逃避行*1
「……そっちも随分と元気そうだな」
「まあな。丁度昨日、大金が手に入ったところでよお」
「へえ。そりゃあよかったな」
大方、ランヴァルドから奪った積み荷を適当に売り捌いたのだろう。ランヴァルドから奪った積み荷は、さぞかし良い値段で売れたはずだ。尤も、この連中がわざわざ北へ売りに行ったとも思えないので、恐らく、適当にそこらへんで売ったのだろうが。
……ランヴァルドは、『なんて勿体ないことしやがる!俺から盗んだなら、ちゃんと北に運んでぼったくれ!』と少々腹が立った。
「……で、戻ってみりゃあ、運よくまたあんたに会えた、って訳だ!まあ、あんたにとっちゃ、逆なんだろうが」
更にランヴァルドにとって悪いことに、目の前の彼らからしてみれば、ランヴァルドは正に『生きていてもらっては困る相手』である。ランヴァルドは彼らの犯罪の証人であり、彼らが盗んだ品の正当な持ち主であった。
だからこそ、この冒険者達はランヴァルドを殺してランヴァルドが稼いだばかりの金を奪うつもりなのだろう。
積み荷には遠く及ばないが、今、ランヴァルドが所持している金銭だって、冒険者にとっては十分すぎる額である。彼らは本来、週に一度程度魔獣の森に入って、そこで適当な獲物を仕留めて、それで食い繋ぐ……というような生活しかしていないのだから。そんな彼らからしてみれば、金貨を持っているランヴァルド達は恰好の獲物。
そう。彼らには今、ランヴァルドを殺さない理由が無い。
一瞬、ランヴァルドは迷った。
ここから大通りへ逃げ込めば、まあ、奴らもそうは追ってこれまい。
大通りまで行けば、衛兵だって居る。当然、町の中での殺しは犯罪だ。ここで殺しをやるほど、彼らも馬鹿ではないだろう。
……だが、このカルカウッドは冒険者の町である。衛兵も、金を握らせればある程度のことは黙っていてくれるような、そんな連中が多いはず。
ましてや、今ランヴァルドの目の前に居る連中は、この近辺で活動しているのであろう冒険者だ。衛兵と顔見知りの可能性も高い。元々『グル』の可能性も、無い訳ではない。
そもそも、逃げ切れるかどうかも分からない。相手は五人。それとなく動いてこちらの退路を塞ぎにかかっているところを見るに、逃げるにも中々厳しい戦いを強いられる見込みだ。
と、なると……。
「さて!じゃあさっさとくたばりな、死に損ない!」
襲い掛かってきた冒険者達を前に、ランヴァルドは剣を抜き……そして。
「ネール!やっちまえ!」
戸惑っていたネールに、そう、声を掛けた。
それからランヴァルドがしたことと言えば、冒険者からの一撃目をなんとか防いだのと、その次に襲い掛かってきた別の冒険者の攻撃をなんとか躱しながら地面を転がったことくらいだった。
……そうしている間に、ネールが動いていたのだ。
ランヴァルドに命じられたネールは一気に迷いを振り切って、容赦ない攻撃を冒険者達に繰り出していたのである。
要は、魔獣の森で魔物相手にやっているのと同じこと。小さな体躯を生かして相手の懐に潜り込み、或いは相手の視界から消え失せておいて……そして、瞬時に喉を突いて、殺す。
まるで容赦のない戦い方だ。鍔迫り合いも動きの読み合いも、一切無い。剣での斬り合いが情緒豊かなものに感じられる程、ネールの戦い方は無味乾燥とした、ただの『殺し』である。
人間が人間相手にやるには、あまりにも冷たく、鋭すぎる。地面を転がったランヴァルドが見上げた先で、ネールが2人目を殺していたが……その姿を見て、ランヴァルドはいっそ、恐怖すら覚えた。
1人を殺し、2人目を殺して、3人目へと向かうネールの瞳は、ただ獲物を屠る狩人のそれ。彼女は恐怖も戸惑いも、感じてなどいない。
……そして、ネールの圧倒的な強さは、それを持たぬ凡人にとって、恐怖の対象なのである。
「ひいっ……化け物か!?」
3人目が咄嗟に逃げようとしたところに、ネールは容赦なくナイフを投擲した。
だが、投げられたナイフは3人目の側頭部を掠めて飛んでいくのみとなった。……どうやら、狙いを外したらしい。まあ、魔物と人間とでは戦うにも勝手が違うだろう。
ネールは少しばかり険しい表情になって、逃げる3人目を追いかけるべく地を蹴り……。
「ああ……ネール!いい!追いかけるな!」
そこでランヴァルドは、ネールを止めた。
ランヴァルドが声を掛ければ、ネールはぴたりと動きを止めて、ランヴァルドの元へ戻ってくる。
そうしている間に、生き残った冒険者が三人逃げていく。だが、それを追うことはもう、しない。
「ああ、ネール!怪我は無いか?」
ランヴァルドはネールの両肩に手を置いて、ネールの姿を確認する。
返り血こそあるものの、ネールが怪我などするはずもない。そんなことはランヴァルドにも分かっている。だが、それでもランヴァルドは、心配そうにネールを見つめ、言葉を掛けた。
……それは、ランヴァルドの良心故、ではない。
冒険者の悲鳴を聞きつけて集まりつつある町の人々の目が、ランヴァルドにそうさせているのだ。
「ネール……ああ、すまない。大金を持って歩いていたばっかりに、こんな……!」
ランヴァルドはすぐさま、小芝居を打ち始める。ランヴァルドは剣をわざと血溜まりの中へ放り出すと、徐々に集まってくる人々の目にも見えるように、ネールを強く抱きしめて見せた。
こちらは帯剣してはいるものの、商人。そして、美しい少女。その2人組だ。片や、倒れ伏している者達は、いかにも荒くれた冒険者といった風情。
……この状況なら、ランヴァルドとネールは『冒険者に襲われた哀れな2人組』に見えるだろう。ましてや、ランヴァルドは悪徳商人だ。それなりに芝居も上手くなくては、悪徳商人は務まらない。
町の外ならともかく、町の中で人を殺すのは当然、処罰の対象となる。だが、『襲われて返り討ちにした』ということなら合法だ。そして何より、町の人々の印象が、違う。
……もしあそこでネールが冒険者を追いかけて殺していたら、その時はきっと、『逆』に見えていた。
何故ならば、ネールはあまりにも強いから。あまりに強く、あまりに容赦が無く……ランヴァルドが恐怖を覚えたほどだったから。
あのままネールが冒険者を追いかけていたら、ランヴァルドがネールに感じたような恐怖を、より強く、町の人々に覚えさせていたことだろう。
そして、一度付いてしまった印象は、覆すのが難しい。つまり……『加害者』だと、思われてそれきりだっただろう。
だからランヴァルドはあくまでも、『被害者』として振る舞わなければならない。衛兵に捕まって投獄されることが無いように。そして、このカルカウッドで今後も商売ができるように!
「怖かっただろう?怪我までして、痛かっただろうに……」
だからこそ、ランヴァルドは使えるものを総動員する。
大した魔力でもないのに治癒の魔法を使って見せるのは、ネールが怪我をしたという印象を周囲に与えるため。そして、ランヴァルドが魔法を使えるような者……つまり、『それなりの教養を持つ、そこらのゴロツキとは異なる人間である』であると証明するためだ。
……ついでに、剣を血溜まりに放ったのは、刀身が血で汚れていなかったのを隠すため。殺したのはあくまでもネールではなくランヴァルドだ、と誤認させるためだ。
ネールのような幼い美少女は、こういう時に都合がいい。『ゴロツキが襲い掛かってきたために怪我をした悲劇の少女』に仕立て上げるにはうってつけだ。
「お兄さん、大丈夫かい?そのお嬢ちゃんの怪我は?」
「薬草の類は要るかい?必要なら店から取ってくるよ!」
「ああ……ありがとう。大丈夫だ。一通り、魔法で傷は癒やしたから」
元々傷ついてもいなかったネールだが、ランヴァルドが実際に魔法を用い、その分憔悴した様子を見せれば、疑う者など居やしない。
何だ何だ、と新たに寄ってくる町の人々には、既に野次馬をしていた者達が『ああ、あの商人さんとお嬢ちゃんがゴロツキ共に襲われたらしい』と説明して聞かせていた。これでひとまず、妙な疑いを掛けられることは無いだろう。
ランヴァルドは再び抱きしめたネールの耳元で、『ナイフは拾うな。新しく、お前に合う奴を買うから』と囁く。ネールがこくんと頷いたのを見て、それからようやくネールを離した。
抱きしめられていたネールは、なんだかほっとしたような、夢見心地な様子でランヴァルドを見上げていたが、ランヴァルドはそんなネールにもう一度微笑みかけてやってから、剣を拾いに行く。死んだ冒険者の服で刀身の血をぬぐってから鞘に納めて深く息を吐き……それから、冒険者の残りが逃げていった方を見やった。
……さて、これからどうするかな、と、思案しながら。
『少なくとも、積み荷を奪われた話から始めると、俺の脱税の話もする羽目になるな……やめておこう』と、画策しながら。
+
ネールは、ぽうっとしていた。ランヴァルドがカルカウッドの衛兵さんに事情を説明しているのを眺めながら、さっきのことを思い出していたのだ。
……さっき、大人の男の人5人が急に襲い掛かってきた。ネールはびっくりしたが、ランヴァルドが『やっちまえ!』と教えてくれたので、ネールは動くことができた。
魔物相手に戦う時と、大体は同じだ。ナイフの届くところにまで近づいて、喉か首か、或いは目玉かを刺せばいい。
けれどもやっぱり、魔物と人間とではちょっぴり、勝手が違った。人間の動き方は、魔物のそれとは大分違うのだ。逃げていくのを仕留めようとナイフを投げたが、予想していたのとは違うように動かれて、ナイフは結局、命中しなかった。
それでも追いかければ、仕留められたと思う。……ネールがそうしなかったのは、ランヴァルドがネールを止めたからだ。
そう。ランヴァルドはネールを止めた。止めて……『怪我は無いか』と、ネールを心配そうに見つめて、更に、ネールを抱きしめてくれた!
ぎゅ、と強く抱きしめられて、ネールはびっくりした。びっくりしたが、嬉しかった。こういう風に誰かに抱きしめられることなんて、あまりに久しぶりだった。じわ、と他者の体温でぬくもるこの感覚の、なんと心地よいことだろう!
更にランヴァルドは、またあの魔法を使ってくれた。傷を癒やす魔法だ。ネールは怪我はしていなかったが、それでもこの魔法の感覚は大好きだ。じわ、と温かくて、とっても優しい。だから、大好き。
……魔法だけじゃない。温かくてとても優しいから、ランヴァルドも大好き!
そうしてネールがほわほわと幸福感に包まれている間に、ランヴァルドは『冒険者風の男達が急に襲い掛かってきたので返り討ちにした。何人かは取り逃がしたので、また襲われるかもしれない。』という風に説明を終えた。
その説明の途中、ランヴァルドは何度かネールを心配そうに見ていた。時々、頭を撫でてくれた。衛兵さん達もネールを見て、『お嬢ちゃん、大変だったなあ』と頭を撫でてくれた。
……どうやらネールは、ランヴァルドと一緒に居ると他の人にも嫌がられないらしい。つまりやっぱり、ランヴァルドはすごい人なのだろう。ネールはそう思った。
説明を終えたら、ランヴァルドとネールは解放された。衛兵さん達は『少し気を付けて町中を見ておこう』と約束してくれた。
そして、ランヴァルドは。
「……なあ、ネール」
ランヴァルドは歩きながら、ネールに声を掛けてくる。ネールが首を傾げながらランヴァルドを見上げていると、ランヴァルドは少し苦い笑みを浮かべていた。
「さっきは助かった。流石だな」
褒められたのでネールは嬉しい。何度もこくこくと頷いていると、ランヴァルドは少しほっとしたような顔をして……それから、表情を陰らせて、言った。
「実は……魔獣の森で俺の脚を斬ったのは、あいつらなんだ」
ネールは頭が真っ白になるような感覚であった。
あの人達が、ランヴァルドを傷つけたなんて。……更に今日、また、傷つけようとしたなんて!
「元々、あいつらは俺が雇った護衛だったんだ。だが、裏切った。……脚の腱を斬って俺が逃げられないようにしてから、魔物が居るところに置き去りにして……それから俺の全財産を奪って、逃げやがった」
ネールは強い怒りを覚えた。大好きなランヴァルドに酷いことをした人達を追いかけて、ランヴァルドがされたように脚の腱を斬ってやりたいと思った。
だがそれと同時に、深い悲しみを覚えた。……信頼していたであろう人達に裏切られて、ランヴァルドはどれほど辛い思いをしただろう。
怒りと悲しみでぐちゃぐちゃになって、ネールはどうしていいか分からない。……そんなネールの頭上で、ランヴァルドは苦笑して『ありがとな』と言ってくれた。お礼を言われるようなことは、ネールはまだ何も、していないのに……。
「だから、この町に居続けるのは危険かもしれない。あいつらがこの町に残っているなら、俺を狙ってくるだろうからな」
ランヴァルドの言葉を聞いて、ネールは、それはいけない、と思う。これ以上、ランヴァルドが傷つけられるようなことがあってはならない!
そのために、ネールには何ができるだろう。さっきみたいに襲い掛かってこられたなら、いくらでも返り討ちにできる。見つけ次第狩っていいなら、幾らでも狩る。
……けれど、本当はそうしてはいけないのだ。だからランヴァルドはさっき、ネールが3人目を追いかけるのを止めた。
こういう時、ネールにはどうしていいのか分からない。人との暮らしからずっと離れていたネールには、上手いやり方が分からないのだ。
だが……ランヴァルドには、それが分かるらしい。
「だから一旦、他の町に移動したいんだが……お前も付いてくるか?」
ランヴァルドがそう言ってくれたのを聞いて、ネールは嬉しかった。
まだ一緒に居てくれることが嬉しい。ネールを傍に置いておくくらい信頼してくれていることも、嬉しい。
ランヴァルドがさっきの人達に襲われたら、自分が守ってあげたい。……だからネールは、笑顔で大きく頷いた。
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「よし。じゃ、とりあえず飯にしよう。遅くなっちまったが……」
ランヴァルドが歩き出せば、すっかり懐いたネールは実に嬉しそうに、ランヴァルドの後をついて歩いてくる。
……ランヴァルドは無事、ネールを手に入れた。カルカウッド近郊に住んでいる(或いは棲みついている)のだろうからここを離れたがらないかとも思ったのだが、杞憂だったらしい。
ネールを連れていけるなら、ありがたい。魔物狩りの道具としても優秀な上、護衛としても有能だ。こんな逸材、二人と居ないだろう。絶対に、手放すわけにはいかない。
ちら、と見下ろしたネールは、にこにこと笑顔である。時折ランヴァルドを見上げて、またにこにこと笑みを深めている。
容易に魔物を殺し、人をも殺す化け物じみた少女だが……こうして簡単に懐いて後を付いてくる姿は、ただの幼い少女のそれであった。
「……あ。買取の店に町を出る旨を伝えとかねえとな」
きょとん、とするネールの横で、ランヴァルドはそうぼやいた。
……あの店主がまた悲鳴を上げそうな気がしたが、まあ、あの店主も足の洗い時だということだ。伝えないよりはいいだろう。
ランヴァルドはそんなことを考えつつ、ひとまず昼食を摂りに近くの食堂に入るのだった。