薄氷の上*3
遺跡の中は以前同様、静まり返っている。
生き物の気配は無く、ただ、静かなばかりだ。
……強いて言うなら、やはり魔力は濃い。魔力を吹き出していた時よりは大分マシだが、それでも長年に渡って染み付いた魔力は一月程度では抜けてくれないらしい。
「ここが……」
シモンとヘレーナ夫人は怯えている。彼らにはこの遺跡が珍しく、また恐ろしいものに見えているのだろう。
一方、ランヴァルドは臆することなく、どんどん前へと進む。
「ご安心ください。ネールが先行している以上、危険はありませんから」
……そう言ってやったのは、少々嫌味だっただろうか。『お前らより俺の方がネールの戦力を知っていて、お前らより俺の方がネールのことを信用してるぞ』ということなのだから。
だが、ランヴァルドの言葉の意味に気付くでもなく、リンド夫妻は戸惑いながら、遺跡の奥へと進み始めた。
それを見て、ランヴァルドも走っていく。
……何も無ければいいのだが。
そうして奥へ奥へと進んでいけば……そう遠くなく、子供の声が聞こえてくるようになる。
エイナルの声だ。3歳の少年は、何やら癇癪でも起こしているのか、そんな声ばかりが響く。少々耳障りではある。
こうなるとネールもさぞかし戸惑っていることだろう。ランヴァルドはそう察して、声のする方へと進んでいくと……案の定、ネールはおろおろとしており、そして、エイナルがネールに何か怒りをぶつけている様子であった。
「エイナル!」
そこへ、リンド夫妻が心底ほっとした様子で駆け寄っていく。両親を見つけたネールは少しほっとしたような顔をしていて、エイナルはすぐ、ネールの横をすり抜けるようにしてリンド夫妻へと駆け寄っていく。
「全くもう!心配したのよ!どうして1人で遺跡になんて、入ったの!」
「もう二度と、1人で山に入ってはいけないよ。いいね?」
そこでリンド夫妻に抱きしめられながら、エイナルは2人から優しく叱られる。両親に抱き着いて、エイナルはしばらくそのままでいた。
……と、そんな状況だったので、ランヴァルドはネールへと近づく。
ネールは両親に抱き着くエイナルと、エイナルを抱きしめる両親とを見て、なんとも複雑そうな顔をしていた。
弟が無事でよかった、という思いと、両親が迎えに来てくれた安堵と……自分だけ放っておかれている寂しさとが、交じり合った顔だ。
「ネール。よくやったな」
だからランヴァルドが代わりにネールに声をかける。
ネールははっとしたようにランヴァルドの方を見て、そこで、笑うランヴァルドを見つけた。それからネールは目を瞬かせて、おずおず、と笑い返してくる。
「お前のおかげでエイナルは無事だったんだ。お前のおかげなんだぞ、ネール。お前が追い付いていなかったら、エイナルはもっと奥まで行ってただろう。あっちは古代魔法の装置もあって、危ないからな。……本当によくやった」
どこか強張った表情のネールにそう話しかけてやって、頭を撫でる。
……そうしていると、ネールは少し俯いて、こくん、と頷いた。ランヴァルドは苦笑しつつ、またネールの頭をわしわしと撫でてやる。
ランヴァルドはしばらく、そのままで居た。
ネールが顔を上げるまで、しばらく。ずっと。
さて。
そうしてひとまずエイナルとリンド夫妻が落ち着いたところで、ランヴァルドは改めて周囲を警戒した。
が、魔物の気配は無い。奥の古代魔法の装置も稼働する気配は無い。まあ、安全である。
そしてエイナルもまた、両親の心配をしっかり引くことができて満足したらしい。……まあ、大方そんなところだろう、とは思っていた。
エイナルは両親がネールについてあれこれ相談しているのが気に食わなかったのだろう。ただでさえ、セルマという小さな妹が生まれてしまって、両親を独り占めできなくなったところなのだ。そこにネールまで現れてしまったのだから、3歳の少年にとっては酷な話だっただろう。
……勿論、それ以上にネールにとって、酷な話なのだが。
「よし。それじゃあそろそろ戻りましょうか。無事にエイナル君も見つかったことだし……」
ランヴァルドは、『やれやれ』とため息を吐きたいところをぐっとこらえて、笑顔でそう言ってのけた。
シモンやヘレーナが何かランヴァルドに文句をつけてくると面倒だし、ネールに何か言おうとしたら余計に厄介だ。なのでここはさっさとお帰り頂きたいところである。
「もうそろそろ夕食の準備も始まることですし。な、エイナル君もお腹、空いただろ?」
柄にもなくエイナルに話しかけてみたが、エイナルは曖昧に頷きつつもランヴァルドを警戒している様子である。……まあ、彼の両親がランヴァルドを警戒しているので当然といえば当然なのだが……。
「じゃ、ネールも……」
……そして。
「……ネール?」
ランヴァルドはネールを見て、ふと、胸騒ぎを覚えた。
ネールはただ、奥の方……古代魔法の装置がある部屋の方を見ている。
まるで、誰かに呼ばれて振り向いたかのように。
……ランヴァルドは、同じような顔をしたネールを、ステンティールの地下でも見たことがある。
更に、何か声のようなものが聞こえると……ぴしり、と、厭な音が聞こえてくる。
「な、なんだ……?」
何かがまずい、と気づいたものの、ランヴァルドが動くより先に、それは始まった。
あ、と思った時にはもう遅い。
地面が揺れる。天井が揺れる。そうして凄まじい音を立て、瓦礫が降ってくる。
遺跡の天井を構成していた石材は、床に落ちては割れ砕け、その破片を勢いよく散らしていく。跳んできた石片が、いくらかランヴァルドに掠って傷をつけた。
リンド夫妻とエイナルの悲鳴を背後に聞きながら、ランヴァルドはネールの姿を探す。
「ネール!おい!しっかりしろ、ネール!」
……ランヴァルドの目の前には、瓦礫が積み上がっている。
ネールはこの瓦礫の向こう側だ。
……或いは、この瓦礫の『下』だ。
「ネール!おい!ネール!返事をしろ!ネール!」
ランヴァルドは瓦礫の山に向かって叫ぶ。ネールのように俊敏な奴が瓦礫の下敷きにされることなんてないだろう、という思いもあるが、同時に、何かに呼ばれたような、心ここにあらず、といった様子だったネールのことが思い出される。
……ネールだって、ぼーっとすることはあるだろう。そしてその時に瓦礫が降ってきたなら……。
ドラゴンを殺せる英雄だからといって、瓦礫に圧し潰されないなどということはないのだ。ネールがこの下敷きになってしまったというのなら、すぐにでも救助しなければならない。
それでも既に間に合わないかもしれない、という考えはすぐさま捨て去る。ランヴァルドは早速、瓦礫を撤去すべく動き始め……そこで、当然ながら、人間1人でできることなど限られているのだ、ということに気付く。
ネールは1人で何もかもやってしまえるが、ランヴァルドはそうではない。力は人間1人分。自分より大きな石材をどうこうすることなど、できやしないのである。
「おい!手を貸してくれ!」
だからこそ、ランヴァルドは後ろを振り返って呼びかけた。
シモンとヘレーナ、2人の大人の力があれば、なんとか瓦礫を退かすこともできるのでは、と。
だがそこでもう一度、地響きが起こる。
何かの前兆のように、ぱらり、と天井からごく小さな石片が降ってきた。……これはいよいよ、崩れるか。
これは急がなければなるまい。ランヴァルドはもう一度、リンド夫妻へ声を掛けるべく息を吸って……。
「あなた!逃げましょう!」
……そこで、ヘレーナがそう叫ぶ。
「でも、ネレイアが」
「何言ってるの!家族の命の方が大切でしょう!」
まごついたシモンを叱咤するように、ヘレーナは必死に訴えかけた。
「お金なんか無くてもいいわよ!家族揃って居られるのなら、それで!」
……ランヴァルドは吸い込んだ息を吐き出す機を失って、ただ、茫然としていた。
「そうだな……よし、行こう!」
リンド一家が、逃げていく。
シモンはエイナルを抱き上げて駆け出す。ヘレーナは夫のすぐ後ろをついていく。
そしてネールは、置いていかれる。
……何故ならネールは、彼らにとって家族ではないからだ。
また、地面が揺れた。『次は無いぞ』と……さっさと尻尾を巻いて逃げろ、とでも言うかのように。
だがランヴァルドは愚かしくも逃げない。
「……さて、ネール。頼むから生きててくれよ」
ランヴァルドは己を奮い立たせるために意識して笑うと、瓦礫を退かすべく、その腕に力を込め始めた。
たった1人で。




