本物の家族*3
「それは……」
ランヴァルドは、言葉に迷った。
『王命が下っていることなので、安易にネールをジレネロストから引き離すことはできない』とゴネてもいい。
或いは、『ネールと交わした契約があるので、その分は補填してもらいたい』とあること無いこと交えて吹っかけてやってもいい。
だが、どうするのが良いのか、この悪徳商人にしては珍しくも、言葉が出てこない。
……すると。
「……おいおい、ネール。どうした?」
なんと、ランヴァルドが何か言うより先に、ネールが動いていた。
そして、ネールは、きゅ、とランヴァルドに抱き着いてくる。そしてそのまま、離れない。
……離れないネールを見て、ランヴァルドは困惑しているが、シモンもまた、困惑していた。
「ネレイア?どうしたんだ」
シモンが呼びかけても、ネールは首を横に振って、より一層、ランヴァルドにぎゅうぎゅうくっつくばかりである。離れる気配は全く無い!
「あー……ネール。お前、ジレネロストから離れたくない、ってことか?」
ランヴァルドがそう問いかけてみると、ネールは不満げな顔でランヴァルドをじっと見上げてきた。……駄目だ。まるで分からない。ネールを前にするとどうにも、百戦錬磨の悪徳商人も形無しであった。
だが、これはランヴァルドにとって、勝機である。そうだ。ランヴァルドがゴネるのではなく……ネールがゴネればいいのだ!
「そうか。そうだよな。ここはお前にとって大事な場所だもんな。お前のお家もできることだし……うーん」
ランヴァルドは屈んでネールと視線を合わせてやる。ネールはなんとなく違うことを考えているような気もしたが、ランヴァルドは気にせず話を進める。……どうせ、シモンにもネールの言いたいことなど分かってはいないだろう、と思われたので。
「ああ、シモンさん。王都へ連れて帰りたい、というのは、ネールのお母さんにも会わせてあげたい、ということですかね?」
「え、ええ。それから……新しく生まれた、ネレイアの弟と妹にも」
ランヴァルドは『おっと、既に子供も居たか』と思いつつも、まあそれはさておくとして……『そういうことなら』とにっこり笑う。
「でしたら、先にご家族にこちらへお越しいただくというのはいかがでしょうか。迎えの馬車を手配しますよ」
……ネールが母親や、顔を見たことのない弟と妹と会うことは問題ではない。ただ、ネールを連れていかれることが何よりの問題なのだ。だから、ネールをシモンの家へ連れていかせるのではなく、シモンや他の家族を、こっちへ連れてきてしまえばいい。
「その、正直なところ、ネールがここに居るからこそ、ジレネロストの魔物達は大人しくしているようなものなので……いずれ王都へ越すにせよ、もう少しこのあたりが落ち着くまでは、ネールにはここに居てほしいんですよ。ジレネロスト復興は王命もあることなので、失敗はできませんから……」
ランヴァルドがそう申し出れば、シモンは少し迷う様子だった。ちら、とランヴァルドを見て、少々不愉快そうな顔をしているだろうか。まあ、それはいい。相手の感情が分かる方が、こちらも出方を選びやすい。
「ネール。お前はどうしたい?俺としては、ここに残ってもらえると助かる。お前のことが大好きな兵隊さん達も、冒険者達も、お前が居ると元気が出るからな。それに、俺もここを離れられないことだし……。だが、お父さんは王都へ帰りたいみたいだからな、どちらを選んでもいい。どうする?」
そして、ランヴァルドはネールに判断を委ねてしまうことにした。ネールの答えは予想できるので、まあ、中々に卑怯な判断と言えるが。
「……うん、そうか!よし、ありがとうな、ネール」
果たして、ネールはランヴァルドに満面の笑みでこくこくと頷くことになったのであった。そして、少々申し訳なさそうに、もじもじしながらシモンを見上げる。
シモンは戸惑っている様子であったが、ネールが地面に薄く積もった雪に指で文字を書き始めたのを見て、緊張し始める。
……ネールは一生懸命、拙い様子で文字を書き綴り、『みんなで ここにすみたい』と書き上げたのだった。
シモンとランヴァルドを見上げてにこにこするネールを見て、ランヴァルドは『よし』と内心でこぶしを握った。ネールはやはり、こう来るだろうと思われたのだ。予想が上手く当たった。
さて、ネールの希望がこうなのだから、シモンも強く『王都へ帰ろう』とは言えなくなった。彼は何やら戸惑った様子であったが、やがて口を開く。
「そうは言ってもな、父さんも王都でお仕事があるんだ。だから離れるわけにはいかない。それに、お前の弟も妹もまだ小さいから、長旅は少し堪えるだろうし……」
どうも、彼はなんとかしてネールを王都へ連れ帰りたいようであるが……ここまでくれば、ランヴァルドが如何様にもできる。
「おや、シモンさん。お仕事は、何を?」
「……王都郊外の畑をやっております。丁度、ジレネロストから避難した人達に向けての入植者募集があったので、それに応募して……。丁度、子供2人が小さいものですから、ここで職を失う訳にはいかないのです」
シモンは少々苛立った様子であった。元が狩人だったというのだから、誰かに雇われて働く、というのは性に合わないのかもしれない。或いはそもそも、小作農は暮らしが厳しいので、そのせいか。
「成程。ということは、月給が銀貨15枚程度、といったところでしょうか」
ランヴァルドが『あのあたりで小作農をやってるならそれぐらいか』と勘定しつつ口に出せば、シモンは何も答えないながらも、概ねそのあたりなのだろう、と思われる反応を示した。
……ならば、簡単だ。
「でしたら、こちらで仕事を紹介できます。収入が倍になるようなものを!」
ランヴァルドは悪徳商人である。
金で他人を動かすのは、得意中の得意だ。
……ということで。
「ではお気をつけて!お帰りをお待ちしております!」
ランヴァルドは笑顔で、シモンを見送った。
彼の為に馬車を1台用立てるという大盤振る舞いだが、まあ、ここ最近の魔物狩りは、道の無い山の中を主として行っているので、馬車を一台貸し出してしまっても、まあ、こちらの仕事に支障は無い。
当然、ならば馬車を荷運びなど別の用途で使った方が良いのだが……そこは、『王都へ戻る人が居るなら相乗りしていいぞ。銅貨1枚だ』と冒険者達に言って回ることで、多少は損を補填できている。がめつい。ランヴァルドは銅貨1枚に対してもがめついのである。
……シモンは結局、『ジレネロストに住む』という案に賛同してくれた。
まあ、小作農なら冬の間は何か内職をして食い繋いでいるような状態だろう。そこにまとまった金が入ってくるのだとすれば、彼が断る理由は無い。
強いて言うなら……シモンはランヴァルドを警戒しているようには、見える。ネールを王都へ連れ帰りたかったのも、ランヴァルドから引き離すためだったのかもしれない。
これについては、『まあ、真っ当な親ならそうすべきだろうな』と素直に思うランヴァルドである。……自分の娘が毎日金貨1枚を貢がされていると聞いたら、普通の親ならまあ、黙っていないだろう。無知なネールならまだしも、一般的な人間ならば『一日金貨一枚』には疑問を抱くはずだ。当然ながら。
……なので、シモンがランヴァルドを警戒する理由は分かるのだが……そんな相手でも、ネールの親だ。ランヴァルドとしては、シモンごとネールを囲い込んでしまいたいので、今はひたすら、シモンからの覚えが良くなるように動くしかない。
「……厄介なことになった」
呟いてため息を吐くと、隣でネールがきょとんと首を傾げた。それに『ああ、何でもない』と返事をしてやりつつ、ランヴァルドは気を取り直して、早速、今日の業務にあたり始めるのであった。
それから3日程、ランヴァルドは通常通りの業務にあたった。
冒険者達を管理し、彼らから魔物の素材を買い取り、ネールが狩ってきた魔物の素材を見て選り分けておいて、それから旅商人達にそれらを売り捌き……。
何かと忙しくランヴァルドは働いて……それから、ふと、思い立つ。
「ああ、ネール。お前のお父さん、家には戻ってたか?ほら、お前の新しいお家の方じゃなくて、元々住んでたところだ」
ネールに尋ねてみると、ネールはきょとん、として首を傾げ、そして、ふるふる、と首を横に振った。
成程。それならばよし、と、ランヴァルドは自分の背嚢を持つ。
「そうか。いくらか物品が残ってる訳だから、お前の家族が来た時にでも見に行ってくるといい。……皆で見れば、悲しいのも多分減るかもしれないだろ?」
ランヴァルドはそう言ってネールの頭を撫でてやってから、ネールが兵士に呼ばれて向こうへぱたぱた走っていくのを見送って……立ち上がる。
向かう先は、ネールの生家だ。
例の日記を戻しておくか、と思い立ったのである。
そうしてランヴァルドは、何事もなく例の日記を元の位置に戻した。
……ネールの両親の内情がどうであれ、ランヴァルドは彼らに口を出すことはしない。ネールが懐いているのだから、彼らはネールの親であるべきである。だから、この日記はネールには見せない。両親がこっそり処分してくれれば、それでいいだろう。
「家族、ね……」
ランヴァルドは呟いて、『よく分からんな』とため息を吐く。
……よく分からない。ランヴァルドはどうも、『家族』というものが、よく分からない。どうあるのが正しいのかも、どうあるべきなのかもよく分からないままだ。
だが……ネールがいいなら、それが一番いいな、と思う。
シモンも、ネールの母親も、何を考えているのかは分からない。日記を読む限りでは、ネールを恐れていたようにも思うし……3年前の災害の日にネールを家に置き去りにしたことにも、何か裏があったのでは、と思えてしまう。
少なくとも、彼らにはネールを迎えに来る気が無かったのではないだろうか。何せ、家の中には金目のものが無かったのだ。彼らがジレネロストを脱出するときに持っていったというのなら……ネールには1人で死んで居てもらった方が都合がよかったのではないか、とも、思える。
だがそれらに確証など無い。
彼らはネールをどこか恐ろしく思いながらもネールを愛そうと努力していたのかもしれないし、ただ善意でネールを家へ残していったのかもしれない。金目のものが家の中に無かったことだって、元々貯えなど無い家だったかもしれないし、野盗か火事場泥棒かにやられた可能性だって捨てきれない。
新しくネールの弟と妹が生まれたというのならば、その小さな子供達を生かすだけでも精一杯だっただろう。ネールを探す余裕が今まで無かったということだって、別におかしな話ではない。そもそも彼らは、ネールが死んだものと思っていたのだろうから。
……だから、この違和感はランヴァルドが飲み込めば済む話だ。シモンがネールをどう思っているのかなど、ランヴァルドには量りようがない。そしてなにより、量るべきはランヴァルドではなく、ネール自身だ。
ネールが『これがいい』と思うなら、それが一番いい。その上で……ランヴァルドは、今後もネールをどうにかして利用すべく画策する、というのが筋だろうと思われた。
ランヴァルドは日記を戻して家から出て……そこでふと、思い出す。
そういえば、ネールは最初にここを訪れた時、納屋を見ていたのだったか、と。
恐らく、荒れ果て、誰も居ない家を直視するのが躊躇われたのだろうと思われたが。だが、何か納屋にあったのかもしれないな、と、ランヴァルドは納屋を覗く。
「……ん?」
そこでランヴァルドは気づいた。
納屋の扉は開かない。何故なら……外から閂がかけられたまま、その閂が錆び付いているからだ。
……ランヴァルドは『どうか違っていてくれ』と思いながら納屋を見て回る。ネールが出入りしていたのだからどこかに壁の壊れた個所があるだろう、と。
見れば、すぐに分かった。納屋の壁が燃え、焼け焦げて、一部が崩れている。恐らくネールはここから出入りしたのだろう。
少し背伸びしてみれば、焼け落ちた壁の隙間から納屋の中が見えるが……そこにあるものは朽ちていて、何であったのだかはっきりしない。
だが……農具や何やらだけがあったわけではなさそうだ、とは分かる。元は布であったのだろうものや、積み木か何かのように見える木片が見て取れた。
ここが燃えていて、それでいて家の方は燃えていないのだから、3年前のあの日、ネールが居たのはこの納屋の中だった、のだろうか。火傷で喉をやってしまったのなら、そう考えるのが妥当であるように思われたが……。
……そもそも、納屋が焼け焦げているというのに、すぐ近くの家は燃えていないというのがおかしいのだ。何せ、他に、このあたりに火の気がありそうな箇所など無い。
誰かが火を点けない限りは、この納屋は燃えようがない。
そう思い当たってすぐ、『いや、それが人間の仕業とは限らないんだ』と思い直す。そうだ。火を吹く魔物など珍しくもない。
シモンがネールを納屋に入れ、外から閂を掛けた上で納屋に火を点けた、などという証拠は無いのだ。それよりはまだ、娘を安全な場所に隔離しようと思って閂を掛け、ところがそこに火を吹く類の魔物が現れてしまった、とする方がまだ、それらしいだろう。
「……くそ、どうすりゃいいんだ、これは」
自分の中で疑念が渦巻く。直視したくないものが、どうにも大きくなってくる。
ランヴァルドはただ、『信じさせてくれよ』と頭を抱えるのだった。




