好きだと、大好きなのだと信じようとしていた両親の裏切りに遭って、酷く辛い思いをしているところである。
そこでネールが唯一頼れるのが、ランヴァルドだろう。
……ハイゼルの『林檎の庭』のヘルガや、ステンティール城のメイドのウルリカにもそれなりに懐いているのだし、ランヴァルドが『唯一』ではないはずだ。だが、まあ……ネールにとって、ランヴァルドがそれなりに大きな存在なのだ、ということくらいは、分かる。分かっている。ああ、分かってしまったのだ。
だからこそ、ランヴァルドはネールに対して責任がある。
どうもランヴァルドのことが大好きであるらしいネールに対して、ランヴァルドは責任があるのだ。
「俺は、ネールをより多くの人に触れさせる。もっと有名にしてやった方がいいな。その方が儲かることだし……万一ジレネロストの領主の座にあいつが就いたら、まあ、補佐官は俺がやるか。仕方がないな……」
アンネリエは、『何をバカなことを』という顔をしていたが、ランヴァルドは半ば以上、本気である。
「今、ネール『が』知っている人は、本当に少ないんですよ。まず俺だろ?ハイゼルの宿の看板娘、それにハイゼルの領主様に、ステンティールの領主様。あとそこにお嬢様とメイドと、ドラクスローガの農民達に、ここの兵士達に……あなた達だ。まあ、そういうかんじか。これじゃあまだまだ足りないな」
「……マグナスさん。あなた、一体何を」
「ネールはいい奴です。あいつは自分が好きなものを守ろうとする。好きなものを壊そうとは、しない」
……ランヴァルドは、自分が負った責任を思う。
ランヴァルドとて、ネールの強さへの恐れを忘れてはいない。
初めて魔獣の森でネールを見た時も。ネールが躊躇いも無く賊を殺すのを見た時も。……確かにランヴァルドは、恐怖を覚えたのだ。
そうだ。ネールは『化け物』であろう。あれほどに強い生き物を、恐れずにいることは難しい。
だがそれでも……ランヴァルドはそんなネールを利用すると、決めたのだ。
彼女の家族を奪って、ランヴァルドがネールの傍に居ることに決めたのだ。
ランヴァルドは、『随分と重いものを背負い込まされちまったものだ』と思いながらも、自分が決めた覚悟を再び見つめ直す羽目になる。
『上手くやる』のだ。少なくとも、あのままリンド夫妻がネールを引き取るよりも……アンネリエがネールを始末するよりも、それよりもいい未来を、ネールに見せてやらなければならない。
この、ランヴァルド自身が。ネールの未来に……そして、ネールを生かすことで起こり得る災いに、責任を持つ。
それが、『化け物』になり得るネールを利用する悪徳商人の覚悟である。
「だから、ネールを御したいというのならば余計に、ネールに世界を教えてやるべきです。俺だけじゃなくて……多くの人と知り合わせて、友達も、家族も、増やしていくべきなんですよ」
「あいつがこの世界の大半を好きになったなら、あいつは絶対に、この世界の守護者になる。俺以外に頼るものがあるならば、あいつは俺を失おうが『化け物』なんかにはならないでしょう」
……ネールは、世界を滅ぼしなどしない。ネールにとって、この世界が美しく、素晴らしいものであったならば。彼女がこの世界を好きだと思えたのなら……そう思えるように、教えてやれたのならば。
そうなってランヴァルドはようやく、ネールに対しての責任を果たせるのだろう。随分と回りくどい道程だ。だが確かに、金貨500枚以上の価値と……それに見合う責務では、ある。
「……逆のことも同時に言えますよね?世界を好きになるのではなく、『嫌い』になったなら、彼女は全てを破壊する災害になり得る」
「そうさせないのが俺達の役目でしょう」
ランヴァルドは躊躇わず答えた。
……『俺達の』と言ったのは、ランヴァルドもアンネリエも、貴族であったものだから。
そして……ネールのような子供ではない、『大人』だからである。
貴族として、大人として……化け物になり得る子供のことを、教え、導かねばならない。
「そこには、同意していただけますね?」
ランヴァルドが尋ねると、アンネリエは黙って俯いた。
……まあ、同意してくれるのだろう。彼女がこの世界を案じているというのならば。であるからして、まあ、彼女は悪人ではない。ただ、ランヴァルドとは目指すもの以上に、そこへ至る道程の選び方が大きく異なるというだけで。
「……絶対などどこにもありませんよ。『化け物』の被害を確実に食い止める方法は、『化け物』を消すことだけです。そして、化け物も、『魔物使い』も、危険です。それだけのこと」
「悪いな。だがそれでも……魔物も魔物使いも、金になるんだよ」
「そもそも、あなたがやらねばならないということはありません。王城でネールさんを管理するべきでは?或いは、例えば私でもいい。イサクさんでも」
「そうですね。だがあいつと契約したのは俺だ。王城じゃない」
アンネリエは食い下がったが、それでもランヴァルドはまるで動じない。
「俺はあいつを手放すつもりはありませんよ。あいつが俺を手放さない限りは。そして、あいつに世界を滅ぼさせる気もありません。そんなことしたら、この世界で稼げなくなっちまいますからね」
そうして宣言してやれば、いよいよアンネリエは言葉に詰まったらしい。
意志を捨てたわけではないのだろう。だが、今、ランヴァルドへの反論が見つからない、というだけで。
……まあ、つまり、ランヴァルドは口喧嘩が強い。そういうことである。
「まあ、そういうわけで……アンネリエについては、後は私が」
そうして互いに沈黙していると、イサクがそっと、2人の間に割り入った。
「アンネリエ。君の考えは分かった。だが、だとしても独断で動いていい理由にはなるまい。ましてや、文書の偽造は大罪だ」
イサクはなんとも悲し気にそう言った。……彼はランヴァルドなどより余程、アンネリエと付き合いが長いはずだ。思うところは多分にあるだろう。
「……はい。分かっています。でも私はこうせざるを得なかった。私が正しいと思うもののために。……国王陛下のお考えが上手くいくとは、思えません」
……そしてアンネリエもまた、イサクに対して思うところが無いわけではないようである。
「では、彼女の処分は私が。しかし、まあ、印章の管理不行き届き、ということで私も懲戒処分ですね。はあ……」
イサクがため息を吐きつつ、『まあ仕方がないな』と割り切っている様子であるのを見て、ランヴァルドはふと、思い立った。
「そのことなんですが、俺に任せて頂けませんか」
ランヴァルドが申し出れば、イサクは、はて、と首をかしげていたが……。
「恐らく、全てを公にしてしまうよりもよっぽど上手く事が運びます」
ランヴァルドは、悪徳商人である。多少の不正行為はお手の物だ。
にやり、と笑ってアンネリエを見つめれば、アンネリエは如何にも警戒したような顔をしていたが……ランヴァルドは止まらない。
「そのためにはアンネリエさんの協力も必要なんですが……イサクさんのためにも、やってくれますね?」




