化け物の責任*1
おかしいとは思っていたのだ。何せ、アンネリエの言う通り、リンド夫妻が訴状を作ってきたというのならば……あまりにも、早すぎたので。
あのリンド夫妻が、ああまで手早く書状を発行できたとは思えない。そのために回す頭が足りているとは思い難く、また、役人にコネがあるでもなさそうなので。
ついでに、ランヴァルドを訴える書状を既に手に入れていたというのならば、リンド夫妻がそれを態度に出さなかったのはおかしい。もし、王都へ一度戻った時に手続きを終えていたというのならば、こちらへ戻ってきて開口一番にそれを宣言していただろう。
つまり……リンド夫妻は一切『訴え』に関与していないか、或いは、全て手続きおよび文書の偽造が終わった後で、アンネリエから口裏合わせだけ頼まれたか、そんなところだったのだろう。
「どうも、私の鞄から印章を持ち出して使っていたようですね。あああ……」
「成程、やっぱり……」
アンネリエが持っていたあの書状は、偽造文書であったようだ。まあ、彼女ならば文書の偽造も簡単だっただろう。補佐しているイサクの代わりに押印することくらいはありそうなものだし、その時についでに一枚、余分に押印すればそれで済む話だ。
イサクは頭を抱えているが、まあ、これをイサクの管理不行き届きと言うのは酷だろう。強いて言うなら、部下の手綱を握っておけなかったことについての責任はあるかもしれないが……それにしたって、巧妙に素性を隠していた相手には、難しい話である。
「……アンネリエさんは結局、何が目的だったんですかね」
そう。素性だ。
アンネリエは……ジレネロスト出身だと言っていた。だが、その裏にまだもういくつか、隠されている彼女の素性があるように思われる。
尤も、アンネリエ無しにそのあたりを調べるとなると、推測の域を出ないだろうが……。
「それは本人から直接お聞きになった方がよろしいかと」
……イサクが苦笑しながらそう告げるのを聞いて、おや、とランヴァルドは驚く。
「あ、まだ居るんですね」
てっきり、アンネリエはこの騒動で逃げたかと思っていた。だが、案外肝が据わっているのか。
……と、思っていたら。
「いえ、拘束しました」
「えっ」
イサクから中々に思い切った言葉が出てきたので、ランヴァルドは思わず絶句した。
拘束した、とは。……兵士達もエイナルの捜索のため、そこそこ出払っていただろうに、どうやって。
「はっはっは、まあ、実は私も多少はそういったことができるんですよ。内緒ですがね」
イサクがにこにこと笑っているのを見てランヴァルドは慄きつつ……同時に、『まあ、そうだろうな』と納得した。
国王代理の使者を務めるくらいなのだ。イサクもまた、貴族の名家の出であることは間違いない。そして、そんな家柄の者であるならば、まあ、魔法の1つや2つは扱えるのだろう。
もしかしたら、扱うのが難しいような……人を眠らせたり、拘束したり、といった魔法すら使える性質かもしれない。
ランヴァルドは『くれぐれもイサクさんは敵に回さないようにしよう』と心に決めた。
そうしてランヴァルドはイサクと共に、天幕の1つに入る。……ネールは置いてきた。どんな話が出てくるものやら、分からないので。
するとそこには、しっかりと縛り上げられたアンネリエが、兵士数名に見張られている状況があった。
「おおお……本当に拘束されてやがる……」
「マグナスさんとはお約束しましたからね。『何も起こらないようにする』と。約束した以上、反故にすることはできませんよ。王の使者としての矜持にかけて」
イサクが頼もしい。ランヴァルドは重ね重ね、『この人は絶対に味方のままにしておこう』と心に決めつつ……アンネリエを見る。
アンネリエは意識があるようだった。ランヴァルド達が入ってきたのを見て、その表情に警戒の色が走る。
だが、今更警戒されても困る。ランヴァルドは苦笑しつつ……さて、自分の憶測でカマを掛けるところからいくか、と口を開く。
「で、アンネリエさん。あなた、そんなにジレネロストが欲しかったんですか?」
アンネリエは少々驚いたような顔をしていた。……となると、彼女が欲しかったのはやはり、ネールではなく、リンド夫妻の信頼などでもなく……このジレネロストそのものだったのだろう。
となると、彼女の素性は大方2つのどちらかだろう、と考え、ランヴァルドはその二択で賭けに出た。
「……『元々、自分のものになるはずだったから』とでも、お考えだったんですかね?」
「……流石ですね。もう、調べがついていたとは」
アンネリエがそう言うのを聞いて、ランヴァルドは『よし』と内心で拳を握る。どうやら、賭けに勝ったらしい。
「もう調べがついていたというのなら……私は踊らされていた、ということですか」
「いえ、確信できたのはたった今ですよ」
ランヴァルドは『まあ、カマかけたのはこっちだが、引っかかったのはあんただな』と、しれっとした顔をしつつ、アンネリエに問う。
「それで?俺を逮捕するのなんのって狂言は、俺とネールをとりあえず引き離すためのものだったんですか?それとも、その隙にネールを手に入れたかった、とか?」
アンネリエは答えない。じっとランヴァルドを見つめたまま、黙っている。
「ネールの両親を見つけ出して唆したのは、まあ、そういうことですよね?あなたはネールを狙っていた訳だ」
まだ、アンネリエは答えない。……だからランヴァルドはいよいよ、アンネリエについても、言及しなければならない。
「それで……『かつて、ジレネロスト領主の一族であったあなた』は、王城の官吏になっておきながら、何故今更、ジレネロストを取り戻そうとしたんですか?」
ジレネロストは、長らく管理者が居ない土地である。
ジレネロスト領主の一族は、その大半があの災害によって行方不明。生き残った者達も、『災害の責任は自分達には無い』と主張し、そのまま王都などで所領を持たない貴族として暮らす者が多い。だからこそ、今、ランヴァルドは『商機あり』と見てジレネロストの復興を目指している訳だが。
……アンネリエも、そうして生き残った一族の1人だったのだろう。それも恐らくは、かなり血筋が本筋に近いところにある……領主の娘か、妹か。そんなところであったに違いない。
『古代遺跡の研究者』の方である可能性も考えないではなかったが……だが、やはり正解はこっちだったようである。
「自分の故郷を取り戻そうとするのは、当然のことでは?」
アンネリエがそう、何とも恨めし気に言うのを聞いて、ランヴァルドは苦笑する。……故郷への強い思いは、ランヴァルドには無い。残念ながら。
「そうですか。俺には分からん感覚だな。……そうだな、取り戻す、ってのは……魔物の手から?それとも……いきなり現れた、何の権利も無いはずの人間から?」
「どちらでもあり、どちらでもありません」
アンネリエは随分と冷え切った目で、ちら、と天幕の外へ目を向けた。当然、そこには誰も居ない訳だが……アンネリエの目が誰に向けられたものなのかは、なんとなく分かる。
「あの化け物は、魔物ですか?人間ですか?どちらでもないでしょう?」
……ネールのことを言っているんだな、ということは、分かった。ついでに、ネールを『化け物』呼ばわりすることで、ランヴァルドがどう反応するのかを見ているのだな、とも。
「……まあ、ネールの存在はあんたにとっては、目障りなんだろうな。彼女はジレネロストを救う英雄であり……同時に、ジレネロストが犯した罪の証拠でもある。そりゃあ目障りだろうとも」
だからこそ、ランヴァルドは涼しい顔で流す。ここで激高したら相手の思うつぼなのであろうし、何より……まあ、ランヴァルドとしても、ネールのことは『化け物』であるとは、思う。
客観的に見れば、十分にそうだろう。そしてその実態も、また。
「あんた達が狙って『作った』のかは知らないが……知っているからこそ、あんたはネールの出身がジレネロストだって聞いて、すぐに気づいたはずだ。……ネールの強さの秘密と、ジレネロストの研究が明るみに出ることの危険性に」
魔物というものは、大きく分けて2つある。
1つは、魔力から生まれ出た純粋な魔物。ドラゴンの類など、力の強い魔物はこれであることが多い。
そしてもう1つは……獣が濃い魔力に曝されて、魔物へと変じたものだ。
羆が魔力によって金剛羆になる。ただの鷲が鋼鉄の風切り羽を持つ鋼鉄鷲になったり、蛇が大樹蛇へと変じたり……中には、猫が氷雪虎になったという報告も聞く。
……では。
人間は、どうなのだろうか。
……はじめ、ランヴァルドは『人間は魔物にはならないだろうな』と考えていた。というのも……ランヴァルドは魔力酔いする性質であるからだ。
そう。ランヴァルドは魔獣の森をはじめとした、魔力の濃い場所をいくつか経験しているが、それらでランヴァルドの身に起きた変化といったら、魔力酔いによる体調不良程度なものである。
ランヴァルドは元々、大して魔力を持っていないということもあり、魔力酔いしやすい性質であるが……それ故に、魔力に曝されても精々がその程度、ということであった。
……だが。
ジレネロストの古代遺跡を調べていて見つけてしまった研究の報告書。あそこには、『動物の子供の方が、成功率が高い』とあった。
いい加減、体内の魔力もある程度安定した大人ではなく……不安定で柔軟な状態の子供であるならば。そうであるならば、魔力を異物として体が魔力酔いするのではなく、魔力を受け入れ、その体を……能力を、作り替えてしまうのではないか、と。
更に、ネールは遺跡の傍に住んでいた。
そこに遺跡があるとは知らなかったかもしれないが、野山で遊び回る中、遺跡のすぐ近くに居ることも多かっただろう。或いは、遺跡の中に迷い込んだことくらい、あったかもしれない。
……体が完成していない子供が、濃い魔力に頻繁に曝されていた、と考えられるのだ。
そして何より……ネールの、力。
ドラゴンの首を一太刀に落とすことも、氷晶のゴーレムを破壊することだって……並大抵の人間には不可能な所業である。『ありえない』と言ってもいい。
だが、ネールにはそれができる。
ドラクスローガでは領主ドグラスに『古代人か』と言わせしめたネールは、ああ、確かに古代人じみていることは間違いない。
かつて、当たり前に魔法を使っていたとされる古代人は、さぞかし魔力が多かったのだろう。そしてネールもまた、魔力が多い。十分すぎるほどに、多い。
何故ならネールは……。
「ネールは、ジレネロストの古代遺跡研究から漏れた魔力で変質した……言っちまえば、人間の魔物なんだろうからな」
ランヴァルドがそう言えば、アンネリエは険しい表情で唇を引き結んだ。
しばらく、天幕の中を沈黙が支配していた。
だが、アンネリエがやがて、沈黙を破る。
「……お父様の政策は、失敗でした。古代魔法の遺跡になど、手を出すべきではなかった」
アンネリエはそう言って、深く俯く。その姿は罪を自覚して斬首を待つ囚人のようにも見えた。
だが。
「ジレネロストだけではない。世界を滅ぼしかねない過ちです。……ならばせめて」
アンネリエが再び顔を上げた時……その表情はまるで、神託を受けた革命家か何かのようにも、見えたのである。
「ならば私は、貴族としてせめて、ジレネロストを正しい形へ戻さねばならない。世界を滅ぼし得る化け物に、このジレネロストを奪われるわけにはいかない。……そうでしょう?」




