本物の家族*4
そうして、シモンが戻ってきた。ネールが満面の笑みで馬車を出迎えに行くのを、ランヴァルドもゆっくり追いかける。
シモンが一度王都へ戻って以来、ネールはここへ到着する馬車に悉く突撃していた。そして、それが商人や冒険者達の馬車で、そこにシモンや母親の姿が無いのを確認する度にしょんぼりしていたのである。
そのネールも、いよいよ笑顔になった。馬車からはシモンが降りてきて……続いて、1人の女性と、その腕に抱かれた幼子、更にその後ろからぴょこんと降りてきた子供が現れた。
ネールがそわそわしていると、シモンはネールに気付いて、笑顔で近付いてきた。
シモンの後に続いてやってきた女性は、ネールを見て『ああ、ネレイア!』と声を上げると、ネールに微笑みかける。更に、腕の中の幼子に『この子はネレイア。あなたのお姉ちゃんよ』と話しかける。
……ネールは、そわそわしながら小さな子供達を見ていた。上が3歳、下が1歳程度だろうか。
ネールの弟と妹であるらしい彼らを見て、ネールは只々、『ほわあ』と息を吐き出しつつ、なんとも緊張した面持ちだ。
一方の幼子達も、緊張した面持ちである。ネールを初めて見るのであろう彼らからしてみれば、ネールは全くの見知らぬ他人だ。人見知りもするだろう。
案の定、泣き出した幼児を抱いた母親は、少しその場を離れていった。あやしてなんとか泣き止ませようとしている。その間もネールはどうしていいものやら、という顔でおろおろしていたのだが……。
「あー、ネレイア。こちらがエイナル。弟だよ。エイナル。話していたお姉ちゃんだ。それで、向こうで母さんに抱っこされているのが、妹のセルマ。1歳になったばかりだよ」
シモンに紹介された3歳ほどの少年が、おずおず、とネールの前に現れる。……彼はネールをじろりと見ると、特に何も言わずに父親の後ろに隠れてしまった。
シモンはエイナルを抱き上げて宥めているのだが、エイナルのご機嫌は直らない様子である。ネールは只々、おろおろするしかない。
そうして……おろおろネールは結局、ランヴァルドに縋ることになるのだ。
きゅ、と服の裾を握られて、ランヴァルドはネールに苦笑を返した。『そりゃ、お前だって急に弟と妹が現れたら困るよなあ』と。
……だが、ランヴァルドにもこの状況はどうしようもない。しばらく、ランヴァルドもネールも、それぞれに子供の相手をするリンド夫妻を眺めていることになったのだった。
それから少しして、ネールの母親……ヘレーナ・リンドというらしい彼女が、エイナルとセルマを連れて行って、シモンがネールの傍に残ることになった。
シモンは不安そうなネールの顔を見て、少々バツの悪そうな顔をする。まあ、3年ぶりに再会できた娘より、ずっと一緒に暮らしている子供達の方で手一杯だったのだから、気まずさはあるのだろう。
「ああ……ええと、ネレイア。エイナルとセルマにはお前のことを説明したんだが、やっぱり小さな子達には難しい話らしくてね。2人ともあんな調子で……でもきっとすぐに慣れるよ」
シモンにそう言われて、ネールは小さく、こくん、と頷いた。
……ネールも不安なのだろう。自分が居ない間に形が変わった家族に、今から自分が溶け込めるのか、と。
だからこそ、ここでランヴァルドが動く。
「ま、ネール。当面はお前もまだまだ忙しいからな。それに、お家だって完成までもうしばらくかかるだろう。だからすぐに仲良くなろうってんじゃなく、少しずつ慣れていけばいいさ。な?」
ランヴァルドはそう言ってシモンに助け舟を出してやりつつ、ちゃっかりと『これからもネールは働かせるからな』と宣言していく。
ネールはそんなランヴァルドを見て満面の笑みを浮かべているので、シモンもそこに文句は言えないらしい。
ランヴァルドは内心で『よし』と笑った。
まあ……シモン達、リンド一家がどうであれ、ネールを利用することはできそうである。何せネールは、どうしてか、ランヴァルドにもそれなりに懐いていることだし、そもそも王命がある以上、ネールはランヴァルドから逃げることは許されないので……。
それからリンド一家は、ランヴァルドが予想していた通り、『一度、荒れているだろうが家に戻る』と言い出した。ネールもそれに付いていく様子だったので、ランヴァルドは『午後の狩りには間に合うだろ。大丈夫だ。行ってこい』とネールを送り出した。
彼らが家に向かうところを見て、『日記を戻しておいてよかった』と思うランヴァルドであったが……同時に、『ネールは大丈夫だろうか』とも思う。
……どうにも、ランヴァルドの中でリンド一家への疑念が拭いきれないのだ。
無論、自分がネール関係で損をしそうだから、ということで、勝手に警戒しているだけかもしれず、ランヴァルドはそのあたりのもやもやとしたものを抱えてここ数日を過ごしている訳だが……。
「……探りは入れておいた方がいいか」
ランヴァルドはそう呟いてため息を吐くと、今日の業務を片付けていく。
最近では、ネールが狩りに行く間、ランヴァルドはここで諸々の雑務を片付けていることが多い。帳簿をつけたり、冒険者達を管理したり、商人達と渡り合ったり、大工達に指示を出したり……。やることは多いのだ。
まあ、仕方のないことだ。ランヴァルドが望んでこうなった、とも言える。何せ、この立場を保持し続けることができれば、間違いなく、莫大な利益を得ることができるのだから。
そして何より……ランヴァルドは人の上に立ち、人をまとめつつ動かすのが案外向いているようであった。
ファルクエークの生家を追い出され、領主になり損なった身としては、少々複雑な気分であったが……それはそれとして。
「あー、ちょっといいか」
冒険者達の管理をしていたランヴァルドは、丁度近くに居た王城の兵士数名に声を掛ける。彼らはこれから休暇ということで、一度王都へ戻るのだ。
……彼ら、兵士の人員交代および休暇はそれなりにちゃんと保証している。ランヴァルドは良い雇用主でありたいのだ。おかげでランヴァルドへの信頼はそれなりに厚くなっていて非常にやりやすい。
例えば……。
「王都に届けてほしい手紙がいくつかあるんだ。馴染みの商売仲間でね。ジレネロストの発展のために協力を仰ぐ必要があって……配達を頼めるか?」
……こんなことを言って、『悪徳商人』の仲間に照会を頼むこともできるのである。
+
ネールは家族揃って、生家へ戻ってきていた。
ランヴァルドと一緒に来た時は本当に本当に悲しかったのだけれど……今は、悲しくない。だって、お父さんもお母さんも居る!
死んでしまったと思っていた2人が生きていて……弟と妹が増えていたのは予想外だったけれど、でも、それだって喜ばしいことだ。
……まだ、弟のエイナルと妹のセルマとは、あんまり仲良くなれていない。エイナルはネールが近づくと睨みつけてくるし、父親か母親の後ろに隠れてしまう。セルマはまだお喋りできない年齢だし……ネールが近づくと泣き出してしまうので、ネールは未だ、セルマに近付けていないし、セルマをずっと抱っこしている母親にも近づけていない。
できれば、お母さんに抱きしめてほしいのだけれど。……そう思いつつも、自分はお姉ちゃんなのだから我儘を言ってお母さんを困らせちゃ駄目だな、とも思う。お姉ちゃんというのは、そういうものなのだ。多分。
それに、お母さんをとってしまって、セルマにもっと嫌われたら困る。ネールはそう考えて、きゅ、と唇を引き結んだ。ネールはお姉ちゃんなので。
家の中はランヴァルドと一緒に見た時と同じだ。静かに古びて、朽ちて、誰も居ないまま時が過ぎたことがよく分かる。
でも、『これからもずっと』じゃない。これからは『誰も居ない』お家じゃない。ここにはネールの家族が居て……ネールは悲しかったことが全て、掻き消されていくような心地さえしていた!
「ああ、随分と荒れてしまって……ああ、でも、盗られたものは無さそうね……」
ヘレーナが顔を顰めつつ、部屋の中を見て『無くなっているものは無いか』と確認している。ちなみにネールは部屋を見ても、何かが無くなっているかは分からなかった。なのでこれは、お父さんお母さん任せだ。
……ふと見れば、エイナルは顔を顰めながら部屋の中を見回している。
この小さな弟にとっては、この家は全く未知の廃屋だ。彼にとってはここには何の思い出も無いのである。
ネールは、『退屈かな』と思って、そっとエイナルへ近づいてみる。何かできることをしたくて。
……だが、エイナルはネールから逃げるように、すぐにヘレーナの後ろに隠れてしまう。じっ、とネールを睨むのは、余程ネールが嫌いなのだろうか。
ネールは少々困ったが、まあ仕方がないか、と諦める。エイナルだって、いきなりお姉ちゃんができてしまって困っているところなのだろうから。
ネールは3年ぶりの両親に、未だ、戸惑いを覚えている。ならば、生まれて初めてネールに会うエイナルは、さぞかし困っているはずだ。
そう思って、ネールはエイナルに笑いかける。『怖くないよ』とだけ伝えておきたいような気がして。
……だが、エイナルからの反応は芳しくない。余計にネールを睨んでくる始末である。ネールはしょんぼりしてしまった。ああ、弟とも妹とも、仲良くしたいのに。
でも挫けてはいけない。ネールはお姉ちゃんなのだから……。
「ネレイア。いいかな」
そんな時、シモンがネールに話しかけてくる。ネールは『なんだろう』というように振り返りつつ、首を傾げてみたが……。
「あの、ランヴァルド・マグナスという人のことなんだが……」
……何故、ランヴァルドの話が出るのだろう、と、ネールは益々首を傾げた。
ヘレーナが弟と妹を連れて寝室の方へ行くのを見送って、ネールはシモンと2人、居間に残った。
そこで、シモンはなんとも気まずげに話し始める。
「その、あの人との付き合いは、長いのかな」
問われて、ネールは考える。
……長い、だろうか。ランヴァルドがネールを見つけてくれたのは秋の頃だったから……それで今は、もう冬だから……つまり、長い!
ネールは『その通り!』と満面の笑みで頷いた。……すると、シモンは少し困ったような顔をする。
「そう、か……うーん……ならあの人はどういう人かな?ああ、でも喋れないんだったか、ええと……」
シモンがおろおろ、としたので、ネールは慌てて、床の埃を指でなぞって文字を書く。
『やさしい』。『かしこい』。『すごい』。『かっこいい』。……ネールは思いつく限りの誉め言葉を頑張って書いて、どうだ、とばかりにシモンを見上げる。……シモンはまた、困ったような顔をしていた。
何か、ネールは間違えただろうか。困らせるようなことを書いてしまったのか。それとも……もしかしてネールの文字は間違っているのだろうか?
ネールは心配になってきたのだが、やがて、シモンはそっとしゃがんでネールに近付く。ネールがシモンを見上げて首をかしげていると、シモンは真剣な顔で言うのだ。
「お父さんはね、あの人は信用ならないと思う」
……そう!
シモンは、とんでもないことを言い出したのである!ネールはびっくりしてしまった!
シモンは何か誤解しているのだ。ランヴァルドはいい人だ。とてもいい人だ。
ネールをあの森から連れ出してくれたのはランヴァルドだ。ネールが町の人から嫌われなくなったのも、ランヴァルドのおかげだ。
それに何より……ランヴァルドはネールのことを、怖がらない。むしろ、ネールが戦うことを褒めて、喜んでくれるのだ!
それにランヴァルドは、ネールが喋らなくても、お喋りしてくれる。ネールに言葉を……文字を与えてくれた。それもランヴァルドだ。
だからランヴァルドはいい人だ。ネールはそう思っている。思っているのに……。
「ネレイア。あの人はお前を騙して、利用しようとしているんだ」
……シモンがそんなことを言うから、ネールは困ってしまう。
何と答えようか、と頑張って考えるのだが、その間にもシモンはネールに言い含めるように話す。
「聞いたが、お前が倒したドラゴンを売ったお金は、あの人が全部持っていってしまったらしいじゃないか。それはおかしなことだ。お前は彼を気に入っているようだが、お父さんは……あの人とはもう、付き合わない方がいいと思うよ」
悲しそうにそう言うシモンを見て、ネールは只々、困ってしまう。
言葉が出てこない。こういう時に何を言ったらいいのか、分からない。それに……シモンはやっぱり、ネールが文字を書くのを待ってはくれないのだ。
「やっぱり王都へ帰ろう、ネール。それで王様にお話しして、ランヴァルド・マグナスさんではなくて、別の人がお前の世話をできるようにした方がいい。お父さんも居るよ。何も、あの人にこだわる必要は無い」
ネールは俯いて聞いていた。何か伝えたいことはあったのだけれど、それを文字にする前にシモンの話は進んでいく。
……ランヴァルドだったら、ネールが文字を書くのを待っていてくれたんじゃないかな、と、ふと思った。
+




